君の人生はこれからだ・・・?(仮)

叶 遼太郎

第十回アルバイト選手権

第1話 アルバイト選手権

働くのが幸せなら、人生の大半は幸せに包まれる。

昔の偉い人はそんな様なことを言っていた。

今は働けるだけで幸せな時代だ。過去と顔に傷を持ち、ことあるごとに面接で断られてきた鬼灯律は、心の底からそう思っていた。その思いは変わらないはずだった。

後輩が、変な選手権に出場するとか言い出すまでは―――



 アルバイト選手権。

 それは、我が国月本が不況から脱却するために打ち出した数ある政策の一つにすぎなかった。長引く不況による雇用減少。それによって増加するフリーター。彼らを救済する措置として、十年前に生みだされた。

 会社だって優秀な人材がほしい。だが、面接で一生働ける人間と五月病で辞めていく人間を見分けるのは至難の業だ。ましてや世間は不況、雇うどころか会社の存続の危機でもある。どうしても門戸を狭めざるを得なかった。そして不採用の弊害に合う新社会人たち。

 そんな折り、会社側と政府と数万人のフリーターの都合が合致するような方策が打ち出された。それが選手権の前身「雇用促進体験トライアル」である。参加企業が出した課題を試合形式にして参加者同士で競い、優勝者を決める。課題中は時給を出し、優勝者には特別ボーナスならぬ賞金がでる。企業の方は課題中の参加者の適正を見極め、優秀だった参加者を雇う。

 最初の試験運用では、参加企業も十社に満たなかった。会社の方からすれば迷走する政府の人気取り用の気まぐれ政策に時間も人材も費用も使いたくなかった。多くの企業が静観を決め込み、また政府内の大半の議員も上手くいくわけ無いとはなから決めつけ、むしろ失敗後の与党の上げ足の取り方を考えていた。

 が、大勢の予想に反して選手権の効果はすぐに良い方向で現れた。

参加した若者を雇った中小企業が、数ヶ月後に大躍進したのだ。

彼は学歴も資格もなかったが、様々な学問に通じた雑学王で、斬新かつ専門家の盲点をついた新商品をいくつも生みだした。特許をいくつも得た会社は、自転車操業のような苦しい状況から一転、経済誌の一面を飾るほどの企業へと成長した。

 選手権の成功によって企業、政府、そして数万人の職にあぶれたフリーター、技術・知識を持ちながらも職を失った技術者たちは初めて未来に希望を見いだした。これなら不況を切り抜けられる。誰もがそう予感し、それは二回、三回と回数を重ねるごとに予感から確信へと変わっていった。第二回から参加企業は倍増し、政府は特別予算を組み、テレビ中継をいれ、オリンピック、ワールドカップなどに匹敵する、国をあげてのお祭りへと変貌した。

 いくつもの伝説とドラマを生み続けるその選手権が、ついに十回目を迎えた。


「せんぱーい」

 後輩の大山陽菜が走ってきた。彼女の入り時間は十五分前、余裕で遅刻だ。

「大変っす、やべーっす、大事件っすよ」

「そうだな、もう十二度目の遅刻だからな。お前が慌てるのも無理はねえ」

 俺は今日入った新刊の束をばらし、立ち読み防止用のナイロンをかけながら彼女の話を聞き流していた。こいつの話は半分聞き流すくらいでちょうどいいのを、数か月の付き合いで理解していた。

