第26話 災禍が来たれば

法官クァジオッド”とは、帝国政府から魔法を使う許可を与えられた人間の総称だ。

 帝国語での“クァジオッド”の原義は“法を行うもの”である。その本質は神官であり、裁判官とされている。だが、神権の強い帝国では官吏としての性格も強く持つ。だから、あけぼしでは“法官”の訳が一般に使用されていた。

 実際、祭祀や裁判のほか、徴税や医療など様々な業務も彼らは負っている。

 その中でも最も人数が多く、存在感が強い職務は軍警としてのものだろう。

 魔法使いの兵士たちと、その親玉たる魔法使いの貴族たち。

 その二種類が、明里たちから見た法官の大雑把なイメージなのだった。


「――今、襲い来るものがあります。この領国に暮らす皆さんが危惧していた、恐るべき敵が。しかし、私は知っています。なおもこの場に立ち続けることを選んだあなた方は、決してそれを恐れてなどいないと!」


 空港の仮設ターミナルの前。そこに法官たちがずらりと並んでいた。

 大半は一等法官以下のいわゆる下士官や兵卒たち。その中に紛れて士官に相当する高等法官の姿もあった。

 さらに将官クラスに当たる教導官は、演説を続けるティルのそばに控えて並んで立っている。

 そんなミニ演説会を少し離れた場所で見ていた明里は、小さく肩をすくめた。

 ……ティルちゃん、さすがだなぁ。

 原稿はほぼない。指揮官であるベルンガ警衛長とのわずかな打ち合わせだけであの場に立ったティルだったが、政治家もびっくりの演説をしてみせていた。

 祭祀の象徴として幼少から叩きこまれた度胸と、普段から領国について思い悩んでいるからこその言葉があるのだろう。よくもまああんなにスラスラと言えるものだと、明里は感心しきりだった。


 ――空港に集まっている法官たちに総督代行として声をかけたい。ティルの希望に、明里と柚歩は空港に着いてすぐ、ティルの変装を元に戻した。

 町娘風の衣装から、空港のロッカーに預けていた正装へ。髪に張り付けていた粉末状の偏光ナノマシンも回収し、髪の色はすっかり元の銀髪に戻る。

 本来の姿になったティルが更衣室から出たのを見て、外で待っていた男の子は目をまんまるくした。

「……あんた、は?」

「申し遅れました。私はティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリア。皇帝陛下より領国教導官ガスタル・ルドラ・クァジオッドの位を賜り、ザッフェルバル総督の代行を任じられし者です」

 ティルが堂々たる声色で名乗ってみせると、男の子はぽかんと口を開けて何も言えなくなった。その姿を見て、明里は一人笑いを噛み殺していた。

 だが、男の子にしてみれば驚くのも無理はない。彼女は先程まで、見た目だけなら完全に『そこらへんの町娘』そのものだったのだから。

「あなたのお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 正装を着こみ、すっかり意識が総督代行のそれに切り替わったのだろう。小さな、しかし優雅な礼とともにティルは問いかける。

 どこか艶やかさすら感じさせる姿。男の子は真っ赤にした顔をそむける。

「ルバス、だ」

 自分の名を答えるのが精一杯。そんな絞りだすような声だった。


「――誇り高きザッフェルバルに立つ諸君らなら、必ず勝てると信じております。そして私もまた祈りましょう。困難に立ち向かう諸君らに、はじまりの神と神子たちの加護のあらんことを――」


