第四章 アラートフィルタ(The girl hacks an another girl’s mind.)

s/第27話/026/g;

 気づけば、人がずいぶんと減っていた。

 午後の講義時間が近づいているため、学食に並んだテーブルには空席が目立っている。残っているのはたいていグループで、次の講義を選択しておらず、暇つぶしに使っているのだろうと見受けられた。

 そんな中、谷中は席に座ったまま、ぼうとしていた。

 水面が怒っている理由は分かった。

 しかし……。

 謝って済む話なのだろうか。

 結局、今まで隠していた本心がばれただけだ。

 そんなことも忘れて、彼女にのぼせあがっていた自分が滑稽で、謝りに行くどころか、立ち上がる気力さえも失っていた。それが事態をよくする判断ではないと感じていながらも。


「谷中さん?」


 低めだが、落ち着いた声が耳に染みこむ。


「ああ……笹目さん」


 振り向くと、最初にあったときと色違いのワンピースを着た彼女が、気遣わしげに谷中を見ていた。


「どうかした?」

「声をかけようかどうか、迷ったんですけど……」


 できれば今は遠慮して欲しい、というのが本心だった。


「——ごめんなさい。私、ちょっとやり過ぎてしまいました」


 彼女は深く頭を下げた。

 できれば誤解を解くのに協力して欲しい、とは思っていたが、ちゃんとした謝罪までは期待してなかった谷中は、突然のことに目を見開いた。


「え? え?」

「事情を説明してもいいですか」


 何故あそこであんなに大きな悲鳴を上げたのか、というのは、あれからずっと疑問になっていたので、こくりと頷く。

 そうして、谷中は思ってもみなかった、『事情』とやらを耳にする。

 ——笹目は、水面に一目惚れしたそうだ。

 いわゆる、同性愛というやつである。

 その告白カミングアウトを受けて、谷中は驚いたが、同時に納得した。

 ああ、そうか、と。

 出会ってから、ずっと彼女が水面に注目していた理由や、水面との仲を繰り返し聞かれた理由が氷解した。よくよく思うと、観に行っていたという映画もそういう系統だったし、本田との距離感ですらも説明がつく回答だった。


「でも、それがどうして……?」

「水面さんと谷中さんの仲を引き裂きたかったんです」


 重要な告白を済ませたせいか、表情が目に見えて気楽になった笹目はあっさりと答えた。


「あのとき、私は時計でタイミングを計っていたんです。本田くんの行動は予想外で……それについては、申し訳なく思っています。でも……胸触れたんだから、あいこですよね?」


 にんまりと笑う笹目に、谷中は苦笑させられる。


「まあ……ちょっと痛いだけだから、それはいいとして。じゃあ、なんで今、俺にそのことを教えるんだ?」


 意味がないだろう。


「さっきの様子、見てたんです」

「……気づかなかった」


 瞬きをする。


「それだけ話に夢中だったんだと思いますよ……。それで、流石にこれはやりすぎたと思って……本田くんの件もありましたし、それに情けない様子を見てたら、責任を感じちゃって」


 聞き捨てならない台詞だった。


「情けない、だって」


 誰のせいだと思ってるんだ、という言葉を続けるより先に、笹目が口を開いた。


「ええ、情けないです。むしろ、最低ですね」


 半ば呆然としつつ、こいつは何を言っているんだと思った。

 最低だって? 言うに事欠いて。汚い真似をしたのは、お前の方じゃないか——。

 視線で人を刺せれば、笹目の身体から血が溢れ出ただろう。それぐらいの力を、眼差しにめいっぱい込めて、彼女を見つめていると。


「だって、当然じゃないですか。今、失望しているのは水面さんです。貴方じゃありません」


 その一言が、返す刀だった。

 あれだけ込めていたはずの力が、雲散霧消してしまったようだ。

 笹目の姿が遠くなっていく錯覚。


「それが、私が理由を話した最後の理由です」


 ふうっとため息を吐いたのは笹目だった。

 大きな呼吸に豊かな胸元が揺れるのも、どこか遠くの世界の出来事のよう。


「……そうか」


 しばらくして、それだけを口にした。


「本当に分かってますか?」

「ああ」


 顎を強く引いた。

 椅子を蹴って、立ち上がる。

 何も言う必要はなかった。笹目はすっと身を引いて、道を譲ってくれる。その彼女に、もう一度、頷きを返した。

 学食から出た、谷中は走り出した。

 水面の居そうな場所は見当がついていた。いつものあの場所だ。もし居なかったら……その時はその時で、探せばいい。

 電話で謝ることもできるだろうが、出来れば面と向かって。

 走るのは久々だった。

 高校の頃と比べて、呼吸が苦しくなるのが早いような気がした。水面の煙草の副流煙にやられたのかもしれない。冗談交じりに、文句をいってやろうか。

 そのためにも。

 今は。

 足が上がりにくくなっても、止めない。

 変な目で見られても、立ち止まらない。

 いつも歩く道を、ただただ駆けていく。

 呼吸の、乱れが。

 胸の、鼓動が。

 その場所へ。

 辿り着く。


「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ」


 肩で大きく息をしながら、視線を芝生に投げる。人工の池のそば、ここだけ時間の流れが異なるような、そんな空間の中で彼女は横たわっていた。

 黒いスーツ姿、瞳を隠す手の白手袋、胸に抱いた銀のノートパソコン。

 水南水面。


「——大丈夫か?」


 荒い息を整えて、口にしたのはその台詞だった。

 初めて出会ったときに、初めて掛けた言葉。

 やりなおすには、この方がいい。

 その想いが伝わったのか——水面は身を起こすと、谷中を見た。


「悪かった。いや、違う、俺、お前のことが好きだ。……女として」


 言って、頭が真っ白になった。

 最後の一言は、余計だろう——!

 熱が頬を襲ったのは、走った後だからだけではないだろう。恥ずかしくて、むずがゆくて、わめきたいような、穴に入ってしまいたいような。感情が交錯して溢れそうになったとき。

 彼女の、笑い声が響いた。


「もー、なんだよ、それは! 谷中くんは、お人好しなんかじゃなくて、ただのバカだね、うん、最高だよ、キミ」

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