第3話 “あけぼし”と魔竜

 帝都は、複雑に切り立った入江を天然の港として、古くから海とともにあった。

 大海へと拓ける窓口にもなる入江は、その大部分の深度が三百メートルを越す海底峡谷の入口でもある。

 そしてその深さは、“あけぼし”の巨体を浮かべるには十分な深さであるとともに、

 ――“魔竜”の巨体を棲まわせるにも、また十分であった。



「何だ、今の揺れ――!?」

 感じたことのない巨大な揺れに、伏原和貴ふしはらかずきはとっさに近くの机に掴まりながら驚きの声を上げた。

 対し、隣にいた妹の明里あかりは盛大にすっ転び、

「ったぁ……あたま打ったぁ……」

 机にぶつけて少し赤くなった額をさすっていた。

「明里、大丈夫? ……うん、大丈夫そうだね」

「うわ心配しといて返事を待たずに自己完結したよこの兄」

「血は出てないし、後で湿布でも貼っとけばいいよ。……それよりもさっきの揺れは? 艦長から何か――」

 放送があるか――そう続くはずの言葉を遮って声が飛んできた。

 それは艦長ではなく、

《アカリ様! カズキ様!》

 銀髪碧眼の少女、ティルヴィシェーナの声。

魔の海竜エシャ・クァヴァルラが私達を狙っています!》

 必死の形相で、生贄の少女は訴える。

《あれは、悪しきモノ、帝国の民を尽く食い荒らした魔竜です!》

 半ば悲鳴に近い帝国語で、生贄の少女はガラス越しにマイクを通してまくし立てる。

 それは、文字通り、その命を懸けた必死の懇願。

《我が身は捧げます。この身、この生命、全てを御遣い様へ献上いたします。なのでどうか――どうか、かの魔竜を退治しては頂けませんか!?》

“魔竜”。

 帝国臣民にとって忌むべきその名は、和貴――いや、全ての“あけぼし”乗員にとって、どこか遠い存在だった。

 はるばる長い宇宙の航海を経て、ついに辿り着いた地球型惑星。

 そこに息づく、規格外の生物――“竜”。

 異星の生態系の神秘を実感するにふさわしい巨体と、母星たる地球の伝承に数多く語られた“竜”そのものとも言える象徴的なフォルム。

 それは、“捕食関係にない”人間にとっては、たしかに魅力的な存在であった。

 ――和貴にとっても、その存在はあくまで“異星の肉食獣”であり、生命の神秘を体現する奇跡の生物、と言う程度の認識であった。

 事前の資料において断片的に、“魔竜”が現地の人間たちにとって、畏怖と脅威の対象であるということは知っていたが、

《お願いします。私はどうなってもいいですから……っ! あの“魔竜”……魔竜、だけ、はっ》

 彼女にとって、その存在の意味は明確に違う。

 涙を浮かべた両目が、嗚咽の混じった声が――それでも訴えることをやめない意志が、それをハッキリと表していた。

 ……ああ、そうか。

「わ、わ、泣いちゃったよ、お兄! ど、どうする!?」

 隣で慌てる妹、明里を横目に、しかし和貴は真っ直ぐに銀髪の少女を見ていた。

 涙にうるませ、必死に言葉を続けるティルヴィシェーナ。

 ――和貴が資料で見た記述には、確かに帝国は魔竜によっての交易や海軍、漁業に大きなダメージが与えられたとあった。

 帝都の活気が失われつつあるということにも言及されてはいた。

 けれども、

 ……データは、所詮データか。

 艦を揺らす振動、そして眼前の少女の涙を見て、和貴は初めて、真に“魔竜”がどんなものかを理解した。

 ……そして、だからこそ僕は生身でこの場に降りる道を選んだんだ。 

 データだけでは見られない、本物を見て聞いて感じるために。

 ――今、和貴の目の前には、本物の状況がある。

 自身の進言により救助し、今ここであらためて助けを乞う、異星の少女が。

《総員第二種戦闘配置! 本艦は原生生物による危害を受けています。戦闘員は所定の持ち場についてください。非戦闘員は居住区へ退避してください。繰り返します――》

 遅れてようやく、艦内に状況を知らせる放送が入る。

 確証が得られていないからだろう、原生生物とぼかされてはいるが――

