優「下半身はどこにいったんだよ」

 俺の職場からの電話に応対してくれている彼だったが内容は勿論、今日は休みます――なんてものではなく、会社そのものを辞めますという社会人にあるまじき唐突な意思表明だった。


 体が入れ替わってしまった以上、もう今の職場に出勤は出来ないので辞めてしまうのが一番、会社にとっては迷惑の掛からない判断だと思ったのだ。


 まぁ、俺の会社は一人欠けると全く機能しなくなるような個人の責任が大きい業種ではない。――とはいっても、元々俺に分担されるはずの仕事が同僚達に分散して圧し掛かるというのはやはり心苦しい。


 だけど、目の前の彼に今から仕事へ行ってもらっても仕方ないだろう。


 というわけで、辞めるという旨を上司に伝えてほしいと彼に頼んだ俺だったのだが、やはり事情を知らない人間に代弁させるのは無理があったのか、と思う会話がちらほらと聞こえてくる。


 無論、俺の側からは彼の話し声しか聞こえないが、それでも――「その辺は適当に誰かに振って下さい」とか、「そんな企画は覚えがないですねぇ」などと、俺に確認もなく上司の問いかける「俺がいなくなった後の仕事」についてアドリブで返答していく。


 もう少しソフトに受け答えして欲しいものだが……。

 ――と、その時。


 携帯のバイブレーションが鳴り響く。


 この状況で鳴るという事は勿論、今目の前で電話している彼の携帯だと思うのだが、所在が分からない。


 服のポケットに入っているわけではないようで、振動する携帯の在り処が掴めないのだ。恐らく、彼が行っているように、俺もこの体の声で応対しなければならない相手からの着信に違いないと思うのだが……。


 音がどこから響いているのか探っていると、それらしい音源を見つける。俺達の座っている間にはカバンが置かれており、それはぶつかる前のこの肉体が所持していた持ち物だった。


 無論、貴重品の入れられたカバンを元々の所有者である彼が持つのは必然なのだろうが、ひらひらのついた可愛らしいカバンを抱えた髭面長身筋肉質スーツというのはなかなかシュールな光景である。


 そして、そのカバンから携帯の振動音が鳴り響いているようだ。


 俺は、自分の職場に応対している彼に対して「電話に出るぞ? いいか?」という意味のアイコンタクトを送るも、彼は苛々した表情で「無能にもほどがあるでしょう!」と怒鳴っていた。


 何で会社に迷惑掛ける人間がそんなに高圧的なんだ。


 まぁ、目での会話が成立しないならば、仕方ない。無許可でも電話に応対するしかあるまい。電話に出ないという選択肢も当然あるが、俺としては自分の職場に対して「半ば面白がってるのでは?」と思うような応対をしてくれている彼に対して、仕返しというか、免罪符にしたというか。他人の知り合いに好き勝手言ってもいいという状況の面白さに興じてみようと思ったのだ。


 とりあえず、電話を寄越したのが彼の仕事場であるのは間違いだろう。遅刻しかけていたという境遇も同じだったらしいのだ。


 なので、白とピンクで彩られた、ファンシーなカバンのファスナーを開いて、振動する携帯を取り出す。


 とはいえ、ちょっと不安はある。


 ……俺、機械の操作とか得意じゃねーんだよなぁ。

 他人の携帯とか操作できるんだろうか?


 昔から機械全般が駄目で、テレビにビデオデッキの接続が出来ないって友人に話したら「今時、ビデオテープかよ」って思わぬツッコミもらったしなぁ。それに、「赤外線通信? お肌の天敵じゃん!」って言った時も失笑されたなぁ。


 でも、あの時の俺は一周回って女子力全開だったと思う。

 機械苦手な女子とかちょっと可愛いだろ?


 などと、思考しつつ取り出した携帯を見て――俺は戦慄する。


「おいおい、何だよこれ」


 取り出した携帯は長方形の板一枚としか形容できないもので、三つしかないボタンと、表面積のほとんどを埋め尽くす大画面。画面でけぇ、とか驚愕しつつも重要な要素を欠いたその機械を果たして携帯電話と呼んでいいものか……。


 何故なら――。


「この携帯、下半分がねーぞ!」


 そう、俺も何だかんだでアンテナつきの携帯を卒業して、今彼が使っているものに機種変更したのだった。最近ではスライド式の携帯もあると聞いており、そういった機種は番号キーが下の段に隠れているらしい。スライドさせなければ確かに彼のカバンに入っていたこの携帯に似た外観となるのだが……。


