第22話 魔王さまと風の乙女さま

 訂正:風邪の乙女エルフさま


「ばぶじどど、がぜぼ、びぎばじだ……」

「え? なんて?」


 玉座の間に姿を現したエルフのメイド、ガラガラ声のメルは、色白い肌を熱に浮かされ、鼻の頭から耳の先まで朱に染めている。


「がぜでず……!」

「あー……」


 風邪。だが、エルフのそれは他の種族とは多少異なる。


「今日一日は安静だな。君のことだ。寝食休息睡眠忘れて、書物に釘付けだったのだろう?」


 吾輩の問いかけに、頷こうとして、鼻水を啜ったメルは切れ長の瞳をぎゅっと瞑る。


「ふぁ……っく、ちゅんっ!」

「神の祝福を」


 ぱちん!


 エルフのくしゃみと魔王の指を鳴らす音が重なり、両者の姿を消した。


「……これは、また!」


 メルの私室に転移した吾輩は、天井すれすれ所狭しと積まれた書物の塔や山を、床や机に発見する。


「書物庫だけじゃ飽き足らず、ってところか……ったく、って! おおおおおおおおいっ!?」


 華奢な肩と背を露わに、汗ばんだ身体からメイド服を脱ぎ出すメルの姿に目を逸らしつつ、慌てて部屋を出る。


「誰か呼んでくるから! ちょっと待っていたまえ!」


 熱で意識も朦朧としているせいでもあるだろうが。文化や風俗の違いで、裸に恥じらいを持たない種族も多い世界だ。森の住人エルフも例外ではなかったりする。


「……誰もいなかった」


 竜のメイドは秘酒ドラゴンスピリッツがオークションに出されるとの噂に出掛け、人魚のメイドは海に一時帰国中、天使と堕天使は大食い大会が催される都市へ揃って行ってしまった。吸血鬼のメイドを真っ昼間から叩き起こすのも忍びない。


 部屋の扉を叩き、声をかけるもメルからの返事はない。

 そっと覗くと、きちんと寝間着を身に付け、ベッドの中でお休みのようだ。こんなときなのにしっかりとメイド服をたたんで置いておくのも彼女らしい。


「この性格で、本に対してはこんなだからなあ……」


 吾輩は眠り姫の傍らで椅子に腰を下ろし、本の山から一冊を無造作に手にして、紙面をめくった。


「あるじ、どの……?」


 吾輩が、手にした一冊をだいたい読み終えた頃だ。


「やあ、目覚めの接吻おうじさまはお呼びではないようだ」

「……」


 眼鏡を外した珍しい裸眼の瞳は、責めている色だ。


「はやく、治して、下さい……」


 メルが今、患っているのは、精霊熱フィーバーと呼ばれる、エルフ、又は卓越した精霊術者特有の病である。体内に宿す四大精霊のバランスが崩れ、火の精霊が暴走するのが原因だが、本来であれば水の精霊が調律する。

 それが出来ない状態というのが問題なのであって、そもそも術者が体調不良であることが多い。ご多分に漏れず、彼女の睡眠不足と蓄積疲労こそ治すべき案件なのだ。


「四大精霊を外部から調律するのは容易いがねえ?」

「今、お城には、誰も、っけほ! いないでは、ありませんか……!」


 咳き込みながらの抗議に、吾輩は、思いっきり意地悪な顔で彼女を見下ろす。


「それを知っていて、無理をして倒れた君の咎だ。大人しく安眠の罰を受け入れたまえよ」

「むうぅ……はい」


 声はしわがれていない。

 少し回復したようで、吾輩は安堵した。


 ――世界を、許してあげて……?――


「あ……じどの?……主殿?」


 記憶の奥底の言葉に突き動かされ、吾輩、うたた寝から首を上げる。見れば、眉を潜めてたエルフの浮かない顔。


「あ、あぁ……そうだ、喉は渇いていないかい?」


 傍らの水差しを口元に持っていってやると、メルは少し首を伸ばして小さく可憐な唇を潤した。


「……あぁ、素敵、です……」

「もう少し、寝た方が良いね。眠りの精霊は所望かな?」


 その言葉を聞き届ける前に、メルは再び瞳を閉じた。


 どれだけの時間が流れたろう。

 永遠にも等しい生命のエルフにとって、こんな時間は瞬きにも等しいのだろうか。


「おはなしを、して、ください……」


 眠ってばかりで、目も冴えてしまったのだろう。メルはそんなお願いをせがむ。


「むかーし、むかし……」

「……そういうのではなく!」


 少しは元気を取り戻したらしい語気に、吾輩は苦笑した。


「世界を、憎み、妬み、怒りの果てに、滅ぼそうとした男が、いた……」


 男は、復讐に突き動かされ前しか見ていなかった。

 その傍らには、常に一人の、独りのエルフの女がいた。

 男には、そのエルフの女が見えていなかった。何故、隣りにいるのか、一歩遅れながらも、必死に追い付いてくるのか、理解さえしようとしなかった。

 男は、世界を滅ぼす術を見つけた。

 エルフの女は、協力を申し出た。贖罪のつもりだろうか、悲しげに微笑んだ。

 そして、世界を滅ぼす寸前まで、辿り着く。


 ――お母、さん――


『……? 何て? 今、何て言った!? 何て言ったんだッ! 今更!? 今更、母を口にするのか!? 俺の母を! 父を! 妹を殺しておいて! 今更、母に祈るのか!? あるのか!? そんな資格がッ! お前に! お前らにッ!?』


