第九話 休日に彼女の幻想を見ない


  よく田舎は空気が綺麗だと耳にする。

田んぼの周りでは草の香り、森の中は甘い木々の香りが漂い、街並みも山に囲まれて自然の雄大さを感じることが出来る。

対し、高層ビルが沢山ある所(都会)は風通りが悪く、空気がよどんで排気ガスが溜まっている。

都会には行ったことがないから分からないけど、初めて田舎に来る人達には空気が良いと思うんだろな。

だけど空気が良いのは田舎だけじゃない。もう一つある、それが休日だ。


休日というのはどうしてこんなにも空気が澄んでいるのか、実に有意義だと思う。

この何とも言えない解放感。学校がある日はプレッシャーをまといながら登校するから足運びが重くなりがちで、気分も優れない。

小学生の時はなぜか半日授業があったような記憶があるけどなくなって正解だ。その分登校するにあたってダルくなるのがネックになってるけど。


休日は厳禁なことに早く目を覚ます。この構造は自分でも分からないけど、これが俺の持つ数少ない特技かもしれない。実に使えない特技だ、どうせならもっと――あ、新刊出てる。これも、こっちも、うーんどっちを買うか迷うな――



朝早く起きた俺は、当然のように起きていた母親に要件を伝え家を出た。

家から四キロほど離れた場所にある本屋さん。ちょっと遠いけど散歩がてらにちょうど良く、程よい運動にはなる。

くだらない思考を重ね本屋に着いた俺はさっそく目前にある新刊コーナーに足を向けた。


木と紙が混ぜ合わさってる独特な匂いが立ち込める場所で、本を手に取り表紙を目利きする。

俺が手に取ったのは、週刊少年ジャップで連載されている人気漫画の単行本。

赤と黒、それぞれ違う色の鎧を着た二人の少年が剣を交えている、表紙から見てもバトルものだと分かる。

その横に目を向けると、同じ雑誌で連載されていたがあまり人気がなかったせいで打ち切られた漫画も発行されていた。やっぱりサッカーはダメなのか。個人的には結構良かったのに。

いったん本を戻し、次のコーナーに移動する。


新刊コーナーから左側に位置するライトノベルト文庫、通称ラノベル。

ジャンル的には、魔法や剣が出てくるファンタジーや女の子との日常を描いたラブコメが多い。

文体も難しい漢字がなく、漫画を見てる容量で読める為、小説になじみがない人でも気軽に読むことが出来る。主に男の夢が詰まってるせいか、ヒロインや話の内容が似てるものが多いから本選びは悩みどころになる。

文庫順にざっと目を通していく。特にこれといってめぼしいのがない。所持してるラノベルの続刊が二冊ほど出ていたので手に取り奧に進む。その右側にお目当てのコーナーがある。


横目で人がいないことを確認し一気に進む。新刊のコーナーに立っていると目立つ為、なるべく奥にいく。

男が読むのはどうなんだろう、と思いつつ置かれている漫画に目を落とす。

ピンクや白といった目立つ色の本には、甘いキャッチフレーズで綴られた帯が巻かれてあり、表紙には女の子の瞳が大きめに描かれている。


男が読むにはどこか抵抗がある少女漫画。

話の内容は恋愛や甘酸っぱい青春ものが多い、ファンタジーもあるけど恋色が濃く、いかにも女の子が憧れるような男女の恋愛模様が展開される。

だけど中にはギャグを交えた面白いものあり、同じような展開のバトル漫画にマンネリを感じてきた俺にはちょうどいいアクセントになっていた。


その中でも俺が気になっている本はコーナーの裏側にある。

ジャンル的には恋愛中心で少し大人めの内容になっていて、レジに持っていくのはかなり勇気がいる。チビの俺にそんな勇気は微塵もない。けど絵が綺麗でどうしても読みたいと思ってる作品だ。

裏側を覗き見ると幸いなことに人がいない。そういえば今日は人が少ないな、助かった。ひとまずは安堵する。

今日は人が少ない為すんなりと入ることが出来た。

早速その本を見つけ手に取る。あとはレジに行くだけ。レジに...... 


あ、これダメだ。


前にいる店員をみると動悸が早くなる。笑われるんじゃないか、変な目で見られるんじゃないかと。

ただの悲観からくる思い込みであるのは分かってる。だけどそう思ってしまうと足が止まる。

レジが遠く感じる、いや、別にいかがわしい本じゃないんだ。まっすぐ持っていき、右手をレジに添えるだけだ。それだけでいい。

よし、行く!



――――


 あぁ、やっぱ遠出は疲れる、足が痛いし喉も乾いた。早くゆっくり本を読みたい。

結局、また本をレジに持っていけなかった。まぁでも続刊を二冊買えたので良しとしよう。

でももう少し大人になればこういった羞恥心はなくなるのかな。そうなれば躊躇なく大人の漫画が変えるようになるんだろうか、別にいやらしい気持ちじゃないけど。でも精神年齢が上がらないと無理か。


家の前に着くと、車庫に入ってるはずの車がなかった。今日も出かけたのか。

まぁ父親は休日であっても出かけてることも多いからそんなに気にはならないけど。


「ただいまー 車ないけど父さんどっか出かけたの」 


「おかえり、あんたが出て行ってすぐにね」


だと思った。


「把握」


「おかえり、お、お邪魔してます」


「あ、芽森さん、ただいま......」


 は? 誰に! 今誰にただいまって言った!?

