第49話 針の向く先

 ウィリアの目論みはまさに狙い通りに達せられた。

 ひらけた場所で空に向けて手を振っていれば、すぐに目の前に巨人が降りてきた。

 巨人。そうとしか言いようがない。翼人の何倍もある全身に鋼鉄の鎧をまとい、羽ばたかない翼を背にした、生気の欠片すら感じない巨人。

 それが、見た目通りの重みを持って、周囲の空気を圧しのけ、降り立った。

 どのような言葉が来るか、とウィリアが覚悟したのも刹那、唐突にその腹がばくり、と開いた。

 同時に空気が抜けるような甲高い音と、重い金属が持ち上がる音。

 巨人がその身の鎧を脱ぐのか、とのウィリアの勘は外れた。なぜなら、開いた腹の中から小さな――自分と同じ大きさの人間が出てきたからだ。

 灰色めいた鎧に似た鈍い白の服。華美さはないが、金属など硬質な素材もあしらわれており、一見して製法は分からない。

 透明の鎧兜を脱ぐと、帝国人と南方人の合いの子のような、中途半端な肌の色の男が顔を出した。

「大丈夫ですか。お怪我はありませんか」

 耳慣れない肉声言語に遅れて、抑揚の薄い四角四面の帝国語が聞こえた。先の肉声言語を訳したものらしい、とウィリアはすぐに理解した。

「その……えっと……」

 ウィリアはわかりやすく戸惑って見せる。ここでのウィリアは、たった一人村を焼き出され、無我夢中で逃げ出した少女だ。そう自分にも言い聞かせる。自分が振り撒いた炎と血を、死の恐怖を、自分の心に写し、被害者を演じる。