「そんなことどうでもいいんすよ。大ニュースっす。これ見てください」

 そう言ってヒナは一通の手紙を見せた。こちらとしてはそうやってはしゃぐたびに揺れてしまう二つの果実のほうが大いに気になる。

「あとで見てやるから早く仕事しろ。お前が遅れてきたせいで作業押してんだよ」

「そんなもの後で良いじゃないすか。先輩は私と仕事どっちが大事なんすか」

「・・・仕事、だな。うん」

「じっくり考えて出さないでくださいっす。即答されるより傷つくっす。この代償は大きいっすよ。法廷からの呼び出しに怯えて過ごすが良いっす」

「訴訟するほどのことか。こちとら生まれてこのかた品行方正を地でいってるってのに」

「冗談は顔だけで勘弁っす。さてどこの誰が、鬼灯律のその言葉を信じるっすかね?」

 ヒナが俺の顔を指さしてケタケタ笑う。ふん、と鼻息を短く噴出して、髪で隠している自分の顔を撫でた。男の癖に、とヒナからなぜか怒られたこともあるきめ細かい肌の中に、違和感があった。記憶もない位幼いころに遭った交通事故の痕跡だ。額の右から眉間を通って走る一本傷が、人から敬遠される最たる理由だ。なまじ童顔な分、より一層際立って見えるらしい。

例えば小学校時代。あるとき、クラスの女子のカバンから修学旅行の積立金がなくなった。誰かが盗んだんじゃないかと空の提出用封筒を掲げてその子は騒いだ。そして、クラスメイト全員の目が何故か隣に座っていた俺に集中した。

そこからは何を言われたか覚えていない。なにぶん全員が同時に四方八方から「盗んでんじゃねえよ」「泥棒」「最低」「前からあいつのことは怪しいって思ってたんだ」「気の毒な人」と散々やじってくれたんだからな。聖徳太子でもないのに悪口ってのは聞き取れちゃうから不思議。

冷静に考えれば俺だって一緒に体育の授業を受けてたとか、積立金の提出日も明日のはずだとか、色々と思いつくことは山ほどあるのに誰一人そのことに気付かず俺を責め、終いには女子に良いところを見せようとしたか、あるいは日ごろのストレスでも発散させようとしたか男子連中から袋叩きにされそうになった。まあ その直前で先生が現れて未然に防がれたんだけどな。一体何の騒ぎか先生は問いただし、事情を聞き終えるとすかさずこういった。

「放課後、職員室に来なさい」

 言われるがままに行った先には 警察の取調べみたいな尋問が待っていた。俺としては教室で冷静に状況を判断して無実を証明してくれると思っていたが、どうしてか職員室に呼ばれ、それでも相手は一応大人だし、きちんと話を聞いてくれるだろうと思っていたのだが大外れもいいところだった。椅子に座らされるなり「どうしてそんなことをしたんだ」と頭ごなしに言われたのには驚いた。そこから「やってません」「信じてください」「何かの間違いです」と閉校時間の六時まで言い続けた。かたくなな俺に業を煮やしたのか先生方は連携を組み、時に担任、時に保健室の先生、生活指導の強面、優しいじいちゃん先生と入れ替わり立ち代わり手練手管を駆使して俺を落とそうとした。本職の刑事も驚きの手腕だ。よくもまあ、あんなアウェイで俺も無実を叫び続けたものだ。「さっさと認めれば楽になる」と何度言われたかわからない。 とりあえずその日は帰って良いと言われ、翌日保護者を呼んでの三者面談と相成ろうとした。が、事件は思わぬ形で収束する。その翌日に問題が解決したのだ。

 結局のところ、金は盗まれてなどいなかった。その子の財布から積立金がまるまる出てきたのだ。放課後どこか遊びに行く約束をしていたその子は自分の手持ちが少ないのに気づき、立て替えて後で小遣いから返そうという軽い気持ちでそこから抜き出していたのだ。遊ぶ金欲しさにやったんですというわけだ。

 とまあこんな感じでその後も生きてきた。目立つ傷痕というのは、自分の後々の人生にも傷をつけるらしい。さすがに学んで傷を隠すために髪を伸ばしたが、今度は陰気そう、というレッテルを張られ、にっちもさっちもいかなくなった。それに引きずられたか、その後の人生も上手くいかなかった。波乱に満ちた、と言っても良いと思う。何十、何百と面接を受けて、ようやく内定を取った会社をやめたり、だとか。

 原因は横領罪。

 あ、もちろん無実だ。真犯人は俺を面接した面接官とその上司。俺の顔を見た瞬間、罪の擦り付けトリックを思いついたらしい。人の顔見て犯罪トリックを思いつくってどういうことだと声高に言いたい。

