第35話 万騎の靴音

 翼人タンダルト・バ・クメルは、軍勢を空から一望していた。

 自らの背の翼で風を切りながら、見下ろすのは自らが指揮することになるだろう集団。後方の荷車、中央の歩兵の群れ、先頭に立つ騎兵隊と舐めるように見渡していく。

 構成される兵は緑や青、土色など色とりどりの鱗の群れ。全て竜人で構成された軍だ。

『ご覧くださいクメル軍司。これが此度こたびの戦における主力軍。ベブア族、ガバール族をはじめとした、十部族の合同軍です』

 念話で呼びかけるのは、近くを飛ぶ竜人。コウモリのような一対の羽の生やした巨大な蛇、羽蛇にまたがった羽蛇騎士だ。

『素晴らしい。壮観だな。これで一万五千のすべてか?』

『いえ、まだ二部族が遠方から合流する予定です。ここのものは、おそらく合わせて一万に届くかというところでしょう』

『なるほど。竜の子らにも苦労をかけるな。遅れは出そうなのか?』

『現在のところ、主力、陽動合わせて四部隊とも、作戦決行予定まで全部族の参集を終えられる見込みです』

 主力と陽動。騎士が言うように、主力の他にも部隊の集結は進んでいる。

 大陸を南北に分ける山脈。その西側のふもとには、大きく距離を開けて四部隊が配置についている。

 一つが、一万五千人規模と言われる主力。

 その他の三つがいずれも五千前後の規模の部族連合軍。陽動と言っても、征伐軍をまともに相手取るには明らかに過剰な戦力だ。

 以上の四軍が、クメルの念話で同時に侵攻を開始する手はずとなっている。

『まったく、大掛かりな話だな』

 クメルは苦笑を浮かべ、羽蛇騎士へ問う。

『狩猟には、過ぎた戦力だと思うか』

『これまでの人間であれば、ですが。あの報告、あれどこまで本当であるか……』

 あの報告。――未知の"空船"が天から降ってきて、海竜を打ち倒した、という報告に端を発する、ここのところの狩猟地での不安な動きのことだ。

 天鱗同盟領内でも、百隻に届かない最先端魔導技術の粋を集めた"空船"の出現。

 二百数十の捜索隊が一瞬で壊滅したという、魔力を伴わない未知の攻撃。

 クメルもそれを聞いて、にわかに信じがたいとの感想だったが――だからこそ、確かめたいとも思ったのだ。

 大軍を率いて、肩透かしであれば上層部を笑ってやればよし。そうでなければ、それだけの敵と戦えるというものだ。

 天鱗同盟が周辺諸国の平定を終え、間もなく十年を迎える。

 最前線で血風の中に在ることを喜びとしていたクメルとしては、平穏の時代に強敵とまみえられるというのはそれだけでありがたい話だった。

『全て真実と見積もっておけば肩透かしで済む。そうでなければ無駄死にだ。羽蛇隊を預かる貴官も、その心積もりで当たって欲しい』

『は。首都で与太話に興じるうちはまだしも、戦においては覚悟を決めて参ります』

『ああ。……"見えない一撃"は何よりの脅威だ。それを防ぎきらねば勝機はない』

 だからクメルは、此度の戦のために特別性の広域防御術を編み出した。

 主力軍の兵たちの魔力を強制的に供出させ、兵自体を媒介にし同時多発的に防御術を展開。その術を有機的に連携させてクメルは全軍を守る巨大な防御術と為す。

 強烈な攻撃であっても、全体が一気に瓦解せぬよう負荷を分散させ、場合によっては末端の兵に負荷を回して切り捨てることで自身及び重要兵力を守りきるという算段だ。

 防御できるのは一度でいい。もし防ぐことさえできれば、どこから打撃が来たかを探り出すことができる。

 そうなれば、首都から連れてきた外征軍の最精鋭、羽蛇隊が必ずや敵を見つけ出して敵を屠るだろう。

『貴官らには期待している。未知なる空船、必ずや見つけ出し、我らの手中に収めようぞ』

『は、もちろんで――』

「おっちゃん、すげーよ! みてほら、あれ全部ウロコ人間だ!」

 突如、念話での会話など聞こえぬかのように空気を震わせる甲高い声が遮った。

 まだ声変わりを迎えていない少年の声。羽蛇騎士の後ろに乗せられた、人間だった。

 クメルは愛想笑いを浮かべ、少年の乗った羽蛇へ風を切りながら近づく。そして思い出すように喉に触れ、自身の声が出るか確かめると、

「ああ、素晴らしいだろうテック」

