第17話 されど小鳥は歌う

 和貴は、ティルが捕らわれたその瞬間を画面越しに見ていた。

 保安部からの緊急一斉連絡を受けて会議室に駆けつけ、映像を回された直後だった。

《動くな! さもなければこの御仁の生命はないと思え!》

 女の一撃で意識を失ったティル。その首筋に短剣の刃が突きつけられるのを見て、和貴は心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けた。

 声にならない呻きが小さく吐息として漏れ、やがて胸を凍らせるような後悔の念が胸を襲ってきた。

 なぜその場に居なかったのか、何故彼女を止められなかったのか。

 祭りのあと、別れを惜しんで立ち話でもしていればよかった。食堂でバカ話でもしていれば巻き込まれることはなかった。どこか全然関係のない場所に見学に連れて行っていれば。せめてその場に居れば、身代わりぐらいにはなれたのに――

 現実的なものから、そうでないものまで、ありもしない“もしも”が頭のなかを渦巻き、胸を突くような動悸が和貴の思考をかき乱す。

 だが、まもなく和貴は自分が普段以上に取り乱しているということに気づき、

 ……ああ、何をやっているんだ、僕は。

 動揺は思考を乱すばかりで、何の解決にもなりはしない。それで彼女を救えはしないし、本当に彼女を大切に想うならば、そんな愚行は真っ先に止めるべきだ。和貴は目を閉じてそう己に言い聞かせ、呼吸を整えて、目を見開いて改めて画面を見る。