 そうして、今。ティルが大勢の法官たちを前に激励の言葉を投げる姿を、ルバスと名乗った男の子はぼんやりと見ていた。

「ティル様、かっこいいっしょ?」

「うん、すげぇ……」

 冗談めいた明里にも、少年は言い返す様子はない。その目にはただ憧れの光だけが宿っていた。



「ありがとうございました。総督代行閣下。法官たちの士気はますます高まっております」

 演説を終えたティルに格式張った礼を取る初老の男性。ベルンガ警衛長だ。

 ことあるごとにI.D.E.A.の――特にかげつの仕事に注文をつける総督府の重臣の一人。ティルの苦手な相手だった。

「いいえ。私がやりたくてやったことですから」

 指揮官が彼だろう、ということは予想出来ていた。なんとか言葉をかけなくてはならない、とも考えていた。

 けれど、いざ前にすると世辞や様式以上の言葉が出ない。

「本当に行かれるのですか。空の上の船などに」

 自分よりも遥かに年上の男の、静かに、けれども確かな威圧のこもった言葉。

 気圧されそうになるが、ティルは背を伸ばしたまま言い返す。

「ええ。そこからなら戦場を見渡せると伺っておりますし、貴公へ声を届けられるとも」

「……お言葉ですが、彼らは全く怪しげな術を用いる連中です。そんな奴らの手を借りずとも、我々は戦えます」

 明らかな侮蔑のニュアンスすら感じられる、冷淡な言葉。I.D.E.A.のことを本当に嫌っているのだろうと解る。

 でも、とティルは疑問に思う。本当に領国を、民を思っていれば、どうしてそのために働いている彼らを嫌うことができるのだろう、と。

「貴公も、無理はなさらずに。法官たちを無為に死なせることがないよう、お願いします」

「ご心配に及びません。我が兵は死すら恐れぬ勇猛なザッフェルバルのつわものです。必ずや勝利を手にし、凱旋いたしましょう」

 思ったように言葉が通じなかったことに、ちくり、と胸が痛む。そしてカズキの言葉が脳裏によぎった。

 ――敗北するとなれば、可能な限り被害の少ない早期に撤退するよう――

 伝えなければいけない言葉は、しかし、相手の胸には届かなかった。

 そして、ティルは悟った。カズキが付け加えた言葉の真意を。

 ――ティル様はどうか彼らの引き際を見誤らぬよう――

 それはあまりに酷な――しかし、だからこそ他でもないティルが為さねばならない、重責だった。



 演説を終えたティルたちは、空港に降りてきていたトビウオに乗り込んだ。

 さして時間もかからずトビウオはかげつに着艦。格納庫に降ろされたティルたちは

案内のロボットに先導されて目的地へと連れられた。

「うわぁ……」

 戦術管制室と呼ばれた広い部屋。天井は低いが、横に大きく取られた空間がその規模の大きさを物語る。

 横に長く壁面に映る図像は戦場と情報を示し、そこに立つ兵隊たちを映していた。

 扇状に長く伸びる机は様々な機器を載せて光る。それを前に座る人々は、みな一様に緑の制服を着て眼鏡のような装飾を着けていた。

「すっげー……なんだこれ……」

 男の子、ルバスも驚いているようでキョロキョロとせわしなく左右を見回している。

 その中で、不意に机の中央付近に座っていた人間が立ち上がった。

「や、みんな。いらっしゃい」

 手を振りながら近づいてきたのはヤチだった。他の皆と同じ様に、彼女もまた眼鏡のような装飾を身に着けていた。

「ちょいとピリピリしててごめんね。向こうで大隊長、ツヅキ中佐どのがお待ちだよ」

 普段の彼女からすれば思いのほか硬い声。それだけ戦いが目前に迫っているということなのだろう。

 それを察してティルも「ありがとうございます。ヤチさん」と一つ頭を下げるのみ。明里たちも軽い会釈だけで、一緒に案内された場所まで歩いて行く。

 そこでティルたちを迎えたのは、壮年の落ち着いた風貌の男性だった。

「ようこそおいでくださいました。総督代行閣下。私がここの指揮官をしている、ツヅキと申します」

 穏やかに手を広げてそういった彼が『ツヅキ』と呼ばれた軍人。大隊長――つまり彼こそがティルたちの入室を許可した、この部屋で最も偉い人間だという。

「ご覧のとおり慌ただしくしておりまして、残念ですがまともなお構いもできませんが、どうぞお気の済むようになさってください」

「ご迷惑をおかけします。ツヅキ大隊長。無理を聞いていただき、感謝しております」

 ティルの返礼に、しかしわずかな間が空く。翻訳魔法はまたも不発だったらしい。

「ええと、文化研究所の伏原明里です。総督代行閣下は――」

 その様子を見てとった明里は、一礼を挟んですぐさまティルの言葉を訳してツヅキ中佐に伝える。中佐は一つ頷いた。

「こちらに仮設ですが席を用意しております。狭い場所ですが、どうぞ」

 案内された席は、扇状の席から少し離れた場所。司令台と呼ばれる机のすぐ横。ツヅキ中佐の席の側だった。

 そこにはI.D.E.A.の軍人たちの他に、高等法官の礼服を着た人間が一人いた。

「閣下。ごきげんうるわしゅう」

 かげつには、常に一人の高等法官が詰めているとティルも聞いていた。

 警察権は総督府が持っているものなので、かげつが盗賊の制圧などを代行する場合、執行前に“それが帝国法に照らして本当に捕らえていい相手か”判断を下し、代行を承認するためだから、という。

「ご苦労さまです。此度のこと、そなたにも苦労をかけるかと思います」

「とんでもありません。私はただ自分の役目をまっとうしているだけでございます」

 慇懃なやり取りはそれで終わった。彼についてティルも多くを知っているわけではないので、振るべき会話も見当たらなかった。

「閣下。では、僭越ながら私がこの部屋の簡単なご説明を致しましょう」

 そんな様子を見て取ったのか、ツヅキ中佐が前面の光る図像を指して言う。

「この場は戦場に出した兵器や情報機器から集めた情報を集約し、現場にいる部隊を指揮統制する場であります。今回の戦いに際しては、我々はまずこちらで情報収集と分析に努める方針であります」