 空気を震わせて応える。ややぎこちないが、少年と同じ言語での言葉だ。

「すげーよ! めちゃくちゃたくさんじゃん! すげー!」

 はしゃぎまわる少年が落ちないよう、羽蛇騎士は手綱をしっかり握りながら、苦笑交じりに"荷主"であるクメルにぼやく。

『まったく、仔人を運ぶのは楽ではありませんな。何かの拍子に落ちてしまわぬかヒヤヒヤしますよ』

『苦労をかける。大叔父から賜った貴重な仔人だ。傷をつけぬようにな。無事届けてくれれば貴官も約束通り――』

『ええ。ご相伴に預かれるのを楽しみにしておりますよ』

『では引き続き頼む』

 そして、羽蛇三十騎と一人の翼人が大軍の頭上を追い越していく。

 向かう先は西方、狩猟保護区との境界線。べファン山脈のふもとの駐屯地へ。



「このように、南北に大きく分けて四軍団、合計して推定三万近い大兵力が境界線に同時多発的に集結しつつあります」

 艤装が全て終了し、完成したばかりの巡空母艦おおとり内。

 ピカピカの中隊ブリーフィングルームのモニターに、浜崎中隊長の言葉通りの情報は示されていた。

 上空からはっきりと捉えられた黒い群れ。複数捉えられたそれらが、一斉に山脈の向こう側へ集まってきていると。

 ……ええっと。

 あまりの情報に、八智は空いた口が塞がらなかった。

「三万って、何人?」

「三万人だと思うよ、八智ちゃん……」

 隣の席に座った熊野に指摘され、そりゃそうだ、と納得する八智。錯乱してちょっとおかしなことを口走ったらしい。

「でもだって、この間はまだ二百人ちょっとだったじゃん? それがいきなり千飛ばして万?」

「向こうもいよいよ本気ということでしょう。ですが統合司令部の推測ではこれもまだ斥候に過ぎないという見方です」

「せっこー……」

 つまり様子見とか偵察とか捨て駒とかそんなあたり。

 三万を使い捨てられる敵。これを凌いでも次は……という意味でも暗澹あんたんとさせられる言葉だ。

 そして、より難題となるのは、

「爆弾もマシンガンも効かない歩兵三万をどう捌けばいいっての……」

 八智たちが技術で克服したはずの人数の問題。

 I.D.E.A.降下軍・揚陸大隊は、遥かなる時間を経て再びこの問題に直面させられたのである。

 現代の軍が、古代、中世よりも遥かに少数の兵で構成されているのは、機関銃の登場が単なる数としての歩兵を無力化したからだ。

 機関銃の登場後に人海戦術で近代軍を一時的に圧した事例も存在するが、あくまで例外。その例であっても、戦線の推移につれて機関銃によって次々と兵隊がひき肉となっていき、戦線は膠着。人数は決定打には至らなかった。

 その後、戦場のハイテク化、高度化が進むにあたって、兵士一人の教育コストはますます上昇し、軍隊の少人数化は進んだ。

 この時代では、八智のように、一人の士官が人間の部下のいない小隊をオペレーターとして指揮するまでになっている。

 だからこそ。機関銃がひき肉にできない大軍は、現代の軍隊にとって最も相性の悪い相手と言ってもいい。

「ええ。いよいよもって情勢は加速度的に悪化しています。――だから、でしょうか」

 浜崎中隊長はため息混じりに言い、そしてスライドを切り替えた。

 表示されるのは、一つの爆弾の画像。


「今回の敵軍の侵攻準備行為に対し、統合司令部は対消滅反応弾の使用を決定しました」


「え……?」

「は……?」

 八智と谷町は、揃って間抜けな声を上げた。

「…………」

 三宅は黙って手を顔に当て、熊野は静かに息を呑む。

 竹橋はいつも通り黙ったまま身じろぎ一つしなかった。

 四者それぞれが言葉の意味を咀嚼する少しの沈黙を置いて、はじめに声を上げたのは三宅だった。

「中隊長」

「なんですか、三宅中尉」

「あの敵に、反応弾が効くということですか」

「計算上は、そうらしいですね。もちろん大気中での初使用なので断言はできませんが」

「周辺への影響は?」

「今回の敵軍の集結地は前線のキャンプ地のような施設です。有効威力圏内に居住する民間人はいません。反応の際にガンマ線は出ますがすぐに拡散します。放射性の残留物は出ない、ということですが」