「……ああ、くそ」

 改めて理性で状況を認識する。やはり最悪であることには変わりない。

 周囲の同僚たちも不安な様子を隠せずにいるようだ。

 だが、一人。様子が異なった者がいた。

 満葉だ。

「どんな弾丸も弾く不可視の無敵バリアを持つ相手から、無傷で人質を奪還しろというのは、いささか難題だな」

 さしたる動揺も感じない様子で彼女はそうぼやくように言うと、満葉は不意に部下たちへ視線を向けた。そして和貴の前でその視線を留めると、

「伏原」

 普段の気安い姉貴分と弟分ではなく、上司として和貴を呼んだ。

「はい」

「そんな八方無敵な侵入者二人に対し、キミは何か打つ手は思いつけるか」

「……ありません。魔法に対して、我々は打つべき手段を持っていない。そもそも、それを調べるために降りてきたのですから」

「確かにその通りだ。上陸もままならない現在、科研の魔法研究も降下前に得た限定的な情報からほとんど進歩がない。

 だが、魔法を打ち破るすべがなければ、魔法使いには勝てない。――だからあえて問おう」

 そして満葉は提示する。 自分たちが直面する問題を。

「このような状況において、魔法に最も精通し、それを打ち破る鍵を持っている人間がいるとしたら、誰だと思う」

 無敵の城塞を打ち崩す人間は誰か、と。

 ……そんな人間が、いるのなら。

 満葉がとっくにここへ呼びつけているだろう、と和貴は思う。もしくは警備室に詰めた八智さんのところにでも引っ張って行かれているか、だ。

 この場にいる人間はみな同じように思っているのだろう。何人かは首を傾げ、互いに顔を見合わせながら、答えは出ない。

 沈黙に耐えかねたのか、恐る恐る口を開いたのは、和貴より二つ年上の男性職員。

「……木之本博士、でしょうか」

 彼が口にしたその名は、科研――環境科学研究所の魔法研究部の部長を任された女性の名だ。

 彼自身もおそらく外れだと思って言ったのだろう。満葉もわざとらしく呆れてみせ、

「……まだテンパってるのかキミらは。答えは直ぐ目の前にあるだろう」

 次の答えを待たず、満葉は自身が得た答えを提示する。

 彼女が指差すのは、モニター。

 まさにそこに映っているのは、

「“あの子”だよ。ティルヴィシェーナ・カンネ・ユーディアリア。魔法使いの帝国で、最も神様に近いと崇められていた女の子だ!」

 満葉が口にした名は、ある意味で当然過ぎて――しかし論外として意識の外にあった名。

 確かに彼女以上に魔法に詳しい人間はこのあけぼしには存在しないだろう。

 魔竜を追い払った彼女ならば、何らかの対抗手段を持ちえている可能性は十分に考えられた。

 だが、一同の反応は良くない。むしろ何人かは改めて絶望を突きつけられたように目を伏せる。

 ……確かに満葉さんの言うとおりだけれど。

 和貴も目を伏せた彼らが何を考えているかは理解できる。

 何しろ、当のティルヴィシェーナは画面の向こう、侵入者の手中にあり、まさに彼女の救出をしなければならない状況なのだから。

 人質を救うために必要な、唯一と言っていい鍵となる人物が人質に取られたのだから、打つ手などないと改めて言われたようなものだ、と。

 だが、満葉の言葉で、和貴は一つの答えにたどり着いた。

 先に満葉が出したであろう、結論に。

 ……まさか。

「どうにかして人質の彼女と連絡を取ろう、と。……そういうことですね、三條係長」

 和貴が沈黙を破って満葉にそう言えば、彼女は不敵な笑みを浮かべて頷いた。

「ああ。まさにそういうことだよ伏原。他に手がないのなら、どんな手を尽くしてもやってのけるほか無い」

「でも、現実的に――」

「不可能か? 我々の科学の埒外にある魔法とやら正面から挑むよりも、よっぽど現実的だとは思うがな」

 例えば、と満葉は言う。

「このあけぼしは私達のホームグラウンドだ。艦内放送はあるし、監視カメラでその仕草は仔細に至るまで把握できている――」

 言われ、和貴も徐々に頭のスイッチが入り始める。

 ……そうだ。ここは、あけぼしの艦内で――

 そのことを思い出すと、少しずつアイディアが浮かんできた。

 同僚たちも同じようで、どんよりと凝っていた空気が少しづつ動き始めていた。

「艦内放送……帝国語で流せば……?」「監視カメラも、確かに――」「何か、暗号のような――」

 口々に呟きながら、いくつかのアイディアの断片が口々にこぼれ始める。何かを思いついたようにワンドを取り出し、スタイラスペンを走らせる者も現われた。

 それを見て満葉は満足そうに頷くと、

「さあ、アイディアを出してくれみんな。――彼女は私達の客人だ。なんとしても奪り返すぞ」



 ティルはおぼろげに自分の意識が戻るのを感じた。

 揺り動かされる自分は何者かに背負われていると気付いて首を上げれば、

「お、巫女様のお目覚めだよ」

「ああ」

 自分を背負っている男と、その後ろを歩く女。

 皮の胸当てや頑丈そうなブーツなど、旅装――というよりも兵士に近い風貌の二人は、ティルを背負ったままゆっくりと移動していた。

 ……この二人は……。

 腹部の痛みを自覚し、それらが自分を殴り気絶させた二人組だと思いだしたティルは、すぐにはどうしていいか分からなかった。