「原生生物……って、あの子が言う魔竜のことだよね?」

「だろうね。状況的にもそう考えて間違いない。……で、餌は僕らってわけだ」

 もしも本当に食われかけているなら、一刻も早い対処を打つべきだろう。

 そしてそれ以上に、命を差し出すと泣いた少女の思いに応えたい。……そう、強い思いが和貴のうちに沸き上がっていた。

 ……明里と同い年ぐらいってのも効いたのかな。

 野犬から助けるように進言したことといい、情に流されすぎているような気もするな、とわずかに自嘲。

 けれども決意は揺るがず、

「明里。ちょっとした賭けに出るよ。本当に事前調査で確認された“魔竜”なら、僕らのためにも急いで対処した方がいい」

 言いながら、和貴は通信機のボタンを押し、立て続けにコールを開始する。

「そりゃそうだけど……ってそんなにたくさんどこに繋ぐの?」

「上司全員。……説明はあの子に頼もうか。同時通訳頼むよ」

 本来は稟議で回すべき案件だが、緊急事態なのでやむを得ない。割り切りながら覚悟を整えるための深呼吸。

「りょーかい。そりゃあ下っ端のお兄と、この星最初のお客様じゃ信用度が違うもんね」

「――繋がった、来るよ」

 表示されるのは、直属の上司と、その上の上司、さらにその上の上司に、その上の組織のトップだ。

 係長、課長、部長、そして支局長と肩書の付く彼らを前に、ヒラの和貴は、それでも負けぬよう、

「第一降下支局、外交部大陸南西課の伏原です。緊急の案件ゆえに一斉通信で失礼致します――」

 声を張り、“ちょっとした賭け”を始める。

 命懸けの少女の、その言葉に応えるように。



「状況を報告しろ!」

 ティルが運ばれた艦――万能調査母艦、あるいは航空戦闘母艦“あけぼし”。

 その航海艦橋にて、艦長の村瀬孝久むらせたかひさが声を上げていた。

 黒髪の、四十代前半には見えない若い風貌。大型艦の指揮を任されるには明らかに年齢不相応にも見える。

 だが、彼はたしかに艦長席に座っていた。指示を飛ばす姿には一分の淀みもなく、外見以上の落ち着きが見て取れた。

 ブリッジ要員は、そんな彼に応えるように状況報告を上げる。

「右舷前方、艦底部装甲に損傷! 浸水なし!」

「艦底に何らかの生物が衝突した模様! しかし、これは……海中レーダーから推測される全長は百メートルを優に超えています!」

「百メートルを超える生物だと? ……まさか!?」

「ライブラリ照合――該当あり! 先遣隊の報告にあった“魔竜”に間違いありません!」

「やはりか! ……艦内に第二種戦闘配置を発令、非戦闘員は安全区画に退避させろ!」

「了解! ――総員第二種戦闘配置! 本艦は原生生物による危害を受けています。戦闘員は所定の持ち場についてください。非戦闘員は――」

 通信士が流す艦内放送を聞きながら、村瀬は密かに舌打ちする。

 続いて口を開いたのは、隣の副長席に座る白髪交じりの男。

「かの“魔竜”……報告では、海に出た船は手当たり次第に襲っていたとか。着水から今までの間、襲撃されなかっただけ幸運だったと見るべきでしょうな」

 年長の副官が言うとおり、この海域に“降りてしまった”以上、村瀬も魔竜との遭遇の可能性は想定していた。もちろん、出会わずに済むならそうありたかったが、

「出会ってしまった以上は仕方がない。最悪は実力で排除になるだろうが……問題は“あの”希少生物だってことだ」

 先遣隊の調査では竜種は、家畜や野犬の類に比べれば圧倒的に確認数が少ない。特に竜型の生物は、この惑星での土着伝説こそ多岐にわたるが、実際の生態などの記録はほとんどとれていない。

 この『海の魔竜』は、珍しく人里近い観測可能域に出現した希少な例。先行降下した機人(アンドロイド)達による観察記録も多く残されている。

 そのためか、衛星軌道上で周回を続ける母艦“ゆりかご”で暮らす市民達の中でもひとつ飛び抜けた人気を誇り、この惑星の生態系の不思議を象徴する生き物として知られるようになっており――

