第30話 今日から明日へと
静寂に満ちた空間に、ティルの足音だけが響く。
総督府内、大講堂。
ザッフェルバルの重臣たちが一堂に会したその場で、ティルは壇上に立った。
途端に、さざ波を打つように衣擦れと足音が響く。一糸乱れぬ儀礼。彼らの心中は全くその通りでなくとも、その行動は仮にも未だティルを主と認めていた。
「申し伝えます――」
手にした原稿を読み上げる。
カズキたちと相談に相談を重ねて練り上げた原稿を。
「ザッフェルバル総督府警衛長の任にある者、マーロス・ソム・ベルンガ教導官。皇帝陛下の代理たる総督代行の命に背き、独断で忠たる神徒を徒に損耗した汝に、皇帝陛下の名の下、沙汰を告げます――」
*
処分留保。
その知らせは驚きとともに瞬く間に総督府中に行き渡った。
警衛長については処刑もやむなしと目されていたにも関わらず、ティルは警衛長、領主をはじめとした関係者全ての責任を留保。代わりに『次はない』との言明とともに規律の徹底と命令の順守を通達した。
その意図を勘ぐる向きも多く出たが、その後の法官たちの遺骸の回収事業(艦砲とミサイルの着弾を免れたわずかな数だけだが)と、追悼の式典を速やかに手配し執り行ったことで、わずかばかり総督府内での評判は上向きとなった。
処分留保となった警衛長も露骨な反発を控えるようになり、ティルも現執行部との対話を重視する姿勢を見せ、露骨な溝は徐々に埋まりはじめる。
特に最後に戦場にいた九名の高等法官を中心に、ティルの支持層が生まれ始めた。
そうして、総督府の勢力図がゆっくり塗り変わっていく中で、今日もまた法官候補生が国法庁の名簿に一人名を連ねる。
*
「ルバス・ケルスタ――やっぱり、君だったんですね」
書類でその名を見てティルが確信したとおり。その名はあの日の彼だった。
「よ、よろしくおねがい、いたします」
総督府地下。暗黒の中、法官の力に呼応して淡い緑光を放つだけの小さな空間。
大地の御遣いの力が増すように設計されたその聖堂で、ティルは少年――ルバスと向き合っていた。
「緊張しなくても、そんなに難しい儀式ではありませんから」
「ええええはい」
まったくそうはならないルバスの様子にティルは苦笑。
自分もあけぼしの中ではこんな感じだったかな、と少し照れくさい記憶を思い出す。
「では参ります。中央の祭壇に、横になってください」
「はい」
言われた通り、硬い動きだが少年は石の祭壇の上に横になった。
ティルはそれを確認して、杖を構える。
――シャン。
狭い空間に、金属音が鳴る。儀礼仗の音色。閉じ込められるように分厚く響く音に、ティルは意識を引き締める。
「――目醒めよ」
緑光とともに大地の御遣いが呼応する。帝都よりも荒々しい気配の彼らは、しかしここでもティルの存在を認めてくれていた。
鼓動がティルに伝わりながら、ティルは“授典”の儀式を開始した。
授典。法官としての能力を授ける、最初の儀式。
領国教導官以上のごく上位の法官にしか扱うことの出来ない、秘儀中の秘儀。
仰々しい存在感と比して内容はごく単純。対象の身体を膨大な霊力に晒し、その存在を認知させるだけだ。
……そう、それだけ。
施す時期が早いほど、効果が高い。
遅くなるほど、能力は制限される。
十の誕生日は、最後のライン。
つまり彼は、ほぼ最低限の才能しか与えられず、一生のほとんどを最下位の三等法官のまま過ごすことになる。
……余計なことを考えるな、私。
雑念を振り払い、ティルは一心に祈る。ただその行為だけが彼に少しでも多くの力を分け与えるものにならんとして。
「汝、ルバス・ケルスタは目醒める。汝が天と大地の御遣いに祝福されし人たることを。そして告げよ。汝が御遣いに届きし言葉を解する人たることを」
ティルは祈る。こころから。
「汝の道行きに、創世神の祝福と、天と地の御遣いの愛が満ち溢れんことを――」
その言葉が真実とならんことを。ただ、こころから。
*
ティルが総督代行の座についてから五人目の授典は、滞りなく終わった。
さして困難な仕事ではない。今日もこの後からI.D.E.A.との会議の予定が入っていた。
先を急ごうと手早く地下の聖堂を出ようとすると、
「か、閣下!」
「はい?」
「あの……ありがとうございました!」
そう言ってルバスは膝をついき、頭を下げた。少し型とずれている部分もあるが法官としての最敬礼。
正式な叙階はまだだから、親の見よう見まねだろう。
「か、閣下のお力になれるよう、身命を賭し、全力で職務にあたる所存であります。ですので、どうか、お見守りください」
以前の“かげつ”での会話より、さらに形式張った言葉。自分は法官として仕えるのだ、という意思表明だろうか。
震えながらの彼を見て、ティルは少し微笑み、
「はい。貴官の活躍に期待しております。……ケルスタ準法官」