 ティルは、同じ帝国の者に、ここまで乱雑な扱いを受けたことがなかった。覚えがあるとすれば、幼少期のおてんばのしっぺ返しを食らったぐらいだ。

「お目覚めですか。献身の巫女殿」

 声をかけてきたのは男だった。

「乱暴をして申し訳ない。あの状況で双方丸く収めるには、この手段しかなかった」

 その言葉にティルはさらに疑念を深くする。彼らは、何者なのか、と。

 ……彼女は本気だった。 

 気絶させられる直前、ティルはたしかに自らに拳を振るった女の目を見ていた。

 全く曇りなく、ティルを害することに一抹の躊躇いもない瞳。

 それは、神々の代理人、御遣いの声を聞く信仰の象徴、“献身の巫女”に手を出すことに全く躊躇しなかったということを意味する。

 帝国において絶対に近い宗教倫理を踏みにじる真似を、平然とやってのけたのだ。

「……あなた方は、何者です」

「さる高貴な方の使いの者です。あなたを天の御遣いの元から連れ戻すようにと。手荒な形になり申し訳ありません」

 ティルを背負った男の答えは、全く要領を得ないものだ。

「ならばその者の名を答えなさい」

「我々も知らされていません。あくまで我々は雇われただけで」

「天の御遣いの元から戻らねばならない理由は」

「それも知らされていません」

「……なら、あなた方はどこの土地のものか」

「根無し草です」

「出身は」

「私も彼女も、捨て子なもので」

「育った場所は」

「記憶にありませんが、帝都に居たことはあります」

「…………」

 スラスラとその口から出た言葉は、全くその通りの事実を話しているように聞こえる。

 だが、 ティルの直感は、その言葉を額面通りに信じることはできなかった。

「では、何者でも構いません――私を離してください。帰れというならば、ここの者達の護衛で帝城へ帰ります。あなた方のような乱暴者の庇護は必要ありません」

「無茶をおっしゃらないでください。このままお連れできなければ、我々の生命はありません。どうか大人しくなさってください」

 口調は柔らかだったが、目は睨めつけるような鋭さを持っていた。

 ……選択肢を与えるつもりはない、ということですか。

 暗に男がそう示していることを理解し、ティルは会話を止めた。

 代わりに周囲に目を向ける。何かこの状況を打開できる鍵はないか、と。

 場所は昏倒させられた場所からそう離れてはいない。あけぼしの中央通路。

 自分を捕らえた彼らはゆっくり船尾へと移動しているようだった。

 彼らは周囲を――特に女が後方を警戒しているようで振り向いてみれば、

 ……兵隊さん……!

 機械じかけの兵隊が、遠方で武器を構えて立っていた。

 そして間もなく、彼らが微動だにしない理由が、女が手にした短剣とそれを向けられた自分にあることを察した。

 ……人質にされている、ということですか。

 そのような形で利用されることになってしまった自分。その愚かしさに気付き、ティルの心は更に暗く落ち込んだ。

 帝国の人間ならばどんな誰でも信用できる。そう疑いもなく思っていた。

 自分の言葉は届くと、伝えればわかると、そんな幻想に酔って、最低限の警戒心も失ってしまっていたのだ。

 そんな傲慢ゆえに、自分を温かく迎え入れてくれたあけぼしの人々に、おそらくは多大な迷惑をかけてしまっているであろうことに自責の念に駆られる。

 ……わたしは、なんてことを……。

 どうすればいい。どうしたら、あの優しい人たちに償いができるのか。

 必死で周囲に目を向け、教わったことを思い出す。

 だが、艦内については生活に必要な最低限の知識しか教わっていない。通路を木の根のように伝う構造物の一本の役割だって、ティルにはわからないのだ。

 機械の兵隊たちに小さく手を振ってみるも、女にナイフで静止されるだけで全く彼らに動きはなかった。

 そこでふと、突きつけられたナイフに意識が向くと、あることに気がついた。

 ……変な、“匂い”?

 それは嗅覚を通じた、文字通りのものではない。魔力のクセのようなものから受ける感覚のことだ。

 大地の御遣いは土地によって異なる性格、性質を持つ。

 魔力にもその違いは現れる。直感的に判別できるそれを、国法院の魔法使いたちは“匂い”と呼び習わしてきた。

 彼ら二人がまとう匂い。それが、どうにも変なのだ。

 ……限りなく帝都のものに近い、けど……。

 深く注意していなかったせいか今まで気が付かなかったが、間近にして感じるのは、不可思議な“匂い”。

 二人が芯に持つそれは、ティルが知る帝国十七領国のどこのものでもない。

 そして、その異質な“匂い”を特に強く放つのは女が手にする短剣と、男が手にした杖。

 特に杖は、くすんだ布を幾重にも巻いたその姿が、ティルの杖と比べ明らかに異様だと感じる。

 音を出すことをまるで斟酌していない、ただの棒。――であるにもかかわらず、なぜか感じるのは、濃密な力の残滓。

 違和感の正体をたどるように目で追うと、布の隙間から、小さな羽毛の破片がのぞいていることに気付いた。

 注意を向け“匂い”のもとがその羽毛であることを察したティルは、ようやくその二人の正体を理解するに至った。

 ――音でも声でも踊りでもなく、“魔物の身体を媒介にする”魔法の杖。

 その類の呪術を用いる人間のことをティルは以前に聞かされていた。

 ……“魔の者ども”の、密偵!

