s/第14話/013/g;

 本田に会った後で、水面は影中にまで調査の足を伸ばした。

 影中の部屋は、三階建てのマンションの一室だ。外観はなんということもない、ただのマンションだったが、水面に続いて、室内に入った谷中は呆気にとられた。


「綺麗だねー」

「……すごいな、こりゃ」


 東側の壁の一面を、ラックに並べられた水槽が埋めている。

 泳いでいるのは、色とりどりの熱帯魚……だろう。

 中には、金魚やグッピーという谷中でも分かる種類の魚もいたが、大半は写真か何かでしか見たことのない色鮮やかな魚だった。キャンデー箱をひっくり返したようだ。

 シャワシャワシャワという小さな音がいくつも重なって聞こえる。


「小学校の頃、学校で金魚飼ってたけど、もっと水槽ってうるさかった記憶があるな」

「ちょっといいエアーポンプを使って、底面濾過フィルターにしていますから……」


 谷中の呟きに、フローリング張りの部屋の中央で、メッシュ状に編まれた黒い椅子に腰掛けている、影中が静かに答えた。


「それより、すみません、椅子がなくて……床でもベッドでも好きな方に腰掛けてください」


 指さす先には、白いシーツが几帳面に皺一つなく張られたベッドがある。

 谷中と水面はしばし顔を見合わせた。

 結局、谷中が床に、水面はベッドへと腰を下ろした。


「それで……大悟さんの件で、もう少し聞きたいことがあるとか」

「そーなんだよね。忙しいところ悪いんだけど、よろしくー」

「いえ、別に忙しくはありませんから……」


 影中は谷中より一つ年長だが、丁寧語を使って腰が低い。


「えーと、じゃあまずは、これだけの水槽とか揃えるのって結構お金かかるのー?」


 谷中はベッドに座っている水面の顔を見た。

 ……瞳がきらきらしてる。


「はあ……ええと」


 そして、影中の口から出た金額は、かなりのものだった。


「車が買えるな」

「あーそんなに高くないんだねー」

「……えっ?」


 水面の発言に素っ頓狂な声を出してしまったのは、谷中だ。


「高くないか?」

「ボクがパソコンに掛けてる金額に似通ってるから……そうか、普通は高いのかー」


 呆れてものも言えない。


「まあいーや、どーせ置くとこないし」


 一人で納得している水面に、谷中と影中が顔を見合わせた。

 お互いに、なら聞かなくてよかったんじゃないか……、と思っている顔。


「さて、じゃあ本題ね、例のトリックの検討はついた?」

「……あ、ああ……昨日聞かれたやつですか……。いえ、考えてはみましたけど、状況自体よく分かってないですからね……。前提条件がどうしても曖昧になります」

「警察の人はあまり教えてくれなかったんだ?」

「ええ……第一発見者のあなた方と比べると、多分、何も知らないも同然だと思いますよ」


 そう言って、影中は壁の水槽に視線を投げた。


「事件に興味は持たなかった?」

「そういうわけではありませんが……流石に知り合いですからね」


 二重の意味に取れる回答だった。


「刑事さんには話聞かれたんだ? じゃあ、アリバイも確認されたのかなー?」


 頷く影中に、水曜日の一時前後に何をしていたか聞く水面。


「夜型なので……この近くのファミレスで食事をしていました。店員さんが覚えてくれてたみたいで……二度目に刑事さんと会ったときに、証言してくれた人がいたって教えてくれましたね……僕みたいな特徴が少ない人間を、よく覚えてたなと感心しますけど」


 谷中は、影中の服装に目をやる。

 室内着なのだろうが、黒のスウェットの上下に黒いスリッパを履いていた。机に無造作に置かれているコーヒーカップも黒。

 ……普通、覚えるだろう。


「大悟さんのことはどー思っていたの?」

「死んでほしくなかったですね」

「明快だねー」


 目を見開いた水面が言うと、影中はくすりと笑った。


「僕、大悟さんにお金貸していたんですよ。あの場では言いませんでしたけど」

「……へえ。じゃあ回収不可能なんだ?」

「そうなりますね……家族の心情を逆撫でしてまで、返してくれという額でもないですし」


 ふむふむ、と水面は頷いている。いつの間にか、その手の中には黒いスマートフォンがあった。どうやら、メモに使っているようだ。


「もちろん、それが犯行の動機というわけではありませんよ」

「ああ、うん、そうだろうねー。実際お金とか盗まれている様子はなかったらしいし」


 谷中は現場を思い出してみた。

 あまり鮮明に回想すると気分が悪くなるので、適当なところで止めたが、確かに部屋は荒らされていなかったようだ。


「だれか動機がありそうな人はいるかな?」

「……どうでしょうね。大悟さんの交友関係を全部知っているわけではありませんから。それこそ、現ミ研のメンバー以外も広く探してみたほうがいいんじゃないかと思いますし……さらに言えば、僕は、案外あれは自殺なんじゃないかと」

「自殺説かー」

「本田くんは、大悟さんはそういうタイプじゃないって言ってましたが、表面からだけではなんとも言えないと思うんですよね。人が自殺する理由なんて、分からないでしょう? ごく些細なことかも知れませんし……」


 再び、水面がこくこくと頷いた。

 谷中は、思いの他、影中がよく喋ることに驚く。


「もちろん、警察が捜査する上では殺人も自殺も両方考えるんでしょうけど、現実に密室で人が死んでいたら、それは普通に考えると自殺だと思いますよ。ミステリ研究会なんかにいるせいか、ついついトリックかな、なんて思いはしましたけど……客観的ではないですよね」

「なるほどねー。みちるさんと大悟さんの関係については、どー思う?」


 さっきから、水面は頷いてばかりだ。

 影中は、椅子から乗り出すように前のめりになっていた上体を起こして、言った。


「うーん……御堂さんはそんなに現ミ研に足を運んではいないですからね。ああでも、最近は悲しそうにしてたな……やっぱり恋人同士なんだから、それなりだったんじゃないですか」

「早希さんについては?」


 影中は、壊れたおもちゃのように、かくり、と横に細い首を倒した。


「……質問の意味がよく分かりません。笹目さんがどうかしたんですか?」

「あれー、方史郎さんと付き合っているんだとばかり思ってたんだけどなー」


 谷中は、水面の台詞に、驚きの色を顔に浮かべないようにするので精一杯だった。

 意図は分からないが、どうやらカマをかけているらしい。ここで自分が顔に出してしまっては、その水面の意図も台無しだろう。


「いえ、二人が付き合っているというのは聞いてませんね……そんな感じもしないですし、誤解ではないですか?」


 うーん、そっか。と水面は笑った。

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