水月 その3



大柄な武士はすさまじい剣気、スキのない物腰からして只者ではない。

「どうだ、お主も腕に覚えがあるのだろう、ワシに挑まぬのか?」


武士は一瞬、躊躇したように見えたが、こちらに向き直った。

やる気である。

確かに、余程自信があるようだ。

この度のこの男の役割りは襲撃の指揮と見届け役……次郎右衛門との直接対決は入っていないはずである。

しかし、あふれる自信が次郎右衛門の挑発に反応してしまったのだろう。

自信というのが適切でなければ、剣客としての誇り、であろうか。


「ワシを襲ったのならば、名前くらいは知っていよう。ワシは一刀流二世 小野次郎右衛門忠明じゃ。……お主、足の運びからして柳生新陰流であろう」

次郎右衛門はここで一旦言葉を止め、キッと鋭い眼光で相手を見つめると吼えた。

「名を、名乗れ!」


「拙者の名は新陰流 溝口多門! ご明察の通り柳生の荘の出だ」

大柄な武士は悪びれもせず、名乗った。

「この度、小野次郎右衛門殿と真剣勝負したく、柳生家を出奔し全く自身一人の立場で……」


「わかった、わかった。そういう事にしておいてやるから参れ」

次郎右衛門は刀を抜いた。

溝口多門もほとんど同時に刀を抜き、対峙する。

改めて向き合うと、やはり溝口は相当な使い手なのがわかった。

「ふむ、さては『柳生四天王』か?」


柳生新陰流には四天王と呼ばれる使い手達がいると聞く。

その筆頭は『庄田喜左衛門』で独自に剣の流派を開けるほどの剣客との話であるが、その他のメンバーは入れ替わりが激しく次郎右衛門は知らない。


今、対峙している『溝口多門』から感じる剣気は一流の剣客から感じるものである。

『柳生四天王』かそれに準ずる者にちがいない。


……と、溝口が仕掛けてきた。

速い!

『ギンッ』

刀同士がぶつかり合う金属音が響く。

すさまじい剛刀だ。しかも、

「こいつの刀は……『同田貫』か」


肥後の同田貫という地方で作られる刀は非常に肉厚にできている。

今、打ち合った感触では溝口の刀の厚みは次郎右衛門の刀の倍はあろう。

このまま打ち合えば、こちらの刀がもたぬ。


「仕方がない……『アレ』を使うか」

次郎右衛門はつぶやき、刀を中段に構え直した。

溝口が再び仕掛けてくる。

次郎右衛門は瞬間、刀を構えたまま全身の筋肉から力を抜いた。

まるで全身、やわらかいバネになったイメージだ。


溝口の刀が次郎衛門が中段に構えた刀を切り落とそうとする。

しかし、次郎衛門の刀は抵抗なく溝口の刀に押されて沈み……次郎衛門が切っ先をわずかにずらすと、今度は沈みこんだ刀が同田貫の切っ先をはずれ、バネのように中段の構えに戻った。

今や溝口は刀を完全に振り下ろし、体勢がくずれてしまっているのに対し、次郎衛門の刀は中段の構えを維持したままである。

まるで、次郎衛門の刀を溝口の刀がすり抜けてしまったかのようだ。

「ば、ばかなっ! 刀が消えた!?」

溝口の驚愕の叫びと、次郎衛門の必殺の剣が溝口を切り裂くのが同時であった。


「一刀流奥義、『水月』」

「……し、信じられぬ」

溝口はうめくと、どう、と倒れた。


次郎衛門は、相手の絶命を見届けると、ふと夜空を見上げた。

月を黒い雲が覆いつつあった。


「雨になりそうだな」

次郎衛門はつぶやくと、険しい顔のまま足早にその場を立ち去った。


次郎衛門は、この技『水月』を使うとき、常に心のどこかでチクリとした痛みを感じるのだった。

なぜなら……この技こそ十数年前、下総国小金原にて神子上典膳が小野善鬼を破った技を応用、発展させたものであったからである。




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