第5章 狂戦士 2

 朝食を取り終えたあと、リオンとフィリスは一旦幕舎へ戻り支度を済ませた。

 リオンは、鞣した革で作られた胸当てと小手を身に付け、武装を整えた。フィリスは、ポーチに回復薬ポーション等を用意する。

「フィリス、大丈夫?」

 透くような白い肌をしているフィリスだが、今は普段に増して顔色が白いというより青ざめて見える。フィリスに、リオンは気遣うように尋ねた。

「大丈夫です」

 気丈にフィリスは答えた。

 だが、リオンの目にフィリスは弱々しく映る。整いながらも幼さを残す顔は、ともすれば悲しげだった。

狂戦士バーサーカー――ランヘルトをフィリスに探させるなんて、王女様も酷いことをする」

 リオンは、自然と苦々しげな口調になった。

 アーダのことは、王女として闘魔種として、またはアザレア騎士団団長として、リオンは尊敬している。一一層の魔物を相手にさせられている間、アーダの実力をよくよく教えられた。数日間接してみて、その人柄にも好感を持てる。リオンのような駆け出しの闘魔種に、狂戦士バーサーカー捜索に同行する条件ではあったが、恩恵の片鱗グリンプスを発現させようと付き合ってくれた。

 ある意味客であるリオンには硬い口調だが、団員たちには王女として気取ることなく接している。闊達なアーダは、容姿も相俟って魅力的だった。ただ、フィリスに対しては憎しみが勝るため、冷たい態度を取ることに心痛むが。

「それは、わたしが望んだことです」

 金色の双眸に真剣さを宿し、フィリスはきっぱりと言った。

 契約していた闘魔種が闇墜ちしてしまったことの責任を、フィリスは取ろうとしているのかと、リオンは苦しい思いになる。

 ランヘルトは、ただ闇墜ちし魔人となったわけではない。ダークメイルという呪われた鎧に取り憑かれて、〝魔神〟の騎士とも呼ばれる狂戦士バーサーカーとなってしまった。狂戦士バーサーカーの戦闘力は絶大で、闘魔種たちからは恐れられている。そして、王太子殺し。アーダの兄であったベルトナンを殺害した。

 嫌でも、その責任の一端は、契約グランターだったフィリスに求められてしまう。一一歳の少女でしかないフィリスが負うには、重すぎる責任だとリオンは思う。

「ランヘルトのことで責任を感じているなら、思い詰めない方がいいよ。フィリスのせいじゃない。彼が勝手にフィリスから離れたんだから」

 グランターから離れない限り、闘魔種が勝手に闇墜ちし魔人となることはない。魔の天秤エビルスピリットをその身に限界以上に溜め込んでしまわなければ。

 闇の力が増すことは、快楽に近いとリオンは聞いている。闇墜ちするのは、その快感に抗えない者だ。闘魔種としての力――ランクが上がれば上がるほど、その誘惑は増大していく。未だ、最低のNランクでしかないリオンには、分からない感覚だが。

「わたしのせいです。でなければ、ランヘルトはわたしの元を去らなかった」

 フィリスは、悲しげだった。

「わたしは、ランヘルトを救いたいのです。魔人となり生きていくことは、彼の魂を汚し傷つけます。一度闇墜ちした者を救うには、死をもたらさねばなりません」

 どこまでも真摯に、フィリスは言い募る。

 その言葉を聞いて、辛くリオンは胸を抉られる。フィリスは、責任からではなく、あくまでもランヘルトを救いたいと言っているのだ。それが、相手を殺すことであっても。切実な表情に、リオンはフィリスの悲痛な決意をひしひしと感じてしまう。

「それでいいの?」

 フィリスの心の奥底にある深い悲しみを垣間見るようで、無駄なことと知りつつリオンはそう尋ねてしまう。

「それしかないのです」

 顔を伏せがちにして、フィリスは答えた。

 リオンは、何も言えなくなった。かつての契約闘魔種。フィリスとランヘルトの関係がどうだったのか、リオンには分からない。だが、フィリスをここまで思い詰めさせるだけの繋がりがあったのだと、嫌でも分からせられる。