「主殿?」

「あ、あぁ……話はここで終わりさ。ほら、だって、世界は今も存在して、続いている」

「何故です?」

「何でだろうね……失敗したのか、諦めたのか、死んでしまったのか」

「その、エルフの女性はどうなりましたか?」

「……さぁ? 世界に、還ったんだろう……」


 その台詞は、エルフなら理解出来る意味だ。


「私の、古の、森で……を思い、出しま……」


 上擦るメルの声は、途切れ途切れに霧散していく。


「ふぅん……」


 重い沈黙が、太陽を地平に引きずり落とそうとしていた。


「言葉遊びを、しましょう」


 随分、顔の血色も良くなったと思った矢先、メルの口から唐突に発せられる。


「いきなり、何だい?」

「退屈なんです、誰かさんがさっさと治癒してくれないもので」

「はいはい……で?」

「世界に存在する美しいものを、五つ、交互に言い合うんです」

「思いつかなかったら、負けかい?」

「はい。主殿からどうぞ?」


「春の陽気、夏の陽炎、秋の実り、冬の夜空、太陽。五つ」

「風のそよぎ、水のせせらぎ、土と火の温もり、優しい光、静かな闇。五つ」

「酔える酒、苦い珈琲、甘い果汁、熱いお茶、冷えた水。五つ」

「風を切る音、鳥の囀り、虫の鳴き声、森の静寂、人々の笑い声。五つ」


 どれだけ、言葉のやり取りを続けただろうか。


「牛丼、天丼、親子丼、中華丼、カツ丼。五つ」

「真面目にやって下さい。髪の色、肌の色、瞳の色、心の色、命の色。五つ」

「抽象的すぎるな。母の抱擁、父の背中、赤子の産声、友の肩、愛しい人の指先。五つ」


 エルフは、一呼吸、息を呑む。


「兄と慕った人、共に育った友、恋の好敵手、初恋の異邦人、彼から貰った眼鏡……五つ」


 メルの言葉。


 吾輩の沈黙。


「……五つ、言いましたよ? 負けですか?」

「アンジェ、ネフィル、デルフィ、ティーナ、アナスタシア。おや、一人足りないかな? 五つ」


 ベッドの中に顔半分を隠して、ぐぬぬ、と呻いたメルは苦々しい視線を寄越す。


「負けかな?」


「思慮深いところ、いつも気遣ってくれるところ、必ず助けてくれるところ、尊大で小心者なところ、スケベで軽薄で玉に瑕なところ……五つです」


「分からないな、誰のことだい?」

「そういうところです。負けですか?」

「んー……」

「負けですね」


「糸のような金色の髪、陶磁のような白い肌、小生意気な顔立ち、華奢で細身な……」


「私の負けでいいですっ!」

「まだ五つ言ってないが?」

「ま・け・で・すッ!」


 最後の一つは、表情豊かに動くエルフの長耳、だったのだが。


 再び熱を持ったのか、メルは寝返りを打って、真っ赤なうなじを見せる。


「主殿?」

「ん?」


「世界を……愛して、いらっしゃるんですね……」


「……そうかな?」

「そうですよ」


 でなければ、この醜くとも美しい世界を、言葉になど、出来ない。


「そうだと、いいな」

「ええ……そうですね……そうであったら、私……わ、たし……」


 風が、和らいで、たゆたう。

 刻に永遠が存在するならば、今このときが、そうであって欲しかった。


 闇夜に、響く、小さな音に、扉は開かれる。


「……大丈夫?」


 吸血鬼のメイド、アナスタシアが寝惚け眼で二人を気遣う。


「やあ、アナ……」

「丁度良い、すまないが、彼女の看病を頼めるかな?」


「……ん!」


 心なしか、どこか嬉しげな吸血鬼のメイドに、メルの口元は、柔らかく形を変えた。


「目が冴えて仕方が無いんだ。話し相手になってもらえると、助かる」

「……んッ!」


 あぁ、夜の眷属だものな。話し相手もいなくて、寂しかったのかもしれない。


「ほどほどにな?」


 吾輩の言葉など、二人には、もう届いていないらしい。


「主殿?」

「……魔王さま?」


 言葉が重なり、意味を持ち、価値を持って、紡ぎ出される。


 おやすみなさい。


「ああ……」


 楽器の演奏が途切れるような寂寥を伴い。


「おやすみ」


 その言葉で、世界を、分かつ。

 再び、世界に、巡り会う為に。

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