「どうやって文字打つんだよ。スライド式だとしたら、文字打つボタンが下の段に収納されているはずだけどよ……そもそも、スライド式だった形跡すらねぇ。まるで画面とこの三つのボタンで操作すると言わんばかりのこれが、携帯だってのか?」


 俺は慌ててカバンの中身を荒い手つきで探り始める。中には化粧品が収められているであろうポーチや、色とりどりな飴玉も入っており「中年女性か」と突っ込みたくなって彼を見つめる。


 しかし、カバンの持ち主は中年女性ではなく、髭面の男前。苛立った表情で電話応対をしており、「そんな表情も俺は好きだな」とか見とれてしまった。


 いや、見とれている場合ではない。


「下半分がねーぞ。こいつの下半身は……こいつの下半身はどこにいったんだよ!」


 俺がカバンの中から必死に探しているのは、この上半分になってしまった携帯の下半分。つまり、電源ボタンと文字入力キーが配備され、自分の声を集音するマイクの設置された、折りたたむための下半身である。


 随分と画面が大きい。これはもしかすると旧世代の携帯なのかもしれない。世の中、科学の発達に比例して物はどんどん薄くなったり、小さくなるというからなぁ。


 ……というかそもそも、バッテリーが入っているはずの下半分を失って、この携帯はどうして振動しているのだろう?


 だが、そんな疑問はとりあえず置いておくべきだろう。下半分を見つけ出さなければ通話ボタンを押す事が出来ない。仮に押さずに通話できたとして、こちらの声を集音すべき下半身を欠いて、会話など成立しない。


「下半身、下半身、下半身……下半身がない!」


 どれだけ探ってもカバンの中には携帯の下半分がない。ならば彼はきっとどこかでそれを紛失してしまったのかもしれない。そう思うと、詳細を問いかけるべく彼の方を向く俺。携帯のバイブレーションはまだ振動している――が、いつこちらからの応答がないと諦めて切断されるか分からない。


 どうすんだよ――と、焦燥感を胸に見つめた彼の表情は至極、冷徹で蔑視の視線を湛えていた。


「……他人のカバンを漁って『下半身がない』って。何か重篤なものを患っているんでしょうか、あなたは」


 いつの間にか俺の職場への応答を終えた彼は、怒りを通り越した先に大抵待ち構えている呆れさえ通過して――最早、俺の事を軽蔑していた。そんな最中、俺の握りしめる携帯の上半身はその振動を途絶えさせ、連絡を発信者が諦めたのだと悟った。


 何だろう、この気まずい空気。


 俺は舌をペロッと出して、ウインクして自分で頭を軽く小突いてみた――が、彼が送る冷たい視線は解かれる様子を全く見せない。


 ……可愛いだろ?

 俺、可愛いだろ?


「いや、携帯が鳴ってたから応対しようと思ったんだけどさ。どうもお前さんの携帯、下半身。つまりは、通話ボタンや文字キーの搭載されているはずの下半分が欠けていたからさ、どこにあんのかなぁーと思って」


 流石に、電話を終えてみれば「下半身、下半身」と焦り交じりに呟きながら自分のカバンを探られている彼の気持ちも分かる。なので、きちんと伝わるように詳細を語ったのだが……。


「……あなたはスマートフォンというものを知らないのですか?」


 聞きなれない語句を口にする彼。


「何だそれ? 文庫版って事か?」

「スマート本ではありません! 確かにハードカバーの書籍が文庫本として再出版された時には『あ、スマートになったなぁ。最初からこっちで出せばいいのにぃ』とか思ってしまいますが、そんな詳細な説明を求める勘違いを口にしないで下さい!」

「すげえ。よく分かったなぁ……」


 ――で、結局俺の握りしめる大画面の携帯と似て非なる機械の詳細が分からないんだけど……まぁ、いいか。きっと俺には難しい話だし。


「そういえば、俺の職場には上手く辞めるように言ってくれたのか?」

「あぁ、その事ですか。大丈夫です、あなたの希望通りになりましたよ」


 そう言って彼は咳払いをして、やや勿体ぶった風に言う。


「あなたの上司曰く『こっちこそ願い下げだ、二度とその面見せるな』との事です。あちらに拒否させれば最早、こちらのワガママでもないですから大金星といった感じの応対でしたね」

「何やってくれてんだよ」

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