第19話 それ、褒めてないわよね?

 どうぞ、とごく生真面目な顔をして差し出された手を取って、馬車の外に降りる。

「おーや、奥様。そんなに熱烈な視線で見つめられますと、照れてしまいますねぇー」

 照れた仕草を見せるどころか、表情筋の一つも動かそうとせず、ルカウトは「はっはー」と口調だけは上機嫌そうに笑う。

「本当にどうしてあなたって普通のことしているはずなのに、どこまでも胡散臭いのかしらね」

「なんとまあ、奥様! お褒めにあずかり光栄ですよ」

「褒めてない」

 溜息とあわせて借りていた手をぱしりと打ち払う。続いて降りてきたロウリィは、いつものことじゃないですか、とでも言いたげに、ほやほやと苦笑していた。

 目の前にそびえるはチュエイル家の屋敷。この地の領主を長きに渡り担ってきた家だけあり、広大な敷地を有する屋敷は造りが前時代的だ。ただ単に古くさいと言い捨てるには、醸し出す雰囲気は荘厳で、むしろ、この地に息づく歴史さえ窺わせた。

 遠く領主の館からも見えた尖塔は、屋敷に付随する聖堂の一部であったらしい。大きい大きいとは思っていたが、目の前にするとその大きさが際立つ。独立した聖堂ならいざ知らず、貴族の敷地内にあるもので、これほど壮大なものは見たことがなかった。

「リシェルのとこより大きいってどういうことなのよ」

 国で一、二を争う大貴族の親友の家のものより大きいということは、かつてチュエイル家はそれほどまでにこの地で権勢を誇っていたということだ。

「建てたのはチュエイル家ですが、元は領民のためにつくられた聖堂なんです。何代か前のチュエイル家当主が、聖堂会側と対立して、聖職者たちが、みんな出ていって、別に聖堂をつくってしまったそうで。今、エンピティロの皆さんがよく利用しているのはそっちですね。まぁ、これほど立派なもの無碍に壊すわけにもいきませんからねぇ。チュエイル家所有という形で残しているそうです」

 よっこらせ、とロウリィは自ら重たげな鞄を運び出して、聖堂のあまりの大きさに呆然としていた私に、ほややんと解説する。その後ろでは、ルカウトがこれまた重たげな鞄を両手に抱え、馬車からおろしていた。

「さて。では、行きましょうか、カザリアさん」

 のんきに笑うロウリィの腕に、私は手を添える。さすがにあの鞄を片手で持つのはロウリィには無理そうだから、完全に形だけだけど。

「というより、それ。一体なんなのよ」

 無視しようにもどうしても視界に入るその鞄には、いったい何が入っているのか。

 二つも手にしているせいか、追従しているルカウトに至っては「あー重い。相変わらず重すぎるし重すぎるし重すぎですねぇ」とぐちぐち悪態をついている。いつもに比べて、若干声音を落としているあたり、あれでも少しは場所を意識しているらしい。

 せっかくですからね、とロウリィは前置いて。

「ただの商売道具ですよ」と、のんびり笑った。



「ちっ。まだ生きていたか」

 招待のお礼の挨拶に出向いた先で、チュエイル家当主はロウリィを目にするなり、苦々しげに吐き捨てた。いつもこんな感じなのか、対するロウリィはチュエイル家当主の悪態に特に反応するでもなく、いつもと変わらぬぽやぽやさで一礼した。

「本日は、お招きいただきありがとうございます」

「招待も何も私は関与していない。いちいち貴公を呼ぶ謂われもない。近頃、どこかの誰かのおかげか、めっきり調子が悪いのでな。今日のことはすべて息子に任せている」

「はい。後ほどベルナーレさんにも、ご挨拶させていただきます。それで、今回なんですが」

「腰痛と胃痛と二日酔いの薬を置いていけ」

「かしこまりました。では、ひとまず一ヶ月分。お代は後日請求させていただきますね」

「まったく。さっさと領主なんかやめて、医者に専念すればよいものを」

「あ、医術のほうはそう詳しくないので、医者はちょっと」

「ふん、なら薬屋であればいいか?」

「それはそれで楽しそうですが。そもそもこうなったのも、あなたが公費を横領したからじゃないですか」

「屋敷と聖堂を維持するには金がいるんだ」

「あれはいくらなんでも行き過ぎです。大体、王が任命した役人を毒で追い払おうなんて、反逆ととられてもしかたがなかったんですよ?」

「聞く耳を持たん、あいつらが悪い」

 ふん、と当主はそっぽを向く。

「そりゃ、勅令ですから、持つ持たないの問題じゃないですよ」

 ロウリィはほやほやと相づちを打ちながら、鞄から薬を数種類と、塗り薬が入っているらしい瓶を取り出し、紙袋に詰めると、控えの侍従に手渡した。

「では、失礼いたします」

 これで用は済みました、と言わんばかりにロウリィは、ぽやぽやと笑顔で別れをつげた。私はというと、あまりのあっさり具合に出遅れて、ロウリィから「行きますよ」と呼びかけられてしまったくらいだ。

