第15話 招かれざる客

 黒ずくめの二人組は、あっけないほど簡単に侵入を達成した。

 隠形の魔法を織り込んだマントを深々と被った二人組は、いまだ誰も足を踏み入れたことのない、帝都沖に停泊する巨大な構造物の中に居た。

 小島のようなその構造物の中にあったのは、深々とくり抜かれた広大な空間だ。

 天井には等間隔に灯火が並べられ、夜中だというのにそこは暖色の光の満ちていた。

「んで、デニル。これからどうすんだっけ」

 侵入に成功した二人のうちの片方、赤い髪の女――メネットが陽気に男に呼びかける。

 デニルと呼ばれた緑の髪の青年は、その場にかがみ、背負った荷袋を漁りながら応えた。

「まずは地図を作る。めぼしい場所が見つかればまずそこを再優先に行こう」

 言いながらデニルは無地の皮紙を取り出し、広げる。

 それを地面に置くと、手にした杖を握って呪言を唱える。

 すると、瞬時に小さな火線が幾重にも走り、焦げ跡が長方形の図を描いた。

「簡易図ではここまでが限界か。どうやら思いの外この中は複雑らしいな」

「というと?」

「今見えているこの空間の下にも、同じぐらい広大な空間がある。その他にも十一以上の階層と無数の小部屋があるらしい」

「つまり、巨大なお城のようなものってこと?」

「そういうことだ。ヴィルマニカ城よりも遥かに巨大な、という但し書きがつくが」

 従前までの観測で、二人はその大きさは嫌というほどに思い知っていた。

 そこのほとんど隅々までが、何かしらの役目を与えられた部屋で埋め尽くされているようだ、と知れば、

「それじゃ、どこをどう探せばいいのか全く見当もつかないじゃん……」

 メネットのぼやきももっともだ。地図を作ればどうにかなるかという楽観はあっさりと打ち砕かれた。

 ならば次のアテに頼るしかない。

「巫女をあたろう。ヤツの気配はまだある。記憶を吸い出せば多少はなにか解るかもしれん」

「生きてればいいけど」

「祈るしかあるまい。造物主にでもな」

「あー、アタシ運試しってホント嫌いなんだけどなぁ」

 この構造物を創った奴らがどういう相手かわからないが、巫女が生存している確率は高いとデニルは踏んでいた。

 死人が魔力を帯びることはない。その大前提に立って考えると、巫女が集めたと思しき濃密な魔力が充満したこの場は、その生存を推測するに十分だ。

 ……しかし、恐ろしいほど莫大な魔力だ。

 正確に測定することはできないが、デニルの感覚では“議場”の浮揚機関に集められる魔力よりも更に濃い。

 だが、これらは全く使用される様子がないのだった。

 どこを指向するでもなく、使われるあてもなく漂っているだけ。これだけの規模の構造物がありながら、それらは全く魔力を必要としていないのだ。

 自分たちが侵入した“巨大な動く床”にしろ、人力で動いているはずのない無機物たちも、全く魔力を用いている様子がない。

 空洞の中を軽く見回せば、巨大な構造物や人が往来しているが、そのどれも魔力に依らず動いているようだった。

 必要とするにしろしないにしろ、どのみちこれほど大量の魔力を野放図にばら撒いておくなど、常識としてありえない。

 帝国においては、魔力が高まれば必ず、皇帝なり総督なり国法庁の貴族連中が魔力を集めて好きに使ってしまう。

 翼人や竜人に至っては生きる為に魔力が必要なのだからそうそう無駄使いはしない。

 集めた魔力を食うにしろ、権威を示すために使うにしろ、放置はしないのが常だと、デニルは思っていた。

 だが、ここはそんなルールに基づいて動いているわけではないようだ。

 ……妙な。

 だが、使う側としては好都合であるには違いない。短い詠唱で大量の魔力が得られるのはありがたい限りだった。

「あ、あれ……」

 不意にメネットが声をあげた。

 デニルが後ろを向いた彼女の視線の先を探ってみれば、

「巨人……?」

 そこには確かに、人が立っていた。

 少し遠い場所に立っているようで、実感としての巨大さは感じない。だが、近傍を歩く生身の人間たちと比べて十倍近い大きさが見て取れる以上、間違いなくそれは“巨人”だった。

