* * * * * *

 ああ雀が死んでいる。落鳥を猫が啄ばむ。それを煮てさ、焼いてさ、喰ってさ。ダイナはフランスネズミをよく捕まえてきた事を私は覚えている。食べられるものは何でも食べた。概念上の父親(神ともいう)は不明瞭な屋内で叱責し、部屋からはLuxが漏れている、そこに父親の姿はなく影だけが伸びている。

「お父さん厳しくなりすぎ」

と、有栖は言いました。仕方ないわよ、お母さんが死んでしまったのだから。と、お姉さんは答えました。そんなものかな、と有栖は遠巻きに光景を眺めながら思いました。

 お風呂先に入るね、と有栖は全裸になった、鏡を眺めると歪んだ仮面を付けている事が分かる、目は小さくすっぴんで頬骨は出っ張っている。両の眼はいやに接近して鏡の表面で一つ目サイクロプスとなる、肌に纏わりつく蝋細工のような薄っぺらい仮面は剥がれる。

 急に涙が溢れました。「おねえちゃあああん」と有栖は叫びました。姉の胸の中で有栖は声帯をふるわせました、お母さん、もう二度と息をしない、目覚めない。心も動かない――それなのに、数日後に向けて葬式の準備。こんな落ち着いてる事ってある? 死んでしまったんだよ! なのに、それなのに…………

「日常は何もかも残酷に過ぎていくものだわ 死という境界リーメンそれ自体は問題ではない。取り返しのつかない、という事実が、何よりも忌まわしいのよ」

 有栖はわんわん泣き喚きました、そしてこれが虚構、幻想、ただの夢である事にだんだん気付いてきました、こんな事は起きなかった、本当の父親なんて知らないし。覚醒のとき、驚くほど自分を客観視しているように錯覚する。――この夢は何だ? 固い床に布を敷いたような粗末な寝床だ。ゆえにこんな悪夢を見るのだ。犯罪者は代償夢を見ないらしい。ネズミ捕りがパチンと音を立てる。

オズOz。行って見てこいよ」

有栖は三つ編みの少女に命令する。華子から渡されたカルカノ小銃を抱きつつ仮眠している。歩哨は交替で夜に立ちこの中継地/前線基地を警戒している。

「君は誰なの?」

と、伏し目がちにオズワルドが答える。有栖は瞼を痙攣させる。

かいこの幼虫が食われないように、だろ。それにネズミは数が揃えばお前らの間食おやつにもなる」

「あんたが勝手にやってる事じゃん。桑子が食われようが、わたしには関係ない。華子ハナコの命令に従うだけ」

「絹が取れれば金にはなるぜ。華子だってあの幻想ファンタジーは大好きだろ」

「取れれば、売れればの話でしょ。【取らぬ狸の皮算用Nói Trước Bước Không Qua】」

「講釈か? 幸せウサギLucky Rabbitというより小間使いの蓮葉女Lackey beastだな」

「何? その恋愛脳。ウザいんだけど」

だが図星のようだった。ネズミ捕りがもう一つ、音を立てる。オズは銃を担えて奥の室に消えた。

 眠れない。マッチを一つ擦りシケモクを聖書で巻いた紙巻に火を灯す。雨が降っていたらしい。虫とカエルが鳴いている。口内にえぐみのある古いヤニがピリピリと滲み込む。

(塩味が要る、)

と、有栖は思った。蝶のナイフを音もなく開くと巻いた包帯を解き白い肌に刃を当てた。蚕が桑の葉をざわざわと虫食んでいる。

 つう、と刃の先端が手首の内側を舐めると赤い赤い血液がひっそりと零れ落ちた、有栖は舌でちろりとそれを舐めた、ナトリウムとヘモグロビンそれから太古の海の味がした。しばらく舐めていたが火酒ウヰスキの瓶から脱脂綿に吸わせ拭き取ると押さえながら止血し包帯を巻き直した。それから煙を火酒で流し込んだ。爪を噛んだ。

 弾薬を分解し火薬トルエンを取り出す前にオズが戻ってきた。

「ちょっと」Knock knock

と煩わしそうに呟き、それから、

「蚊が多いんだけど」Who’s there?