「…………そうですか」

 そうして、三宅が黙ったのを見て、浜崎中隊長は頷いた。

「君たちの無念もわかります。……我々地上部隊が実質あの敵に対し、無力だと突きつけられたようなものですからね」

「…………」

 中隊長のその言葉に誰も異議を挟まなかった。無言の肯定。

「核、水爆が放射性物質の汚染の問題から使用できない以上、もはやこれ以上の手はありません。採掘の終わった資源小惑星は未だ曳航準備中、戦略軌道レーザーシステムも建造途中である以上、いま持ち出せる最大火力は反応弾をおいて他にありません」

 だから、

「ジョーカーではありますが、ここで切るべき手札ということなのでしょう。残念ながら」

 はじめは、早すぎる、と八智は思った。だが、

 ……そこまで、ヤバイんだ。

 八智とて、未だ兵隊を動かすための兵隊でしかない。もっと上から見た景色には、何が映っているかは知る由もない。

 現場から見える情報と、降りてくる曖昧な情報。そこから想像する他はなく、それが正しいという保証も解答もない。

 たとえ想像で胸が騒いだとて、それは限定的な情報から得た妄想にすぎないのだから。

 八智たち兵隊は、言われたことを、ただ正確にこなすしかない。

「そういうわけで、今回の主任務は反応弾投下後の掃討戦になります。準備が進んでいた対魔法新装備が我々にも供与されていますので――」

「「新装備!?」」

 谷町と三宅がテンション高めにハモった。男子はなぜこういう時にテンションが上がるのかは永遠の謎である。

「ですから、紅茶を片手にキノコ雲の鑑賞会とはいきません。余計なことを考えず、自らの仕事に最善を尽くすことに徹しましょう」



「ツイショウメツ、ハンノウダン、ってどんなものなんですか?」

「んっ!?」

 総督府、総督執務室。

 和貴が昼の軽食をティルと二人で食べていると、いきなり大量破壊兵器の名前が出てきたので危うくむせるところだった。

「……え、あーっと……」

 もうここまで話が回っていたのか、という驚きとともに、和貴は腕を組んで唸る。どう説明したものだろうか。

 帝国に類似の概念はない。翻訳は難しいだろう。物理化学の分野においては特にそれが顕著だ。

 物質と反物質を衝突させ、物質の質量をエネルギーとして取り出す原理を利用した爆弾――とここまで噛み砕いてすら、彼女はきっと理解できない。

 目で見えるものしか知らない彼女たちには、未だミクロの世界での出来事を説明するのは難しい。専門家でなければなおさらだ。

 だから、

「爆発――火山のように、莫大な熱と衝撃による攻撃を行う武器です。瞬間的に広範囲を焼き尽くす、僕らの切り札の一つ、なのですが」

 ティルのために噛み砕ききれば、こうなる。

 つまるところ爆弾であることに違いはないのだから、専門外の人間はこの程度の理解でいい。

 それよりも和貴が気になるのは、

「……ティル様は、反応弾について、何か聞かれたのですか?」

「ええ。それを敵軍に使う、と……。兵器であることはわかったのですけど、あまり皆さん、良い顔をされないでお話しされるので……」

「それは、まあ、そうですね……」

 大量破壊兵器を、まさか本当に使用せざるを得なくなったことについては、和貴も忸怩じくじたる思いはある。

「仮に効果範囲内に民間人がいたとして、それも含めて無差別攻撃を行ってしまう類の兵器であること。……それは、反応弾のような兵器では常に語られる問題点です」

 地球の歴史を学んだものであれば、それを使うと言われてあまりいい気分になる人間はそうそういないだろう。

「それでは、今回の使用でも……」

「今回については、効果範囲に集落等はありません。ご心配なく」

 だからこそ使えるうちに使ってしまおうとなったのだろう、と和貴は上層部の考えを邪推するが、口にはしない。

 なるほど、とティルは頷くが、すぐに自分の疑問が解決されていないことに気付いたらしい。

「……結局、何が問題なのですか?」

「そうですね。……切り札を使う不安、でしょうか。容易に補充の効かない、最大の手札を切ることに不安がないとは言いません」

 降下の際にあけぼしに積んできた反応弾は三つ。残りは月のファクトリーに予備が三つ。それですべてだ。

 所定量の反物質の製造に実に半年以上かかり、管理には細心の注意を必要とするという厄介モノ。それでもわざわざ造って持ってきたのは、環境汚染が最低限で済む、あけぼしが積んで降りられる最大の火力であったから。

 だが、和貴をはじめ大半の降下クルーにとっては、保険やお守り程度の認識であった。それを使う、というのは大なり小なり、ある種の不安を覚えてしまうのは仕方がないことだろう。

