s/第29話/028/g;

 水面は、話を最大限にぼかして語ったようだった。

 が、谷中は水面が敢えて語らなかったところについても、理解した。理解できてしまった。

 一言でいえば、御堂みちるは、恋人である段田大悟に脅されていたようだ。

 段田のパソコン内に残っていた写真や映像のデータファイルと、水面の知人である機の情報網からの伝聞をまとめた推測とのことだから、事実として確定しているわけではない。だが、それが本当だとしたら、御堂が段田を殺したのだとしても情状酌量の余地はありそうだった。

 谷中の感覚でも、聞くだけで憤りを覚えるほどの、そんな下劣な脅迫だ。

 ……水面が語りたくなかったのも当然だろう。


「よく分かったよ、すまなかったな」


 水面に話させてしまったことを、谷中は詫びた。


「ううん。ともかく、そーゆーことだから、出来れば自首って形で決着を付けたいんだよね。警察だって、いずれ気づくだろうし。それとも、もう気づいているのかもしれないけど」

「まあ……そうなんだろうなあ」


 警察の不祥事もよくニュースになる現代だが、尾張のようにねちっこくというか、綿密に調査していくような刑事が担当している限り、いつかは事件の真相が明らかになるだろう。

 迷宮入りになる可能性もあるだろうが、それに賭けるのは勝負感がなさすぎる。

 それと。

 どんな事情があっても、犯罪はやはり犯罪だと、谷中の心の内で囁く声もあった。


「じゃあ、どうする? 会いに行ってみるか?」


 いないかも知れないが。


「うーん……。微妙な話だからねー。異性の谷中くんの前では話したくないだろうし、またメールしてみようかなー」

「ふむ。じゃあそうするか」


 言って、谷中が踵を返すと、水面が止めた。


「メールだけなら、このパソコンでも出せるよ。こないだはメールアドレスが分からなかっただけだし」


 谷中の前で、水面は手にしていた銀のノートパソコンを開いて。

 そして、口を尖らせた。


「やっぱり、コンピュータルームに行こうか」

「どうしたんだ?」


 うん、と水面は頷く。


「……電池切れそう」


 妙に無念そうな表情を見て谷中が笑うと、水面はますます口を尖らせる。


「もー。早く行くよ!」


 そんな谷中の背中を、水面が押して二人は歩き出す。

 途中で水面が煙草を吸いたいと言い出したので、経済学部棟の前にある自販機で缶コーヒーを買った。椅子とテーブルが備え付けられている場所まで移動して、飲み始める。

 喫煙所はそこから少し離れていたが、水面の姿は十分見て取れた。仲直りできたのは、本当に幸いだったと思い、そして先ほどのやりとりを思いだして、少し赤面した谷中が視線を移すと、こないだの高校時代の友人の姿を見かけた。

 サークル仲間なのか、数人で会話に花を咲かせている。向こうはこちらに気づいていない様子だった。

 声を掛けるかどうか少し迷った。

 視線を戻すと、水面は煙草を吸い終えたのか、こちらに向かってきていた。友人への挨拶は諦め、缶コーヒーの残りを一気に呷る。

 自販機前に戻って、ゴミ箱に空き缶を投棄する。そのときには、振り返らずとも、強いバニラの香りが感じられた。


「もういいのか?」

「うん、お待たせしましたー」


 言わずもがななやりとりを交わした後で、二階に上がり、コンピュータルームへ向かう。

 例によって、人は極めて少なかった。


「さてと……」


 二度目なので、要領は分かっている。今回は前回のメール履歴を使えばいいので、イントラのアドレス帳を確認する必要もないはずだった。

 が、作業を続ける手を、水面が止めた。


「今回はこのパソコンから、ボクのアカウントでメールするよ。谷中くんのメールボックスに記録が残るのは嫌がるかも知れないし」


 どこから取り出したのか、水面は、既にノートパソコンの電源ケーブルを机上の電源タップに繋いでいた。


「そっか……そうだな」


 谷中の返事を待たずに、机の上に広げられたノートパソコンのキーボードの上を、水面の手が踊る。操作に、迷いやためらいが、まったくない。


「——じゃあ、送るよ」


 早い。

 長文のメールをいともたやすく書き上げて、送信ボタンを押した水面に驚きながらも、谷中は口を挟んだ。


「あのさ。すっかり聞きそびれていたけど……事件の真相について教えてくれないか?」

「え?」

「いや、つまり、どうやって……さんが、殺人を成立させたのか」


 みちる、の名のところだけ声を潜めて話す。コンピュータルームは、完全に無人ではないからだ。


「ああ、そういえば、話してなかったね」


 恋人に脅迫されていて進退窮まったから、という哀しい動機の印象が強すぎたためだろうか。谷中は聞きそびれて、水面は話しそびれていたようだ。


「彼女の計画のポイントは、アリバイ工作なんだよ。事件があったときには、その場にいませんでしたー、ってね」


 谷中は頷いた。


「最初にボクが考えたのは、電話しながらの犯行が可能かどうかっていう発想だよね。結局、骨伝導マイクじゃ駄目だと分かったけれど……密室の簡単な作り方についての前の話、覚えてる?」


「鍵を掛けるなら、単純に鍵を使ってかければいいって話か?」

「うん、それ」

「それがどうかしたのか?」

「犯行自体もそうだったんだよ。使


 水面は、いったん言葉を切る。


「つまりね。しまえばいーんだよ」

「別々に……と言ったって、時間はごまかせないだろ。死亡推定時刻が間違っているとか、電話の相手が、時間を思い違いしていたとか?」

「まさか」

「じゃあ。あ、ひょっとして、共犯か? みちるさ——」


 こほんと咳払い。


「彼女が電話している間に、協力者の誰かが殺したとか」

「近いけど、惜しいなー……


 ……電話をしていたのが、みちるさんではない?


「遺体がどこにあったか、覚えてるよね?」


 忘れられるはずがない。

 廊下を通り抜け、室内で見つけたあの刺殺体。胸を一突き。床には血が溢れていた。記憶を手繰って思い出すたびに、不快。


「犯人が見知らぬ他人なら、入り口近辺で刺されているはずだよね。仮に室内に招き入れて貰えたとしても、普通なら胸を一突きなんてできなくて、争った後があるはず。例外はあるかも知れないけど……」

「まあ、そうかな。でも、それは可能性レベルの話だよな」

「うん。まーね。ちょっと、思考の過程を説明したかったんだよ。……ともかく、そーゆー発想で、ボクは大悟さんを殺したのは彼の知人だと思ったわけ。だから、理屈的に一番手っ取り早いのは、彼女が電話してアリバイ工作して、彼女が殺害するパターンなわけ」

「おい……話が元に戻ってないか?」

「つまりさ、?」

「——は?」


 谷中は、水面の頭を心配した。それとも、御堂みちるは、実は双子だったとでもいうつもりなのだろうか?


「あ」 


 水面は手元に視線を落とすと、短くパソコンを操作して、呟いた。


「返事が来たみたい。……ふーん。メールじゃなくて、チャットしましょう、か」


 きらり、と彼女の大きな瞳が好奇に輝いた。

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