第2-5話 古泉一樹の欠落

 

 巨大な《神人》に蹂躙される寸前の俺たちの前に現れた『機関』の援軍、古泉一樹。


 そいつの一声とともに、俺たち全員が赤の輝く糸によって繋がれた。


 赤い光が全てを繋ぐ。

 赤い糸が全てを流し込む。

 コマ送りのように脳に投影される光景と情動。


――たとえば、喪った笑顔。仕事に追われ、誰かを『治癒かいほう』できない男。


――たとえば、失敗の記憶。法に縛られ、誰かを守る『弾丸じゅうだん』を撃てない女。


――たとえば、ノスタルジーの復讐。拳では誰かを『防護まもることが』できないガキ。


――たとえば、イミテーションの家族。優秀故誰かの傷を『共有りかい』できない青年。


――たとえば、タ暮の校舎。理不尽に誰かを奪われ『遡行やりなおし』を願う少年。


――たとえば、ミダスの指先。『飛行とべ』ぬ身では届かず、誰かの手を掴めない男。


 横たわり並べられた六人のばらばらの記憶は、全て縦に一本貫き通された、同じ想いから始まっていた。


 接続される。共有される。同調される。

 衝動。情動。律動。蠢動。起動。機動。駆動。


 注ぎ込まれた脈動が弾け、体から溢れて赤い光の球体に包まれた。


「さあ、『超能力者ギフト』ならざる『欠落者ロスト』の皆さん。これが、僕たちの新しい、『巨人を狩るための欠落ちから』です」


 俺の意識を謎のフラッシュバック時空から現実へ引きずり上げたのは、中臣の方がまだ可愛らしく思えるほどうさんくさいさわやかな声の、古泉一樹とかいう男の言葉だった。


 古泉は、まるで、森さんを助けた中年男のように、中空に『飛行』していた。その姿は、俺の『防護』を展開したかのように、赤い輝きに包まれ、その手のひらには森さんのように輝く『弾丸』が装填されている。


 いや、古泉某だけじゃあない。


 目をやれば同じように、森さんを助けた多丸さんとかいう中年男もまた、同じように『飛行』と『防護』、『弾丸』を同時に使用して、動き出した《神人》を翻弄していた。


「――僕たち全員の能力を残らず吸い上げ、増幅し、再分配する『共有シェア』、か。くそ、隠し事一つ許さない、えげつない能力だね。古泉、全くおまえらしい」

「恐縮です。プライバシーの侵害を伴わざるを得ないことには遺憾の意を禁じえませんが、命を預け合う以上、必要以上の秘密主義は無用な軋轢を生むとも思いますよ」

「その、自分は全て正しいのだ、という傲慢が、おまえの欠落だと思うよ」

「ご指摘は後ほど承りましょう。僕も自分のいびつさは理解しているつもりですが、やり直しなど益体もないことは今さら望めませんからね。まずは」

「ああ、アレをどうにかするところだ」


 互いに笑顔を向けあう古泉と中臣。思うんだが、こいつら二人はかなり似た者同士なのではなかろうか。中臣を蒸留して雑味を取り戻した濃縮果汁還元純度120%のさわやか概念男がこの古泉になりそうというかなんというか。


 微笑みながら互いにいつ刺し合ってもおかしくない殺伐とした気配のまま、赤い球体となった古泉は、膝立ちになった《神人》に襲い掛かった。


「ほら、ぼうっとしていないで、さっさと倒すよ、谷口」


 とはいえものの、中臣よ。正直、急展開過ぎて状況についていけないのだが。

 俺の心底正直な意見に、中臣は泳げないペンギンでも見たかのような味のある表情を浮かべ、そして、ゆっくりとわざとらしい溜息をついてみせた。


「……まあ、古泉の説明下手は今に始まったことじゃないからね。不要なことには饒舌なクセに、ポイントはあえてぼかすのがインテリの悪いクセだ。相手が自分と同じ程度の理解力があると当然のように思ってる。世の中には、どこまででもバカな奴もいるっていうのにね」