敢えて、その名に位階をつけて呼んだ。
それは、法儀を扱えない兵士と、見習い法官が与えられる位階。
正式には未だ与えられていない――だが、間もなくそう呼ばれることになるだろう彼へ。
君は、確かに法官への入り口に立ったのだと。そんな僅かな励ましになれば。
「は、はい!」
顔は下げたまま、喜色を含んだ返答に、ティルはその思いが無事届いたと知った。
*
「で、お話ってなんですか満葉ちゃんどの?」
ザッフェルバル領都、城壁内。西門にほど近い路地裏。
空港と総督府の往復経路上に設けられた喫茶店の中で、満葉は八智、それに熊野と向かい合っていた。
「ああ。いや、いつものことさ」
飲み慣れた合成コーヒーにミルクを注ぐ。ザッフェルバルの牧場でとれたという天然物だ。ゆっくりスプーンでかき回しながら満葉は言う。
「これまでのこと、互いの情報交換会のようなものだ」
「うっわ堅苦しー。女子三人がおしゃれカフェに雁首揃えてする話ですかソレ」
八智がおしゃれと評するとおり、店内は旧いヨーロッパをイメージさせるようなシックで落ち着いた上品な空間。
あけぼし乗員の福利厚生の一環で、降下支局建設部がノリノリで設計、降下軍第三大隊の工兵中隊がテンション高めに施工したという店内は、路地裏という立地も相まって、実に雰囲気のある隠れ家的カフェと言えた。
今のところ客はあけぼしの乗員のみ。支払いが電子マネーのみとなっているのと、そもそもザッフェルバルでは飲食店という概念が人々に周知されていないためだ。それでも予約必須の人気店である。
満葉は艦内でもよかったが、八智が持ち前の行動力で三人の休みが合う日の予約を取ってきたというので、相伴に預かっている。
「まあ、お望みなら後でゆるふわトークにでも付き合うが。で、どうだった? 貧乏くじ中隊」
「それやめてよもー。もう可及的速やかに返上したいんだけど」
「大変おはずかしいおはなしで……」
実戦経験豊富、裏を返せば降下軍の歩兵十二個中隊の中で突出して実戦に放り込まれている、不幸中隊。それが第一揚陸機動大隊、第二歩兵中隊についたあだ名なのだった。
「今回も派手に装備ぶっ壊して報告書大変だったんだからね……?」
「おかげでこうして君らはあけぼしに帰ってこれたじゃないか。結果オーライだったな」
今回の戦闘での消耗を考慮して、ローテーションに従いざんげつが上空警戒に上がり、代わりにせいげつがルタン空港に駐留となっていた。
かげつは今、あけぼし艦内に収容され補給と点検を行なっている。それに伴い第一大隊も補給とVR訓練、及び領都周辺警備へと任務を移していた。
「まあそうだけどさー。訓練は訓練で地味にメンドいし……」
「中隊長、スパルタさんですもんね……」
二人揃って目をそらす。ドSメガネとの異名(中隊内限定)を持つ浜崎中隊長は現在も絶好調らしい。
「それに、あけぼしの警備室に詰めてるとあの夜を思い出すんだよね……」
「あはは。八智ちゃんとわたし、初動から担当だったもんね」
二人が話すのは、魔族の手先と見られる魔法使い二人が不法侵入した事件。八智と熊野が夜勤中に起こった、第二中隊の不幸のはじまりとも言える事件だ。
満葉も状況対応に一役買うことになり、あの功績で大きく上の信頼を得られたのは大きかった。
……実際は、閣下ちゃんの力だが。
思い返すに、満葉たちは降下以来魔法にはとことんひどい目にあわされてきている。だが、現状では魔法に対してはほとんど力押しで乗り切るしかないのが現状だ。
今回のルタン遭遇戦も、ようやく辛勝というふうだったようなのだが……。
「あの時も今回も、捨てゴマ最前線は辛いっすな……」
八智はエスキマ果汁入りの、合成紅茶をすすりながらしみじみ言う。
「つらいねー」
熊野も並んでカデント(いちごに似た味覚のザッフェルバル特産果実)スムージーをストローで口にしながら同意。
「お前らには苦労をかけるな」
「何をおっしゃいますやら。コレがあっしらの仕事でさぁ。……でもね、一つ言わせてもらえば――」
声色を作って八智が芝居がかった風に言う。不意に顔を俯けると、手にした紅茶をぐいっと飲み干し、
「魔法って。あんなんチートよチート! 神様が物理法則作り間違えたんじゃないの。ほんと洒落にならんですよ、まったく。おねーさんびっくりだわ」
「八智ちゃん、なんかそれよっぱらいさんみたいだよ……?」
「酔っ払いたくもなるってもんさクマちゃん。やけ酒やけ紅茶もういっぱい持ってこーいって。……あ、メイドさん、エスキマティーおかわりー」
かしこまりました、となめらかな音声で応えるのはやはり
内蔵型AIよりも遥かに高度な処理能力を持つため、人間の無茶振りや抽象的な依頼への対応能力が高い。そのため、こうした接客や医療補助などに運用されている。
「そういえば、君らも
「不自由……ねぇ」