「行きましょう、リオン」

 顔を上げると、フィリスの綺麗な面は僅かに陰りを残すだけとなっていた。

「うん」

 何も言えなくなったリオンは、ただ頷くだけだ。

 二人で幕舎を後にし、一二層南門前に向かった。

「遅いぞ」

 フィリスと話していて思ったよりもときが過ぎたらしく、アーダの叱責が飛んできた。

 アーダは、ミスリル製の精妙な作りをした鎧を纏い、戦女神然とした格好をしていた。腰には長剣を佩き、左腕には黒地に銀色の有翼獅子グリフィンが描かれた、小ぶりのラウンドシールドを装備している。

 ジゼルやルナも、アザレア騎士団の繊細な鎧を纏い完全武装を整えていた。赤地に金の鐘と白い鷲を描いた家紋を示す紋章盾をそれぞれ左手に持っている。

「済みません」

 リオンは、素直に詫びた。

「皆さん、お気を付けて」

 先ほどの鎧下姿のままでビュリュエットが、リオンたちを見送りに来ていた。

「では、行ってくる。あとのことは、よろしく頼む」

 そうアーダは声をかけると、歩き出した。

 リオンたちも、その後に続く。馬は飼い葉の問題があり、長期間の探索に連れて行けないので、皆徒だ。先頭をアーダとルナ。そのあとにリオンとフィリス。後衛にジゼルの順番だ。

 横を歩くフィリスを気遣いながら、リオンは視界に広がる一一層の街並みを見遣った。


 リオンが名前を知らぬ一一層の魔物が、途中襲ってきた。

 横合いからだったので、リオンの正面に迫る。

 胴体から頭を三つ生やした犬の魔物だ。口からはよだれを垂らし、獰猛な唸り声を上げている。それが、四頭群れをなしてやって来た。

 まだNランクの闘魔種であり一層の魔物を討伐することが妥当なリオンにとって、深い層域である一一層の魔物は、名前を知らぬものばかりだ。

 その奇っ怪で恐ろしげな姿に、一瞬リオンの身がすくむもフィリスを後ろに庇いダマスカス鋼製の幅広の剣ブロードソードを鞘から引き抜く。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオン」

 直前で止まり、身を屈めて吠える様は、実に恐ろしげだった。

「うっぉおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 負けじと雄叫びを上げ、リオンは左から二番目の一匹に突っ込む。

「馬鹿者!」

 浅慮な動きを、叱責するアーダの声がリオンの背に叩きつけられる。

 突然の襲撃と三つ頭を有した犬の魔物の恐ろしさに半ば恐慌を来し、リオンは冷静な判断を欠いてしまった。ただがむしゃらに魔物に突っ込んで行く。幅広の剣ブロードソードを振るう。が、硬質な音と共に弾かれた。Nランクの闘魔種の力では、一一層の魔物の硬い体皮には通用しない。ここ四日間で学んだことだ。リオンは、聖宿の剣セイクリッドソードと名付けられた神の恩寵グレイスに期待していたのだが、全く発現せず短めの幅広の剣ブロードソードは光を発することがなかった。

「リオン、一旦離れろ」

 アーダから指示が飛ぶ。

 さっと、ジゼルとルナがリオンの横合いから三つ頭の犬の魔物の前へと出る。

「どうして? 昨日はできたのに、発現しない!」

 ジゼルとルナが奮戦する様を目の前にしながら、リオンは悔しげな声を発した。

「ただ、剣を振るうだけでは駄目です、リオン」

 フィリスが注意してきた。

「昨日の感覚を思い出せ」

 アーダが、フィリスの隣でいつの間にか月光の矢ムーンアローという神の恩寵グレイスを発現させ、弓を構え光の矢をつがえている。

「身内にある神聖核ホーリーコアを感じるのです、リオン。神がくださる聖気の流れを掴み、活性化させるのです」

 アドバイスを、フィリスは送る。

 突然の襲撃に浮き足立ったリオンは、冷静になれと己に言い聞かせる。

 それから、昨日のこととフィリスの言葉を反芻させる。聖宿の剣セイクリッドソードを発現させたとき、確かに自分の中で脈打つ何かをリオンは感じたのだ。フィリスが言う神の聖気を掴もうと、力の流れをたぐり寄せる。すると、確実な何か――聖気を感じ取った。