 直接の手出しはしない、と暗に告げる言葉。カズキに聞いたとおりだった。

 ティルも今さらそのことにとやかく言うことはなく、「はい」と頷く。

「現場の法官たちにも、指揮官クラスの方には通信機を貸し出しています。まずはこれを通じて、こちらから簡易な情報支援を行います。閣下も何か気づいたことがあればお伝え下さい。どうしても“現場の指揮官では気づかないこと”もあります。閣下は実質の最高責任者でございますから」

 そう言って、ツヅキ中佐は自身の机に置いてあったメガネを手にとり、ティルへ差し出した。

「“ヘッドセット”です。どうぞお使いください」

「これは、皆様が付けていらしゃる眼鏡……」

「管制室の指揮システムと連動する情報端末です。視界を覆うグラスに文字や図を視界に重ねて表示する機能もありますが――今は音声をやり取りする機器としてお使いください。この右側から伸びたマイクとイヤホンで、同じ機器を使う相手と音声通信が可能です」

 眼鏡を掛けてみれば、ツヅキ中佐の言葉通り、ニホン語やその他数字記号などの文字情報が視界に重なるように表示される。

 重要な情報なのだろうが、ティルには残念ながらまだ情報として受け取れるほどの語学能力はなかった。やむなく無視することにする。

 イヤホンとマイクについては、あけぼしにいた頃に使ったことがあったので、なんとなくその機能は解った。通話相手を選択することもできるようだったが、ティルは細かい操作方法を学ぶことを断念し、ひとまず現場に出ている法官たち全員に通じるよう設定してもらった。

「では、現在の状況を簡単にご説明いたしましょう」

 そう言って、ツヅキ中佐は自分の席の端末の図像を一つを指差す。

「彼らの作戦はこうです。――まずは、先行して森に入った小部隊が森に火をつけ、敵集団を森の外へと炙りだす」

 森のなかに表示されている赤い大きな集団。これが敵軍。

 その背後左右に存在する小さな青い集団が、火を放つと説明された味方小部隊らしい。

「そうして森から炙りだされた敵を主力部隊が攻撃し、背後から火を放った部隊と挟撃する、と。作戦としては数の利を最大限に活かそうという、ごくシンプルなものですね」

 ……そんなに簡単に行くものでしょうか。

 敵は騎兵込みの三十余騎だという。征伐軍が十五人で奇襲をかけ、十人を失い敗走した相手。

 いま、ザッフェルバル警衛長率いる臨時討伐部隊には五十を超える法官がいる。

 だが、相手は魔の者どもだ。

 ……言い伝えでは、雑兵でも、高等法官に匹敵する魔法を操るといいます。

『彼らは魔に魅入られた、ヒトならざる悪魔。ゆえに人間が御遣いの祝福を得るよりも遥かに簡易に、強力な呪いの力を得ることができる』

 建国直後の先人たちが残した書物には、繰り返しその警句が記されていた。

 だが、先人がその悪魔に対し、どのように対処したかまでは知らなかった。巫女たる自分には必要はないと他の本を読む時間にあててしまっていたからだ。

 警衛長は魔の者どもについてどこまで知っているのだろうか。その点にふと思いを馳せ、ティルは愕然とした。

 ……わからない。

 臣下たちが何を知って、何を知らないのか。何を考え、どう動こうとしているのか。

 ティルはそのほとんどを理解できていなかったことに気づいたのだ。

 思い返せば、自分の意見――言い換えればカズキたち外交部から上がってきた助言――を通すことに必死になって、臣下たちが何を考えているか、全くと言っていいほど意識を向けていなかった。

