第4-3話 空と裂く、二人のきずな

「なぜだ! 僕は姉さんに――」


 その言葉を中断するように、俺は、中臣の懐へと飛び込む。


 周防が、もしも今も生きていたら。


 なぜか、瞬間的に、そんなことが頭をよぎった。

 けれど、それを、俺は、打ち砕く。曖昧な理由で。理屈にならない動機で。

 あの日言えなかった言葉を、口にする。


 さよなら、七曜。


 全ては、ほんの一瞬に流れた感傷と、思考。

 鎖は千切れ、枷は砕けた。


 そして、再び動き出した世界で、俺は中臣の鳩尾へと、『防護』によって強化された渾身の当て身を叩きこんだ。


 その事実を俺が認識したということは。その未来が確定したということは。

 この結末を中臣が幾度も覆そうと『遡行』を繰り返して、それでもなお、どうにもならなかったのだろう。


 俺にしたところで、相当の時間を戦っている。だが、中臣はそれ以上に、『遡行』の分だけ心身を削って戦い続けてきたのだ。息が荒い。膝は震え、身体を支えているだけでやっとという状態だ。


「なぜ――」


 中臣は、途切れ途切れの呼気混じりで、呟いた。


 なぜ、ときたか。

 理由なんてない。中臣が姉を想う気持ちだって、きっと正しい。

 それでも強いてこの結末に理由をつけるなら。

 おまえは自分の目的のために、ハルヒを泣かせて、森さんを刺した。そういうことだろう。


 くっくっ、と中臣は笑った。それは、どこか無理のある露悪的な表情だった。


「こうして、世界は正義の味方に守られました、か。なら、僕を殺すか、谷口。僕は帰ってくるぞ。涼宮ハルヒがこの力を持っている限り。この世界で、能力を使って殺せば、証拠不十分と『機関』のもみ消しで何とかなるかもしれない」


 息をつく。中臣の体からは、赤い光が失われていた。これまでの戦いでも、疲労に応じて能力の出力は落ちていたし、おそらくはテレビゲームでいうところの「MP切れ」という奴なのだろう。


 ああ、確かに。


 中臣にトドメを刺す。今、ここでしか、そいつはできないことだろう。

 これから何がどう転がるとしても、この閉鎖空間が砕け散ったら、俺と中臣は、二度と会うことはない。

 なんとなく、そんな気がした。


 だったら、全ての借りを、返さないと。

 俺は戦いで散らばった荷物から目当てのものを拾い上げ、窓の外を見た。

 これまでの最大級だった《神人》の頭部に、特大の『弾丸』が命中するのがわかった。


 ああ、森さん。新川さん。古泉一樹。やっぱり、あんたたちはすごいなあ。

 《神人》が倒れるまで、時間の問題。俺と中臣に残された時間も、それだけだ。


 中臣へと向き直る。

 奴はズボンのポケットに手を突っ込むと、中腰になって迎撃の構えを取った。

 生まれたての小鹿みたいな状況でそれでもこいつは最後まで戦い続けるのだろう。

 ヒーローの活躍する漫画やアニメに憧れた。その勝敗はいつも潔くて、勝ったら爽快、負けた者のことに思いをはせるなんてことはなかった。けれどまあ、これが現実ってもんだ。


 正義と悪があるからぶつかりあうわけじゃあない。理屈と理屈がぶつかり合うからこそ、争いってのは泥沼になるのだ。引けなくなるのだ。中臣は引けない。止まれない。そんなこいつに、俺ができることは。


 拳を無造作に振るう。

 わかっていてなお、中臣の受けはおいつかない。ポケットの手も抜かれない。ああ、たぶんそこには何も入っていないんだろう? 精一杯のハッタリってわけだ。 ズボンの膨らみをみれば想像くらいできるさ。


 そして、中臣のノーガードな顔面に、俺の右手は迫り……


 眼前で、止まった。手にした手のひら大の菓子袋を、中臣に突き付ける形で。


「……な、んだよ」


 何って。チョコラスクだが。我らが東中購買部人気No1のメニューだぞ。


「だから、なんで……」


 前、言っただろう。ヅラの授業で答え教えてくれたお礼におごるって。

 中臣の表情が歪む。


 全身が強張り、何か叫ぼうとして、けれど、何かを諦めたようだった。

 菓子袋を受け取り、黒板の下に座り込むと、顔を伏せたまま呟いた。


「――谷口は、アホだよね?」


 いつかの口調が、昼の校舎、色に溢れたこの場所で、昼飯時、机を囲んで聞いたいつもの声が、戻ってきた。鼻持ちならない、クラスメートの、ランチ仲間としての中臣のロールプレイが。