 おい、誰がバカだ。婉曲にこちらを盛大にけなしやがったなこいつめ。


「古泉の『共有』は、僕たちそれぞれの能力を、全員が全部使えるように、文字通り共有する力らしい。森さんの『弾丸』、多丸さん? の『飛行』、谷口、君の『防護』、新川さんの『治癒』もだ」


 完全にスルーかよ。しかし、とんでもねえな。俺たちの今までの苦労はなんだったんだ。


「まったくだ。これは想像だけど、『共有』は、発動は任意だけど、解除は時間制限か閉鎖空間の崩壊まで自由にできないんじゃないかな。特別時間制限について奴が口にしなかったところを見ると後者か。ふん、好都合だな。だから、十分自分の手駒が揃うまで、手札を晒したくなかったんだろうさ」


 おまえもだ中臣。わかりやすくバカな俺にでも理解できるようにすっぱり説明しろ。


「つまりは、パワーアップだよ。古泉の指揮下にある限りにおいて、飛べるしエネルギー弾も撃てるし自分の傷を回復もできる。ほら、そろそろ僕らも加勢するよ」


 そう言って、中臣は宙に浮かび上がると光の球となって《神人》へとすっ飛んでいった。


 俺の目の前では、立ち上がった《神人》が腕を振り回し、おそらくは、古泉某や多丸さんらであろう赤い球がそれをまるで惑星の周りを回転する衛星のように取り囲んでいる。


 俺もぼんやりしてはいられない。颯爽と宙に浮かび上がろうとして――どうすればいいんだ?


 いや、そりゃあそうだろう。おまえはたった今から飛べるようになったと言われたところで、鳥だって飛ぶ練習もなしにいきなり翼をはためかせることができることなどできないわけで、むしろ中臣たちが急に当然のようにアイキャンフライしてその能力に命を預けられる方が俺には信じられん。


 俺はとりあえず『飛行』とかいう能力を使うことを放棄して、とりあえず《神人》へと駆けだした。


 《神人》戦の形勢はようやく拮抗まで持ち直していた。


 森さん以外のメンバーもまた『弾丸』を使えるようになったことにより、攻撃の手数は単純に数倍になった。

 俺の『防護』を模した《神人》の一点集中防御も、砲撃手が一人だから有効だった手段だ。全方位からの集中射撃には意味がない。


 おまけに、『飛行』によって地面の障害物に影響されない機動力を身につけたことで、全員が敵の攻撃を回避することも容易になっている。万が一攻撃が掠っても動きが鈍らないのは、おそらく『防護』でダメージを減らした上で、個々が自分に『治療』を使っているからだろう。


 とはいうものの、巨大な《神人》のタフネスは大きさ相応で、無数の『弾丸』を受けてもなかなか奴は倒れない。


 この状態で俺ができることといえば、さっきと同じように、頑丈さを活かして敵の邪魔をすることだけだ。


 一際高速で動き回る赤い球を振り払おうと踏み込んだ《神人》の足元に、俺はダッシュで滑り込んだ。狙いは先ほどと同じ、体を張って俺自身がバナナの皮になることによる足払いである。


 両手を掲げて、『防護』を展開しようとして――? 俺は、内側から今までにない熱が弾けるのを感じた。

 膨れ上がり、赤い輝きの壁が展開されるのはいつもと同じ。ただ、違うのは、その分厚さと大きさ。


 普段の俺の『防護』や、他のメンバーが展開している量産型『防護』とは規模の違う、ちょっとしたバリケードが築かれる。


 《神人》の足の裏が『防護』と接触する。全身に負荷がかかる。だが、さっきと比べればそれは格段に軽い。


 俺は、『防護』の形状を反射的に傾斜の強い斜面へと変容させた。

 光の壁に攻撃を受けている最中の形状変更という無茶に、ごっそりと体力が削られる。だが。


――たとえば、喪った笑顔。仕事に追われ、誰かを『治療かいほう』できない男。


 浮かぶイメージ。空になったコップに水が注がれる錯覚。乱れた息が収まり、体の痛みが鎮まる。


 なるほど。これが、誰かの能力を借りる感覚というわけだ。

 《神人》の自重が『防護』へと集中する。が、一度経験したからだろうか。滑りのよい斜面に足をついても、《神人》はなんとかバランスを保っていた。ならば――!


