フォアアールベルク州

 ある朝目覚めると、私の体はアリのように小さくなっていた。抱き合いながら眠っていた姉に踏みつぶされなかったのはまさに奇跡であり、同時にこの柔らかな乳房に押しつぶされて死ねるなら姉を愛する妹として本望であろうとも考えた。しかし、まだ命が惜しいし、こうなったからには私にはすべきことがある。

 姉とは毎晩のようにベッドの上で快楽を貪りあう仲であったが、つい一年前から姉は私の知らぬ男と交際しており、毎週のように朝帰りをするようになってしまったのだ。それだけならまだ心の広い私は許すことができたのだが、昨晩私のベッドへの誘いを断った姉の言い訳だけはどうにも飲み込めなかったのだ。

 姉曰く、妊娠したのでもうこれっきりにしよう、と。冗談ではない。欲望のままゴム越しに肉棒を粘膜に擦りつけることはなんとか許容できるが、遺伝子情報を含んだ体液をその身に受け入れたとなっては話が別だ。仮にその行為が許せたとしても、その成果物が生まれることは断じて許し難し。

 私は姉の太ももに挟まれぬように体をよじ登った。不思議と手足は吸いつくように姉の肌をしっかり掴むことができ、私はさほど苦労もせずに姉の股間へ到達する。私が姉に全部剃るようにとお願いしていた陰毛が再び生え揃ってしまっているのも、全部姉の恋人のせいだろう。どう考えても生えていない方が姉の奇跡的な輪郭を味わうことができるというのに、まったくわかっていない。そんな男に私のこの宇宙で一番大切な姉をくれてやるわけにはいかないのだ。

 陰毛のジャングルを掻き分けて大陰唇まで到達すると、その割れ目から覗かせる顔があった。それは忘れるはずのない、去年から行方不明となっている我が友人である。

「やぁ、ユウちゃん。やっときたんだね」

「こんなところで奇遇ね、カナデ。それより私のお姉ちゃんの大事な場所でナニやってるのかしら? 返答次第では足の先から家庭用ミンチマシンに突っ込んでぐちゃぐちゃにしてやるんだけど」

「相変わらずだなぁ。私は朝目覚めたら小さくなっていたから、ヒロミさんを身体の内側から守っていたんだよ」

「よし、決めたわ。全部終わったらすり潰してやる。それより、お姉ちゃんの体の中に住んでたなら今どうなってるか知ってるわよね?」

 カナデは深く頷いた。そして、私の手を引いて私を大陰唇の隙間へと引き摺りこんだ。大陰唇に埋もれていた小陰唇も掻き分け、膣前庭に辿りつく。カナデはペンライトの明かりを点けると、私を姉への入り口へと誘った。

「そのペンライト、どうしたの? そのサイズのものが存在するとは思えないけど」

 そう問うと、カナデは得意そうな笑顔を浮かべた。やはり殺してやる。私よりも姉のことを深く知っているなど許されぬ。

「人の中にはなんでもあるんだ。なんでもね」

「カナデの墓も?」

「ヒロミさんの子宮で死ねるなら本望かな」

「病気になりそうだから、絶対に外で殺す。犬のクソに埋めて殺す」

 ひどいなぁ、とカナデは楽しそうに言って、膣の中を進んで行った。


 どれだけ進んだか、トンネルのような膣の終端に辿りついた。しかし、そこにあったのは子宮頸部ではなくフォート・ノックスの金庫のような金属の巨大な扉であった。カナデは慣れた手つきでそのダイヤルを回す。

「お姉ちゃんの子宮、こんなに警備が厳重なんだ。それならホントは妊娠なんてしてないのかな」

「それが残念、あの男の精子はフリーパスだったよ」

 その男もいつか絶対に殺してやる。私はそう決めて、開いた扉の向こうへと足を踏み入れる。

 そこに広がっていたのは、果てしなく広い荒野であった。空には二つの太陽がこちらを見下ろしており、しかしどこか肌寒い。子宮とはもっと温かいイメージがあったし、こんな土と砂利と瓦礫に満ちているとは思っていなかった。

「こっちこっち」

 驚き放心する私をよそに、カナデは散歩でもするように歩き始めた。なんの目印もないような荒野を、まるで自分の庭のように。

「ねぇ、なんで太陽が二つもあるの?」

「あれは太陽じゃないよ、ユウちゃん。あれは卵巣。うっすらと管が見えるでしょ? あれが卵管。私、人間の排卵を初めて見たよ。自分の体の中であんな複雑なことが無意識のうちに起きてるなんて不思議」

 普通の人間の子宮がこんな構造かはさておき、私はどんどんと嫉妬が募っていた。姉の排泄は観察したことがあっても、姉の排卵は見たことがなかった。細胞分裂ですら見守りたいというのに、カナデは私の知らない姉のことをいくつも知っているのだ。

「ほら、あれが受精して着床した卵子だよ」

 一時間ほど歩いたか、私たちはやがて肉の丘に辿りついていた。盛り上がった肉の地面から土などは滑って落ち、丘の周りはやや荒れている。丘の頂上は何やら神々しく輝いていて、明らかに何かが存在しているということがわかった。