 これが、中臣の、最後のケジメのつけ方なのだろう。なら、俺の対応も決まっている。 


 ……腹立たしいことだが、よく言われるな。こんなイイ男を使えまえてやれアホだの、バカだの、嘆かわしいにもほどがあると思わんか、中臣よ。


「……寝言は寝てから言うべきだよね? ああ、でも、この空間自体、夢みたいなものかな?」


 菓子袋が開き、甘い匂いがモノトーンの教室に立ち込める。

 窓の外では、青の《神人》が『弾丸』によって解体され、モザイクになって消えていく。


 ああ、たしかにこの時間は、きっと夢みたいなもんだろう。


 中臣から差し出されたチョコラスクを一かけら、口に含む。

 甘くて、苦くて、口の内側をわずかに傷つける固さが痛い。

 さくり、と噛み砕いて、すりつぶして、そのかけらを飲み込んで、消化する。


 あの日、七曜とできなかった、忘れ物。


 灰色の天頂に、亀裂が走る。

 空が、裂けていく。

 あの空の色が塗り替わる頃、今回も、きっと俺はこのきずなを失うのだろう。

 それでも、一つだけ、チョコラスク一袋分だけの、忘れ物はしなくてすんだ。


「谷口。今度会うことがあったらさ?」


 そんときは、完璧に、完全に、俺とおまえは敵同士だろうさ。

 どうせ、おまえは、生きている限り諦めないんだろう?


「……ああ」


 パリン。


 硝子が割れたような、崩壊の感覚。


「それじゃあ、谷口。これで、さよならだね?」


 そして、世界が色を取り戻し――。



 平衡感覚が未だストライキを繰り返す中、俺は唐突に突き飛ばされた。

 ぱしゅり、と気の抜けた音が響く。

 何が起きたのか理解できないまま、強引に地面に伏せさせられた。


 閃光。轟音。


 背中を緩くたたかれ、それが辛うじて自分がまだ生きていることを教えてくれた。っていうかなんだこの急展開は! 閉鎖空間は砕けた。中臣は止めた。それでめでたしめでしたじゃあなかったっていうのかよ!


 麻痺した五感がようやくうっすらと回復したとき、俺の視界が最初に捉えたのは……


「いやあ、めがっさ大立ち回りだったねえ。鶴屋家始まって13番目くらいの大ピンチだったにょろよ」


 からからと笑う師匠と、空っぽの教室だった。

 ……中臣は? というか、さっきの爆発は?


「あー、中臣少年は回収されちゃったにょろよ。『学派』? だったかな? よく訓練されてたねー。危ないオモチャはこの街に持ち込ませてないつもりだったけど、目つぶし一個取り漏らしたみたいだね。反省反省。学校には一歩も入れさせないつもりだけど、敵ながらお見事っさー」


 いつもの口調でさらりと非日常すぎるヤバい台詞をさらっと吐くよな相変わらずこの人は!


 けれど、ともあれ、この人の笑顔を見て、俺は確信する。

 日常は、帰ってきた。

 お袋がトンカツを揚げて待っていて、師匠が笑っていて、涼宮が不機嫌そうで。


 ――周防七曜と、そして多分、中臣を失った、日常が。



 さて、これにて、俺を中心にした、脇役たちの物語は幕を引き。

 閉鎖空間から始まった騒動は、さよならで終わりを告げた。


 主役になれず世界を変えない側に立った俺と、主役になれず世界を変えられなかった側の中臣。


 いつかの痛みを引きずった二人のガキは、涼宮を巡る物語の表舞台からはすっぱりと消えることになる。


 だから、ここからはつまらん後日談、事後報告という奴だ。


 俺と中臣の閉鎖空間に伴う消失現象は、涼宮に対しては「中臣と俺によるサプライズドッキリ手品」という説明がされたらしい。


 だが、うまく消えはしたものの、トリックに失敗してベランダから転落、ネタばらしをする前に俺と中臣は病院送り……結局涼宮には誰も説明ができないまま、あたかも本当の神隠しのように見えた……苦しいシナリオだが、どうやら中臣が閉鎖空間突入の瞬間にドアの入口を布が覆うように細工をしたとかで、俺らの消失の決定的瞬間を目撃してなかったことで、まあ不承不承涼宮も納得したようだ。


 中臣も、自分の作戦が失敗したときに、世界の物理法則を崩壊させないための予防線は張っていたんだろうな。まあ、それに助けられたってえわけだ。


 ちなみにそのウルトラC説明を涼宮に信じさせたのは、なんと東中教師、ヅラの奴だった。なんでもヅラは鶴屋の家の分家筋にあたるとかで、『機関』や『学派』『情報統合思念体』といった外の人間らが目をつけている涼宮を監視していたらしい。鶴屋の家の手がこの街の隅々に行き渡っているとは聞いていたが、改めてその影響力にはぞっとするものがあるな。今回は心底それに助けられたわけだが。