「心配しないでください。ザッフェルバル総督府の依頼で、あなたの村を助けに来た者です」

 優しげな声色で伝えられる未知の言語。続くぶっきらぼうな帝国語がその意味を示す。助けに来た、と。

 まだ怯えた演技を続けてもいいが、それでは話が進まない。ウィリアは少しばかり、彼の申し出に反応を作る。

「助け、に……?」

「そうです。あなたたちを助けに来ました」

「た、助けてください! 村が……おじいちゃんたちが!」

 “天の御遣い”は人々を保護する存在。であるならば、取り入るのはか弱い少女の姿が最もよい。だからウィリアは全身で訴えかける。あなたの助けを必要としているのだ、と。

「ああ。村を襲っていた魔物は全て退治した。ただ……」

「ただ……?」

 男は言いづらく言葉を濁した。その先はおそらく、ウィリア自身が一番よく知っている。その結果は、他ならぬ彼女自身が作り出したものだから。

 だが、ウィリアは恐る恐る訊ねる。今のウィリアは、なにもわからぬ少女だから。

 わずかな沈黙。やがてその視線に耐えかねたのか、男は視線をそらした。

「いや、村の人の安否はまだ確認中だ。ひとまず安全なところまで案内しよう。ついてきて」

 言い訳のような言葉に、ウィリアも無理にその先は求めず、静かにうなずいて従った。



 直哉の迅雷は単座式のA型だ。

 その操縦席は地球時代から伝統的に闘鶏場コックピットと名を冠するだけあって、空間的余裕はない。

 だが、その狭い空間、直哉の膝の上に、助けた少女が強引に収まっていた。

「…………えっと」

 直哉も一応抵抗はした。随伴無人機の搭乗スペースに乗せようとしたが、少女がどうしても直哉の腕を捕んだまま離さないのだ。

 ……参ったな。

 参ったが、恐怖に震える女の子を無理に引き剥がすだけの無情さを振りかざす気も起きなかった。

 おそらく天涯孤独か、ほとんどそのような状況になってしまったであろう女の子。恐怖と孤独で圧し潰されそうな彼女の。

「じゃあ、これから空を飛んでルタンまで行く。揺れるから、しっかり捕まっていて」

「…………」

 無言だが、少女の手がより強く自分の身体にしがみついてきたことで、直哉は了承と判断した。

 身を寄せる少女の髪からは、土埃と肉が焼けるような臭いがする。だが、それはそのまま彼女が経験した修羅場がどんなものだったかを表すものであろう。

「お願い……助けて……助けて……」

 震えてながら。そう繰り返す少女。

 何をしてやれただろう。何をするべきなのだろう。この地に降り立ってから、幾度目かの場面に出会って、直哉は未だに何も分からずにいた。



 領国ザッフェルバル。ルタン。“空の港”と呼ばれる、一面の開けた石畳に下ろされ、ウィリアは戦士の青年と別れた。

 ザッフェルバルの役人とおぼしき帝国人と、先ほどの青年と同民族らしい二人の女性に連れられて建物へと歩いて行く中、ウィリアは恐怖と戸惑いに翻弄される少女の演技をしつつも、冷静に自分が見たものを反芻していた。

 ……あれが、巨人の中身。

 一見して構造はまったくわからない。だが、人間が乗って操るもの、という確証は得られた。 

 そうであるならば、おそらくやりようはある。どれだけ強固な鎧でも、中に脆弱な肉の塊を乗せているのであれば。

 ……それに、

 騎手が男というのも狙い通りだった。

 またどこかで会うことがあれば、あるいはあちらから自発的に接触を測ってくれば儲けものだろう。相手次第の部分はあるが、巨人を操るほどの戦士を取り込めれば、今後の情報収集の大きな足掛かりとなる。

 ……まずは彼らの生活の場に溶け込むこと。理解すること。

 そして心の内側に踏み込み、少しでも情報を吸いだして、祖国へ送ること。

 憧れ、幾度も身を委ねた翼人の師を想う。わたしは大丈夫。彼が信じ、送り出してくれたわたしなら。

 そして、ウィリアは帝国へ足を踏み入れる。

 本当の意味での、敵地へと。



 同時刻。

「お見送りありがとうございます。ヤーデルグ卿」

 ザッフェルバル総督代行たる、ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリアは、帝都にて、月に一度の皇帝への定期報告を終えたところだった。

 帝城の廊下を歩き、帰途へつくティルと並び歩くのは、彼女よりもさらに華美な相続に身を包む枢機卿の老人。

「なになに。可愛いティルが遠い領国からはるばるこうして顔を見せてくれるのだからな。貴重な機会を逃すわけにはいくまい」

 老人はティルと旧知の枢機卿。名をケーネスタット・ボルチェーガ・ヤーデルグ。序列は四位と枢機卿の中でも古参であるが、気さくな人柄でティルのことは幼少から気にかけてくれている。ティルにとっては、祖父のような存在だ。

「してティルよ。陛下への報告を聞く限りは、うまくやっておるようだが……些細なことでもなにか困りごとはないか。陛下に話すほどのことでなくとも、領国一つを背負えばなにかとあろう」

「ありがとうございます。魔物の襲撃は増えておりますが、どうにか対処できておりますので――」

 ヤーデルグ卿の領国から、ザッフェルバルは既に相当数の法官を借りている。ティルにとってそれ以上の支援はない。

「ふむ。魔境の近くでは苦労も多かろうが、思いのほかうまくやっておるのだな」

「境界近くの村が時折焼かれておりますが、税収に関しては、I.D.E.A.の皆様の協力もあり、どうにか増収を見込んでおります。十分な法官が揃うようであれば、廃村となった土地も、再び入植を考えたいとは……」

「やはり法官か。だが、そう簡単に数が増やせる代物ではないことは、お主も知っておろう」

「知っております。ですが……」

 その続きを口にしたい衝動にかられるが、そこから先はティルの権限の及ぶ場所ではない。帝政どころか、帝国の根幹に関わる問題だ。

 それに今は仮にも帝城の中。自身の領国のことならまだしも、帝政の方針に堂々と異を唱えるような発言は、今後どこで自分の足を引っ張るかわかったものではない。

「お主の考えはよくわかる。魔龍騒ぎで精鋭が根こそぎやられたのだ。数も質も、ろくに揃っておらんのだから、増やしたいのは陛下も全く同じよ」

「……はい」

 ヤーデルグ卿の言葉に、ティルは少しばかり安堵する。自分の考えが帝都と大きく異にしていなかったことに。

 ……でも、私の危機感は、本当には伝わらない。

 長くザッフェルバルにいれば、当然帝都で暮らす人々と感覚は解離していく。言葉ひとつとっても、“どこまで口にしてよいか”という空気は、ヤーデルグ卿のように、自然に読むことができなくなっていく。

