* * * * * *

 私の誕生日の前日にお婆さまは亡くなられました。

 私は可愛らしく綺麗な喪服に飾り立てられて、長いおぐしも整えられて。それ自体は嬉しかったけれど、なんだかお人形さんプーペ・ド・シレみたいだとも思った。葬儀の帰り道、遠くに軍服の女性が見えて、私は「あっ」と叫んで駆け寄った。

「クローディアおばさま!」

はよしてくれよ。まだ二〇代そこそこなんだぜ」

でも、クララベルがそう呼びたいならそれでも良いよ。とクローディアは酒くさい息で言いました。正確に言えば私たちは家が違うので(カナダの家はガーネット、アメリカの家はサンダース)大叔母と大姪じゃなくて大従姉妹なのだけど。

「酔ってらっしゃるんですか?」

「少しね」

少しという程度じゃあないと思うけどな、とクレアは思いました。

「どうして、おばあさまの葬儀に来られなかったんですか?」

「そりゃ、私はあの家じゃあ除け者マヴェリックだからさ。一人だけ軍服っていうのも、だろうし。ガーネットの家系はメノー派だろ? 婆さんの事は好きだったが、どうもというのが苦手でね」

「おばあさまも、おばさま……いえクローディア……さんの、事を心配していました」

「ただのPKO派遣だってのに。平和維持活動だぜ」

「ユーゴスラヴィアでしたっけ」

「その通り。コソボだよ。宣誓処女ブルネシャかい? なんて言われたりしてね……私は、セルビア語はからきしだったが。でも、とにかくみんな良い人達ばかりだった」

何故ポルクワ?」

「授業をサボってたんだよ。は英語とフランス語で充分。全く、クララベルは私の真似をするんじゃないぞ」

はい、と言ってクレアはくすくす笑いました。クローディアはアーミッシュの家系に生まれペンシルヴェニア・ダッチを母語としていました。彼女は大学を出て陸軍の士官になりましたから、高等教育と(戦争を含む)暴力が戒律オルドゥヌングによって禁止されているアーミッシュの家族からは、絶縁されていました。クローディアは「蜂蜜作りに飽きたのさ」と言っていましたが、「ラムスプリンガの頃に飲んだ酒の味を忘れられなくてね」とも、嘯いていました。

「外の世界は、良いよ。もちろん危険もいっぱいだが。戦争なら、特にね。クララベルも賢い子なんだから、ちゃんと勉強して、色んな事を学んで……、……愛する人を見つけて……」

彼女の姓サンダースは大戦の英雄だったお爺さんから貰ったものでした。彼自身はメノー派でもアーミッシュでもなく、たぶんルター派かメソジストだったんだろうとクローディアは言っていました。

 そういう訳(クローディアが宗教に無頓着あるいは中立的)なので、実際のところ平和維持活動など名目で本当は「カラマンの家」などのムスリム女性被害者たちをなだめる(そしてボスニア語の通訳を介して情報を洗い出す)ような特殊な任務に就いており、結果的には後の戦争における女性兵士の役割の試金石となったわけですが、軽度のアルコールとアドレナリン中毒の彼女もそこまで漏らすほど口が軽いわけでもないのでした。

「なあ、こんな事ってあるかい? 婆さんの命日、クララベルの誕生日、そしたら次が愛の日バレンタインデーだ」

またいずれ、会いに来るよ。サマンサにもよろしく言っておいてくれ。そう言ってクローディアはまたふらふらとどこかに向かって歩きだしました(おばさまには帰る所があるのかしら?)。

 サマンサというのは私の従姉妹で、たまたま産まれた日が全く同じ遠い双子のような存在でした。彼女は私のお父様の年子の姉君が、クレア曾外祖母おばあさまのお兄様のサミュエルさんの四男に嫁いだ間に産まれた子供で、クローディアおばさまはサミュエルさん(おばさまにとっては曾祖父に当たります)の長男の子供の子供ですので、サマンサとクローディアおばさまは従叔母と従姪の関係に当たります。ややこしい事に年下のサマンサのほうが従叔母で、九つ年上のクローディアおばさまのほうが従姪になるのですが。その辺りが面倒なので単に『いとこ』とか『おば』とか『姪』だとか私たちは認識して呼んでいました。