「野犬ぐらいにありふれた種なら吹っ飛ばして終わりなんだがな……」

「正当な理由なく下手に傷つけたり殺したりすれば、軍法会議……いや、それだけでは済まないかもしれませんな」

「市民総出で吊るし上げだろう。生きて帰れても社会的に死ぬか――」

 最低でも、竜の側がこちらを殺す気だという客観的立証ができねば正当防衛の成立は不可能だ。

 特に動物相手のこと。“泳いだところをぶつかっただけ”とみられる可能性もある。

 具体的な艦の危険、それも実力を行使すべき急迫な危険が立証できるような状態でなければ――

「先遣隊の記録に、追い払うための方法が記載された資料はなかったか?」

「……現地でも発見できていないようです。四百年以上前に、神話上の存在が人知を超える力で追い払ったという文献記録が残るのみで……。追い払えるものなら、とっくにそうしているでしょう。現地の人間にしたらあの竜は、天敵以外の何物でもないのですから」

「そりゃそうか。……なら、嵐が過ぎ去るのを待つしかないか――」

 消極的な選択だが、それしかないのも現状だ。

 下手に先に手を出し刺激してしまってもいけない。向こうが関心を失い、去ってくれるのが理想だが――

「――ッ!」

 二度目の振動。

 ブリッジ要員のどよめきが湧く中、

「右舷後部、重力フロート装甲に損傷!」

「浸水なし! ――出力系統にも異常ありません!」

 応急士の報告が告げるのは、再びの攻撃。明らかに害意がある動きとも考えられるが、しかし決定的なきっかけがない以上手は打てない。

 ……巨大生物とはいえ、サイズ、質量はこの艦の方がはるかに大きい。このまましのぎ切れればいいが……

 思いながら、三度目の振動が艦を襲う。

「ッ――!」

 ……資料にあるサイズ比を考えれば、竜の牙では艦内の重要区画を傷つけることはできないはず。

 水上に顔を出せば、威嚇射撃の一つでもぶちかますか――そう考えながら、村瀬はじっと耐える。



 それからどれだけの時間が経っただろうか。

 幾度かの激突に損傷がじりじりと増し、浸水の報も届くようになった頃。

「艦長! “支局長”から艦内通信です! 原生生物の件について、とのことですが――」

 唐突に、通信士が報告を上げる。

 それは、支局長――この降下計画の事務方の現場最高責任者からの通信だった。

 ……こんな時に支局長が何の用だ?

 村瀬は訝しげに思うが、立場的には無碍にはできない相手だ。

「繋げ」

 言葉とともに手元のモニターに表示されるのは、見慣れた初老の男。

 白髪交じりの、しかし強烈な意志を感じさせる目をした男だ。

《こちら第一降下支局長、三條だ》

「艦長兼、降下艦隊司令代行の村瀬です。要件を手短に頼みます」

《一つ事実を確認したい。現在この艦を襲っているのは“魔竜”ということで間違いはないか?》

 その言葉にふと疑問を浮かべる村瀬。

 ……なぜ、魔竜だと気づいた?

 アナウンスや各部への通達では原生生物としか伝えていないはずであるのに、彼はなぜ敵が魔竜だと知ったのだろうか。

 しかし、その疑念はおくびにも出さず、村瀬は肯定する。

「はい。生物分類上はほぼ間違いなく海竜種です」

《そうか……ならば降下計画現地最高責任者として第一降下軍へ通達する。先ほど回収した生贄の少女より、『竜を退治してほしい』との要請があった。我々第一降下支局はこれを帝国政府の外交要請とみなし、受諾する》

 その言葉に、村瀬は耳を疑った。

 ……おいおい、まさか――

 だが、続く言葉は想像と違わず、

《――よって、国際深宇宙探査機構I.D.E.A.・第三探査船団、第一降下支局より第一降下軍、全軍へ、現海域からの“海の魔竜”の排除を要請する》

 軍の戦闘を許可する言葉。“魔竜”への武力の行使の要請だ。

 それは希少生物に対する自衛戦闘ではなく、

 ……友邦国からの要請に答え、恩を売る“戦争”にする気か!