 踵を返したロウリィに添うと、ふん、と不機嫌な声がした。そっと肩越しに振り返ると、チュエイル家当主とばっちり目があってしまった。控えめに礼をすれば、あちらはあちらで決まり悪そうに表情を歪める。

「……まったくどんな化け物かと思ったわ」

 口の中でごちるように。続いた当主のぼやきは聞こえなかったことにした。

 ええ、ええ。そんな目で見なくったって、そもそもあんなにわらわら刺客さえわかなければ、私だって返り討ちにする機会なんてありませんし、大人しく領主の奥方様をしていましたよ。たぶん。

 たぶん、もうちょっとくらいは、しとやかに、立派に領主の奥方らしくあれたはずなのよ、きっと。

「いやいや、奥様は化け物よりもお強く、恐ろしいお方ですよねー?」

 ははは、と、無表情で笑いながら、ルカウトはチュエイル家当主と私に同意を求める。とりあえず、足を踏んづけてしまってもいいだろうか、とルカウトを睨んだら、「いつものことじゃないですか」とロウリィに諭されてしまった。

 そもそも敵対しているとはいえ、招待されている身だ。まさか人目もはばからず、いつものように振る舞うわけにはいかないので、ロウリィに言われるまでもなく、言い返すつもりはないけれど。せめてルカウトには、あとで文句を言いたい。

 再度、チュエイル家当主に形ばかりの挨拶をしてから、部屋を退出する。

 慣れているのか迷うことなく歩き出したルカウトを先行きに、チュエイル家の廊下をロウリィと並んで進む。

 チュエイル家の廊下はところどころくすんでいるものの置いてある調度品も絵画も豪奢だ。何より目を引くのは屋敷自体に施された装飾で、特に柱から天井へと繋がり広がる彫刻は繊細で美しかった。廊下だけでこれなのだから、そりゃあ、維持にお金がかかるはずである。

 チュエイル家当主のいた応接間から少し距離を置いたころ、ちらりとロウリィがこちらの顔を伺ってきたので、私は首を傾げた。

「何?」

「いいじゃないですか、褒められたんですし」

「褒められたって何の話?」

 怪訝さに、ついと眉を寄せれば、ロウリィはぽやぽやっと「さっき、ご当主に言われてたじゃないですか」とのたまう。

 さっきで、ご当主って、まさかあの化け物発言を言ってるんだろうか、この人は。

「ね、ちょっと待ちなさいよ。どの辺りでどう褒められていたのよ?」

「つまり、カザリアさんがちゃんと普通に普通だったってことですよね?」

「それ、褒めてないわよね?」

「そうですか? 褒めていたと思うんですが」

 ほややんとロウリィは、首を傾げる。

 いえ、もうロウリィがそう思いたいのなら――そう思ってくれるのなら、それはそれでよいのだけれど。

 そもそもの評価基準が最低からの出発だってこと、そろそろ気づいてほしい。



 鞄を三つどんと置き、侍従たちの控えの間の一角を陣取ったルカウトは「それでは、ご達者で。奥様におかれましては、ロウリエの監視、くれぐれも頼みましたよ?」と、声だけは意気揚々と、無表情で私たちに言った。

 ここから先は会場へ繋がる。連れといえども、あくまで侍従であるルカウトは、私たちについてくることは叶わない。

 あらためて確認されると、わずか緊張が増す気がした。

「ルカも」

 ロウリィは、最も信頼しているらしい侍従に呼びかける。

「財源確保お願いします」

「ははは! 言われるまでもなく、がっつりがっぽり、持ってきた分は捌ききるつもりですよ。じゃないと、帰りがまた重いですからねーえ?」

 本当に何をしに来たと思っているの! と責めたくなるけど、チュエイル家についてからの二人を見ている限り、どう考えても二人にとってはこちらのほうが最重要課題らしい。

 呆れて溜息の一つもつきそうになっていると、ルカウトと目があった。

 にやり、とそれはもう笑顔の練習をしたほうがいいんじゃないの、と言いたくなるような極悪な笑みを長身の侍従は浮かべて。

 妙に恭しく頭を垂れたルカウトは「それでは、いってらっしゃいませ」と私たちを送り出したのだ。

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