 彼らは何を知っていてこんな作戦を立てたのか。何を知らずにあそこへ向かっているのか。

「先行部隊、アルファ、ベータともにまもなく配置につくとのことです。――討伐本隊、移動を開始しました」

 扇状の卓の右手側から声が上がる。悩むティルを置き去りにするように状況が動き出した。

 報告を上げた彼らは偵察を司る部隊の人間だという。そう告げたツヅキ中佐の解説はティルの意識を上滑りして流れていった。

 画面の上、二つの青い味方の群れは、作戦で決められた通りの場所へ近づきつつあった。やがて二つの部隊が地図上で停止。ちょうど赤い敵の背後を取った。

 最も大きな味方集団、討伐本隊と三方向から包囲するような形だ。

 同時に、本隊と呼ばれた青い集団も敵に向かって前進を開始。カメラからの映像には上から見た法官たちの行進が映っている。

 そこに新しい動きが起こった。

「敵集団、歩兵のみを左右に分断したもよう――」

 敵の集団を示す赤い表示。それが大きく横に広がった。

 ちょうど十ずつの歩兵が左右に分かれ、

「――アルファ、ベータへ向かっています!」



《エレダ! ブルオム! そちらに敵が向かっている。直ちに着火、迎撃に移れ!》

 戦域図上でアルファと呼称された、左翼後方に位置する先行部隊の片割れ。

 その指揮を預けられたエレダ高等法官は耳の中に自分を呼ぶ声を聞いた。

 ベルンガ警衛長の声。“へっどせっと”なる声送りの装飾具を通じた言葉だ。

「敵が近いらしい。急ぐぞ。法儀用意」

 エレダは部下に告げながら錫杖を掲げる。部下たちも同様に錫杖を掲げた。

目覚めよヤ・ソアール大いなる炎レ・ダウルン……!」

 シャン、シャンシャン。

 聖歌と鉄具の音が一斉に空間を満たす。大地の御遣いが反応し震え、エレダたちに力を貸そうと集まるのを感じる。

 十分に魔力が収束したことを感じたエレダは、

「呑み込め、大いなる――」

 火を放とうとした。その時、エレダは背後に殺気を感じた。

 まさか、という予感を行動に移す間はなかった。首筋に衝撃を感じ、エレダの視界はぐるりと宙を回った。疑問を口にする前に、頭は地面にたたきつけられた。

 声はついに出なかった。なぜならその喉は既に胴体と繋がっていなかったのだから。

『キュルルルル』

 意識が途切れる直前にエレダが聞いたのは、爬虫類の鳴き声のような甲高い音。

 逆さまの視界から最期に見たのは、首の離れた部下の胴体が鮮血を吹き上げながら倒れゆく姿だった。



《エレダ、どうした!? 答えろ! ……ブルオムも、返事をしろ!》

 一瞬の出来事だった。だがティルは見た。壁面に映し出された映像に、その瞬間は間違いなく捉えられていた。

 十匹のトカゲ兵。樹上に潜んでいたらしい彼らが、手にした片手剣でエレダ隊全員の首を刎ねたのだ。ほぼ同時だった。

 ブルオム隊もさして間を置かずに同じ末路を辿った。両部隊とも、あの場にいた誰もが、応戦どころか回避することすらできなかった。

「やはり……一筋縄ではいかない相手のようですな」

「はい……」

 ツヅキ中佐がどこか他人事のように言うのを、ティルは唇を噛み締めながら聞いていた。ああなる前に、自分はもっと何かできたのではないか、と。

 そして、今すべきことはなんだろう。いくら問うても答えは自分の中にない。それが余計に焦りを生み、ティルの目尻に涙を浮かべた。

「あれは……何をしているのですか」

 ふと、ツヅキ中佐から発せられた疑問の声。前面のモニターに目を向ければ、倒された法官たちの遺体に勝者となったトカゲたちがたかっていた。一心に首のなくなった遺体の装備を剥ぎ取り、捨てはじめている。

「あれは、おそらく――」

 ティルは、ツヅキ中佐の疑問に答えようとした。書物の上で得ただけの知識を。けれども、そのおぞましさに続く声は出なかった。

 だが、ティルが答えずとも、画面の中のトカゲどもは着々とその意図を実行する。

 革鎧や金属鎧を取り去り、その下の服まで刃物で裂いて剥ぎ取った。

 そしてようやっと露出した遺体の肌に、


 ――大顎を開け、かぶりついた。


 一匹がそうしたのを皮切りに他のトカゲ兵も続く。やがてその場にいたすべてのトカゲたちが首を失った遺体を貪り始めた。

「なっ……!」

 I.D.E.A.の軍人たちから一斉にざわめきが上がる。何をやっているのか、と。

 ティルは身がすくむ思いで、しかし惨状から目をそらさぬまま、つぶやいた。

「見ての通り、です……」

 ――魔の者は、人を喰う。

 それに例外はない。あるいは、人を喰う者をその所業から“魔の者”と呼んだのだろうか。だが、彼らの行動原理は最終的に一つだ。

 彼らは、好んで人を喰らう。

 境界線が安定するまでは、村が丸ごと喰い散らかされることも珍しくなかったと書物にはあった。

 征伐軍にかつて所属し、足を喰われたという法官がティルに謁見し、その仔細を語ってくれたこともあった。彼の経験もまた、伝承と大差ない悲惨な物語だった。

 いま目の前にしているものも同じ光景だ。

 ティルは初めて見る。だが、これは先人が直面し、幾度と無く国境線で繰り広げられてきたものと、同じ光景。

 そこにあったのは戦争の勝者と敗者ではなかった。自然の摂理。肉食獣が草食獣を襲うのと同じ、厳然たる捕食者と被捕食者の関係だった。

「酷い……」

 管制室の誰かがつぶやいた。口には出さずとも、この場にいた誰もが同じ思いを抱いていただろう。

 やがて、満腹になったのか、それとも飽きたのか。肉の半分を残して、遺骸はその場に放置された。

 その場に残されたのは法官だった者達の残骸。食べ残しとなった彼らだけが、そこに置き去りにされた。

 誰もが呆然としていた。偵察部隊の隊員が声を上げることができたのは偶然か、あるいは耳元から響いた警衛長の悲鳴のおかげだったのだろう。

「ッ! ――敵本隊に動きあり!」

 どこにカメラを隠してあるのだろうか。切り替わった映像は、森のなかからトカゲ兵たちが次々と弓を放つ姿が映し出されていた。

 対する味方を映すカメラには、降り注ぐ矢に次々と倒れる法官たちの姿があった。数本の矢を弾いただけで、防御法儀がその効果を失ってしまう。おそらく矢の一本一本に強力な魔力が封じられているのだろう。