 途端、リオンの握る短めの幅広の剣ブロードソードが、白い光を発する。

「いいぞ、リオン。援護はしてやる。ジゼルやルナと共に、ケルベロスを倒せ」

 光の矢を引き絞ったまま、アーダが指示を送る。

 リオンは、三つ頭の犬の魔物――ケルベロスに向き直る。相手は、四頭。ジゼルとルナは、二人だけでよく防ぎ止めている。先ほどの一頭に、リオンは走り寄る。

 聖宿の剣セイクリッドソードを一閃。

 今度は、体皮に弾かれることなく、リオンの斬撃がとおった。紫色の血液が飛び散る。

 リオンが相手取るケルベロスは、「ギャン」と犬のように鳴くとさっと後退し、前屈みの姿勢で唸りを上げる。

 慎重に、リオンは白い光を宿した幅広の剣ブロードソードを構えた。迂闊に攻めかかれば、目の前のケルベロスは全身のバネを用いて襲いかかってくる。

 ふと、隣で二頭のケルベロスを相手取るジゼルの動きに、リオンは違和感を覚えた。ジゼルは、まるで相手の動きが分かっているように、身体を動かし長剣を振るっている。とても偶然とは思えない。リオンは、戦闘中だというのに、首を傾げてしまう。

「余所見しないで!」

 ルナが、リオンに注意を喚起してきた。

 そうだったと、リオンは目の前のケルベロスに目を向ける。手負いであるため怒りの唸り声を上げ、大きな目を爛々と光らせリオンを見ている。次の瞬間、跳ねた。

 リオンの淡褐色ヘーゼルの瞳は、その動きを確実に捉えていた。

 身を横にずらしながら、リオンはケルベロスの脇を通り過ぎる。

 白い光を発する幅広の剣ブロードソードを、鋭く横に薙ぐ。

 リオンの斬撃は、硬い体皮を切り裂いたが密集する筋肉に阻まれた。さすがに、両断することはできない。咄嗟に、リオンは剣の角度を変え、撫で斬るように剣を振るった。そのまま、ケルベロスと位置が入れ替わる。

「うまい」

 思わずというように、ルナから感嘆の呟きが漏れる。

 全く無駄のない、リオンの正確な身のこなしと剣術。

 すぐさま、リオンは動いた。

 地を蹴り、鋭い突きをケルベロスに見舞う。狙い違わず、白い光を発する幅広の剣ブロードソードは、三つある真ん中の頭の眉間に突き刺さる。だらりと、一つ首が垂れ下がる。

 ケルベロスは、残った二つの頭を振り動かしリオンに迫るが、明らかに動きが鈍っていた。

 危なげなくリオンは、ケルベロスに斬撃を加えていく。筋肉に剣の動きを阻害される胴体は避け、頭部を狙う。

 神の恩寵グレイスの発現である聖宿の剣セイクリッドソードであっても、Nランクのリオンの力はまだまだこの層域の魔物に追い付いていない。それでも、本来なら全く相手にならない強力な魔物と、どうにか戦えている。

 リオンは、全ての頭部を無力化した。

 ケルベロスは、一度身体を痙攣させると、全身を淡い光に包まれ霧散し消失した。

 すぐさま、リオンは両隣に視線を送る。

 丁度ルナも、間合い外から長剣を振るい、ケルベロスの胴を両断していた。間違っても、今のリオンにはできない芸当だった。闘魔種としての身体能力の差を思い知らされる。それにしても、ルナの恩恵の片鱗グリンプスである攻撃範囲拡張の有効性は大きいと、リオンは改めて思った。接敵する間合いを、省略できる。これは、かなり有利なことだった。

 ジゼルを見ると、やはりリオンは疑問を感じてしまう。どう見ても、二頭のケルベロスが動く先を読んでいるように立ち回っている。ケルベロスが仕掛けたときには、もう既に行動を終えているのだ。

 光の矢が、飛来した。ケルベロスに接触する瞬間、とてつもない衝撃インパクト

 残った二頭のケルベロスの内、一頭を一撃で葬った。その威力に、リオンはただただ感心してしまう。弓姫とアーダが異名を取る理由を、リオンはよくよく理解した。普段、アーダは弓を持ち歩かないが、月光の矢ムーンアローという神の恩寵グレイスによって弓を出現させ光の矢を射るのだ。