――たとえば、失敗の記憶。法に縛られ、誰かを守る『弾丸じゅうだん』を撃てない女。


 イメージするのは、高速で飛翔する、森さんの『弾丸』。自分の力を遠隔に射出する能力。

 弾丸の形をしていない? 知ったことか。あの人は自分の能力を撃ち出す力の持ち主だ。なら、俺も、俺の能力を、その形、強度のまま発射することに、何の矛盾もあるはずがないだろうが。


 自分で自分に言い聞かせ、道理を無理で捻じ伏せる。意志のイメージだけでは足りない。だったら、それは体で補えばいい。俺の頭の中で何かを吹き飛ばす最も強いイメージ。それは、師匠から初めて喰らった、肩口からの強烈の当身だ。


 息を深く吐き、構えは半身。軸足で大地を蹴り、拳でなく、脚でなく、己の肩口から背中にかけて、もっとも広く安定した面を通じて衝撃を生み出し、『防護』が作り出した斜面を、そしてそれを通じて《神人》の足を押し出す!


 巨人の片足が宙を泳いだ。

 風船でできた人形が倒れるようにゆっくりと傾斜する《神人》の肉体。その腕が俺に向けて延ばされた。


 その指先にあたるところから、『弾丸』のような青い光が収束し、幾つも立て続けに放たれた。

 一つ一つが、俺たちの体を飲み込みそうな巨大なエネルギー弾が雨にように降り注ぐ。


 一撃なら耐えられるだろう。けれど、んなもんを連続で喰らえば、たとえ強化された『防護』でもやりすごせるかどうか。


 ならば、耐えるのではなく避けるのがベスト。普段の俺ならできはしないが、中臣、借りるぜ、数秒先が見えるっていう、おまえさんの地味に便利なその力。


――たとえば、タ暮の校舎。理不尽に誰かを奪われ『遡行やりなおし』を願う少年。


 俺は目に赤の光を集中させ、数秒先の未来を――

 見ることができなかった。


 ただ、現実の現象として、力を使おうとして足を止めた俺に《神人》のエネルギー弾が降り注ぐ。


 鈍い音を立てて『防護』と弾がぶつかりあった。数えるのも面倒なほどの衝撃が幾度も全身を襲う。


 なんと、『防護』は、その厚さを相当削り取られたものの、なんとか猛攻を耐えきった。


 しかし、安心したのもつかの間、真上からは、倒れた体を支えようと全体重のかかった《神人》の手のひらが今まさに落ちてくる。さっきのように耐えられるか? 

 否。この削り取られて弱体化した『防護』じゃあ無理ってものだ。さすがにやばいか!? くそ、パワーアップにうかれて油断したか。『治癒』はできるだろうが、一撃で潰されたらそれも無理だろうなくそ、数秒前の自分を殴りたい。弾の雨が降ってきたのを見た時点で、他人の能力に頼るんじゃなく、もっとシンプルに数発ダメージくらうのを覚悟で、自分の足で距離をとるべきだったのだ。


 しかし今となっては後の祭り。やり直しなんてできるようには、世の中はできていなくて、俺の意識は押し寄せる圧力に暗転して――


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 息を深く吐き、構えは半身。軸足で大地を蹴り、拳でなく、脚でなく、己の肩口から背中にかけて、もっとも広く安定した面を通じて衝撃を生み出し、『防護』が作り出した斜面を、そしてそれを通じて《神人》の足を押し出す!