 防御を国法の奇跡に頼りきった法官たちは盾もまともに持っていない。もはやこれまでかと思われたその時、二人の高等法官が宙に巨大な耐魔障壁を放った。

 貫通の魔力を二重耐魔障壁で受け、伴った炎で同時に矢を瞬時に炭化。無力化に成功した。

 だが、素人目にも敗北は明らかだった。

 頼みの綱であった数も十分とはいえない。全滅した二つの先行部隊、計十名と、今の矢雨で死傷した人数を差し引けばとても有利とはいえる数ではない。

「……残念ですが、作戦は失敗ですね。閣下、こちらの調整はついています。これ以上の戦闘は、被害を増やすだけかと」

 ツヅキ中佐の言葉にティルは頷き返す。大隊長が同意見であることに勇気を得て、ティルはヘッドセットの右耳部分にある通話ボタンを押しこんだ。

 通話可能の記号が表示されたのを見て、ティルは精一杯の声を張る。

「総督代行、ユーディアリアです。ベルンガ警衛長、作戦は失敗しました。全法官に後退の命を!」

 その声を聞きつけたのか、突如、横にいた高等法官が立ち上がり絶叫した。

「後退ですと!? 冗談ではありません! 閣下は! 彼らの、あの戦士たちの最期をお見届けにならなかったのですか!?」

 その剣幕にティルは思わずたじろいだ。だが、失敗は失敗だ、と奥歯を噛んでこらえる。

 これ以上、他の者はああなってはならない。その一心で撤退を訴えているというのに。

 ……彼は、それでもなおも戦えと仰るのですか!

「ハッキリと見ました。見たからこそ、この作戦は――」

《閣下》

 言い返そうとしたティルの言葉を、通信機からの返答が遮った。ベルンガ警衛長だ。

《閣下は、我々の恥辱をそそぐ機会も、仲間の仇を討つことすらも許さないとおっしゃいますか》

 落ち着いた言葉。けれども、言わんとすることは横の高等法官とは変わらない。

「そうは言っていおりません! ですが敵は強力です。このまま戦っても敗北するだけです!」

《いま下がれば確かに敗北です。ですが、申し上げましたとおり、我々は誇り高きザッフェルバルのつわもの。この程度の損害で、トカゲモドキなどに敗れはしません》

 屁理屈にもなっていない。何を根拠にそんなことが言えるのか。

 折れぬ相手に、ティルはなお意思を込めて命じる。

「認めません。総督代行として命じます。作戦を放棄して、その場から撤退しなさい」

 だが、言葉は通じなかった。

《では、忠臣として進言し、行動させていただきます。我々に敗北は認められません。この一命に代えましても、我がザッフェルバル領国警衛隊は必ずやあのトカゲ共を血祭りにあげます。そしてエレダたちの無念を晴らし、御身に勝利を捧げましょうぞ》

「……ベルンガ警衛長!」

 もはや幾度呼びかけても、一切の返答はなかった。 

 画面の中の法官たちが、再び動き出す。



「ふん。操り人形の小娘が……」

 ベルンガ警衛長は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 相手が強敵であることはベルンガ警衛長も承知の上だ。

 だが、仲間が犠牲になったのだ。その仇を討たずして、何が武人か。

 そして、わずかでも仇を討てる可能性を前にして、敵に尻尾を巻くなどということは、それこそザッフェルバルの武人としてあってはならぬ愚行である。

 その程度の道理もわきまえぬ小娘に、指図をされるいわれなどない。

 帝都の籠の中でぬくぬくと育ち、奇怪な異民族に洗脳されきったユーディアリアの小娘の言葉など、ベルンガ警衛長にとっては取るに足らぬ傀儡の言葉だ。

 臣下がその価値を認めぬ総督など飾りに過ぎない。君主の言葉が意味を持つのは、臣下が本当の意味で君主を信用に足ると認めた時だけだ。

 それに、

 ……この機会を逃す訳にはいかぬ!

 今回ばかりは、あの異民族から、余計な指図は受けないとの約束を取り付けたのだ。

 ザッフェルバルはザッフェルバル人自身の意思と力で生きていくことができると、この場をもって証明する。

 刺し違えても、トカゲ共を殲滅する。そうでなければ、犠牲になった者たちも浮かばれない。

 決意とともに、ベルンガ警衛長はありったけの声で命じた。

「行くぞ! ナッサ、ガロンゾは火炎の盾をそのまま、法儀隊、森に火を放て!」

 命じれば、遠距離魔法隊である法儀隊が喚び出した火が一斉に木々へ襲いかかる。火焔は一気に森を呑み込まんと広がる。だがそれはすぐに消え去った。

 敵の魔法だ。こちらの法儀を打ち消したらしい。

「怯むな、放ち続けよ!」

 だが、押し切れない。法儀隊が全力で聖歌を唱和し、戦音杖を鳴らしているというのに。

 火は瞬く間に力を弱め、やがて完全に力を失う。

 ……魔の者どもめ……!

