第2話 残響

 暑くもない、かと言って寒くもない。

 とりたてて何かを申すことの無い、平凡な日のことだった。


 茶道部の部室を占拠した帰宅部の皮を被ったオカルト部に仮入部してしまった僕は、早速とばかりに部長である黄昏たそがれ先輩に呼び出され部活と称した課外活動らしきものに連れだされる。

 ……連れだされているというのはこれから何をするのか皆目見当もつかないためだ。

 放課後ゆっくりする間もなく電車に揺られて見知らぬ土地に拉致された僕の心労を誰かいたわってくれると嬉しい。


「課外学習って素敵な響きがあるね。そう思わないかい、竜胆りんどうくん?」

「そう思うなら、もっと事前に言っておいてくださいよ、黄昏先輩……」


 何もかも突然の黄昏先輩に辟易としながら、きっと僕の苦言も彼女の耳には入っていないだろうなと溜息混じりに非難の視線を向ける。

 当然のように黄昏先輩は僕の文句などどこ吹く風、スキップでもしそうなご機嫌具合で道をぐんぐんと進んでいる。


「まぁそう機嫌を損ねないでくれよ。今日は栄えある心霊部。新しいメンバーを加えたその第一回目の活動日なんだからさ」

「オカルト部……じゃなかったんですか?」

「カタカナは格好悪いかなって思ってね。いいじゃないかそんな細かいこと。君は神経質だなぁ」

「少なくとも、先輩が大雑把な性格であることは間違いありませんよ」


 結局、先輩にとって部活の名前はなんでもいいらしい。

 聞くところによると卒業した上級生はあまりこのような部活動には賛成ではなく、どちらかと言うと部室でダラダラと怖い話を語り合うことに魅力を感じる人ばかりだったらしい。

 なので僕のように何処かへと連れだせる人物が現れたことが何よりも嬉しいとのことだった。

 そんなにアウトドアが好きなら一人で行ってはどうですか? とは僕の言葉だったが、黄昏先輩は誰も不幸にならないその提案に対して一言「だってそれじゃあ寂しいじゃないか」と口を尖らるばかりだった。


 きっと彼女の先輩方も苦労したんだろうなぁ。

 一度も会ったことの無い先輩たちに無性に親近感を抱きながら、代わり映えの無い住宅地の景色を視界に収める。


「むう……先輩に対する礼儀がなっていない気がするけど、残念ながら目的地に到着してしまった。お説教は後だ」

「目的地って……ここが目的地なんですか?」


 ほれほれと指差す黄昏先輩に誘われるように指先へと視線を移す。

 現れたその場所は小さな空き地だった。

 元は家が建っていたのであろうと思われるその場所は何故かそこだけ不気味にポッカリと放置されており、まるで何かに触れることを恐れるように、初めから存在しなかったかの如くそこに放置されている。

 ゾクリと背筋を寒気が走る。

 嫌な予感しかしない。

 立ち入り禁止の看板がやけに鮮明に映る。

 どうせこんなことだろうと思ったけれど案の定心霊スポットに連れて来やがったな……。


「君は視える癖に怖がりだし心霊現象とかを信じないからね。私のお気に入りスポットで、ぜひともその考えを改めてもらおうと思ったんだ」

「ああいうのは全部幻覚なんです。あの時のことも、たぶん気のせいだったんですよ」

「えらく強引なまとめ方だなぁ……」


 僕は心霊現象を信じない派だ。

 ああいうのは気の迷いということにしている。

 今まで無事平和に過ごしてきたのも、行く先々で遭遇する不可思議な出来事を気のせいだと断じてきたおかげでもある。

 もっともそれはこの行動力と好奇心に溢れる尊敬すべき先輩によって土台からひっくり返されることになるのだが……。


「……それで、ここには何があるんですか、黄昏先輩。別段変わった様子もないんですけど……」

「そう急かさない急かさない。こっちにおいでー」

「って先輩! 勝手に入って大丈夫なんですか?」

「いいからいいからー」


 悪びれた様子もなくヒョイヒョイと敷地の中へと入っていく先輩。

 申し訳程度に張られたロープをくぐり抜け、彼女を追いかける。

 ただ無造作に草が生い茂るだけのその中央へとズンズン歩いて行った先輩は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、まるで何かを探しているかのようにウロウロとし始める。