 真犯人である彼らが捕まるまで、俺は当たり前のように捕まった。任意同行ってこんな厳しいの?って言うくらい激しい取り調べが続いた。

 他にも、何が原因かよくわからないが冤罪というか、事件が大量に身の回りで発生した。世間的には、これまで尻尾を掴ませなかった詐欺グループや、銃・麻薬の密売人が摘発されたりだとか、悪人たちが摘発されてよかったねえ万々歳だろうが、巻き込まれた身にもなってほしい。無実なのに警察署におせっかいになる回数は二けたを超え、指名手配ならぬ指名手配してはいけない手配が近隣の警察署に出回ったくらいだ。

 それでも、傷は消さなかった。この傷がついた事故で、俺の両親が亡くなっていたからだ。後で親戚の叔父から聞いた話だと、俺を庇うようにして両親は息絶えていたらしい。ある意味この傷が、俺と今は亡き家族のつながりだからだ。

 だから俺は整形もしなかったし(する金もなかったが)履歴書の写真も修正せずにこのまま提出していた。

 今働いている本屋に出会えたのは本当に幸運だった。ここの老店長は面接に来た俺を見た目で判断せず、じっくりと話を聞いてからその場で採用してくれた。あまりに簡単に採用されたのと数々の冤罪事件で疑心暗鬼になっていた俺は「何で俺なんか雇ったんですか」とストレートに聞いたことがある。

「最近老眼が進んで、君の顔が良く見えなかったんだ」

 笑いながらそういう店長の趣味は模型作りと読書とバードウォッチング。目が悪いわけなかった。俺は涙して感謝した。恩を少しでも返そうと必死で働いた。どうすれば売り上げが伸びるのかと店の内装やPOP案、独学で経営学なんかも学んで商売繁盛に取り組んだ。その甲斐あってか売り上げも徐々に伸び、この店の常連さん、主に子どもや学生、近所のご老人がたからは信頼を得て、何とかやっていけていた。

 ま、俺のクレイジーな過去の回想なんかどうでもいい。今問題なのはヒナが持ってきた「大事件」だ。話し終えるまで仕事に手をつけようとしない彼女に根負けして、しぶしぶながら聞いてやることにする。

「で、結局なんなんだ」

「これっすよ先輩。見てくださいよ」

 ヒナが持っていたチラシを俺の目の前の机にたたきつけた。そのせいで机に積まれた検品中の雑誌の山が崩れる。

「おい」

 という抗議の声など彼女が聞くわけない。可愛らしい容姿だけを見れば、俺を含めてときめく男性は多いだろうに、こういう雑なところや時間にルーズなところで色々損をしていることは否めない。まあ、そのほうが俺も付き合いやすい。男友達のように付き合えるから。下手に手を出して後々困るのは俺だ。何を隠そう店長の孫娘なのだ。度重なる遅刻や発注ミス、レジの打ち間違いで首にならないのはそういう理由と、底抜けに明るい人好きのする性格の恩恵だ。何だかんだ言ってこの娘は憎めない。常連も大山のお嬢ちゃんだからと許してくれる。さすが地域密着型の書店だ。

「『アルバイト選手権』?」

 チラシに目を通した俺がそこにでかでかと書かれていた題を読み上げる。

「そうっす。年に一度のお祭りっすよ。知らないっすか?」

「いや、知ってる。今テレビで大々的に参加者募集って騒いでるあれだろ」

「何で知ってるのにそんな薄いリアクションなんすか。あのアルバイト選手権っすよ!」

「自分が出場しないもんになんでそんな熱くならなあかんの」

 自慢じゃないが俺はそういったイベントごとに対しては淡泊だ。オリンピックもワールドカップも気づけば終わっている。昔からそうだったかもしれない。みんなが熱中しているものにどうしてもなじめなかった。そんな性質も人の中に入れなかった理由の一端かもしれない。