 音もなく、いったい何を捧げてそれだけの力を手にしているのか。一説によれば人間を生贄にして手にした力というが――

「斯くなる上は」

 手段は選べない。打つ手がないというなら、正面から叩くまで。

 ベルンガ警衛長はためらいなく言い放った。

「突撃である!」



 ティルは、呆然と法官たちが森の中へ飛び込むところを見ていた。

 遠距離魔法は森の中では不利であるという判断からか、法儀隊は退却。十人少しの法官たちと負傷者を後方に下げ、残る全員での正面突撃。

 ツヅキ中佐は「バカな、自殺行為だ」と小さく呟いた。それを聞いたティルはもう一度退却を呼びかける。しかし法官たちはなおも一直線に森のなかを突き進んでいった。

 法官たちが森に入ったことを察したのだろう。トカゲ兵たちも再び動き出した。

 大きな四足歩行の地竜に乗った指揮官らしいトカゲは二足地竜に乗った騎兵に守られて後退。代わりに先行部隊を狩ったトカゲ歩兵たちが法官たちへ向かう。両側面から法官を挟撃するように、トカゲたちは木々の合間を突っ走る。

 法官たちはまっすぐに敵将へ目指して直進した。大地の御遣いの加護を受けて、法官たちの進軍速度は入り組んだ木々を縫ってもなお常人を遥かに上回る。だが、木々を足場にかっ飛ぶトカゲ歩兵たちは軽くその倍の速度が出ていた。

 小型カメラはすぐにトカゲを追い切れなくなる。先回りした幾つかのカメラが跳びはねて木々を渡るトカゲを捉え、またロスト。

《両側から突っ込んでくるぞ! 総員、構えーッ!》

 法官たちも、警衛長の指示でその存在に武器を構える。管制室からの警告は無視されていたのだろう。おそらく、警衛長が気づいた時点での一拍遅れた指示。

 やがて、二つの部隊が接触する。

 両翼から飛び出したトカゲの歩兵たちは、身構えた法官たちに側面から食らいついた。

 悲鳴は聞こえなかった。音声を拾わないカメラ越しに、ティルはただ静かな惨劇を見ていることしかできなかった。



聖なる風切りよヤ・シェンダ・イスート……!」

 ベルンガ警衛長は一喝のもと、勘を頼りに剣を振る。それは正しくトカゲを捉え、防御魔法ごとその首を叩き斬った。

 だが、飛び交うトカゲはまだまだ数がいる。

『キュルルル!!』

大いなる地の目覚めよヤ・ソアール・レアルフ火のささやきよヤ・ミサゥル・タゥ我が祝福ゼ・ディント・されし腕によりリィム・シェンディキィル呪われし者ドルツェーア・共を討ち果たせヘム・エシャーリア……!」

 詩を詠ずるような言葉と、剣の柄から奏でられる鈴と鉄房の聖音。それらに呼び起こされた大地の御遣いはベルンガ警衛長に力を貸し、奇跡を生み出す。

 だが、相手の呪いは、祝福をあざ笑うかのように猛威をふるう。

 三方向からの立て続けの斬撃を、警衛長は手にした法剣で防ぎきる。せめて一撃を、と法剣を振り抜くが、既にそこにトカゲはいない。

 法儀で底上げした視覚をもっても追い切れない。目を眩ませるような術も使っているらしい。

 ……くそ!

 ザッフェルバル随一の使い手と謳われたベルンガ警衛長が、自分を守るので精一杯だった。ならば他の法官は言うに及ばない。

 けれども、助けることも指示を出すこともままならない。意識を逸らせば次の瞬間にはベルンガ警衛長自身がその首を持っていかれるに違いないからだ。

 視界の端でまた鮮血が舞った。「助けて」と命乞いを叫ぶ帝国語が途中で途切れた。身命の加護を必死に祈る声が絶叫に変わった。

 恐怖で揺らいだ法官たちの防御魔法は紙のように引き裂かれ、手にした法剣は空を切るばかり。飛び去るトカゲの剣は不気味に光り、すれ違いざまにまた一人の法官の首が刎ねられた。

