最終章 スイッチ

神さま、まってやがれ!

 ゴゴゴゴゴゴゴ……


 夜の帳が降りた新宿御苑。

 人影は無く、ご多分にもれず恐竜や魔物ばかりが徘徊するこの都心部に広がった大公園の真中に、ジェット噴射の金色の光芒を放ちながら、芝生を抉って不時着する傷ついた鉄塊があった。

 小脇に茉莉歌を抱え、背中にリュウジをおぶった、コータだった。


 ガチャン。ガチャン。

 限界を迎えたメタルマンスーツは、着地とともにバラバラに砕けた。

 胸部のエネルギーアンプは焼き切れて、その動力は絶えた。


 そして、コータもまた、彼自身の命の限界を迎えようとしていた。

 力尽きて芝生に横たわる彼の手を、リュウジが固く握っている


「リュウジ、最後の最後で、しくじったよ、結局、彼女に頼りっぱなし……情けないな……」

 苦しげに息をしながら、リュウジを見上げて自嘲的に呟くコータに、


「……何言ってるんだコータ! かっこよかったぞ!」

 そう答えるリュウジの両目からポロポロ涙がこぼれていく。


 茉莉歌もまた泣いていた。


「コータさん……! まってて、今その傷を……」

 自身の願い事で、コータの命を助けようとする茉莉歌だったが、


「だめだ、茉莉歌!」

 力ない声でコータが茉莉歌を制した。


「リュウジ、勝手な事を頼む、おまえの願いで、『世界』を救ってくれ!」

 コータが、リュウジそう懇願した。


「…………!」

 リュウジは絶句した。彼は教授の言葉を思い返していた。


「『願い事』を用いて君自身が世界と一体化すればいい。世界の『間隙』が見つかるかもしれない…………」


 だがそれは、それは願った本人の消滅を意味している。

 それに、これは何の勝算もない、破れかぶれの賭けにすぎない。

 仮説に仮説を重ねた憶測だ。

 世界の『隙間』など、そもそも存在しないのではないか?

 教授の出まかせでなかったと、誰に分かる?

 リュウジは逡巡していた。


 リュウジはコータを見た。

 コータは泣いていた。


「結局、彼女の事、最後まで助けられなかった……! そして、もうすぐ、みんな消える……!」

 彼の肩が無念に震えていた。


「……そんなの……こんな終わり方、あんまりだ……」

 コータは苦しげに息を吐いて言った。


「……わかった。コータ」

 そしてリュウジは意を決して、コータに答えた。


「『世界』は俺が救う。エナも、理事長も、みんな俺が助ける! だから安心しろ!」

 だがリュウジの言葉は、コータに届いたのだろうか?

 彼は、見えない何かを見つめて、宙空に手をのばした。


「ああ……エナ。そこにいるのか? 待ってろ……今、助ける……から」

 そういって、コータは宙を掴んで、事切れた。


「……コータ!!」

 リュウジは、芝生に顔をうずめて、泣いた。

 茉莉歌は小さな肩を震わせて、ただ俯いていた。

 ひとしきり、リュウジの嗚咽が夜の公園に虚しく響くと、


 ウオーン。


 闇夜に響く咆哮。


 リュウジは、泣きはらした顔を上げて辺りを見渡した。

 ざわざわと樹木が震えた。

 公園に潜む怪物達が、もうリュウジと茉莉歌に気付いたらしい。

 リュウジは茉莉歌を見た。

 だめだ。せめて彼女だけは無事に帰さないと。


「茉莉歌、行こう、ここから逃げる!」

 そう言って立ちあがろうとしたリュウジ。だが、


 ガクン。

 リュウジは膝をついた。


………!」

 危機また危機で、これまで痛みが麻痺していたのだ。

 大槻教授に切り裂かれたリュウジの脛の創は、落下のショックで更に悪化していた。

 彼は、もはや立つことはかなわなかった。


「ここまでか……!」

 リュウジは、意を決した。


「茉莉歌。君は『願い事』を使って、学園に戻るんだ。君の事は、理事長に頼んである!」

 リュウジは、そう茉莉歌に告げてから、彼女にしみじみ言った。


「姉貴と、お父さんの事、つらかったな……でも、あれで良かったんだ……」

 茉莉歌は顔を伏せ黙って頷いた。


「おじさんは……? どうするの?」

 茉莉歌が顔を上げて、いぶかしげに彼に尋ねた。


「俺は……行くところがある。コータとの約束を守らないと!」

 リュウジは答えた。


「本当なら、俺の『願い事』で、君を学園に帰さなきゃいけないのに……」

 彼はすまなそうに茉莉歌にそう言った。


「おじさん、『あれ』をやるつもりなんだ……」

 茉莉歌が、リュウジを見て言った。

 全てが分かったという風に。


「……え?」

 思わず驚きの声を上げるリュウジに、


「あのキモい先生の言った通り、『世界』と一つになって、『隙間』を見つける。そのつもりなのね?」

 茉莉歌はリュウジを見据えてそう言った。


「……そうだ」

 リュウジは答えた。

 もう彼に、迷いはなかった。

 その時だ。


「だったら……、私も行く」

 茉莉歌が、ポツリと言った。


「……それはだめだ!」

 リュウジは慌てた。

 何の勝算も無い賭けだ。

 姪を巻き込むわけにはいかない。


 仮に目論見どおりに事が運んだとして、『外側』に何が待っているか、想像もつかないのだ。


 姉と約束した。

 茉莉歌だけは、絶対に守り通すと。


「ま……」

「聞いて、おじさん!」

 茉莉歌がリュウジを制した。


「『隙間』を見つけたって、そこでおじさんがヘタってしまったり、どうかしてしまっていたら、意味ないの!」

 茉莉歌の声は冷然。

 

「目的は、世界の外側に行って……そう、『神様』と話し合うことでしょ?」

 彼女は続けた。


「だから、私も行く。私も『隙間』まで連れて行って! おじさんと私のどっちかが『外側』に出られればいいの。確率は倍になるでしょ?」

 茉莉歌が、リュウジをまっすぐ見つめて、そう言った。


「おじさん」

 彼女は静かに言った。


「……こんなの、絶対おかしいよ。もし、『神様』がこんな事をしたんだったら、それは『神様』の方が間違ってる」

 静かな口調の中に、決意と、湧き上がる怒りがあった。


「……そう! 私達が、神様を『とっちめて』やらないと!!」

 茉莉歌は親指で自分を指して、笑った。

 その笑顔は、悲壮だった。


「…………!」

 リュウジはしばし考えて、そしてポツリとつぶやいた。


「『願い事』は組織化されるほど有効に機能する……か……」

 リュウジは茉莉歌を見た。


「茉莉歌! 覚悟はいいか!」

 彼は力強く茉莉歌にそう問うた。


「うん、行こう、おじさん!」

 茉莉歌がまた決然と頷く。


 リュウジは夜空を仰いだ。

 暗い空には、星とも月とも異なる、オレンジ色のぼんやりとした光点がいくつもいくつも散らばっていた。

 光点は彼らを嘲笑う目のようにも思えた。


 リュウジは、黙って茉莉歌の手をとる。


 そして、空に向かって、思い切りこう叫んだ。


「よく聞け! 願い事を言うぞ!」


「世界の全てを見せろ! 俺を世界につなげ! そして俺とこいつを『外』に連れて行け!」


 次の瞬間。


 ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……………


 リュウジの視界がグニャリと歪む。

 彼の眼の前に、空が落ちて来た。

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