 回収した生贄の少女――彼女を国の代表と見なせるかどうかの議論はあろうが、

 ……母艦“ゆりかご”への大義名分としては最低限筋が通る。

 ならば是非もない。

「承りました。これより本艦を含む全降下軍は“魔竜”の実力による排除を行います」

 渡りに船、下手に手が出せない状態だったところに大義名分が降ってきたのだ。

 ノロマの事務方にしてはずいぶんと早い手回しだが、外交部が拾ったちびっ子がどんなマジックを使ったのやら、などと思いながらも、村瀬は二つ返事。

《頼むぞ。なるべく殺さぬよう、追い払ってくれ》

「最善を尽くします」

 証拠作りであろう短いやりとりを経て、通信は切れた。

 その中でも、さらなる衝撃が艦を襲い、損傷報告が届く。未だ致命的なものはないが、さっさと退散願えるに越したことはない。

「では……艦長?」

「ああ。本艦はこれより帝国政府の要請を受け、現海域から“魔竜”の排除を行う。――全艦、第一戦闘配備!」

「了解!」

 指示に応えるように待機していた乗員が慌ただしく動き出し、“あけぼし”の航空戦闘母艦としての部分が急速に目を覚ましていく。



《本艦はこれより、帝国政府の要請を受け、原生生物との交戦に入る。全艦、第一戦闘配備。繰り返す――》

 艦内放送を聞き、どっと肩の荷が下りたように和貴と明里はその場に崩れ落ちた。

「っはー……やれやれ、どうにかなったかな」

「うう、ぶっ続けで同時通訳は頭がいたい……」

 係長、課長、部長、そしてトップたる支局長に同時に通信をつなぎ、ティルヴィシェーナ自身の言葉で説明させ、さらに和貴たちも口添えし……そしてどうにか全員の承認を取り付けた。

「今ので半年ぐらい寿命が縮んだな……」

 正直、正規の手順をぶっちぎった手ではあったので、門前払いの可能性すらあった。

 だが幸い、緊急事態ということもあり、どうにか話は聞いてもらえた。

 無茶を言うのはこれで“二度目”ということもあり、案の定上から二人には苦い顔をされたが――

 ……命にかかわる事態だし、ね。

 上の人間にとっても、この艦に乗っている以上、自身の命にも関わる事案だ。

“魔竜”の激突で艦が揺れる状況は大きく和貴たちの説得に味方してくれたと言っていい。

 食われてしまえばみんなまとめて腹の中、という危機感は、話を聞かせるには十分な土台だった。

 そして、なにより、

《ありがとうございます、アカリ様、カズキ様》

 ガラスの向こう、無菌室の中に隔離された銀髪碧眼の少女。

 ティルヴィシェーナの真摯な声と言葉が、彼らの心を動かしたのだろう。

《これで、“魔竜”は倒されるでしょうか》

「それははっきりとは申し上げられません。戦いは運が大きく関わりますので」

 不安げな声に、和貴もはっきりと断言はできない。けれども、

「ですが、ちょっとしたことでは負けない武器を持ってきてもいます」

 何十光年との道のりを越え、さらに衛星軌道上で三十年を超える準備を整えた降下作戦部隊。

 和貴は知っている。彼らがたかだか巨大な蛇もどきに、敗れるはずがないことを。

「どうか信じてお待ちください」

 だから、安心させるように――そう強く帝国語で少女に告げる。

《はい。――御遣い様を信じます》

 答える少女の言葉。その、御遣いという言葉の意味を、和貴はこの時深くは考えなかった。



 “彼”は、食事を欲していた。


 群れを追われ、羽鳥に追われ、迷い迷って辿り着いた場所は、食べ物に溢れる恵みの海だった。


 彼は空腹に追い立てられるように手当たりしだいに食べ荒らしたが、いつの間にか獲物は流れてこなくなった。


 多少の食い溜めもできたので、次の機会が来るまで海底でしばらく眠っていたのだが――今日は、非常に甘美な“匂い”で目が覚めた。


 今までの獲物とは桁が違う。莫大な“美味しさ”が凝縮された獲物だ。


 眠っていた分、腹も減っている。

 

 思う様食おう。


 今日はごちそうの日だ――


 そして、彼は獲物に歯を立てる。


 鋼鉄の方舟に。

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