 そして、巨人の片足が宙を泳いだ。


 風船でできた人形が倒れるようにゆっくりと傾斜する《神人》の肉体。その腕が俺に向けて延ばされた。

 その指先にあたるところから、『弾丸』のような青い光が収束し、幾つも立て続けに放たれた。

 一つ一つが、俺たちの体を飲み込みそうな巨大なエネルギー弾が雨にように降り注ぐ。


 ……?


 俺は、《神人》に潰されてはいなかった。それどころか、目の前で、数秒前に見た光景が、再演されている。


 体中が痛い。《神人》の弾の雨によって削られた体力はそのままだ。そのままで、なぜか、状況だけが、数秒間巻き戻っている。


 少しずつ理解が追い付いてくる。数秒先の未来が見える、と、いつかの中臣は言った。


 俺はそれを、「可能性を垣間見ること」だと理解していた。


 しかし、それは多分、違ったのだ。今の、この異常こそが、中臣の能力の正体。


 数秒間の時間を巻き戻し、やり直す能力。


 たしかに巻き戻した後の世界からすれば、中臣は「未来を見た」ことになるだろう。

 だが、中臣にとってその未来は、経験した過去であり、そこで受けたダメージも、蓄積した疲労も、持ち越した状態となる。なるほど、俺を盾にして自分は後ろに下がってばかりいたのも納得だ。おまえが前線に立ったりしたら、巻き戻しをするたびに俺たちの知らない未来かこで脈絡なくズタボロになっていく一方だったろうからな。


 と、そんなことを考えながらも俺は必死で《神人》製の弾の雨の下走った。数発だったら直撃しても『防護』が耐えられるのは巻き戻してなかったことにした未来で経験済み。なんとかやつの巨大手のひらの射程外から逃れきる。


 ずしいいいいん、と音を立てて、またもや《神人》が民家を巻き込んで地面に突っ伏した。


「皆さんは足を撃って動きを止めて! 森さんは最大出力で頭を!」


 古泉の声が響く。と、さっき俺目がけて降り注いだ弾丸の雨の再現とばかりに、古泉が、中臣が、新川さんが、中臣さんが巨人の脚めがけて『弾丸』をつるべ撃ちに叩きつけていく。わずかずつ削れていく足では、巨人もおいそれとは体を起こせない。


 そうして事態が硬直している間に、一人森さんは《神人》を見下ろすように、中空で両手を天に掲げ、力を貯め続けていた。彼女の手の上では、赤い光の球が秒ごとにその大きさを増していく。


 他のメンバーが放つものとは比べ物にならない巨大なそれは、弾丸というよりもはや恒星のようだ。


 俺の『防護』が強化されていたことといい、どうやら、『共有』されると、元々備わっていた能力は元よりも強化されて、ほかのメンバーよりも効率的に使うことができるようになるらしいな。


 もはや、大きさを何かにたとえるのが馬鹿らしくなるほどに肥大化した光弾を、森さんは無造作に投げ放つ。


 断頭台の刃物の方がまだ慈悲があると思わざるを得ない圧倒的な火力が《神人》を着弾面から粉砕していく。やっぱり能力が『共有』されようが、機関のフィニッシャーはこの人なわけだ。


 青の煙と化して大気に溶けていく《神人》を横目に、俺は改めて、ゆっくりと地面に降り立つ中臣を見た。


 あの「姉さん」らしき姿を見たとき、古泉とやらと会ったとき、そして、『共有』について語っているとき。


 あまりにも、あいつのキャラクターが、ぶれているような気がしたからだ。精神的に不安定に見えた、と言い換えてもいい。いつものポーズが、余裕が、仮面が、はがれかけているような、そんな感じだ。


 「いつもばかみたいに笑ってる変な娘」と評されていたあいつが、笑顔を捨てかけた、あの日の姿に重なったからだ。


 結論を言えば、中臣の感情を、俺は伺い知ることができなかった。


 口元は笑っていた。だが、目元は少し潤んでいるように見えた。拳は固く握られていた。


 その姿がなぜか、俺には黒の手帳の、姉の後ろで怯えている少年の姿に重なったのだった。

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