「それでも使わねばならない理由とは、どういうものなのですか?」

「それは……」

 切り込むなあ、と和貴は少しだけ困る。

 手元の昼食――帝国麦のパンとローストされた黒羊肉のサンドイッチは半分ほど残っていたが、既にティルの視界には入っていなかった。

 レクチャーのための準備はしてきていなかったので、和貴はその場で頭の中から情報を引っ張り組み立てる。

 その間にもったいないのでまた一切れほどサンドイッチを頬張った。

 十分に味わい、水で流し込むと、和貴は説明を再開した。

「あの数を相手にするには、我々の戦力が、今一歩足りていません。正確には、今回の攻勢はおそらく通常兵器でもギリギリ凌ぎきれるでしょうが――おそらく、そこで息切れになる可能性が高い」

 現在、月および西方大陸のファクトリーは鉱物を掘った端から武器弾薬に変えている。

 ザッフェルバルでも仮設の工廠を建てて生産を始めているが、弾薬と補充部品の確保が精一杯だ。

 対魔法砲弾の生産も急ピッチで進めているが、仮に三万の敵を相手にすれば今の在庫はすべて吹っ飛ぶだろう。

 また、地球で言えば北半球に当たるこの大陸。十二月相当のこの時期、山脈のふもとまで積雪が見られるようになってきた現状で、通常部隊がどこまで正常なパフォーマンスを発揮できるか。

「対して、敵の情報伝達速度は我々に迫る速度です。決断も早い。全滅の報はすぐに届き、それ以上の援軍が届くまでに、消耗した我々が回復できるかといえば、限りなく難しいと言わざるを得ません」

 前回のあけぼし、おおとりの同時砲撃から、敵軍の集結までおよそ一ヶ月。帝国なら伝令が走り、三万もの軍勢を移動させて揃えるのでどれだけ手際よく進んでも三ヶ月は要するところだ。

 次もおそらく、このままのペースを保って軍を持ってこられる可能性が高い。

「かと言って、余力を温存するために今回の敵をみすみす見逃せば、ザッフェルバルを含む東方三領国は壊滅します」

 様子見で引き上げる可能性もあるにはあるが、そんな不確定要素に期待して手を抜く訳にはいかない。

 敵の目的が仮にI.D.E.A.の戦力の調査であったとしても、彼らにとって人間は食糧――有力なその仮説に基づけば何もせずに帰るという可能性は低いと考えざるを得ない。

 画像解析によれば彼らの兵力構成の大半が歩兵であると推察されている。であれば、自力での兵站――食糧などの補給手段は確保していないとみて間違いない。ならば、かつての地球人類と同じく、現地で略奪して調達に走るはずだ。 その餌食となるのは帝国の民に他ならない。

「だから、今回、次に来る敵のために通常部隊を温存する――その目的で反応弾の使用が決定されたのですが」

 ふむふむ、と納得した様子のティルを見ながら、和貴はふと気づく。少し早いが、ここで満葉と考えていたアイディアを話してしまっても良いのではないか、と。

「僕は――僕ら外交部は、ここで一手、加えてみたいと考えています」

「カズキさんが……? どういうことですか?」

 戦いの話をしていたのでは? というティルの瞳。

「反応弾を利用して、魔族との交渉窓口を作ります。……上手く行けば、敵の次の攻撃を大きく遅延させられるかもしれません」

 未だ首をかしげるティル。彼女の疑問に答えるには、もう少し説明が必要だろう。

「少し、詳しい話をしましょうか」

 和貴は説明のため、手元のワンドで壁面にスライドを投影した。



「今回の敵は、兵力自体が桁違いですが――同時にその背後に、敵の影を見ることができます」

 衛星写真。低軌道ステーション“かきつばた”から送られてきた、敵地内を偵察衛星で定点撮影した画像だ。

「このスライドを見て下さい。敵は、ここ……駐屯地ではなく、敵国にある、各地方の都市から来ています」

 時間を追って定点で撮影された画像を切り替えていく。

 CGで強調表示された敵軍の黒い塊が、時間を追うごとに移動する様子をはっきりと見てとることができる。

 それらはみな、点在する各方面の市街地から一斉に出て、山脈のそばへと向かっている。

「帝国に攻め込むために、各地から一斉に集まって来ているということ、ですよね」

「ええ。ここで注目すべきなのは――」

 言いながら、和貴は拡大された画像を幾つか提示する。彼らが掲げる旗、軍旗は同じものではなく、様々な意匠があり、造形も多様だ。 それが示すのは、

「これらの部隊が寄せ集めだという点です」

「寄せ集めだと……どうなるんですか? 弱い、とか……」

 弱かったら確かにありがたいなぁ、と和貴は思わず頬が緩む。

 だが、外れだ。正解は、

「寄せ集め――つまり、リーダーの異なる部隊が、一斉に同調して動いている。これはおそらく高い確率で、この軍を何者か――つまり、君主に類する上位存在があると読んでいます」

