* * * * * *

 ああ右も左も下らない。私はこの娼館の政治ゲームに加わる気など無い。各々が自分たちの肉体性の魅力や技術力を誇示しながら、我々はこのようにするべきだ、それはしてはならない、主人かんりにんは何をやっているんだ、などと声高に叫んでいる。声高というのは比喩で静かに着実に陣営の味方を増やす。この淑女は文字だけで出来ている。私の肉体はヒロインが可愛くて魅力的ですよ、であるとか、更新頻度が高いですよ、ストーリーが感動的で泣けますよ、であるとか。物語を利用したゲームに過ぎない。闘争領域の拡大。

 かと言って娯楽性やオモシロサを捨てるわけでもない。セラヴィ、愉しまなくては意味が無い。そこには文字を使う事による可笑しみや快感が無くては。損だ。思い詰めているだけでは。というような考え方で以って日向彩芽は自分の立場を定義/限定していた。ミロール、群集ラ・フール、後悔は無いわ、バラ色の人生、パダム、パダム……。

 エディット・ピアフはやめろ! 狂った暑さにローズが叫んだ。ラジオのチャンネルを回し合わせると流れるのは弦楽のためのアダージョ。続けてリトアニア学生の焼身自殺とロッド空港の虐殺について報じられる。その犠牲者について……二十六人が死亡、負傷者は百名近く……アダージョは彼らへの鎮魂歌として捧げられている……GHQ占領下の日本やJFKへ向けられたように…………。

自殺攻撃カミカゼね。日本人は今でも勇猛果敢だこと、ねえアヤメ?」

あたしは自分を日本人だと認識した事はない。その皮肉は意味が無いわ。汗水を垂らしながらカキ氷を喰らった。

「あんた、『ディープ・スロート』は観た? 不感症の女は喉にクリトリスがあって……ああ、説明するのもアホらし」

ローズはジタン、アヤメはゴロワーズに火を点けた。映画は見ないわ。人生とあまりにも異なるもの。へえ、役者はスクリーンの影に過ぎないと? そうは言ってない。あたしが現実だ。この暑さも? 意識は朦朧として紫煙が燻り照りつける日射ひざしは風景を歪めた。ここは一九七二年のベトナムなのか……。今やそれすらも曖昧になった。

 グラスの氷が溶けて、カタリと音を立てた。ローズはコニャックを呷って妖しく笑みを浮かべた。ドイツで第二回目の開催となるミュンヘン五輪も間近に迫り……とラジオが告げている。分断国家……代理戦争……殺人と犯罪行為の外部委託アウトソーシング……。

「人がやりたくないことを、あたしたちが代わりにしてやってる、ってだけの話よ。好みでもない男と寝たり。喉に陰茎を押し込まれたり。笑顔で接客して、男どもを兵隊どもを満足させ、戦争に加担し、そしりを受け…………あたしたちはの矢面に立って……殺したり、殺されたり…………」

酔ってんの? アヤメは外の揺れる陽炎を眺めて言った。いいえ酔ってなんかいないわ。煙草の葉が口に入りローズは唾を吐いた。

「米軍は撤退するようね」

「そうでしょうね」

「我らが共和国軍は、いったい何を?」

「腐敗と、政治と、尊い無駄な犠牲でしょ」

エア・アメリカと麻薬汚染。元締めは大統領グエン・バン・チュー

「こないだのイースター攻勢を食い止めたと……」

「もう何が本当で、何が嘘なのやら」

自分で真実を判断する? 自らの意志と自由と権利と責任において? その脳味噌ブラスがイカれてちゃ、意味があるのかしら。

 上階ではノフジとアザミがベッドを軋ませながらまるで共鳴するように喘いでいる。四人を載せて激しく前後運動するような強度ではないと思うが。声だけが止んで二人は後ろから突かれながら舌を(それはつる植物であるように)絡め合っているのだと思う。あたしはレズじゃないとアヤメはうんざりして吸い差しから次の煙草に火を点しチェーンスモークすると、大きく煙を吐いた。

「やっぱり外部委託よ」

「何の話?」

「ロッド空港。PFLPは外国人なら怪しまれないだろうと日本人に襲撃を依頼したそうじゃない」

「でもあたしたちはみんな黄色い猿だわ」

「見た目の話じゃなくて。汚い仕事ウェット・ワークを他人に押し付ける意味」

「ああ、」

ぼんやりと思い出してきた。ラジオの音量を絞る。レ・ポピーズLes Poppysの『ジーザス革命Jésus revolution』そしてジュリアン・クレールの『陽射を入れてLaissons entrer le soleil』が流れている。思考や哲学知識を愛するも外部委託の時代。演奏には指揮者が居て、その解釈を一任され指導し群体としての音楽を奏でる。集団芸術は……映画もまた同じく…………。コロニーとしての純度の高さ…………。コミュニケーション能力…………。独り上手…………。

 ソロ。ソロ。ソロ。集団を失くした一疋のゴキブリが孤独に床を這っていった。………独奏………。………独創………。

 独走、するアヤメを止める事はできないだろうし議論をする余地もないだろう。結局のところ進むやつは進むし留まるものは留まるだけなのだ。生き残った者だけが勝者と呼ばれる。決断を遅滞させる事が、勝利なき灰色の戦争に追い込む事が、負けない勝負せんそうの続け方。決断者なき群体はその責任を先走った者に与えるだけ。

「これ、」

そして生き残った者が先行者E2-E4の犠牲の上にその利潤を勝ち取る。結果だけが全てだ。結果だけが全てだ。それがこの国の経済システム法律ルール。ローズは散弾銃を手にして言った。

「あんたに返すわ。あたしが持っていても持て余すだけだ」

アヤメは初めてローズに向き直って、その表情は意外な事に淋しげに思えた。

「預かっといて。暴力装置を持っているに越した事は無い。皆を守るのにも必要だと思うし、それに、」

躊躇ためらったが、やはり言った。

「たった一人の親友みかただもの。死んで欲しくは無いから」

ローズは散弾銃を取り下げると吸い殻を捨てて踵を返す(やはり恥ずかしかったのかもしれない)アヤメの背中を見送った。ジタンを吸い終わり、グラスにコニャックの瓶を空け、体内にじんわりと注ぎ込むと、ようやく呟いた。

「いつ親友になったつもりよ」

その口角はやや上がりハの字の眉は困惑したようだった。

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