氷結よヤ・ビェレア刃となれヨール・ネイア――!」

 悲鳴と命乞いにベルンが警衛長の焦りは増していく。だがそれでもただ自分のための剣を振ることしかできない。

 飛び込んできたもう一匹のトカゲをどうにか仕留める。だが錯乱した法官たちはその間に二人、三人とトカゲの餌食となっていく。

「おのれ……おのれ!」

 少数の手練はなんとか数匹のトカゲを仕留めていた。だが劣勢は明らかであり、それを覆す術はどこにもなかった。

 法官たちは一人、また一人と地に伏し、ベルンガ警衛長たちは刻一刻と追い込まれていた。



「これでは、まもなく全滅ですかな……」

 ツヅキ中佐の言葉に、呆然と惨劇を見届けていたティルは我に返った。

 現況に基づき、管制室では戦域図の情報が塗り替えられていく。敵は健在なまま、味方を示す記号が次々と“戦闘不能”を示す色へと変わる。

 そしてその数はついに半分を割り込んだ。

 ……全滅、する。

 現実は全く足を止めることなく、その結末へと進んでいた。

 ……私のせいだ。

 ティルは、警衛長が怖かった。

 警衛長だけではない。領主も、その他の重臣たちも。頑固で意地っ張りな老人たちみんなが、怖かった。

 彼らの考えも知らず、思いもわからず。怖さを理由に歩み寄ることを拒絶した。

 優しいI.D.E.A.の人々の声だけを聞き、その他の一切の言葉に耳をふさいでいた。

 その結果が、これだ。

 もっと早くに差し出すべき助言は、手渡すことができなかった。

 届けるべき時に、ティルの命令ことばは届かなかった。

 互いの断絶は決定的だ。

 ならば、今できることは、もはや強引な力尽くでしかないのだろう。

 ……気合を入れろ。私。

 遥か高き空の上の閉鎖空間。音は響かず、大地は遠い。愛用の杖も、ここにはない。

 それでもティルは渾身の力で両手を叩き合わせる。

聞けドート!」

 その場にいた皆が、何事かと振り向く。だが、ティルの意識はそんなことには向いていなかった。

 感じたのは、艦内に在った大地の御遣いが、一斉にティルに反応したことだけ。

 海上でもそうであるように、遙か高きこの場所でもなお彼らは存在した。かげつの艦内は新奇なものに満ちている。大地から離れても一定数の御遣いは存在していた。

 だが外の密度は薄い。大地の名を冠する彼らのことだ。遥か高い空の上で大気に揺られる存在は少数派なのだろう。

聞けドートわが声をリィム・セブル――」

 さらに二度、手を叩く。

 艦内の大地の御遣いを起点に、外の御遣いへ意識をつなぐ。

 そこからは手を繋ぐように、地上まで御遣いをたちを経て意識をつなげる。

 目指し、そして届いたのは森の中。僅かに残った十人の法官。

 そこへ、

 ……繋がっ、た!

 自身の意志を届けるための“道”ができたことをティルは感じた。すぐに言葉に乗せて意思を放つ。

「皇帝陛下よりザッフェルバルを預かりし総督代行として命じます。――全軍、直ちに後退! 反論は許しません。一刻も早く戦場から退去なさい!」

 命じた。反応はやはり鈍い。ティルと繋がった九人の心象が映したのは、本当に逃げても良いのかという戸惑い。

 ただ一人、ベルンガ警衛長は、なおもハッキリとした拒絶を示した。

《馬鹿な! 私はまだ――》

 渦巻く怒り、呪わしいほどの意地が反発して逆流してくる。

 だからティルは叫んだ。声の限り。意思の限り。力尽くでそれらを塗りつぶさんとして。

「聞き分けなさい愚か者!!」

 涙混じりの癇癪じみた声。

 全てをふり絞るように叫び、“逃げろ”という命令を強引に法官たちの精神にねじ込んだ。

《あ……に、逃げ……》

 ティルの命令に従い、警衛長を含めた法官たちは弾かれたように全力の逃走を開始する。

 トカゲ兵はそれを追う。速度ではトカゲが勝る。だが、残った法官たちは手練ばかりだ。ティルの命令を遵守すべく、死に物狂いで高位の魔法を乱射し始める。

 火炎や冷気、大地の隆起や烈風が次々に後方のトカゲに命中。致命打にはならない。だが、妨害には十分。トカゲ兵は次々に振り落とされていく。

 最短距離を疾走し、十人はどうにか無事に森から出ることができた。それを見たトカゲたちは、追撃を中止し森のなかへ戻っていった。森の外までは追うつもりはないらしい。

 警衛長たちは、そこから先もなお操り人形のように無心にただ平原を駆けた。やがて先に後退していた部隊に合流したのを見て、ティルはやっと一息をついて、彼らへの命令を解いた。

 ……もっと早く、こうしていれば――

 彼らの無事を見届けた安心に、そこまで続けていた無茶の反動が一気に来たのだろう。

 迷いと後悔が渦巻く思考すらぷっつり途切れ、ティルは自身の意識を手放した。



「ティル様!」

 明里は慌ててティルに駆け寄り抱きとめた。

 脈はあるし、息もある。気を失っているだけのようだ。

「だ、大丈夫、なのかよ……?」

 うろたえるルバスを明里は無視。

「すみません中佐どの。医務室まで彼女をお願いできますか」

 明里が視線を向ければ、都築中佐は静かに答えた。

「心配ない。医官を呼んだ。すぐに来るはずだ」

「ありがとうございます」

 交戦中であるにもかかわらず迅速な対応だ。

 明里は都築中佐に頭を下げ、ティルに向き直った。

 苦しそうな顔。魔法のことはわからないから、どういう理屈で何をしたのかわからない。だがその様子からティルが無茶苦茶をやらかしたのは間違いなかった。

「ほんとにもう、魔法絡みで無茶されたら、どう助けていいかわかんないんだって……」

 ティルの身体は細く華奢にもかかわらず、腕の中にはズッシリとした重みがある。二度着替えさせた明里は、それがゴテゴテとした装飾を施した総督代行の正装の重みだと知っていた。

