s/第4話/003/g;

 二日後。

 教授が休んだため、選択している講義と講義の間に、九十分以上の空き時間が出来た。

 そこで、谷中はこないだ通り抜けようとして、水面に会った道に足を運んでみた。

 図書館と、学内でもっとも大きくて、三百人程度は優に入る第一講義室がある建物との間には、芝生に囲まれた池がある。その脇を通っている道だ。


 この辺りは基本的に人気が少ない。学生が集まりやすい学食やサークル共用施設、学生会館の密集地から遠いためだろう。

 そもそも、余っているスペースだから、池などを作ったのだと谷中は想像していた。

 池の周りの芝生に注意しながら、道を進んでいく。


 期待していた通り、水面がいた。

 居酒屋で、だいたいいつもこの辺りにいるのだと聞いていたので、多分会えるとは思っていたが、それでも少し嬉しくなる。

 水面は、今日は寝ていなかった。

 こないだと同じように黒いスーツを着て、白い手袋をして、開いた銀色のノートパソコンを膝の上に乗せている。

 近づいた谷中が声をかけるまで、彼女は顔を上げなかった。


「どうも」

「……ああ。キミは、確か、谷中くんだったよねー」

「覚えてくれてたんだ?」


 喜んでいる感じが出すぎたかな、と言ってから後悔する。


「まーね。正直、五分五分ぐらいだったけれど」


 が、水面は少しも気にしていないようだった。


「忘れ去られてなくてよかったよ」

「数日で忘れるような頭じゃないと分かって、ボクもほっとしたなー」


 軽い調子で水面は言って、手元のパソコンに目を落とした。


「で、何かボクに用なのかな?」

「いや、特に用はない。時間が空いたんで来てみただけだ」

「どうして?」

「……どうしてって……」


 言葉に詰まる。

 理由はあるけれど、口にするのは躊躇われた。


「ま、いーか。友達だもんね」

「そ、そうだな」


 どもってしまう自分が情けない。自然体の水面と比べて、谷中は明らかに相手の存在を意識していた。

 水面がそれに気づかないのが不思議なぐらいだ。


「ところで、水面はいつも何してるんだ、こんなところで」

「ん。別にたいしたことじゃないよ。ここは電波がいーの。学生会館のそばだと携帯持っている人が多すぎるのか、時々通信が途切れちゃうんだよね」


 パソコンを指しながら言う水面に、谷中は頷く。


「インターネットしてるのか」

「んー。インターネットはするものじゃないけど、まあそーだね。正確に言うなら、インターネットに接続して、ウェブサイトを閲覧したりしてるってところ」

「なるほど」


 もう一度頷いてみたものの、違いがよく分かっていない谷中だった。


「まー、別に少しぐらい間違っててもいーよ、意味は通じるからね……おっと」

「どうしたんだ?」

「メールが来た」


 液晶ディスプレイに集中する水面に、谷中は黙り込む。


「——ここ、知ってる?」


 しばらくして、水面は手にしたパソコンを差し出してきた。どれどれと覗き込む。画面には大学周辺の地図が表示されていて、家庭科の裁縫で使う、待ち針のような小さなアイコンが中央で自己主張していた。


「いや、知ってるもなにも」

「……?」

「俺が住んでるアパートだぞ、ここ」

「……え?」


 見上げた水面の目が、瞬きを繰り返す。


「本当?」

「いや、嘘吐いても仕方ないだろ」


 驚いた顔で、まじまじと見つめられていた谷中が言うと、ようやく水面はパソコンに視線を戻した。


「ふうん……ねえ、キミは今、暇なんだよね?」

「次のコマまで講義ないからな」

「ここまで往復すると、どれぐらいかかるの?」


 水面が画面を指さしながら聞いてくる。


「三十分ってところだな」

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれる? 案内して欲しいんだよね」

「……今からか?」


 問いかけに、水面はこくりと頷いた。


「まあ……構わないけど。何の用だ?」

「頼まれごとだよ。ちょっとしたアルバイト……というより、恩返しってとこかなー」


 水面は、パソコンを畳んで立ち上がると、尻の辺りを白手袋の手で軽くはたいた。


「恩返し?」

「色々お世話になった人がいて、頼まれごとは引き受けるようにしてるんだよ」


 さっき来たメールがその頼まれごとってやつか……。

 ようやく、得心がいった谷中は、一つだけ残った疑問を問いかける。


「ふむ。で、俺のアパートまで、何しに行くんだ」

「……借金の回収代行だって」

「あんまりハッピーそうな用事じゃないな……」


 揉め事にならなきゃいいんだが。


「借りてるのはこの大学の学生だし、金額もそんなにたいしたことないから……さくっと片付くと思うよ」


 ふむ、と頷いた谷中が、先に歩き出した水面に続く。

 次の講義までの暇つぶしには、ちょうどいい用事かなと思ったのを、のちのち後悔することになるとも知らずに……。

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