 私は肉を掴みながら丘をよじ登る。ただ使命に駆られ、私の目的を果たすために。

「これが……」

 丘の頂上には木があった。何本もの幹が複雑に絡み合って球状のドームが形成されていて、その中には巨大な胎児の姿があった。まだ人間の最低限の特徴しか持っていない、二ヵ月ほどの胎児。しかしその大きさは私たちよりも大きく、存在感がある。

「私はずっと見てたんだ。卵管を通る卵子目掛けて精子が殺到して、受精した卵子がここに墜落した。それから何日もかけて丘ができて、それと一緒にこの木は幹を伸ばし、絡めていったの」

「なんで阻止しなかったの」

 私は問う。カナデは不思議そうな顔で私を見つめ返した。

「お姉ちゃんのこと、好きなんでしょ? なんで阻止しなかったの」

 カナデはすぐには答えなかった。ただ、私の顔をしばらく見つめていたかと思うと、ややあってその表情はほんの少しだけ曇ったように見えた。

「私が好きなのは、ユウちゃんだよ。ユウちゃんが好きだから、ユウちゃんが大好きなヒロミさんの中にいようって思ったの。でも……私、やっぱりそれじゃ満足できないみたい。だって、この子が産まれたらユウちゃんはヒロミさんを諦めて私のことを選んでくれるんじゃないかって思っちゃったから。自分のこと考えちゃったから」

 はい、と私の手に人間の頭ほどのコンクリート片が渡された。それはずっしりと重く、目の前の胎児を殺すことができる重みがある。

「ユウちゃんが選んで。この子をどうするのか」

「うん、わかった」

 私は一秒も躊躇わなかった。なんの罪悪感もなかった。手にしたコンクリート片を思い切り胎児の頭に投げつけ、再び拾って殴りつけた。

「まさか一秒も迷わないとは思わなかったなぁ」

 幹と胎児の間にあった薄い羊膜が破れ、中から羊水が溢れだす。支えを失った胎児の重みで幹は破れ、へその緒がついた胎児は血を噴き出しながら丘を転がり落ちた。

 私はへその緒を何度も叩いて切断し、丘を駆け下りて胎児にとどめを刺した。まだ柔らかい骨とさえ呼べないような頭蓋が砕け、申し訳程度の脳漿が散らばる。私は達成感を旨に感じて、コンクリート片を地面に置いた。

「……ユウちゃん、かなり鬼畜だね」

「軽蔑した?」

「うん、かなり。でも愛してるんだ。私はユウちゃんの全部が好きだからね。可愛いとこも好き。思い立ったが吉日ってとこも好き。脚が早いのも好き。猫が好きなのも好き。ヒロミさんが好きなのも好き。ヒロミさんとセックスしてるのも好き。お風呂で首の裏から洗うのも好き。日曜の午前は陰毛を毛抜きで全部抜くのを日課にしてるのも好き。ヒロミさんの誕生日プレゼントを買うために心の底から嫌そうにしながらクラスメイト相手に売春してるのも好きだし、金払うのを渋った男子のアレに火の点いたマッチ押し込む豪快さとか大好きだよ。それになにより、自分の愛のために自分の好きな相手の胎児を殺すなんて、最低すぎて最高に好きだな」

 屈託のない笑顔だ。さすが我が友。思い返せば、私の初体験は十歳のときにカナデと一緒に風呂に入って互いの性器を触りあったそれではないだろうか。しかし、今は私の愛は姉にのみある。

「ねぇ、ユウちゃん。私、ユウちゃんの子宮で暮らしたいんだけど」

 そんな我が友の頼みを断れるはずもなく、私は深く頷いた。重要なのは私が姉を愛していることであって、私のことを愛してくれる人間が胎内にいても問題はないはずだ。

「ありがとう、ユウちゃん。いつも一緒だよ」

 カナデは私の大陰唇を指で開き、そこに頭を押し付けた。普通なら入るはずなどないのだが、カナデの頭は水風船のように柔らかく形を変え、ひどいきつさを伴いながらも私の膣を進んで行く。やがてその最奥に強い痛みを感じたが、恐らくは狭い子宮口を通っているのだろう。

 ややあって、カナデは肩まで私の中へと入っていた。はみ出た足で地面を蹴って、ぐいぐいと体を奥に押し込んでいく。腰まで入り、膝まで入って、私は自らの手でその最後を押し込んだ。

 ずん、と腹に重い感触。人間一人分とは言わないが、財布一つ分はあるだろうか。確かな実感と温かみを感じる。

 私はその温かみと共に姉の出口を目指した。




■  ■




 私を目覚めさせたのは姉の悲鳴だった。私は眠い目を擦りながら体を起こし、隣で泣き叫ぶ姉の体に抱きついた。

 ふと、血の匂い。視線の先には羊水と少量の血で染まったシーツと、頭の潰れた胎児があった。

「大丈夫よ、お姉ちゃん。私がいるよ。私がいるから、大丈夫だよ」

 姉は泣き続ける。私はなだめる。下腹部に違和感を感じながら。


 その日、私は嘔吐した。心当たりがあったので医者に行ってみると、どうやら妊娠一ヵ月とのことだった。

 きっと女の子だろう。父親は存在しないことにする。名前は……せめてもの情をもって、カナデとしよう。




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