scene6 蜘蛛の糸


   2


 この保健所に忍び込むのも何年ぶりだろう。小学生のころは保健所が休みというと友達とよくここに不法侵入して、あれやこれやと遊んでいた。いま高校生になって懐かしい敷地内を歩いていると、あのころの記憶が甦る。追いかけあって走り回り、隠れたり探したり、銃で撃ち合ったり、刀で斬り合ったり。

 士郎は航平たちを従えて、裏庭から建物の側面に回り込み、駐車場跡を抜けて正面玄関を目指す。後ろで小学生たちが、「幽霊が出たら、どうしよう」と情けない声を上げているが、士郎は幽霊ならぬ陽介の行方に繋がる痕跡がないか、目を凝らしていた。

「ねえ、士郎。あれ……」

 航平が士郎の制服の袖を引っ張った。

「あぁ?」我ながら間抜けな声を上げて、航平が指さす方向を見ると、薄汚れたガラス窓の向こう、がらんとした部屋の奥に積み上げられた建築資材の山の足元に、中学の制服を着た少年が座り込んでいた。顔はうつむき、眠っているよう。腕は後ろで縛られているみたいだ。遠目にもそれが陽介であることがわかった。

「おい」ビンゴじゃねえか。慌てて士郎は中へ入れる場所を探す。

 コンクリートの建物。造りは学校の校舎に似ている。少し先にあるアルミ製のドアをみつけ、士郎は駆け寄るとノブに手を掛けた。カギがかかっておらず、多少錆びた蝶番が軋んだ音を立てたが、ドアは力任せに開くとなんとか動いた。

 四角いタイルの敷き詰められた廊下。その廊下に沿って広がる空間は、教室を四つ並べたような大きな空隙。こんな大きな部屋が保健所にあったろうか? どうもコンクリートの壁をぶち破って、無理やりこしらえたホールであるようだ。が、士郎はそんなことに疑問も持たずに駆け出していた。周囲を見回し、誘拐犯がいないか確認したのは我ながら冷静な判断。大人の姿はない。が、積み上げられた鉄パイプや、幌を掛けられた生コンクリートの袋の山の足元に、ざっと一瞥して十人近い子供が縛られて転がされている。

 全員が極度の過労と緊張からか、あるいは何かの薬物による効果か、冷たい床に座り込んだり倒れ込んだりして苦しそうな表情で眠っている。

 連続行方不明の被害者である小学生にちがいない。噂では五人だったはずだが、ここにはなんと八人いる。全員がなにか見たこともない白い糸のようなもので腕と足首を縛られて転がされていた。

 とにかく助け起こして無事を確認しようと陽介にむかって駆け出した士郎は、ホールの中ほどで目に見えないネットに突っ込んでしまった。

 かすかに粘つくネットは、士郎の顔といわず手といわずまとわりついて全身を絡め取り、ナイロン繊維のように細い糸が指や頬の柔らかい皮膚に食い込んだ。細く強靭な糸は、すぐに蜘蛛の糸だとわかったが、通常の蜘蛛の糸ならば引っ張れば千切れるものが、この糸はどんなに力を込めても切れることはなかった。切れずに絡みつき、士郎の手足の自由を奪ってゆく。

 慌ててじたばたすると、蜘蛛の糸のネットはますます士郎の身体に絡みつき、ぐいぐいと締め上げて四肢の動きを封じ込めてきた。

「なんだこりゃ」腹立ち紛れに叫んだ時には、士郎の身体は動かなくなっていた。自由になる目だけ動かして周囲を見回すと、航平もドカッチも、二人の小学生も、見えない糸の強靭なネットに身体を絡め取られて、身動き一つとれない状態にある。

 一番ちかくにいるドカッチに向かって手を伸ばした拍子に、身体のバランスを崩して士郎は倒れ込む。そしてそのまま足が宙に浮いた。「くそっ」と毒づきかけた口に、猿ぐつわが噛まされるように、見えない糸が何本も巻きついてくる。士郎の背中を冷たい汗がつたった。

 この糸、動けば動くほど、増殖しやがる。

 士郎は宙に浮いた状態で動きを止めた。糸の増殖も止まる。が、このままではこの拘束を解いて逃げ出すことはできない。士郎は身体を動かさないようにして、目だけで周囲をうかがった。

 什器が完全に撤去された書庫や、デスクが取り払われたオフィス。フロアの内壁を丁寧に破壊して、ひとつの大きな空間がつくられている。隅の方には便器が並ぶ一角もあり、そこが元はトイレだったと分かる。天井を見上げると、蛍光灯管はすべて割られ、明かりはつかないようにされている。そして、薄暗い影に呑まれている天井壁を、何かがゆっくりと動いていた。

 士郎の全身がぞっと総毛立ち、体中の血液が泡立った。

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