第一章 ミステリーガール (The girl has mysterious personality.)

s/第2話/001/g;

 がやがやとした雰囲気。

 それだけなら珍しくはないのに、学校やファミレスのそれと異なって感じられるのは、アルコール類と煙草が発する独特の匂い、そして、酒に酔った人々の、抑制が外れた会話の高いテンションによるものだろう。


 谷中は、目の前にいる、少女と女の狭間の容姿とスタイルを持った先輩——水面の顔を見ながら、そんなことを思う。


 ——ここは、大学に近い居酒屋だった。


 あの後、代返ではなくて自分のために出席しなければいけない講義を残していた谷中は、いったん水面と別れた。携帯に電話がかかってきたのは、講義の終了時間をきっかり五分過ぎてからだった。そうして、水面に連れられるがままに辿り付いたのが、この店だ。


「どーしたの?」


 手にした煙草から紫煙を立ち上らせながら、水面が谷中に問いかける。


「先輩だとは思いませんでした」


 席に通されるなり、谷中に断って煙草に火を点けた水面を見て、谷中は一応学年を聞いてみた。結果、彼女が自分より年上だと分かった。煙草や酒をやっても、法律で罰せられる心配のない年齢。


「ああ、よく言われるかなー」


 ふーっと煙を吐き出して、水面が笑った。

 煙がこちらへあまり流れないようにと気遣ってだろう。明後日の方向を向いているので、つり上げた口元だけが谷中から見えた。

 甘ったるい、バニラの香りが漂う。


「変わった匂いの煙草ですね」

「そうかな? それより、敬語なんて使わなくていーよ」

「でも……」

「いいって。何食べる?」


 言いかけた谷中を遮って、水面は注文用の電子端末を突き出してきた。画面を付属のペンや指でつついて選択することで、商品を注文できるようだ。

 操作にまごついている様子を見てか、水面が問いかけてくる。


「電子機器とかー、苦手なタイプなの?」

「そうでもないと思うんです……思うけど、初めて使うんで」


 敬語になりかけて、言い直す。

 普通に店員が注文をとるタイプの店なら、何度か足を運んだことがあった。だが、こんな機械が置いてある店に来たことはない。


「そなんだ。あ、そうそう、お酒は頼んじゃ駄目だよ。キミ、未成年だよね」

「はあ……」


 固いことを言うなあ、と思った。

 谷中が大学に入ってすぐ、新入生を対象にしたサークル勧誘があった。さほど興味はなかったが、なんとなく調子を合わせていると、新歓コンパとやらに誘われた。まだ入るとも言ってない段階で、だ。

 今日と同じような居酒屋で、何人もの未成年の新入生がいたが、普通に酒が供された。事故が起きないようにか、無理に勧められることだけはなかったものの……。


「なんだよー。もっとてきぱき選ぼうよー。おなかすいたよー」

「あ、すみま……いや、ごめん。水南さんが選んでくれると助かる。特に食べられないものないし……あ、ゴーヤは無理」


 谷中は、テーブルの向かいに座っている水面に、端末を差し出した。


「ん、じゃあそーするよ。あ、でもね、水面って呼んでほしーな。っていうか気を遣いすぎ」

「いや、そうでもないと思う……」


 高校時代に、女の子を下の名前で呼んだことなどなかった。

 大学ともなれば、そんなものなのだろうか、と一瞬思った。が、多分そうじゃないだろう、とこれまでの数少ない交友経験を回想して、即座に打ち消す。


「ほっけは外せないなぁー、あ、たこわさたこわさ」


 水面は、口元を弛ませながら、端末を操作している。

 その傍らには、銀のノートパソコン。


「水面……さんは、パソコンとか電子機器とか、好きなの?」

「ん? 好きだよ。大好き。超好き。それから、さん、もいらないからねー」


 あっけらかんと言う。

 超好き、ね……。

 男友達で、この手の——ガジェットとかいったか——が好きなのは珍しくないが、女では初めてだ。


「なんで好きなんだ?」

「そうだねー……」


 操作を終えた端末を机の上にある台——何かに似ていると思ったら、大きくした携帯の充電器のようだ——に戻して、水面は首を捻った。


「色々理由はあるけれど……いつだって新しいから、かな?」

「新しい?」

「昨日より今日のほうが進化する世界って、魅力的じゃない? どんどん出来ることが増えていって——いつかは何でもできるようになる」


 そんな夢がみれるからかな、と言って、水面は顔をほころばせた。


「はあ、そうっすか」

「そうっすよー」


 純真そうな笑みに照れて、ぶっきらぼうな返事をした谷中に、水面がおどける。


「谷中くんは、パソコンとか触らないの? いや、夜な夜な収集しているキミのアダルティーな画像フォルダには何の興味もないけど」

「いやいやいや、なに言ってくれちゃってるんすか」


 必死に否定。


「ないんだ?」

「ないっすよ」


 建前の上では、そういうことにしておく。


「だいたい俺、その手のことに、あまり興味ないんで」


 余計な一言だった。

 ついつい硬派を演じてしまうのは、からかいに耐性がないのもあるが、よく見られたいという虚栄心だ。中学や高校の頃から変わっていない癖。


「それはいーね」


 真に受けたのか、水面は微笑んだままだった。再び吐き出された煙が、水に垂らした絵の具のように、複雑な模様を空中に描き出す。


「ところで、パソコンに煙草の煙とか、良くないっていいますよね?」


 深く突っ込まれたくない谷中が、話題を逸らそうとした。


「また敬語」

「あ……」


 口を尖らせた水面が、オレンジがかった灯りの下、銀色のパソコンの表面を白の手袋をはめた手で撫でる。


「まあいーけど。確かに、煙草は良くないね。煙草のヤニに埃が吸着して、放熱効率が悪くなるせいなのが大きいんだけど」

「熱が溜まるとよくない……のか?」


 やはり、敬語なしにはまだ慣れない。


「冷たすぎるのもよくないね。パソコンにもよるけれど、たいてい摂氏で十度から三十五度ぐらいが動作に適した温度かなー。まあ、日本の真夏でも冬でも動くんだから、実際はもう少し余裕があるんだけど」


 水面はパソコンに触れながら、楽しそうに語っている。


「ふうん……」


 谷中は相づちを打つしかなかった。

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