 少し、サマンサの話をしなくてはいけませんね。サマンサ=クラレット=アーニャ=レッド・サンダースは私の遠い双子のようなもので、しかしその性格は全く正反対でした。私は本の虫で社交もできるけれど基本的には内向的、サマンサは活動的で快活で、どちらかと言えば男の子より女の子にモテるようなタイプでした。私も彼女の事は好きでしたがサマンサは私とおばさまの事を苦手なようでした。「何を考えているのか分からない」というのが決まり文句で、私もおばさまもいつもニコニコと笑っている癖がありましたから、その辺りを薄気味悪く感じたのかもしれません。


 私もあんな風になりたかったな。とつとに思います。


「いやー、ハンナにも友達が出来て良かったよ」

春野陽一は娘の友達にそう言いました。紺色の作務衣を着て、軍手をして、長髪を束ねた彼は自転車のチューブを取り出してタライの水に漬けると穴の開いた箇所を探るのでした。

「中学に上がってから、親の付き添い無しで登校できるようになりましたから」

クレアは興味深そうに作業を眺めていました。

「そしたら、すぐにパンクだもんな。で直すのは俺と……」

「直るの?」

ハンナが不安そうに訊きました。

「治すのさ」

ヨーイチがニカッと笑って答えました。

 開いてしまった穴の周囲を白マジックで囲って紙ヤスリで綺麗かつ食い付きよくしたのち、ゴムのりを塗ってパッチを当て圧着しオマケにばしばしと叩きました。こんなものはお茶の子さいさい、朝飯前のケーキひときれ。膨らんだチューブの気密を確かめるとタイヤに戻してもう一度空気を入れ直しました。点検チェックして修理完了。

 ハンナは父親の直した自転車に跨って、周囲を一周しました。タイヤはパンクする前の弱気で頼りないふうと違って、しっかり地面を踏みしめているのでした。

「すごい、お父さんすごい、これなら母さんの居るカリフォルニア――ううん、サンクトペテルブルクのバレエだって行けるよ」

そしたら、凍ったアラスカの海を渡らないとな。ロシア語の勉強もしなくちゃ。それともクレアちゃんに通訳してもらうか?

「わかるもん。相手が何を言いたいかくらい」

ホントか~? と言ってヨーイチはハンナの頭をちょっと不器用に撫でてくしゃくしゃにしました。ハンナは少し迷惑そうにしてそれでも嬉しそうでした。ハンナはしばらく自転車をぐるぐると走らせたままで、ヨーイチは一段落ついて「お茶でも淹れてこようかな」と屋内に戻りました。父親が居なくなるとハンナは自転車を停めました。クレアは言いました。

「直してもらえて、よかったね」

私のお父様もヨーイチさんのようだったら。

「うん、」

「自転車って、ああやって直すのね。まるでモンティ・パイソンの自転車修理マンだった」

私の家庭もこんなふうだったら良かったわ。

「うん、」

「私も自転車が壊れたら、直してもらいに来ようかな」

隣の芝生は青く見えるって、きっとそうなのだと思うけど。

「……きっと、そうだね、」

――どうしたの? ハンナがもじもじしているので、クレアは訊ねました。

「あのさ……クレアはもうアレ来た?」

「アレって?」

「……『月のモノ』……ってやつ」

「ああ、」

だからヨーイチさんじゃなくて私に、

「わたしまだなの」

「個人差があるっていうけど」

「うん」

「不安なら今度、一緒に病院に行く?」

「お願い、」

 ヨーイチがお茶とコーヒーを淹れて戻ってきました。ふたりで何の話してたんだ? クレアとハンナは一瞬見合って、

「女の子だけのヒミツだもんね」

「なんだよ、さみしーなぁ」

陽一は困ったように笑いました。


* * * * * *


「あっ」

ショーウィンドウの中でハンナの表情がパッと明るくなった。

「ウェディングドレスだ」

 ショッピングモールの一角で、まだ誰も着たことのない白のドレスが飾ってあった。少し陽に焼けていて、埃を被っていたが、『およめさん』の幻想に瞳を輝かせる彼女には関係ないことだった。

