第1次選考 俺のラノベが一次落ちするはずがない。②

 部室を出ていった後の事は、覚えていない。


 気付いたら、見知らぬおじさんと一緒に、公園のブランコに座り、愚痴を聞いていた。

 内容は耳に入らなかったが「疲れた」とか「上司が悪い」とか「社会人なんてなるもんじゃないぞ」とかそういう事を口走っていたような気がする。

 そのおじさんは「なんか人に話したら、すっきりしたよ」とかなんとか言って、一人清々しい顔をして、そのままどこかへ行ってしまった。


 気がつけば、夕方だった。

 秋の夕暮れは、真っ赤に燃えていたが、俺の闘志は鎮火寸前だった。冬の空気を含みはじめた秋風だけが、身にしみる。

 このまま落ち込んでいても仕方がない。ポケットに手と今日落選した記憶をしまい込み、父も母もいない一軒家へと帰っていった。


「なんだ、こりゃ?」


 奇声を上げたのは、真っ暗な玄関に一包の小包が届けられていたのを確認した時だった。

 ハードカバーの本ぐらいの大きさの荷物が、玄関に上がる階段の脇に無造作に投げ込まれていた。

 最近の運送屋は、海外の新聞配達みたいに小包を庭に投げ込むか、と憤慨しながら、そのまま家の中へと入る。靴を脱ぎ、明かりを付けると、差出人を確認した。


「ソロモン……出版…………?」


 聞き覚えのない出版社からだった。ありそうな名前だとは思ったのだが、少なくともどんな出版物を出しているのか知らない。これがネットショッピングをしてうっかり忘れていた書籍だとしても、全く身に覚えがないし、そもそもネットは苦手であまり利用した事がない。


 間違いか、それとも自称冒険家なんて肩書きを持つ母親宛てなのかとも思ったが、しっかりここの住所と『秋月勇斗』の名前が書かれていた。


 小包に耳をあてたり、揺さぶったりしてみたが、少なくとも爆発物らしい感じはしない。どうやら本が入っていることは、重さと紙の音と長年の経験でわかった。


 誰もいないこざっぱりしたリビングで、俺は開封作業を試みる。

 小包は段ボールにテープ止めがしてある簡素な梱包で、カッター一つで事足りた。


 入っていたのは、やはり本だった。


 ただの本ではない。皮紙を使い、丁寧に装丁をされた立派な装飾本。なんの皮なのかはわからないが、定番は羊だろう。如何にも高価という雰囲気を漂わせている。青く塗装された表紙にはじっと見つめていると頭がおかしくなりそうな複雑な紋様。裏にも似たようなものが書かれている。


 まるで、そう――――……のようだ。

 だが、アレが何故か頭から出てこなかった。


「あれ? あれ?? ……んが!」


 開かない。本であるはずなのに、この本は開くことが出来なかった。撮影所のセットに使われているような模擬本ではなく、しっかり紙の束になっているというのに、びくともしない。紙と紙の間に強力な接着剤でも塗布されているのか。ビクともしなかった。

 匂いを嗅いでみるが、古書の独特なかび臭さしかにおってこない。


 本の他に小包には、封筒が挟まれていた。こちらはなんの変哲もない白い封筒。

 何も書かれておらず、封もされていなかった。


 中身を取り出す。


 白い紙が一通。特筆すべき点は何もない。普通のコピー紙だった。

 三つ折りにされた紙を、そっと開く。

 そこにはこう書かれていた。



 貴作品は一次通過いたしました。

 よって同封の本を持って、二次選考にお進み下さい。



「はあ?」

 と――声を上げた。


 先ほど、二百回目の一次落ちをくらい、帰ってきたら見知らぬ出版社から貴作品は云々という手紙が来たのだ。

 思考を停止させずに、冷静に事態を受け止める人間など、この世にはいないだろう。

 俺はリビングで一人固まった。秒針が一回りするぐらいたっぷりと。

 目線を紙に書かれた内容にセットされる。

 たった十五文字の文章に釘付けになった。


 貴作品は一次通過いたしました。


「やったあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 思わず天に拳を突き上げ、勝ちどきの声を上げるかのように叫んだ。

 見知らぬ出版社から連絡。

 出したかどうかさえわからぬ新人賞。

 よって同封の本を持って、二次選考にお進み下さい。という訳のわからぬ足し書き。

 まるでのような本…………。


 ええい! そんなものこの際どうだっていい。


 ともかく、俺は一次通過した!