 逆に、ティルが肌で感じた恐怖――魔の者どもの軍勢に晒され、それがいつまた攻めてくるかもわからない危機感は、どうしても伝えきれない。

「法官が足らぬからといって、いま目先の数を揃えるべくやみくもに授典したとて、そもそも教え導く者の数が足らぬ。信心なくして力だけを与えれば、むやみに不心得者を生むばかりとなろう」

「それは、おっしゃる通りです」

 あまりにも正論。これまでの帝国として、これからの変わらぬ百年を見据えた、正しき言葉だ。

 なりふり構わず外敵に勝利したとしても、その後に帝国が己自身の内に抱えた暴力にに食われるのであれば、その勝利は魔の者どもに敗北した未来と、さほど変わるものではなくなる。

 ……帝国は、正しく勝たねばならない。

 ティルが大切なものを、大切な形を保ったまま、未来に残さねばならない。それが時代に応じて少しずつ変わるとしても、手段を選ばず戦わねばならないとしても、本質を損なっては、結局すべてを失うことと変わらないのだから。

「まったく、お主の目は子供の頃から変わらんな」

「目、ですか?」

 唐突な言葉に、ティルは思わずぽかんとヤーデルグ卿を見る。ヤーデルグ卿は、そんなティルがおかしそうに、笑いをこらえながら言う。

「じじいどもをどう出し抜こうか、と真剣に考えておる目だ。九つの頃だったか。も同じような目をしとったわ」

「うぐ……あれは、その……」

 昔の話を持ち出され、ティルは思わず赤面する。

 確かに、十になる少しばかり前に、ティルは城下町見たさに全力で帝城の脱走を企てたことがある。その日のためにひそかに習得した法儀と、その場の即興法儀で枢機卿たちのことごとくを出し抜き、しかしあと一歩のところで大汗をかいた現皇帝陛下に首根っこを掴まれたのだった。

 ヤーデルグ卿もまた例外ではなく、当時のティルの餌食になった一人だ。やんちゃ盛りの少女にロープで盛大に足を引っかけられ、立て直そうにも、続く妨害にまんまと引っ掛かり、すっ転んだ隙にすかさず絨毯でぐるぐる巻きにされた上に拘束・封印法儀を三重にかけられた犠牲者である。

「よいよい。だからこそ、お主は今そこにおるのだろう」

 にもかかわらず、今もこうして親身に面倒を見てくれるのだから、ティル個人としては、ヤーデルグ卿には感謝しかない。

「だがゆめゆめ忘れるな。お主はもはや、愛でられるばかりのお飾りの巫女ではない。じじいどもと同じ、蹴落とし蹴落とされの舞台に立っておるのだから」

「……心しておきます。ヤーデルグ卿」

 だからこそ、この老賢者の言葉は、ティルの胸に重く響くのだ。

 特に『献身の巫女』という飾りものの立場を離れ、交渉と調整の最前線に飛び込んだ、今のティルにとっては。

 ティルの返答に、ヤーデルグ卿はしばし満足げにうなずいていたが、不意に何かを思い出したように侍従へ小さく声をかける。

 すると、数人の侍従は荷物から小さな木箱を持ち出し、ヤーデルグ卿へ手渡した。

「そういう意味では、陛下のも一つの試金石と言うべきであろうな……ティルよ」

「はい……?」

「陛下がおっしゃるには、がその中におるとのことだ。自身の道行きをよくよく考え、見定め、選ぶといい」

「選ぶ……?」

 その言葉にティルは先ほどの謁見を思い出す。陛下も確か似たようなことをおっしゃっていた。「まだ先になるが、お主も立つべき場所を見定める時が来る」と。

 木箱の中身を、その言葉の意味を、ティルは後ほど考えることとなる。

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