このことをヒナに話すと「天の邪鬼っすねぇ」と哀れむような目で見られた。

「まあ、先輩がはしゃいでたら絶対病気か気が狂ったかと思いますもんね。でも、今じゃ選手権で胸躍らないなんて非国民っす。先輩の中の情熱の炎はどうしちゃったんすか!」

 何故か怒られた。理不尽に怒られるのは慣れているが、なぜヒナがここまで熱を入れているのかわからない。

「だって私、これに出場するの楽しみにしてたんすよ。高校のときは校則でバイト禁止されてて出場できなかったんす。別の学校にいった友達がテレビに移ったときはそりゃもうビックリして嬉しいやら悔しいやら。大学生になって、ようやく出場機会が与えられたんす。バイトしたくて、この大会に出たくて大学生という四年間のモラトリアム時間を手に入れたといっても過言じゃないっす」

 もったいない。両親がおらず、親戚の家で育った俺にそんな贅沢は出来なかった。叔父は大学まで行けと言ってくれたが、そこまで面倒をかけるわけにはいかないので高校卒業と同時に社会に出て、まあ色々あった。本当は行きたかった。それだけにこいつのことがちょっと羨ましい。社会に出てからどれだけ勉強する暇がないかも良く知っているから、こいつにはきちんと学費分以上に勉強してもらいたい。

「勉強しろよ学生。何のための大学だ」

「遊ぶためっす!」

 こう力強く言われると本当にそうなんじゃないかと思えてきた。まあ世の中の良い傾向でもあるんじゃないかと推察する。この選手権が始まるまでの『就職絶望期』と呼ばれた期間は大学生に遊ぶ暇どころか休む暇さえ与えなかった。勉強と就職活動、セミナーに塾と、眠る暇も惜しんで就職に有利な働くためのスキルを身につけていた。一歩をリードするはずの無理がたたり、体を壊して肝心な時に力を発揮できないという結果を大量に生み出しその苦行を耐え切っても就職先が見つからず、内定獲得後も会社の経営難で内定取り消しになるという負のスパイラル。自殺志願者は過去最高を更新し、世を儚んで世俗を捨て、仙人として山奥で自給自足の生活をする若者が後を絶たなかった。過疎化だった地域が過密化し、都市が過疎化するという現象が起き、都市機能が低下する事態にまで陥った。

 そういう過去から見れば今はだいぶましになっていると思う。アルバイト選手権という祭りは経済活性化と雇用枠の増大、二つの結果をもたらし、右肩上がり経済の一翼を担っている。結局のところ必要な策は消極的な善後策ではなく、こういう娯楽めいた起爆剤だったのかもしれない。人は娯楽に喜んで金を出す。娯楽で儲けた側はまた新たな娯楽を作ろうと金を出す。仕事が生まれる。人を雇う。もっといいものが出来る。そして人はまたそれに金を払う。金の循環が出来上がる。それが楽しければ楽しいほど金は天下を駆け巡り、発展の土台となるのだ。それは本しかり、イベントしかりだ。

「で、それに出場するからシフト代われってことか?」

 ヒナの言いたいことを察した俺は先手を打つ。こういうことは何度もあった。大好きな歌手のライブに行きたいから代わってだの、友達と遊びに行く約束したから代わってだの、こいつのわがままにはもう慣れた。別に代わってやることはやぶさかではない。どうせ休みの日は暇だし、お詫びなのか店長が給料に少しおまけしてくれるし、時には晩飯をおごってくれる。貰えるものはキチッと貰う、それが俺のスタイル。だってどうのこうの言っても生活厳しいから。

「何言ってんすか先輩」

 と予想に反した答えが返ってきた。

「先輩も一緒に出るんすよ。私と一緒に」

 彼女の言葉の意味を測りかね、額に手を当て黙考することしばし。

「・・・・・なんでだ」

「え? だって参加者登録してるじゃないっすか」

 ヒナが俺に一枚のはがきを手渡した。受付したという旨の内容が書かれた簡素なはがき。宛名は鬼灯律、俺の名前だ。でも住所がこの本屋になっている。いつ俺はこの店に引っ越したんだか。眉間を揉みながら問いかける。

「記憶にまったくないんだが」

「あたしがしておきました」

 ぶいっ、とヒナが誇らしげにVサイン。エプロン越しに二つの膨らみも誇らしげに揺れた。本人いわくDだそうだが、目算ではもうワンランク、いや、ツーランク上ではないかと思われる。かわいそうに、色んなものをこの二つに吸い取られたんだな。

