第14話 魔王さまと騎士さま

「おぎゃあ! おぎゃあぁっ!」


 闇の森の城、その門前で響き渡る赤子の泣き声。


「ん?」


 竜のメイド、デルフィは首を傾げた。


「んん?」


 何故、自分は見ず知らずの真っ裸の赤子を抱き上げ、あやしているのだろうか、と。


「いや? 違っ! 違うよおうっ!?」


 玉座の上で、ぶんぶん首を横に振る吾輩。置き去りにされた赤子の父親にされたのでは、たまったものでない。


「不潔です」


 堕天使のメイド、ネフィルの白い視線に晒されながら、慌てて情報整理に務める。


「近くの木に、長旅の装備を背負った馬が一頭。枝に手綱を結び付けられていましたね」


 エルフのメイド、メルは近隣の偵察を終え、報告を続ける。


「女ものの衣服。あとぉ、騎士ナイト用の魔力付与された全身鎧フルプレート武器ウェポンが、赤ちゃんの側に落ちてたわよぉ?」


 騎士? 父親か? 女性用衣類? こちらが母親の物だろうか?


「あらあら、こんなに汚れてしまって……お風呂に致しましょうね」


 まるで長旅を続けてきたかのような汚れだ。

 人魚のメイド、ティーナがデルフィから赤子を受け取り、浴場に向かう。


「あ、女の子ですう」

「可愛いですよねっ」


 それに同行する天使のメイド、アンジェは小さな命の可愛さにご満悦のご様子で、その妹のネフィルも嬉々として瞳を輝かせながら、後に続くのだった。


「ふふ、いつもなら、主殿に喰ってかかりそうなものですが?」


 少々の皮肉を込めて、メルはデルフィに流し目を送る。


「魔王ちゃんが認知するならあ、私の子供でもあるわけだしい?」

「知らんっ!」


 お城の喧噪たるや引っ繰り返したかのような騒ぎ。赤子の泣き声に翻弄され、誰一人経験のない子供のお世話に右往左往のメイドたち。

 魔王さまは、というと。馬から回収した荷物と、衣類と全身鎧フルプレートランスソードを前にしていた。


(騎士、騎士かあ……)


 そう言えば、世界中に放った使い魔たちの噂に、夜の闇と共に現れる騎士の話があった。首無しの騎士――デュラハン――でも出たかと、調査対象には入れていたが……それか?


(ん……? そう言えば、赤子の衣類が無いのは、何故だ?)