 そんなつじつま合わせのせいで、俺は翌週の月曜、涼宮からまたしこたま罵られた。ま、今さら俺の好感度が下がりようもないわけで、どうでもいい話ではあるんだがな。涼宮に隠し事をしてる引け目もあるし、これくらいは受け止めてやってもいいだろうって話さ。


 中臣は「転校」したことになった。急な話に女子陣は悲鳴を上げていたが、一週間ほどでその話題も賞味期限切れ、皆の口に上ることはなくなった。

 それが、俺には少し寂しかった。昼飯は、一人で食うことになった。


 その日から『学派』がこの街と涼宮にちょっかいをかけてくることはなくなった。

 なんでも、今回の一件をきっかけにして『機関』と鶴屋家が相互の目的に対しての不可侵を前提に協定を結び、緩やかな同盟関係になったことで、この街限定の鉄壁の防備態勢がとれるようになったのだとか。


 この協定が乱れるか、新しい後ろ盾を得ない限り、中臣がこの街に、俺の前に現れることはきっとないのだろう。


 『機関』は相変わらず、この街で涼宮を見守り、閉鎖空間で《神人》と戦い続けている。


 森さんは、中臣について俺が伝えると、言葉少なく頷いた。きっと、覚悟していたことなのだろう。背中の傷は浅く、傷痕は残るものの後遺症が残ることはないらしい。女性の球の肌に傷なんて、と言ったところ、森さんは無防備にシャツの裾をへそが出るほどにめくり上げ、


「今さら一つくらい増えても変わりませんよ」


 と笑われたっけ。あの傷の数、本当にどんな経歴を持った人だったのか。絶対に森さんに逆らっちゃあいけないと思ったね。あと、森さん、いたいけな青少年の前であなたみたいな美人が無造作に肌など晒さないでいただきたい。正直、もてあまします。


 一方で、意外な反応を示したのは古泉の方だった。


 古泉は、俺や森さんが傷つけられたことを、思った以上に悔やんでいたようだった。


「申し訳ありません。中臣さんの危険性については把握していましたが、ここまで彼が直情的に動くとは読み切れなかった。もう少し互いに利用しあえると考えていたのですが。全てを理屈で解釈しようとするのは僕の悪癖のようです。反省していますよ。彼の感情面を甘く見過ぎていた」


 その言葉から、欠落に『共感』を持つ、このいけ好かない美青年の過去が、ほんの少し人間らしく見えた気がしたね。完璧超人には完璧超人なりの、だからこその、悩みと言うのがあるのだろう。弱い人間の心が『共感わかできない、という。


「もし許されるなら、僕が自分自身で、彼と決着をつけたかったところですが。……超能力マンガの主人公のようなご都合主義でもなければ、再び彼と僕が一対一でぶつかり合う場面など、ないのでしょうね。口惜しい限りですよ」


 ……もししかしてあれか。古泉、おまえさんも、根は結構怒ってるのか。表情は変わってないが、内心怒ってたりするのか?


「言っていませんでしたか? 僕はむしろ短気な部類ですよ。ただ、それを表出することが効率的ではないときには、表に出さないだけです」


 そうか。まあ、中臣の奴は生きている限り、また涼宮を狙うんだろうから。

 もしかしたら、おまえさんの夢はきちんと叶うかもしれないぜ。


「それは僕個人としては望むことですが、『機関』としては、その事態を未然に防ぐべき案件ですね。まったく悩ましい」


 ああ、それは確かに。そして、おまえの手腕だったら、むしろ事態を起こさないように完璧に処理しちまう可能性の方が高いかもしれないな。


 新川さんは、自分の孫娘の墓に俺を連れて行ってくれた。


 俺は、教室に一人残された『機関』側の涼宮の監視役として、毎日を過ごした。

 ばれてストーカー扱いをされたこともあったが、少なくとも『機関』の存在を気取られたことだけはなかったのだから、俺の演技力や言い訳力はもはや並の中学生のそれを越えていると言っても過言ではないだろう。正直日本アカデミー脇役賞でももらってもいいのではなかろうか。


 師匠には度々稽古をつけてもらい、《神人》を幾度もぶち倒し、そこそこ受験勉強をし、かわいい女の子に声をかけては振られ、と青春をできる限り謳歌して、まあ、そんなこんなこうして、俺の東中の三年間は、そうして、あっという間に過ぎ去って、


 ――そして、俺は進学した高校で、『未来人そのおとこ』に会った。

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