 その様子を奇妙な小動物を観察する気持ちでしばし眺めていた僕だったが、やがて痺れを切らして彼女の奇行についてその真意を問いただすことにする。


「人の敷地に勝手に入る悪い先輩は、ここで何をしてるんですか?」

「しっ、静かに……」

「…………?」


 しーっと白く細長い指を自らの唇にあて、僕の言葉を遮る黄昏先輩。

 はたしてどのような意図があるのか不明だが、何かしらの目的があることだけは理解できているので素直に口を閉ざす。

 やがてある場所で立ち止まった彼女は、軽く手招きをしながら僕をその場へと呼び寄せた。

 相変わらず人差し指を唇にあてたままの彼女に首を傾げながら近づくと、先輩は囁くような声で「ここだ」と一言だけ告げる。


「ここはね、昔とある一軒家が建っていたんだ。住んでいたのは両親と小さな子ども。ごく一般的な家庭さ。けど、ある日を境に不思議な現象ばかり起こるようになってね。両親が心霊現象なんて存在しないって人だからずっと放置していたんだけど、ついにはボヤ騒ぎまで起きてしまうようになったんだ」


 ゾクリと背筋を這うような寒気が襲う。

 この場所を見つけた時以上のものだ。

 同時にどこからか声が聴こえる。

 かすかに、だがハッキリと……。

 不意にびゅうと強い風が僕と先輩の間を駆け抜けてゆく。


「ほおら、聞こえるだろう? 母親を呼ぶ子供の声が。ずっとずっと、ここで呼び続けているんだ」


 ――――ッ……。


 さわさわと草木が揺れる音の中に、微かにその声は聴こえた。


「もしかして、そのボヤ騒ぎで死んだ子……ですか?」


 なるべく静かに、だが黄昏先輩には聴こえる程度の小声でこの現象について彼女から聞き出す。

 だがどうやら僕の想像とはいささか違ったらしく、彼女はしてやったりといった笑みを浮かべて首を左右に振る。


「いや、実はボヤ騒ぎで死人は出ていない。それほど強い火でもなかったらしいからね。その声の子供も、軽いやけどを負っただけで今は元気に暮らしていると聞いているよ」

「じゃあなんで?」


「残響なんだ――」


 その言葉は、やけに鮮明に僕の心に入り込んだ。


「強い思いはその場に残り続ける。よほど恐ろしい思いをしたんだろうね。その時の恐怖が、この地にこびりついて未だに消えないんだよ……」


 サワサワと風が流れる音とともに、どこからともなく母を必死に呼ぶ子供の声が聴こえる。

 小さい子供にとってボヤとは言え火事を経験することの恐怖はいかほどのものだったのだろうか?

 その子がどれだけ成長し、本人すら出来事を忘れるようになっても。

 きっとその時の恐怖はここにこびりついたままなのだ。


 何かとても言葉では表現できないような哀愁の念を感じ、吹き抜ける風を肌で感じながらこの奇妙な現象に思いを馳せる。

 この場所は、ずっとこのままなのだろうか?

 それよりも、失礼ながらあの黄昏先輩がこの程度のことで喜々として僕を呼びつけるのだろうか?

 

「確かに可哀想ですけど……。結局大したことも起きてないじゃないですか。もしかして、その子供に何か不幸事があるとか?」

「いや、別に? さっきも言ったとおり、その子も元気に暮らしているしね。それにこの残滓もあと数ヶ月もしたら消えてしまうだろうさ。今日だって少し見つけるのに手こずった」

「じゃあ、なんでわざわざこの場所を更地にして引っ越したんですか? 両親はあまり迷信深い人じゃなかったんでしょう?」


「……目を閉じてごらん」


「…………?」


 カサカサと草木がこすれ合う音だけが……。


 燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ――


「…………ひっ!!」


 葉の擦れ合う音の様に聴こえたそれ。

 先ほどから僕の耳元で囁くように何度も何度も繰り返されていたその正体を理解し、思わず情けない悲鳴を上げて後ずさる。


 怨嗟の篭った言葉とともにぬるりとした生ぬるい息が耳元に吹きつけられる。


「な? 引っ越して正解だろう?」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた黄昏先輩は、そう一言だけ呟いた。

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