「あれは確かに、魔犬ズズブルを瞬時に焼き払った、空飛ぶ巨人――巫女をさらって行った奴に違いないな」

 デニル達は予備知識として、“上”から巨人の存在について知らされていた。

 帝都内に斥候として送り込んでいた魔犬がまとめて焼き払われた、と。

 国法庁の連中が企んだ儀式を近傍で観察し――その効果が全く得られないところを見て、魔犬に献身の巫女の身柄を確保するよう指示を出した直後の事だったという。

 遠方から監視していた者によれば、それは“空飛ぶ巨人”の仕業で――

「感覚共有で見せてもらったものと全く同じね……それがいくつも並んでるなんて」

「二十はあるか。まったくとんでもないものを見てしまった気分だが、あいにく現実だ」

 遠方から見るかぎり、巨人たちは一様に身じろぎ一つせず、鉄具らしいものに固定されているようだった。

「あんな態勢で長時間も立っているなんて、扱いひどくない?」

「もしくは、あれは鎧で、立てているだけかもしれん。もしくは、ゴーレムの類か」

 魔導機械――あるいは、この空間に溢れかえっているものと同じく、魔力を必要としない大型機械の類。そう考えれば辻褄は合うが、離れた場所にいるデニルたちに調べる術はない。

「近寄って見に行く?」

「そうできればいいが、発見される危険が高い。隠形が耐えきれるかどうか」

 大勢の人間が集まれば、一定の割合で魔法に耐性のある人間もいるはずだ。

 そういう人間に目的をもって意識を向けられれば、高度な隠形術とてかわしきれるものでもない。 

 隠形の魔法と言っても、周辺の人間の意識を意図的に逸らせるものだ。視覚的に不可視になるわけではないのだ。

「それもそっか……見つかるまでは、しばらく危ない真似は避ける方針で?」

「これだけ広いのだから、他にも調べることは山ほどあるだろう。幸い出口も近い。アレは最後だ」

「あいよ。じゃあそれまでは?」

「内部構造を記録しながら探索だ。同時に献身の巫女への接触を試みる」



 ティルは、違和感にふと振り向いた。

 耳の後ろを小さな針でなぞられたような、微細な――しかし間違えようのない違和感。

 歓迎会の後、ティルはカズキたちと別れ、あてがわれた自室にルコとふたりで戻っていた。

 そこで、ティルは明確な“異物”の感覚を得ていた。

 部屋の中ではない。だが、ティルの背後。遠いけれども、確かに同じ空間の中のゆらぎ。

 力の波動が、意思が、側でうごめいている。

 それはごく軽微なもの。“自分の姿を隠そうとしている”動き。

 故に、巧妙に隠されて普通なら気づくはずもない。

 だが、ティルは気づいた。

 帝国で随一の適性を持ち、献身の巫女としての任を託されるほどに、生まれながらに魔力の流れに機敏なティルだからこそ。

 ……“力”を使えるということは、国法庁の誰か……?

 魔法シェウ、あるいは“祝福された奇跡シェンダリア”と呼ばれる人知を超越した霊なる力。

 帝国においてそれらは“国法庁”によって厳重に管理されている。

 国法庁とは、精霊に意思を伝え魔法を行使しうる貴族たちによって構成された、国の“法”を司る組織。

 帝国の魔法と祭祀を統括し、帝国を帝国として束ね上げる権力を持つ、基幹組織だ。

 皇帝はこの国法庁のトップとして君臨し、補佐官として枢機卿を従え、さらにその下位に領主、教導官、神官と階位を与えられた魔法使いたちを従えている。

 そこにおいて、ティルは献身の巫女として、形式的には皇帝に次ぐ枢機卿と同等の地位にあった。

 国法庁に身を置く者でティルの名を知らぬものはいないし、預言の儀式の事も手伝って帝都において顔は利く身だ。

 その立場にあったものとして考えると、隠形の魔法を用いて侵入するというのは、いささか礼を欠いているように思える。

 ……何かあったのでしょうか?