 それがティルの今の状況にダブって思えて、明里は彼女を抱く力をもう少しだけ強めた。

 間もなく担架が持ってこられる。医官と補助の看護機人が到着し、手際よくティルを担架に乗せる。

 運ばれる彼女のために付き添いがいてあげないと。そう思った明里は、しかしルバスのことを思い出す。

 少し迷って明里は柚歩に目を向ける。

「柚歩、お願いできる?」

 それだけ言えば、柚歩は理解したのかすぐに頷いた。

「ん。任せて。明里ちゃんは?」

「このバカのお守り」

「了解。……頑張って」

 親指で差せば、柚歩はすぐに通じたらしい。

 明里に向けて微笑むと、柚歩はティルに付き添い、医官たちと退出していった。

「お、オレも……」

 バカがその後ろをついていこうとしたので、明里はその首根っこを捕まえて引き戻した。

「なっ、何すんだよ!?」

「うるさいバカ。ティル様が、どうしてあんたをここに連れてきたか忘れたの?」

 ティルが心配な気持ちは明里も同じだ。目が覚めたら医官との通訳も要るだろう。

 だが、柚歩とならティルの翻訳魔法は双方向で通じる。通訳の代わりにはなるはずだ。

 なら優先すべきことはなにか。

 彼女が望むことは。

「それは……」

「あんたには見届ける権利がある。そしてそれを行使する意思を示し、ここに足を踏み入れた。なら、最後までそれを果たしなさい」

 言語技術を持つ自分は、翻訳魔法などと上等な真似のできないクソガキの面倒を見るべきだ。

「あんたは私とここで、最後まで見届けるの。この馬鹿げた殺し合いの結末を」

 そう明里は決めた。

 そして告げる。彼女を信じ、敬愛するのであればこそ、彼もまたそうするべきなのだと。

「……っ」

「彼女の代わりに。できるわよね?」

「…………。わかった」

 悔しそうな顔で、けれどもルバスは再び正面モニターへ視線を戻した。

 ろくすっぽわかりはしない記号と、断片的なカメラ映像へ。それでも、そこから何か一つでも得られるようにと。



「ルヴィちゃん……」

 柚歩に付き添われて担架で運ばれていったティルに、八智は複雑な視線を送った。

 あまりに大きな重荷を背負う彼女。それでもなお必死で立とうとする壮絶な姿に、八智は胸に得体のしれない思いが渦巻くのを感じていた。

「すごかったな……まさか、ここから法官たちを遠隔操作するなんて……直線距離で十五キロはあるんだぞ」

 ティルが運び出されたのを確認してから、三宅が感心したようにつぶやく。

「でもかなり無理してたみたいだぜ? 声裏返ってたし、あの可愛い顔が別人みたいに恐くなってたし。……つーか言うこと聞かない部下とか最悪だな。後で打ち首だぜ打ち首。ギロチンにかけちまえ」

 それに対して谷町は珍しく不機嫌そうに口をとがらせていた。

「……ティルさま、かわいそうでした。あとでお見舞いに行ってあげましょうね。八智ちゃん」

 熊野は哀しそうに八智の顔を覗き込む。

 似たようなざわめきは管制室中に広がっていた。彼女の迫力に驚くもの、愚かな警衛長を非難するもの。死した法官たちを弔うもの。

 うねりのように広がった動揺を打ち切るように、大隊長、都築中佐が声を上げた。

「静粛に」

 マイクで管制室中に響いた声に、途端に私語が止む。

 ピン、と即座に張りつめた空気。都築大隊長はその中に染み入らせるように淡々と言葉を続けた。

「法官たちはユーディアリア総督代行の命により安全域まで後退した。これより“炎熱の嵐”作戦を開始する」

 八智は静かに息を呑んだ。覚悟をしていた時が来たのだ。

「現時刻より諸君らがこの戦場における主役となる。諸君らが閣下の献身を尊いものと思ったならば、その身命を賭して彼女に応えてみせろ。――以上だ」

 大隊長の言葉は止んだ。けれども、訪れた静寂はすぐに破られた。

 戦術管制室は再び声と音の群れに包まれる。けれどもそれは動揺の声でも、ざわめきの音でもない。

 それは、この場に在る八智たちが傍観者であることを止めた声。

 この部屋が本来の役割を果たすために動き始めた音だった。

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