「たしかに、ちょっともどかしいところはあるかもですけど……」
「正直。いまこうしてのんきに生きてられるのって、あの子たちが代わりになってくれたからだと思うのよね」
珍しく真面目な表情で、八智は言う。
真面目を装っているのではないと、満葉はすぐに解った。過剰な抑揚が抜けた、それは八智の素の言葉だ。
「人間と同じだと思って指揮はしてるつもりでも、ダメだった。だから、なんというか。……こんな私が現場に出たら、あっという間にお陀仏ですよって話かな。なはは」
しかし固い空気はすぐに引っ込み、八智はごまかすように笑う。
熊野もそれを察したのか、笑顔のまま付け加える。
「わたしも八智ちゃんとおなじです。きっとすぐにたべられちゃいますから」
「……そう、か。不満に感じていないのなら、いいさ」
満葉もそれ以上は追及しない。
「ともあれ、君たちとアンドロイドたちの犠牲のおかげで、早速部隊の再編が始まってる。ざんげつの第二大隊が試験編成で展開中だ」
「あー知ってるそれ。早速ファクトリーから補充装備もらったって。いいなー後発どもは」
唇をとがらせる八智。そこに「エスキマティー、おかわりでございます」と機械メイドが淡々と紅茶を出した。
八智は受け取るやいなや、しこたま天然ミルクと砂糖をぶっこむとぐりぐりとかき回す。
「なに、まだレールガンの補充が来ただけだ。対魔法兵装の開発は進んでいると聞く。熊野さんは、科研の友人からそのところ聞いているか?」
「うん。はるちゃんはいま魔族の剣をしらべてるって。帝国のともちがうみたいで、まだまだわからないみたい」
「そうか……あの剣と同様の機能を銃砲の弾に援用できれば、ずっと戦いやすくなるだろうが……」
「まだまだ様子見だねい。……あ。進展といえばそっちはどうなのさ。ティルちゃんとかずきっちゃんは進展してんの?」
「亀の歩みというところだ。仕事熱心でな。今日もその件で面白い話をしてきたんだ」
「面白い?」「おはなし?」
二人揃って首を傾げる。
「ああ。二人で仲良く企んだらしい。明日には早速動くということだが――」
満葉はコーヒーを口にする。合成モノよりもまろやかな口触りに笑みを浮かべながら、
「さて、うまくいくといいんだが」
*
「ああ? なんだって!?」
ある朝。ファドル・リフオン城塞に素っ頓狂な声が響いた。
魔の者どもとの境界線。南北に長い線のほぼ中央に位置する、征伐軍大神将の居城。
いわゆる、最前線の中枢部。
その最奥の居室で、半裸の男がボサボサの頭で寝ぼけ眼をこすりながら叫ぶ。
「聞いてねえぞそんなの!」
そんな姿を見て、彼が当の大神将の位を与えられた男だと、顔を知らぬ人間が見て何人が信じるだろうか。
副官を務める男、筆頭副将はため息とともにその無惨な光景から目を逸らしながら続ける。
「だから、ザッフェルバルの総督代行が間もなくいらっしゃると……」
「我は昨日たらふく
「それ毎日じゃないですか閣下。敵を察知するためって……」
「呑まなきゃ見つかんねぇんだよ! ……じゃあ文句言うお前は呑まずにやれんのかよ。北の果てから南の果てまで余さず敵を見つけられんのかよ」
「いや、そんな滅相もない……」
ナクラは確かに大地の御遣いとの交歓を豊かにし、感覚を広げる神の水とされている。
同時に、過剰な摂取は心身の不調を引き起こすことから、扱いは厳重にと法にも明記されている。
だが、大神将はほとんど毎日浴びるように呑んでいた。
確かに最初は敵を察知するために使用していたのだが、
……多分、呑み過ぎですよね。
筆頭副将の見立てでは、心地いい酩酊感を伴うそれに溺れるため、大神将は近年、必要以上に神水を呑んでいるようだった。
「じゃあいいじゃねーか。防衛任務の邪魔だから――ってことにしとけよ」
「しかし、この会見は皇帝陛下の勅命でもありますので……」
「いつ決まったよ!? 我は聞いてないぞ!」
「昨日……皇帝陛下より閣下宛の勅書を頂いた旨ご報告申し上げましたら『あーはいわかったわかったその辺に置いといて』と仰られましたので執務室に――」
「記憶にない」
「呑み過ぎですね。そう思って本官の判断で予定を組んでおきましたのですみやかにお着替えを」
「何お前勝手に!?」
そこへ伝令が飛び込んできた。
「お話中失礼致します。筆頭副将閣下。見張りがザッフェルバル総督代行の隊列を視認いたしました! ご到着まであと数刻ほどかと!」
「ご苦労。……ということです。神将閣下、どうぞお早いご準備を」
「くっそ……まんまとハメられた……」
「いえ正当な職務ですから。頼みますよ、神将閣下」
へぇい、という間延びした返事に、筆頭副将は今日何度か目の頭痛を覚えた。
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