「結婚とか、したいの?」

うん、とハンナが答えた。マネキンはブーケを持たされており窮屈そうにコルセットを身に着けていた。

「白無垢とどっちがいいかなぁって迷うんだけど、やっぱりわたしはウェディングドレスかなぁ、って……」

はにかむように彼女は言った。

「子供はね、二人……ううん、三人は欲しいかな。ひとりぼっちじゃ、淋しいだろうから。男の子二人に、女の子ひとり。名前も決めてあるの。サムとゲイブ、それにミッシェルって」

「……ハンナは……、」

言いかけて、後ろから「おい」と話しかけられた。緊張が解け、眉が上がるのが分かったから、そのとき自分は笑っていなかったのだと思う。

「お前がハンナか?」

見知らぬ男の人だった。眼鏡をかけて、金髪で細身の。

「え……はい。そうです」

彼は名前をアルバートといった。私は知っていたけれど(それで彼も話しかけてきたのだろう)、あえて黙っていた。

「苗字は……ハルノだったか? 日本人なんだってな」

「はい」

「どんな意味だ?」

「春の野と書いて……、スプリングフィールドに近い意味です」

なるほど、とアルバートは訊いたものの別段興味なさそうに頷きました。

「日本にはいつ帰るんだ?」

ハンナは先刻さっきまでとは打って変わって、緊張した面持ちでした。

「お盆と正月には、きっと帰りますけど」

なるほど。とアルバートはうんうん頷きました。それから彼の友達が二人現れて、

「ああなんだ、ここにいたのか」

と、どちらが言うでもなく言いました。片方は物語を書きたいヘンリー(クレアのお兄さんでもあります)、もう片方はアレン銃砲店の一人息子ギルバートといいました。クレアとヘンリーは兄妹ですから挨拶もそこそこに、ヘンリーがアルバートに言いました。

「輸入ビデオコーナー探すって言ってたじゃん」

「言ったさ。だから今こうして探している」

「女の子じゃん」

「いやこいつは特別なんだ」

ハンナは何が起きているか分からずにカチコチになってしまって、小さく溜息をついたのちアルバートは意を決したように言いました。

「特撮って分かるか? パワーレンジャーみたいなやつだ」

「トクサツ?」

「ゴジラとかガメラとか、ウルトラマンとか。巨大ロボとか怪獣、それにジエータイが出てくるような映像作品のジャンルなんだが」

「ああ」

ハンナは夢心地でぼんやり答えました。

「それで伝わるなら、話が早い。つまるところ、なんだ、可能なら、日本に帰ったときでいいので、それのVHSを買ってきてほしいんだ。――もちろん金は出す、」

アメリカじゃあまり数が入ってなくて、入手困難なんだ……見かけたらでいい。英語字幕がなくても、オリジナル音声ならなんでも。

「そのくらいなら、いいですよ」

「本当か! それはとても助かる」

アルバートは普段の仏頂面から初めて嬉しそうにしてハンナの手を両手で取り握りしめました。

 ハンナはぎょっと目を見開いてその手を見つめていました。

「ありがとう。よろしくな。見つからなくても気にしないでいい。それはきっと、そういう運命だったんだろう」

物があるとより嬉しいが、それよりも探してくれる気持ちのほうが大事なのだというニュアンスを伝えたかったみたいでした。男ども三人はまたモールのほうに消えてゆきました……。

(前から話してただろ、例の女の子に会ったんだよ。むかし会ったことのある)

(赤毛の子?)

(お前ほんとうに過去の女の幻影に囚われ続けてるな)

(バカ、過去じゃなくて、今ここの話なんだって。とにかく、あれだ、女神みたいに綺麗だった……)

(お前それ、逢う女みんなに言ってんのか?)

(俺ってそんな軟派に見える?)

(悪いけど、見えなくもない……だって、イタリア系でしょ)

(たしかにイタリア系の血は入ってるかもしんねえけど。いやアイルランド系だったと思うけど。差別だろそれは)

(要は雑種か)

(人を犬みたいに! …………)

 ハンナはいつまでも見送っていました。握った手を胸に当てて、ハンナ? と呼びかけると彼女はどうすればいいか分からないまま、

「ドキドキした」

とだけ、言いました。

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