 何故その可能性に思い当たらなかったのだろう、とティルは自分の判断の甘さを悔いた。

 帝都の中に魔の者どもの手先が多く紛れ込んでいると、ティルは以前から聞かされていた。

 あわせてその特徴なども、ティルも自衛のために伝え聞かされていたのにもかかわらず、だ。

 だが、それでティルの覚悟は決まった。

 ……ならば、何が何でもこのまま連れ去られるわけには行きません。

 相手が帝国でなく魔の者であるならば、いささかの躊躇も逡巡もない。

 どのような手を使っても、彼らの意図するところをくじかねばならない。帝国のため、世話になったあけぼしのため。

 ……例え私自身の命を断つことになろうとも。

 またカズキさんには叱られるかもしれない、と思いながらも、ティルはその選択肢を除外するつもりはなかった。

 その瞳には、既に弱さも後悔もなく。

 ただ、時間と機会を待つ意志の光だけがあった。



「――対象、第三十八区画へ移動!」

「格納庫、保安部権限で全作業の中断と作業員の退避をお願いします。部隊を展開させますので担当者の指示に従ってください」

 外交部から持ち込まれた“プラン”に、八智たちの詰める警備室は、にわかに慌ただしさを取り戻していた。

「第二小隊、全機配置完了!」

「第四小隊、ライフル分隊、狙撃分隊、配置につきます!」

《こちら第五小隊。全機配置完了》

 八智を始め、熊野、谷町、三宅、そして竹橋の各小隊は、敵の移動経路と予想される格納庫で包囲網を形成している。

 中隊長の指示通り、見かけ上敵の脱出ルートは残しながらも、通常兵装に加え、レーザー狙撃銃や電磁狙撃銃を死角なく配置し、チャンスが来ればいつでも蜂の巣にできる態勢。

 艦内警備には不要として寝かせていた機体や装備も引っ張りだしての中隊の総力戦の様相である。

「あちら様が大きな荷物を背負っているので、配置は十分間に合いそうですね……さて」

 ひと通り周辺の部署との調整を済ませたらしい浜崎中隊長はそう言いながら一人で頷く。

「確実な手がないとは言え、君のお友達はずいぶんと思い切った提案をしますね。神田少尉?」

「……やはは。満葉はそう言う子ですからねー」

 苦笑いを浮かべながら、八智は友人を思い出す。最近は大人しかったものの、基本は無理を通して道理を引っ込めるタイプだ、と。

 そして、周囲を巻き込んだり乗せるのも上手い。

 ……決定的なところで、いつも尻込みしてしまう自分とは、対照的に。

 そんな思いは欠片も顔に出さず、八智は笑いながら言う。

「普段は大人ししいんですが、スイッチが入るととたんに凶暴になるんで」

「おかげさまで愉快な博打に巻き込まれたものですが……まあ、どのみち魔法相手では運試しに持ち込む他ないのは現状やむを得ませんが」

「ぼたもちが落ちるのを待つか、自分でサイコロを振るかの違いですもんね」

 ええそのとおり、と浜崎中隊長は八智の言葉に一つ頷き、改めて戦況モニタに顔を向ける。

 やがていくつかの報告を受けた後、全部隊が作戦配置についたことが伝えられ、

「さて、みなさん」

 浜崎中隊長は改めて、変わらぬ調子で口を開いた。

「――いいですね。こちらから仕掛けるとはいえ、現在が危機的な状況に変わりはありません。戦術目的を再度確認します」

 まず第一に、と浜崎中隊長は指を立て、

「最優先はゲストの保護。お姫様に傷ひとつでもつけようものなら始末書モノです。覚悟するように」

 そして、と続ける言葉は、

「第二に、艦の安全。我々の部隊、艦内の設備を含め、貴重な装備をなるべく損耗しないように」