 珈琲片手に、湯気と溜息を溶け合わせる。


「……呼んだ?」


 彼女の目覚めには、少し早い。あくびをその牙で噛み殺す吸血鬼のメイド、アナスタシア。


「うむ、頼みたいことが出来た」


 お月さまより早く、メイドたちは夜の床に就く。何しろ疲れ切っていた。子育てがこんなに大変だなどと想像さえしていなかったに違いない。

 そんな彼女らの寝顔に一瞥くれて、吾輩は空きの寝室に向かう。


 そこには、赤子を抱きかかえたアナスタシアがベッドに腰掛けていた。


「……出ないってば」


 一方、疲れ知らずの赤子は、アナスタシアの豊満な胸に触れ、おっぱいを要求する。繰り返す、おっぱいを要求する。


「……だから、出ないって」

「どれどれ、吾輩もあやしてみよう」


 アナスタシアの胸の内の赤子に両手を差し伸べたとき。


「げぇ~っぷ、ぅうぇ」

「……」


 赤子は舌を出し、吐瀉物を吾輩の両手にぶちまける。


「ま、まあ、赤子のすることだ、は、はは……」


 すると突然、赤子が泣き出した。お腹が空いたか、夜泣きだろうか。

 腰を浮かせたアナスタシアの手に、じんわりと生温い湿り気が広がる。


「おもらしだね。ついでだ。替えの布も持ってこよう」

「……ん。ん?」


 お月さまの光が窓から差し込み、吐瀉物と排泄物を出した赤子を照らす。

 腕の中の重みが徐々に増す感触に、思わず前屈みになり、赤子を床に取り落としてしまう。


「あっ! ……あ?」


 アナスタシアが小さく発した驚きは、すぐに吾輩にも伝播する。


 そこには金髪縦ロール、かろうじて成人に達しているであろう容姿と体格。


「え! あ? あ! ちょっ!? み、見ないでっ! 見ないでったらああああああああああーっ!」


 全裸という羞恥に涙、鼻水を撒き散らし、黄金の水たまりにぺたりと座り込む。


「は! 裸を見られ! こ、このような! 辱めっ! ……く、くくぅ!」


 きっと鋭い視線で吾輩を睨み付け、胸や腰回りを両手で隠す女性は、面立ちに僅かな気品すらある。とは言え、まあ、涙、鼻水、よだれ、げろ、おしっこ、と出せるだけのものを出しまくっているわけだが。


(ははぁ、あの騎士装備一式、彼女のものってわけだな?)

「く、くそ! 魔王……! 卑劣な魔王めえ……っ! 生き恥を晒すくらいなら、いっそ!」


 羞恥と怒りに肩を震わせ、顔を歪ませながら憎々しげに放たれる視線を受け、吾輩は、あの有名な台詞を先読みするのだった。


「くっ!殺せっ!」

(くっ!殺せっ!)


 そう、それなあ……くると、思ったよお。あー、もはや様式美だよなあ……


 部屋の掃除と女性騎士の身なりを綺麗に整えたあと、アナスタシアは汚れた布や衣類などを片付けにいった。


「さて……事情を聞かせてもらおうか?」

「我が名は、ディアドラ! 武門誉れあるメイホーク家の頭領ガウェインが娘っ!」


 既に全身鎧に身を包み、兜ですっぽり顔を隠した彼女は、堂々と名乗りを上げた。

「卿、制約――ゲッシュ――を誓ってるな。昼間の赤子の姿は、そのせいかな?」


 フルフェイス型兜ヘルムの中の声が、くぐもって唸る。


「図星か。おおかた、何とかしてくれとでも……」

「ち、違う! 違う! 違う! 違ううぅぅっ! うわあああああああああああああああああんっ!」


 表情の見えない兜の呼吸口から、滝のように涙が溢れ出るのだった。


 アナスタシアが部屋に戻った頃、力無くベッドの端に腰掛けたディアドラは、ようやくポツリポツリと身の上を語り出した。


「メイホーク家には、男児がついぞ産まれなかったのだ……」


 代々武門の家系、王家からの覚えめでたく、騎士隊長を経て将軍職も歴任している。


「困るのだ、男児がおらぬと。騎士団はそもそも男社会ゆえ……その、父上も母上も、夜をその、励んではおるのだが……姉としては、これ以上、その、妹が増えても、困るのだ……」


 そのその言い淀んでるけど、うん、すげえ、どうでも良い、内容に困る情報だった。


「そこで、私に縁談話が舞い込んで……跡継ぎをもうけろと、父上が言うので……」


 あー、何となく、読めてきたぞ。


「私が家督を継ぐ! と。世に聞く魔王を倒して武勲を上げて帰ると宣言して、旅に……そこで騎士の誓いを……制約を結んだら、何故か……」

「昼は赤子に、夜は天下無双の騎士として名を馳せる結果になったわけか」


 ディアドラの表情を隠すフルフェイスヘルムは、無機質に頷く。


「ちなみに、どんな『制約』を『世界』と結んだのだ? 卿は」

「それは、勿論!」


 すっくと立ち上がり、まるでそのときの制約を口にするかのように声を上げる。


「私を、騎士の中の騎士ナイトオブナイツにっ!」

「ん?」

「え?」


 吾輩、今の発言に、少し引っかかりを覚える。怪訝そうに兜を傾けるディアドラに、もう一度言ってもらうよう促した。


「騎士……の中の、騎士に……」


 ナイトオブナイツ。


「う、んー? ちょっと、今? 発音、変じゃなかった?」


 吾輩は、『騎士knight』と発音して、ディアドラにも続けさせる。


「ナイト」


 吾輩は『night』と発音して、ディアドラに再び続けさせる。


「ナイト」


 Knight of Nights。


 あっちゃー、という吾輩の顔を見て、兜と全身鎧がぷるぷると震え出す。


「卿はさあ、それ、『夜の騎士ナイトオブナイツ』で制約を誓っちゃったんじゃないか?」

「あ、あ……あぁ……」


 夜の! なんか、エロい!