 これで受賞したというわけではない。そんな事はわかっている。

 とりあえず俺の執筆経歴の部分に、「ソロモン出版新人賞 一次通過」と堂々書けるのだ。

 一次通過が俺の終着点ではないが、突然舞い込んだ幸運に俺は躍り上がった。


「うはは! ざまーみろ、先輩! 一次通過してやったぜ!」


 つと口ずさんだ先輩という自身の言葉に反応し、ガラケーを開いた。


 ――よみに知らせてやんないとな。


 という冷静な考えに至る。

 よみは厳密に言うと喋れない訳ではないのだが、普段はメールでやりとりをしている。だが、こういう時ぐらいはあいつに直に伝えてあげたかった。よみは俺の幼馴染み。第一読者。この吉報を作者以上に待ち望んでいるに違いない。


 数回のコールの後、よみは電話に出てくれた。

 もしもし、とも何とも言わなかった。十中八九よみだろうが、俺は慎重に話しかけた。


「よみか? 突然、電話ですまん。えっと、そのままでいいから聞いてくれ」


 ごくりと唾を飲み込んだ。興奮しているからだろうか。異様に喉が乾く。


「あのさ。……えっと、今日別の賞でさ。い、一次通過したんだ!」


 最後は思わず叫んでしまった。

 よみは――。


「………………」


 相変わらず無言だった。代わりに「フォーフォー」と荒い息が聞こえ、バタバタと足で床を叩く音が聞こえた。

 相当喜んでくれているらしい。無性に嬉しかった。

 世界で一番自分の吉報を聞いてほしかった人物が、電話向こうの人物だったからだ。


「まあ、と言っても、受賞したわけじゃないけどな」


 あえて冷静沈着を装う俺。


「ともかくありがとな。ここまでこれたのは、よみのおかげだ」


 これを最後にして電話を切り、メールのやりとりをしようと思った。

 一刻も早くよみの「おめでとう」という祝辞が見たかった。


 が、何故かふと気になったことを付け加えた。

 後々考えてもみれば、よみが答えることが出来るはずがないのに……。

 間の抜けた質問だった。


「ところでさ。お前、ソロモン出版っていう出版社知ってるか? 俺、なんか聞き覚えがあるんだけど。思い出せなくってさ」

『――――ッ』


 携帯から伝わってくる雰囲気が、一瞬で反転したのを感じた。


「あれ? どうした? よみ。お前、何か知ってんのか? まさか女性向けの出版社とか」


 乾いた笑いで誤魔化そうとするものの、よみの態度は変わらない。

 段々、不安になってきた。え? マジ? 俺、BLなんて書いた覚えないぞ。というか、その属性はハードルが高すぎる。

 すると、何か声らしき音が聞こえてきた。

 受話器に耳を近づけると、少女の声だとわかる。

 それが久しぶりに聞いた傘薙よみの肉声だと気付くのに、数秒を要した。


「よみ?」


 幼馴染みの名前を呼んだ時、はっきりと聞こえた。



『だめぇぇぇぇぇえええええええ!』



 耳を切り裂くような悲鳴――――!

 俺の脳髄を貫き、リビングに響き渡った。

 次の瞬間――。

 真っ白になった。

 頭が真っ白になったとか、そういう事ではない。

 になったのだ。

 リビングが。家が。闇夜ですら。


「な――――」


 何が起こっているかわからない。

 だが、網膜に焼き付けられたのは。


 リビングルームに出来た大きな真円サークル


 見たことのない文字の羅列。幾重にも重なった幾何学模様。水平に保たれた天秤。何本もの尖塔の前に圧倒的な存在感でそびえる城壁。まるで古代の人間が彫り込んだような絵が、新雪の如く光を放っている。

 窓は閉め切っているのに、空気が逆巻き、渦を作る。窓枠は激しく揺れ、皿や装飾品、家族の写真など、リビングにあるすべてのものが吹き飛んでいった。


 中心にあるのは、先ほどの小包の中にあった本――。


 ああ。

 と俺は思った。


 そうだ。だ。……はそういうものだ。

 確証も、裏打ちもない。感覚的に理解した。

 おそらく普通に生きているうちは一生お目にかかれないもの。

 そもそも本当にそんなものがあるのかどうか誰もわからないもの。

 それでも確信はあった。



 アレは魔導書まどうしょなのだ、と……。



 そしてこれから先起こることは、科学や常識では計測不可能な出来事なのだと。


 どうする? という思考すら何故かその時浮かばなかった。

 ただその先を見たいとだけ思った。

 大人も歴史の偉人すらも説明できない事象の始まりを。

 小説の一ページ先に期待するような高揚感だけが、全身を支配した。


 故に、こう口走っていた。


 大気がリビングの中で逆巻き、辺りのものを吹き飛ばしているのに、なんの変化もなく、鎮座する魔導書アレ。それに――訴えかけた。



「めくれ!」



 そう叫んだ瞬間、羽根を広げ飛びだつ野鳥のようにページがめくり上がった。

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