 それらが優先すべき事象だ、と言い含めるように中隊長は自身を見る部下たちを再度見回し、

「侵入者の生死は問いません。とにかく無力化できれば良しとします。外交部からも言質を取りました。事実、そんな悠長なことをのたまっている余裕はないでしょう」

 八智は小さく息を呑む。無意識にカメラ越しに見た生身の人間が脳裏をよぎったからだ。

 ……できる、かな。

 おそらくは、できる。言葉に出すだけで、あるいは管制卓の端末で指示を送るだけで、十数体の機械兵士アンドロイドは躊躇いなく正確に引き金を引く。

 その重さがどれほどになるのか、八智はわずかに思いを巡らせる中で、中隊長の言葉は続く。

「あの化け物を殺せたなら上出来の部類です。外交部の寄越してきたプランも、どこまで上手くいくか」

 確かに、と八智は苦笑する。

 レーザーも実弾も効かない無敵バリアーマン二人相手に、殺す殺さないなど、傲慢もいいところだ。

 満葉たちが提案してきたプランも、八智たちからすれば博打もいいところだった。

 だから、

「まずは、状況がどう転ぼうが、お姫様の回収に全力を注ぎましょう。――それ以外、余計なことは考えずに。それでちょうどいいでしょう」



 背後の敵を警戒しながらの後退だから、デニルたちの移動速度は極端に落ちていた。

 そんな状況でも、ようやく二人は人質を抱えたまま巨人が立っていた大空洞へと戻ってくることができた。

 ……やれやれ。無駄に時間と気力を消耗した。

 せめて巫女をもう少し有効に使えたらよかったのだが、とデニルはひとつ嘆息する。

 ――巫女の記憶は、回収できなかった。

 気絶している間や、目が冷めてからも幾度か魔術で記憶の回収を試みたが、結果は失敗。どういうわけか彼女に対してはうまく魔術が作動しなかったのだ。

 何らかの特殊な加護を得ている可能性が高かったが、いずれにしろ手持ちの術ではどうにもできず、拠点に戻るか、最悪本国でどうにかしなければならない。

 だから、彼女が得ているであろう膨大な情報を回収するためには、何としても生きたまま連れて帰らねばならない。下手に盾にして死なれればデニルたちが困ることになる。故に“便利な人質としては使えない”。

 帝国の人間に責任をなすりつける体で雇われの密使を騙った以上、デニルたちから積極的に彼女への危害を加えて脅しに出ることもできない。

 ……だが、まだ希望はある。

 おそらく眼前の敵には、いまのところ防護魔術に対抗する術はなく、巫女の存在も最低限の人質としては機能している。

 多少時間はかかるだろうが、現在の膠着状態を維持したまま外に出られればデニルたちの勝ちだ。

 侵入直後よりも、妙に静まり返った大空間に足をつけ、油断なく、罠などがないか意識を張り詰めながら一歩一歩脱出口へ歩みを進めていく。

 ――ふと、音が聞こえた。

 鐘のような、いくつかの音階を伴う合図なような音。

 それらが鳴り止んだ後、不自然に大きな声で言葉が響いた。

《~~~~~~~~~~~~~~~~》

 空間全体に響き反響する声は、帝国語でも、デニルたちの母国語でもない、何らかの言語。

 とっさに翻訳魔術を詠じて言意の読み取りを試みるが、何故か意味の通りが悪く、「何かに備えろ」という意味しか拾えなかった。

「デニル、なんて言ってた?」

「わからん。何かを企んでいるらしいが――」

 デニルが訝しげに天井を見上げていると、まもなく、先ほどの言葉の翻訳と思しき声が、帝国語で響いてきた。

《今から、全ての“ブライトワンド”の動きを確かめます。“ブライトワンド”が震えたら、必ず“デンゲン”を押して、手にとって“ガメン”を確認して下さい。繰り返します――》