「み、見るな! 私を……! そんな目で見るなあっ!」


 兜と鎧の隙間という隙間から煙でも噴き出しそうなほどの羞恥の紅潮。


「何という無様な! 何という生き恥! 辱め! くそう! 魔王! 魔王おおおおおおおおーっ!」


 フルプレートアーマーのまま床を左右に身悶えしながら転げ回り、怨嗟を叫ぶ女騎士。


「殺せ! こぉろぉせぇ! 殺してくれえっ! もう生きてられなあぁいっ! くっ! 殺せえっ!」


 いや!? いやいや!? 吾輩が何かしたように聞き取れるけど!? 全然関係ないからねっ!?


「なるほどなぁ……世界の半分と契約しちまったわけか、主に夜の月と闇の精霊とだろうが。そりゃあ、昼間は無力な赤子になろうというものさあ」


 その身に過ぎたる力は、己を滅ぼすと知るべし。


「さて……どうしたもんか」


 床に突っ伏し、拳で床を叩きながら「くっころくっころ」繰り返すディアドラを眺める。


「制約――ゲッシュ――を、打ち破るしか、ないだろうなあ……」


 外は、満月だ。

 夜を飾る月と星々の下、吾輩はアナスタシアを傍らに、女騎士と対峙する。


「私も舐められたものだ……い、いや! 私は誰にも舐められたことは無いぞっ!?」


 もう何を言ってるのか支離滅裂だ。


「制約が発動している状態で、卿が魔王、吾輩に敗れるようなことがあれば、制約は打破されるはずだよ。卿自身が制約を破ってしまうと、誓いは呪いとなってその身に降りかかってしまうからね? あくまで吾輩によって倒される事実が、必要となる」


 要は、夜の騎士が夜で負けてしまえばいい。ああ、もうこれ、わけわかんねえな。


「来たまえ。そもそも卿は、魔王討伐で制約を結んだのだから!」

「言われなくともぉっ! っきぃえぇーい! 死ねよやあああああああああああっー! ……あ?」


 だが、騎士の動きは鈍い。ぷるぷると重そうにガントレットの両手は剣を腰元までしか上げられず、全身鎧を軋ませながら一歩、また一歩とよたよた前に進む。


「な!? 何がっ!?」

「卿の力の源は、『夜』であり『闇』であり『月』なのだよね」


 そう呟く吾輩の横では、銀髪をなびかせ、金の瞳を紅く染める吸血鬼の真祖が、その足下に闇の精霊を支配下に置いている。


「その力において、真祖たる彼女に及ぶはずがないのだ」


 武門の生まれとは言え、か細い女性。全身にまとう闇の鎧の重さに、とうとう膝を付き、四つん這いになり、兜を脱ぎ捨て、顔だけ上げた。


「おのれ! 魔王! 貴様あ、謀ったなあっ!?」

「えぇ……上位互換に挑むなら、工夫くらいしなさいよう、卿の無知を恥じたまえ」


 スペルミスとかなっ!


 吾輩は、その手をわきわきさせながら、ゆっくり女騎士に歩み寄る。


「よ、よせ! や、やめ、やめろおぉっ!」


 ディアドラは両目を見開いて、首を大きく横に振る。


「いやらしいことをするつもりだろうっ! 民草が好むという春画みたいにっ!」

「ほんっと、卿はさあ……なんって言うかさあ……」


 ここまでアレだと、本当にアレなんですけどっ!


「はい、制約を以てしても、卿の負けだよ?」


 吾輩は膝を折って、その顔に近付き、渾身のデコピンを放つのだった。


 武門の生まれ、ガウェイン・メイホークは、お転婆娘の奇行にはほとほと頭を悩ませていた。お家の為という大義名分を振りかざすから尚のこと始末に悪い。先日も嫁げば落ち着くかと思って縁談話を持ちかければ、おかしな制約をこの父と結んでしまった。

『私を倒せる殿方がいれば、今すぐ騎士の真似事を止め、その方の伴侶となりましょう!』

 制約――ゲッシュ――は、ひとつとは、限らないのだった。

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