えぇっと、俺は夢でも見ているのか。なぜ芽森さんが家に......


 玄関を開けてリビングにいき母親と取り留めないやり取りをする。

その傍らで声が聞こえ思わず直角に横を向いた俺の目に飛び込んできたのは、ここにいるはずのない芽森さんの姿だった。

遠慮がちに告げる彼女に思わず返事を返してしまったけど、これは幻?

憧れの人の夢を見るのは男なら誰にでもあることだ。しかし今は寝てはいない。

まいったな、とんだ妄想野郎だ。


「あぁ喉乾いたコーラ、コーラはっと」


 台所に行き冷蔵庫を開けると、調味料や野菜と同じ場所にペットボトル式のコーラが何個か入っていた。

あれ、でも確か中身切らしていたはずじゃ。朝出かける前に確認したけど冷蔵庫の中は寂しい状態だった。


「母さん、冷蔵庫の中身切らしてたんじゃなかった」


 リビングに戻ると相変わらず芽森さんの幻が見える。

服装は俺の趣味なのか、黒色の服に赤色のチェックのスカートに身を包む彼女は、椅子にちょこんと座り一言も発さない。やっぱり幻か、さっき聞こえた声も幻聴だ。きっと俺は疲れてるんだ、遠出したし。

何より私服で来るわけがない。

その内消えるだろう、と気にせず確認を取る。


「あんたと父さんが出かけてすぐに母さんも食材を仕入れにいってたのよ」


「なるほどね、把握」 


 まぁ早いに越したことはないか。


「その帰りにちょうど彼女と会ってねぇ、助かったわ」


「え、彼女」


 言いながら芽森さんが見えている場所に目を配る母親につられ、横を見る。

何言ってんだ、芽森さんは幻だろ。

その証拠にさっきから一言も声を発してな――


「いえ、そんな。少し拾うのを手伝っただけで」


 え、あれ喋った、え...... まさか、本物ぉぉぉ!?


「え、どどど、どうして、め、芽森さんが!」


いや、え? 訳が分からない、なぜここに彼女がいるのか。

いやしかし、それより、さっき俺は彼女におかえりって言われて、それで思わずただいまって返事を...... は、恥ずかしい。

幻想だと思っていた芽森さんと知らず知らずの内に、夫婦がするような掛け合いを交わしていたなんて、なんて日だ。


「ほらあっち方面って下り坂になってるでしょ、行きは楽なんだけど帰りがしんどいのよ。上ってる最中にリンゴを落としちゃってね。拾ってくれたお礼にお茶でもと」


「それで芽森さんを家に上げたと?」


「いい子よね」


 ニコッと微笑む母さん。

母さんはお人良しだ。

けどそれには同感、確かにいい子である。

その芽森さんはどこか戸惑ってる様子で、顔を下に向けてる。

気持ちは分かる。目上の人に褒められるとどこか、こそばゆい感じになってしまう。


「それにしても驚いたわ、まさか知り合いだったなんて。どういう関係? ひょっとして、か」


「いや、 彼女は」


「あー 黒沼君とは同じ学校でクラスが一緒なんです。それだけで」


 的外れなことを言う前に俺が反発しようとした直後、さらに否定の言葉が強く重ねられた。

俺と芽森さんは特別な関係ではなく、ただのクラスメイトなだけ。

実にまっとうな彼女の返答、それ故に好意がないことは明らかである。

泣きそうだ。


「そうなの、ごめんなさいね、おばちゃん浮かれちゃって」


「い、いえ。でも黒沼君は優しいですよ、食べるの早いですし、掃除の時間も隅々まで綺麗にしていますし」


 気休めで言っているのが分かる。

彼女と俺は何の接点もない、だから褒めるところといえばそこらしか着目点が見いだせないんだろう。

でも悲しいことに、掃除のことは当たっている。人と話さない俺は自然とゴミ収集に目がいってしまい、必要以上にほうきを掃いている。なんて寂しい奴。


「そういってくれると嬉しいわ。あ、ごめんなさい長々と、もうお帰りになられる?」


 そりゃ帰るに決まってるだろ、用は済んだんだから。


「いえ、元々黒沼君に話があったので」


「まぁ、そうだったの、なら丁度良かったわね」


「はい」


 母親と芽森さんが会話してる最中、俺はあっけにとられていた。

俺に用って何、お茶飲んで帰るんじゃないの?

そもそも彼女は何の目的があって家に来たのか。

芽森さんのような人が俺に用があるとしたら......


「なら私がいたら無粋ね、有真、彼女を部屋に案内してあげなさい」


「え、部屋に?」


 そんないきなり言われても。


「ほーら、彼女が待ってるでしょ」


「うん。えっと、じゃ、つ、ついて来て」



 有無を言わさず、言われるがままリビングを出る。

俺の部屋は玄関に入って一番奥にある。螺旋状の階段になっていて隙間なく出来てるので落っこちる心配はない。

後ろからついてくる彼女の存在に未だ幻だと思ってしまう。

だけど聞こえてくる自分以外の足跡が、彼女は実態で確かに今ここにいるんだと意識させられる。

時計回りに階段を上がると部屋の前にあるのは何の変哲もない木製の扉。

俺は顔から火が出る思いで緊張しつつも扉に手を掛けた。

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