「なんすかそのかわいそうな子どもを見るような目は」

「その通りの目で見ていたからな。人の意思も聞かずに勝手に参加登録するなんてどういう神経してんだ。というか俺の銀行の口座番号をどうやって調べた」

 そっちの方が問題だ。引き出されるわけではないけれど。

「ええ~っ! 先輩嬉しくないんすか? だってアルバイト選手権っすよ? それに参加できるんすよ? 良かれと思ってやったことを迷惑だなんて酷い! 先輩鬼っすか!」

「俺がまったく興味がないことを、今まで出場していない経緯からお前は気付くべきだ」

「そんなこといってぇ。ホントは私と同じ理由で参加しなかっただけでしょ?」

「どういう理由だ? 間違えているだろうが一応聞いてやる」

「一緒に参加してくれる友達がいなくてしり込みしてたんでしょ?」

 どこの女子だ俺は。しかも何気にその言葉は俺の心にぐさりと刺さるぞ。友達なんて、いないもの。

「自分がそうだからって、俺もそうだとは限らないだろう」

「楽しみですねえ。後一週間で開催ですよ」

 聞いてないし。きっとヒナは自分の考えが世界共通だと思っているんだろう。彼女に文句を言うのを諦め、俺はチラシとはがきを手に取った。

「何だぁ先輩。やっぱり興味あるんじゃないですか」

「違う。選手権の問い合わせ先を探してるんだ。出場を辞退する」

「何でなんすか何でなんすかっ! 何で辞退するんすか!」

「何でって、これ見ろ。この日付。思い切りシフトがかぶってんの。いけるわけないだろ」

「そんなこと言わないで出ましょうよぉ。じいちゃんにはあたしからいっときますから」

 俺の二の腕を取ってブンブンと上下に振るヒナ。まるで駄々っ子のようだ。本当の駄々っ子なら力任せに振りほどけるのだが、相手は頭がかわいそうといっても女の子。しかも店長の孫。ぞんざいに扱うわけにも行かない。それにさっきからポヨンポヨンと気持ちいい感触が腕に当たっている、という理由もある。気付くまで黙ってよう。

「そんな猫なで声出しても駄目だっての。そんなことしたらここ誰もいなくなるじゃないか。その日は新刊の発売日だ。常連のばあちゃんと学生さんが来る。あと予約してた本が届くから近所の親子連れも来るって」

「たまには別の本屋に行ってもらいましょうよぉ」

「本屋の娘にあるまじき発言だな。とにかくシフトは変わってやるからヒナ一人で行って来いよ。応援してやるから」

「先輩も一緒じゃなきゃやだぁ」

「だから無理だっての」

「どうしても?」「どうしても、だ」「ホントに駄目?」「駄目」「一緒に参加してくれたらご褒美あげちゃうっすよ?」「何だ?」「(前かがみになって両腕で寄せて)揉ませてあげる」「・・・・遠慮する」「左右十回ずつOKっすよ?」「もういいから仕事しろよ」という多少、いや、正直かなり心動く提案があったものの俺は何とか断り切り、ちょっともったいないかなとか思いつつも参加を辞退することに決めた。後ろで「おかしいな、男を言いなりにさせる方法って、教えてもらった通りにやったのに」と呟くヒナの先行きが不安だ。とりあえずそういう知識をこのアンポンタンに教えた奴出てこい。

チラシには辞退する場合、開催場所に来なければ自動的に辞退扱いになるそうだ。参加者の人数が人数だけに、こういう措置を取るんだろう。いちいち受け付けていたら受付嬢が可哀想だもんな。あ、それなら出ると言っておいて、後で都合が悪いから辞退とヒナに言っておけば仕事中ずっと付きまとわれることがなかったのか。