 疑問に思っても、“向こう側”で何が起こっているのか、今のティルに知るすべはない。

 何らかのトラブルか行き違いがあり、侵入せざるを得ない事態になったのかもしれない。

 好奇心が行き過ぎたのか、未だ正体の掴めない不気味さに怯えたのか、そんな領主か教導官の癇癪で、密偵が渋々忍び込む羽目になったのかもしれない。

 ……もしそうなら、私からとりなすことができるかもしれない……

 あけぼしの、チキュウの人々のことについては、少しばかり勉強を重ねた自負はある。そして、カズキやアカリ、ミツバからの信頼を得た自信もある。

 事情を説明して、穏便に帰ってもらうこともできるだろう。

 自身が仲介すれば、きっとうまくいくはずだ。

 ティルはそう判断し、

「ティル様、どちらへ?」

「ちょっと、――艦内の探検に」

 ルコの問いにとっさにティルは嘘をついた。

 それに対し、ルコは僅かな間をあけて、

「解りました。ブライトワンドはお持ちですね?」

「ええ。はい」

 ルコの言葉に、ティルはそれを懐から取り出してみせた。

 それを確認したルコは頷き、

「デンゲンを切らず、肌身離さずお持ちください。もし迷子やトラブルがあった時、それさえあればティル様の現在位置はすぐ解りますので」

 そんな機能もあったのか、と改めて機械を手に持ってしげしげと眺めてみる。

 同時に、教えられた情報に目を通せば使用期限デンチの残量も十分あるようだ。

「わかりました。必ず持っています。……では」

「はい。もう遅いですし、お早めにお戻りください」

 ルコの見送りに手を降って答え、ティルは自動ドアを開けて廊下へと出た。

 変わらず感じるのは消え入りそうなほど薄い、小さな違和感のような気配。

 それを見失わないよう、ティルはさらに意識を集中し、ゆっくりとそちらへ向かって歩き始めた。



 神田八智かんだやちが警備室でぼんやりとモニターを眺めていた時、唐突に内線電話が鳴った。

 普段はろくすっぽ鳴らないその電話に驚き、慌てて取れば、

《格納庫作業機管制室の岡谷だ。保安部、ちょっと幽霊っぽいのが現われたんだが》

 第一声がそれだったものだから、八智の眉間には思わずしわが寄り「はぁ?」と相槌とも付かない変な声が出た。

 内線の相手方は上部格納庫の作業機管制室の室長。その話をよくよく聞いてみれば、無人作業ロボットから作業妨害の警告が出て、確認してみればカメラ映像に二人の怪しげな人間が映っている。

 全作業を一時中断させ、室長を含めた人間の目でその場をチェックするが、人影など見当たらない。

 怪訝に思って他のロボットや管制用の俯瞰カメラの映像記録を漁ってみると、確かに同時刻に作業区画を二人分の人影が横切っていた。だが、その場にいた作業員の誰もがそんな人影は見なかったという……

《俺も上から見ていたが、たしかにそんな姿は見なかった。ひょっとすると幽霊かも知れないが、カメラは正直だ。なんか居るのかも知れねぇ》

「その勘は多分……間違ってないんじゃないかなーって気がしますね」

 管制室から回してもらった映像を見ながら、八智はじわりと背中に冷や汗が伝うのを感じた。

 映像の中で、黒いマントらしいものを被った二人組は、真っ直ぐ格納庫を横切り、四階層分の外壁を“垂直に”駆け上っていった。

 落ちてこないところを見ると、フレームの外ではおそらく、キャットウォークに飛び移ったのではないかと推測できるような、デタラメな動きだ。

《そうか。ってなると侵入者か? 頼んだぜ保安部。さっさとつまみ出してくれよ》

「……了解です。何かあれば対処しますね。連絡ありがとうございました」

 他人事のような管制室長の声に、八智は硬い声で応答を終了し受話器を置いた。

「八智ちゃんどうかした? あれ、格納庫の映像?」

 横にいた熊野くまのたまきが不思議そうに覗きこんでくるのをひとまず無視して、「あー……」と何かの間違いであるようにという祈りを数秒。

 そしてすぐにカメラを操作して目当ての映像を手当たり次第に引っ張り上げる。

「ごめんクマちゃん、勘違いだったらいいんだけど――」

 言いながら、八智は想定できる進路に沿って艦内のカメラを切り替えて追っていき、

「…………いた」

 八智の祈りも虚しく、そこには確かに、黒いマント、あるいは外套のような衣類に身を包んだ二人組が映っていた。

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