剣聖奥山休賀斎



小野次郎右衛門との会見の後、数日後。

一刀斎は江戸の市中を歩いていた。

何か、いや、誰かを探しているようである。

情報によると、この道をたまに通るらしい。

どれ、張り込みがてら茶屋で一服……道行く人を眺めている。


一刀斎は数日前、暴れ馬から子どもを救ったが、自分と同時に子どもを救った剣客を捜しているのである。

なにしろ、相手は全身白づくめである。目立つ。

聞き込みをしていると、武家屋敷の立ち並ぶ方向に消えていくという。

身なりもよいし、どこかの道場のご隠居かもしれないという噂もある。


一刀斎は相手がただものではない事を知っている。

江戸に次郎右衛門以外にあれほどの剣客がいた事自体が驚きだ。

まだまだ世間は広いな……などと当たり前の事をつぶやいて、ふと目を上げると、くだんの老人がスタスタと目の前を歩いていくところであった。


これ幸い、と後を慎重につける。

……全く隙がない。

うーん、これほどとは。

これは、本気を出しても少々危ないかもしれぬ。

などと思っているうちに、老人はだんだん人も家もない、さびしい方向に歩いていく。


江戸の初期である。

まだまだ市中を少し離れれば、未開発の場所がごろごろしている。

これでは、あとをつけにくい、どうしようか? などと考えはじめた時、急に老人が消えてしまった。


まさか、見失うなどという事は考えられぬ。

『いったい、これは?』と思うと同時に気配を感じ、その方向を見た。

そこは右手がガケなっている広場のようになっており、ガケの前の岩に例の白い老人が腰掛けていた。

「拙者をお探しかな?」


一刀斎は笑って答えた。

「いかにも」

老人も笑って立ち上がる。

「実は拙者の方でもあなたの事は気にはなっていたが」

老人は一刀斎に向き直ると問うた。

「拙者に何かようかな?」

一刀斎はズバリと切り出した。

「実は……拙者と立ち会っていただきたい」

老人の目が糸のように細くなった。

「ほう、立ち会えと? しかし理由がありませぬ。拙者はもう剣客をやめて仕官して久しいゆえ」

「失礼ながら、新陰流の方とお見受けする」

一刀斎は懐から朱印状を出した。


「これをかけての勝負ならいかがかな?」

老人の表情がかすかに動いた。

「これは!?」

一刀斎がたたみかける。

「さあ、いかが!?」

「おもしろいものをお持ちじゃが……」

老人は首を振って言った。

「あいにく、拙者には賭けるものがない」

一刀斎はさらに続ける。

「いや、それは心配ない。ワシが勝ったら、これが何なのか教えてほしいのじゃ」

ここで、老人は笑い出した。

「お主、これが何かもわからずに賭けると? いささか乱暴ではありませぬかな」

今度は一刀斎が笑いだした。

「いえ、それは大丈夫……」

そして、真顔で

「ワシは絶対、負けぬのでな」


「ふーむ」

老人は黙り込んだ。普段なら笑い飛ばすところだ。

しかし、老人は一刀斎が只者ではない事を知っている。

普通、未知の相手に必ず勝つなどという者がいればただの愚か者と相場が決まっているが……。

ここで老人の剣客としての興味がむくむくと大きくなってきた。

もともと気になっていた相手でもある。

『剣をあわせて見たい!!』

強敵を相手に剣客の本能が燃え出した。

「よかろう……お相手いたそう」


一刀斎は一礼した。

「かたじけない。

 拙者は富田流 伊東一刀斎と申す」


すさまじい緊張があたりを包んだ。

「これは、これは」

老人が発する剣気が異常なほど膨れ上がりあたりを包む。

「あなたが高名な伊東一刀斎殿でござったか……」

老人が一礼した。

「拙者、新陰流 奥山おくのやま休賀斎きゅうがさいと申す。いざ尋常に勝負」



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