 これで、今年度のアルバイト選手権と俺との縁は切れるはずだった。だが、その夜かかってきた一本の電話が俺の運命を変えた。

「あ、リツ君? お疲れ様、私です。今大丈夫かい」

「店長? お疲れ様です。一体どうしたんですか?」

 晩飯時の呼び出し音。相手は店長だった。一体なんだろうか。まさかクビ、とか? 不安に駆られながらもじっと相手の言葉を待つ。

「リツ君。すまないんだけど、来週のこの日、休んでくれる?」

 指定された日付はアルバイト選手権当日。少し考え「ヒナ、ですね?」と尋ねた。

「ごめんねえ、どうしてもって頼まれちゃって」

 人間の出来た素晴らしい店長だが、唯一の欠点は孫に激甘なことだ。

「お願い聞いてくれたらご褒美ア・ゲ・ル、なんて耳元で囁かれて上目遣いで寄せて上げられたら何でも言うこと聞いちゃうよねぇ」

 違った。ただのスケベジジイだ。電話越しでも店長の鼻の下が伸び切っているのがわかる。そうか、俺の口座番号はこの人から洩れたか。というか、ヒナ、そこまで手段を選ばないのか。ほんと奴にいらん智恵授けた奴出て来い。「よくぞあそこまで大きくなった」とどこのことを言ってんのか、しばし孫自慢が展開された後、店長は言った。

「お願いだ、ヒナと一緒に選手権に出てあげて。大学生になったからってあの子の中身はまだまだ子ども、心配でねえ」

「俺にお守りしろと? 休みになったのならゆっくりしたいんですが」

「そう言わないで。これは店のためでもあるんだよ。アルバイト選手権ではバイト先のPRもできるんだ。デジタル情報で勤務先や場所を示した地図が表示されるんだよ。そうやって選手権でPRして、傾いた店が復活したって話もあるくらいなんだから」

 それは知らなかった。テレビの影響ってすごい。それを聞いたら日々店の発展を考えている俺には丁度いい話だが、まだ懸念材料があった。

「それならなおさら駄目ですよ。前も話しましたが俺は前科者みたいなもんですよ?」

 俺の顔は横領事件の際、一時全国ネットで流れた。いくら冤罪で年月もたったとはいえ、記録は残っているだろう。こんな特徴的な傷があれば誰かが気付く。むしろ店に悪影響を与えるのではないかと心配になったのだ。けしてめんどくさいからと断ろうとしているわけではない。断じてない。大事なことなので繰り返して言っておく。

「大丈夫だよ。私が保証する」

 力強く店長は言った。

「君の働き振りを見てきた私が自信を持って言える。君は確かに顔の傷のせいで人に警戒されるだろう。正直に話すと、初めて会った時私の中にそういう感情がなかったかと言えば嘘になる。けど、今までの付き合いで私は君の本性を知っている。中身は真面目でとても良き青年だと。そうでなければ私が雇い続けるはずがないし、ヒナが懐く訳がない。あの子は善い人と悪い人を見分けることが出来る。悪い相手には絶対近づかん。そうそう、それならこんなことがあったんだよ」

 店長はそれからまた、ヒナの自慢をしだした。ヒナが嫌った人間は、調べてみると全員が悪人だったとか何とか。俺は「孫バカですか?」と茶化しながらも、不覚にも泣きそうになっていた。ここまで俺を信用してくれる人は親戚以外ではこの人たちだけだ。「孫バカ、結構なことだ」と店長は笑い

「むしろこれは、今まで君を拒絶してきた奴らを見返すいい機会だと思う。立派に生きている君を見せ付けて、そ奴らにざまあみろと舌を出してやるがいい」

「それも勝ち抜けなきゃ意味がないでしょう?」

「勝ち抜けばいい」

「簡単に言ってくれますね。試合内容は当日まで明かされず、参加者もただの記念参加から、どんな厳しい職場・職種でも第一線で働ける優秀な人間が一同に集まる大会だってヒナが語ってましたよ」

 そして俺は、どこに出してもおかしくないくらいの量産型、普通以下の人間だ。

「はっはっは、勝負は時の運。君に有利なお題が出れば一気に優勢になるだろう。それに」

「それに?」

「一番の理由は、この店のアピールのために働く君の時給が他人持ちということだ」

 お茶目な店長はそう言った。なるほど、納得の理由だ。

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