第二話 小野塚稲荷の社殿にて

「い、いやああああっ!」


 髪を振り乱した若い女が、床に転がって怯えていた。


 男たちが下卑た笑いを浮かべてそれを見下ろしている。各々手に血塗れの山刀を下げ、それを女に突きつけていた。


「おかしらあ、ちったあ楽しんでもいいでがしょ?」


 おかしらと呼ばれた男。その男だけが、女にではなく格子窓の外に目をやっていた。


ごん。さっさと始末しろ」

「ええー?」


 頭領に声を掛けた男が、見るからに不満そうな顔をする。


「女なんざ、どこででも抱けるだろうが。余計な真似すんじゃねえや! それより、ちょっと来い!」


 権が、渋々頭領の近くに寄った。頭領は女には目もくれず、じっと窓から外を注視している。


 夜のとばりが下りて、小高い塚の上にあるやしろの周囲は、闇ですっぽり包まれている。だが目前の荒れ野の向こうに、ちりちりと小さな灯りが瞬き始めた。頭領は、それをじっと睨みつけていた。


「おめえらの下調べがいい加減だから、上がりが少ねえんだよ! 屋敷がでけえから銭があると思ったのか、権!」


 きっと振り返った頭領に悪し様に罵られた権は、むっとした表情を見せたが、低い声でそれを認めた。


「へい」

ろくに人も来ねえ田舎の社に、銭なんざあるわきゃあねえだろが! ったくこの役立たずがっ!」


 苛立ったように、頭領が足下に控えた権を蹴った。


「でも」

「でもも糞もねえ! おめえら分かってんのか?」


 頭領は、目を血走らせて男たちを睨み回す。


「ここは久保の所領だ。あいつぁ、わしらに容赦しねえんだ。坊主や百姓相手なら、儂らぁ好き勝手出来る。だが、やり過ぎてあいつらに目ぇ付けられたら、儂らぁただじゃ済まねえんだよ!」


 権が不満そうに頬を膨らませた。


「なんでですかい?」

「たりめえだろ! あいつら、数が半端じゃねえんだ。しかも、こええくらい鍛えられてる。弓も槍も儂らとは腕前がてんで違うんだよ!」

「う……」

茗荷山みょうがやま根城ねじろはまだあいつらには割れてねえ。あすこから闇に紛れて出入り出来るとこなら、儂らがなにやらかそうがでえじょうぶなんだよ。だがな」


 食い入るように、頭領が窓の外を見つめる。


「里に深入りすんのはやべえんだよ。ここは平地ひらちで隠れる場所がねえ。儂らの動きは周りから丸見えだ。抜け道がねえから囲まれちまったらしめえなんだ。だから、余程でけえ上がりでもねえ限りこっちまで出んかったのよ!」

「うう」

「やるなら、さっさと済ましてすぐに引き上げねえとなんねえのに、女如きにうつつ抜かしやがってぐずぐずと!」


 頭領が権の顔につばを吐き捨て、また窓の外に目を戻す。

 ゆらゆらと。彼方から松明たいまつが近付いてくるのが、誰の目にもはっきりと判るようになってきた。


「あの揺れ方は馬か。徒歩かちじゃあ逃げ切れねえな」


 まだここまでは距離がある。だが、どの松明も迷いなく真っ直ぐに近付いてくる。頭領は、ざっとその数を数えた。


「やべえ。五百はいる」


 先程まで頭領の叱責に不満たらたらだった権も、さすがに己が置かれた危機的状況に気付いたらしい。急に落ち着きがなくなった。


「お、おかしらぁ、ど、どうするんで?」


 頭領はそれに答えず、じっと松明の動きを見つめていた。


 近付いてくる松明は、あるところでいっぺん止まって、そっから左右に分かれる。真っ直ぐここへ向かってこねえ。それが久保の策だとは思えねえ。これだけの兵を割くのは、儂らに負けねえためじゃねえ。儂らを一人も逃がさねえためだ。数で押すつもりの連中が、こそこそと策を練るはずがねえ。あすこに何かがある。連中が真っ直ぐ進めねえ何かが。


 けど、ここへ押し入る前に見たときゃあ、あすこはただの野っ原だった。ここいらの連中が怖れて踏み込まねえ、だだっ広い野っ原。俺の目には、何があるわけでもねえただの野っ原にしか見えねえが……。


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