 幾つか聞いたこともない造語か外来語らしき名称が混じった、事務的な文章。

 それが読み上げられるように二度伝えられると、天井からの言葉は止んだ。

「やつら、何を企んでいる……?」

 不可解な暗号のような言葉に、デニルは胸騒ぎを覚えずに入られなかった。



『ブライトワンドを起動しろ』

 間違いなくそれは自分へのメッセージだと、すぐにティルは悟った。

 どういう意図のものかはわからない。だがおそらく、あけぼしから何らかのアクションがあるのだろう。

 ……でも。

 すぐ首元にナイフを突きつけられることはなくなったとはいえ、武器をもった二人に囲まれている状況だ。どう言い訳をしてデンゲンを押し、あの“光の四角形”を見ればいいのだろうか。

 不安な思いでティルは無意識に懐に手を遣る。その中に忍ばせたワンドを手に触れると、

「おい。“ブライトワンド”とは何か知っているか?」

「ッ――!」

 突然、男が声をかけてきたので、ティルは思わず肩を震わせてしまった。

 握ったワンドを思わず懐から取り出してしまわなかったのは不幸中の幸いだろう。

 ……教えて、取り上げられたら元も子もないです。

 知らぬふりをして乗り切ろうと、とっさに苦笑を浮かべとぼけて見せた。

「何でしょうか、私もよく解らなくて……」

 だが失敗だった。引きつった頬、上ずった声、泳いだ目線のどれもが、図星を突かれたティルの心を雄弁に語ってしまっていた。

「……やはりなにか知っているか。何かの暗号だな? 答えねば――」

 男がそう言って女に目配せし、再び女がナイフをティルに向けようと歩み寄ってきた、その時。

 ティルは、空間が軋む音を聞いた。



 その少し前。あけぼしの航海艦橋。

 非常事態に、艦長の村瀬を始めとした役職者が集ったその場で、ひとり緊張の面持ちで艦の操舵桿を握っている者がいた。

 航海長だ。

 操舵はもちろん、針路や航路などの艦の運行に責任を持つ彼は、U字の操舵桿を手に、艦橋のメインモニターを見つめていた。

 それが映し出しているのは、八智たちや、和貴たちが見ているものと同じもの。

 格納庫まで辿り着いた、侵入者二人とティルの姿だ。

「この緊張感、大気圏突入以来ですね。ああいやだいやだ」

「その口が滑るうちは大丈夫だよ航海長」

 見た目は軽薄な男だが、やるべきことは完璧に仕上げてくる男だと、村瀬は知っていた。

 だからこの場でもある意味安心して艦を任せることができている。

 準備が全て整ったのを見て、村瀬は手元のマイクを取り、外交部が詰めている会議室に通信をつなげる。

「こちらの準備は整った。いいな、三條くん?」

《はい、艦長。いつでもどうぞ》

 画面に映った外交部の年若い係長は臆面もせず応えた。

「では手はず通りに」

《はい。よろしくお願いいたします》

 通信を切り、次いで全艦放送に切り替える。マイクを手に村瀬は小さく息を吸い、

「――全艦に達する。これより、侵入者撃退のため、一時的に艦を大きく振動させる。総員衝撃に備えろ。繰り返す――」

 アナウンスを流し終わると、次いで手はず通り、外交部の人間が帝国語で別の意のアナウンスを流した。

 村瀬には何と言っているのかわからないが、流暢に言葉が流れ終わると、まもなく通信士が村瀬へ振り向き、

「外交部より、アナウンス終了とのことです!」

「よし。航海長、やってくれ」

「了解ですキャプテン!」

 そして、全長一キロに及ぶ鋼の艦は、ゆっくりと身じろぎを始める。



 小さな地響きとともに、格納庫の各所から悲鳴を上げるような音が上がる。

 それは、巨大な質量が一度に起き出そうとする音と、その自重ゆえにかかる負担をたわみ縮むことによって逃している音だ。

 万能降下母艦、あけぼしは、重力を操り飛翔する。

 一号炉が停止し、“不時着”の真相も明らかでない現状では、その想定された通りの性能を発揮することはとても叶わない。だが、ことぐらいはできた。

 艦底、自重低減用の主重力制御器メインフローターが五割の出力で艦にかかる重力を軽減すると、突然、側面副重力出力器サイドスラスターがやや乱暴に、艦を殴打するような衝撃を与えた。