 残ったケルベロスは、やはり動きが分かっているとしか言いようのない動きで、ジゼルが倒した。

「一一層の魔物を相手取れるとは、リオンの聖宿の剣セイクリッドソードは大したものだな」

 感心した声をアーダは発したが、

「尤も、一対一でどうにかといったところだが。それに、力で押し切られたら不利だ。わたしたちに同行させるには十分だが、間違ってもこの先ランクも上がっていないのに、深層に一人で来たりしないことだ」

 すぐさま、注意をリオンに与えてくる。

「はい」

 素直に、リオンは頷いた。そのことは、ケルベロスを相手してみてよく分かっている。

 一人で、この層域の魔物複数を相手取れない。単体でどうにかといったところだった。

「あの、ジゼルさん。まるで、相手の魔物の動きが分かっているような戦い方でしたが、あれはどうやっているんですか?」

 先ほどから不思議で仕方がないことを、リオンは尋ねた。

「あれは、わたしの恩恵の片鱗グリンプス――攻撃予測です。ある程度ですが、先読みできるのです」

 さらりと、ジゼルは答えた。

「やっぱり……それって、凄い!」

 驚くように、リオンは感心した。

 剣に熟達したリオンだからこそ、その有効性はよく分かる。

「ふふふ、リオン殿の神の恩寵グレイスの方が、わたしからすれば凄いですよ。今のリオン殿のランクで、一一層の魔物を相手取れるのですから」

 やんわりと、理知的な美貌をジゼルは笑ませた。


 昼食を挟んだ午前午後と、リオンたちは出くわす魔物を倒しながら一一層内を捜索した。

 中天をとうに過ぎた午後の陽射しが、燦々と降り注いでいた。

 王太子ベルトナンは、この層域で狂戦士バーサーカー――ランヘルトによって殺害された。

「フィリス、ランヘルトを感じないか?」

 途中、アーダが尋ねた。

 フィリスを同行させているのは、契約した闘魔種に与えた神聖核ホーリーコアをとおしてランヘルトを探すためだ。もう、一二層南門からは大分離れ、一一層南門近くに来ていた。

「いいえ、感じません」

 フィリスは首を振った。

「一一層には居ないのか……離れすぎれば、与えた神聖核ホーリーコアは感じられない」

 ほっそりと締まった頤に指を添え、アーダは思案顔をした。

 魔都フェリオスは、直径三〇ルーニア以上あり広大だ。ある程度近くに居なければ、己が契約した闘魔種の神聖核ホーリーコアを感じることができないらしいと、フィリスとアーダの会話から知ったリオンは、漠然と捜索は困難になると感じた。

 ふと視線をめぐらすと、闘魔種たちが広場となった一角に、大勢集まっているのをリオンは見付けた。

「何だろう?」

 リオンは、ぼそりと呟いた。

「どうした? リオン」

 小首を傾げ、アーダはリオンを見た。

「いえ、あんなに大勢集まって、何かあったのかなって」

「なるほど。確かに変だな」

 アーダも、少し離れた広場の方を見遣り頷いた。

「行ってみるか」

 アーダの言葉で、リオンたちは闘魔種たちの元へと向かった。

 近づくと、数人がアーダの姿に気付き、ひそひそ囁き交わした。

「あれって、弓姫じゃないか?」

「実物を見るのは初めてだが、えらいべっぴんだな」

「お姫様に、話しておいた方がいいんじゃ。何しろ兄上を殺されたんだし」

 男女が交ざった闘魔種たちは、近づくリオンたちの内アーダを凝視していた。

「兄上がどうした?」

 耳ざとく聞き咎めたアーダが、幾つかのギルドに所属しているらしい闘魔種たちに尋ねた。

「いや、それが大変なことになっているんです」

 強面の頑強な身体をした男が、進み出てきた。

狂戦士バーサーカーが、一層と二層で辻斬りをやっているんです。ふらりと現れて、次々と闘魔種を殺していく。俺たちも切り上げてサウスに戻ろうかって話していたんです」

 男は、そう訴えた。

「話を済まない」

 一言、アーダは礼を述べ、リオンたちを振り返る。

「一層に向かう」

 アーダのその言葉で、リオンたちの行き先が決まった。

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