「なるほど……。これら一つ一つの群れの独断ではなく、それを束ねる者がいる、ということですね。そうか、帝国も、皇帝陛下の下に総督がいるから……」

 ティルが和貴の言葉を理解したのを見て、和貴は頷いて話を次に進める。

「だから、今回、僕らはこれだけの人数を動員したに言葉を届けようと考えています。そのために、今回の敵に言伝を頼まなければならない」

「言伝……声で呼びかけたり、とかですか?」

「彼らは音声言語を基本的に用いないようです。通常の会話は、おそらく念話で交わされています」

「念話……!?」

 それは、帝国で長らく禁呪とされている魔法。

 敵はそれを日常的に用いている、という発見はティルに限らず、説明を受けたあらゆる帝国人が驚く事実だ。

 だが、使用が基本的に禁じられていた――というだけで、帝国でも上位の法官はその概念自体は知っている。どちらかと言えば、技術的には平易なものにあたる。

 かくいう翻訳術は苦しい言い訳で公認されているし、そのほかにも征伐軍では遠方の仲間の危険を回避しようと似たような術が即席で発現してしまうことはたびたびあった。

 先日のティルが艦内から法官たちを強制的に撤退させた行為なども限りなく黒に近かったが、枢機卿会議で処分なしの決議を経て事実上のお目こぼしを得ている。

 その難易度を考えれば、本来ならばもっと普及していてもおかしくない術だ。限定的とはいえ、皇帝が禁を解けばその後は早かった。

「前回の戦闘で、征伐軍の解析班が念話の傍受に成功したそうです」

「!! 本当に、可能だったのですか?」

「はい。魔力の波長は独特のものだそうですが、思考形態は人間と大差ないため、ちょっとコツをつかめば言語化して認識できるそうです」

 ティルと魔竜のやり取りに類似したような形で、コミュニケーションは可能。それが判明したのは前回の戦闘で得た数少ない戦果だ。

 判った以上、これを使わぬ手はない。

「交渉を持ちかけるには、相手に念話を届かせる必要があります。敵に位置を悟られればすぐに交戦状態となってしまうことも考えれば、可能な限り遠方から呼びかけるのが望ましいでしょう」

「それで、私が――」

 本人も思い至ったのだろう。

 ティルの魔法能力は、かつての巫女地位に相応しくずば抜けている。

「おそらく、必要なだけの距離が取れるのは、ティル様と大神将のお二人くらいです」

「ですが征伐軍の、魔の者どもとの戦いの全権を持っておられるのは大神将閣下です。私ではありません。……なぜ、私なのですか?」

 なぜ。ティルの問いはもっともだ。

 元々が大神将の所掌の任であると同時に、念話でどこまで伝わるかは未知数であるものの、ティルが女子どもであるからと交渉相手に侮られる可能性もある。

 だが、それを差し引いたとしても、

「僕が、貴女を信じているから」

「へ……」

「大神将閣下は確かに、ああ見えて、本来は有能な方です。彼でも良いと言えば良いでしょうが……」

 彼はあくまで武人だ。土壇場の交渉、言葉での駆け引き。それがどこまでできるか、和貴は未だ彼を信用できるような情報を持っていない。

 けれども、ティルは。

「ティル様は僕らの言葉を理解して、別の誰かに伝えることができる。理想を同じくすることができる。それがたとえどんな土壇場でも、即興の言葉を求められたとしても、それが揺るぐことはない」

 先の征伐軍大神将を相手にした交渉を思い出すまでもなく、もう和貴たちは、彼女を信じるには十分すぎるほど共に鉄火場を抜けてきた。

「だから僕は、貴女を信じて、貴女に託します。それがどんな結果であっても、僕らが引き受けます」

「…………はぅ。もったいないお言葉を……」

 顔を隠して縮こまってしまったティル。こうしてみると、年相応の少女に見えるのだけれど。

「ティル様の言葉が敵上層部、あるいは君主まで伝わり、いっときでも判断を遅らせてくれればこちらも正面戦闘の準備を整えることができます。お力を、お貸し願えますか?」

「……はい。喜んで!」

 ほんのり紅潮した笑顔。その瞳の奥には強い意志に満ちていた。

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