 続けて二度、三度。

 左と右、交互に加速度がかかり、遠目には小刻みに震えるように艦がゆらぎ、軋む。

 艦の針路を変えることを目的にしたものとしては強く短すぎ、なおかつ無思慮に過ぎる加速。

 常識的な艦の運用法からすれば異常に過ぎるその操艦はしかし、艦内を引っ掻き回すには十分すぎる振動を生み出していた。



「なにこれ!?」

「どういうことだ……これは!?」

 足元を容赦なく揺さぶられ、三人はとても立っていられずに床に倒れこむ。

 ティルはとっさに、ワンドだけは放すまい、と両手で握りこんだまま、二人に背を向けてうつ伏せの態勢になった。

 突然の天変地異。だが、

 ……これは、もしかして……!

 あまりに“タイミングが良すぎる”ことに、ティルは確信めいたものを感じていると、すぐにワンドが小さく小刻みに振動した。

 ティルは教わったとおりにデンゲンに触れる。休息状態から立ち直らせると、長方形の画面が宙に浮かんだ。

 視覚に“自室の画ホーム”が映ると、そこに被さるように“窓”がひとりでに開いた。

 そこに映ったのは、黒い板のようなものに、白い文字で書かれたらしい三行の短文。

 ティルの読める帝国語正字体で、こうあった。

『今すぐ 敵二人の 魔法を使えないようにして』

『できたら 片手を直線に 上に掲げて』

『できなかったら 床に伏せて 小さく丸まり 動かないで』

 …………!!

 それが起死回生の策なのだとティルは理解し、すぐさま行動に移った。

 魔法を使えないように。そんな魔法を、ティルは使ったことがなかったが、

 ……できる、と、思う!

 それくらいのことができないはずはない。今までの巫女としての経験と直感は、十分に可能だと告げていた。

 呪文を知らずとも魔法は使える。

 使

 即興の言葉でも、意志が届けばいい。大地の御遣いとは本来そのような存在で、呪文や儀式の取り決めなどは人間側が利便性を求めた故の道具でしかないのだ。

 だからティルは、声を上げた。

「聞け――!」

 濁流の中に投げ込まれたように揺さぶられながら、ティルはそれでも意思を込めて手を一つ打ち鳴らす。

「喜び奪う彼の者らに歌い踊る資格なし。沈黙をもって答えと成せ――!」

 やってくれと頼まれた。やるべきだと強く信じられた。

 だから、ティルの詠じた言葉は、確たる意志を表す言葉として大気を震わせ、大地の御遣いへと、届いた。

 音に聞いた御遣いたちはすぐさま了承を返し、さらにはその意志を音の聞こえぬ遠方のものへと届ける。

 連鎖的に広がった願いは届いた端から受け入れられ、それを示すように了承の意志が返る。

 そしてまもなく、ティルの認識できる限りの大地の御遣いは全て、その意志の通り二人に対しての沈黙を約束した。

 ……通った!

 確信。明確な回答が空間全てから返され、ティルは小さく微笑む。

 当然その異様は、同じく魔法を使う者たる二人も理解したようで、

「あんた――何を!?」

「貴様――!」

 艦全体の轟震が続く中、二人は立ち上がり、彼女を捕らえようと手を伸ばす。

 だが、あたかもそれを遮るようにひときわ強い揺れが艦を襲う。

 天地の感覚が曖昧なまま、ティルはその手を真っ直ぐ頭上に伸ばしていた。

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