とぼやいた。不安げに続ける。

「誰か来るみたい」Somebody’s coming

「誰かって?」Somebody who?

「それが分かれば、あんたのところになんか」the 2nd Coming

「指示を仰いでるのか? 此処の管轄はお前なんだろ」

「いいから、」

やはり子供だ。室内に歩哨たちを呼び戻し、軽機を配置、少年兵だから三人で持ち運ぶ。仮にこいつらをカカシ、ブリキ、ライオンとしておこう。ドロシーは誰だ?

 脳味噌のないカカシが二脚を据え、勇気のないライオンが弾薬手となり、心のないブリキが引金に指をかける。まだだ、と有栖が諭し引金から指を外させる。合図があるまで撃つな。

 有栖はハンドガード部の欠損したガーランド自動小銃に八発の挿弾子エンブロック・クリップを差し込む。パンチとジュディ。色盲の道化師プルチネッラは目元で照準器のダイヤルをチクタクと回す。安全装置を外す。桑の葉の虫食まれる音だけが響く。


 白旗だ。森の陰から伸びたのは。有栖は拍子抜けして小銃を肩から外す。両手を見えるように、出てこい、と有栖が言う。背の小さい子供がまず木陰から這い出して、その後ろからおずおずと背の大きな娼婦の女が付いて来る。

「帽子屋か。ここで何してる」

「用事のあるのは僕じゃなくて、彼女のほう。いま、娼館が大変なんだって」

え、えへへ……と薄気味悪くへらへらと(自己防衛の為に)笑っているのはオニユリタイガーリリーだ。染み・雀斑そばかすだらけの肌に、色の抜けかけた赤毛をしている。それは発育が良いまま身体だけ大人になったようだ。ははあはは、はあはあは、大麻吸う? と有栖に持ちかけて、それを断られる。

「はあははは、――Soll ich das erklären? Kannst du nicht für mich, Hatta?」

と帽子屋に訊いて、「Nein, ich denke Sie müssen. Es weiß ich nicht soviel, sowieso.」と返される。オニユリは中国系で学の無いくせに何故だか堪能に徳国ドイツ語を話した。娼館では時々オニユリは帽子屋にドイツ語を教えてやっていた。中独でもあるまいに! オニユリは落胆と緊張の混じった浅い呼吸をしてから話し始める。

「え、っとね。お土産、にこれ持ってきたのね(オニユリは蓮の実の砂糖漬けを手提げカバンから取り出した)。な、んかみんなで集まってるって聞いたから……帰る、とこ無くて今」

ここでは無いどこかに帰りたい。お前には家があるんだろう。逃げているばかりですね。僕らは、負けたのだから、要はそれが悔しかった。ああ母なる子宮の他に僕らの帰る場所はあるのだろうか?

 土あるいは海。これは分解者の話です。生物は他の生物を消費しその体内で分解し養分を取り出し糞として排出する。その同様のプロセスが死体においてもやがて起きる。死んだお母さんもきっと同じように蟲に食われ、細切れにされ、その肉体的物理的仮庵アパルトパンを失くしてしまった。(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

 本の蟲が言の葉を食しその体内において分解するのであれば取り出された養分は本来、人生を生きる糧となる。死んだ僕らは?

「お姉ちゃんはどうしたのさ?」

それこそオニユリが避けたかった話題だった。取り落とした砂糖漬けにわっと虫が群がった。子供だった。オニユリは汗をだらだらと流して口と目を虚ろに開けたまま硬直し、紡がれない言葉を必死に手繰っていた。現実の一切は死・物語の終焉に対する遅滞行為だ。気晴し・嬉遊曲ディヴェルティスマンとしての娯楽、物語、想像、妄想、言語、思想パンセ、宗教、集団、社会、政治、国家ナシオン、戦争、平和、愛憎、生殖セックス、殺人……。人間は時計と地図によって/暦と方位によって(或いは占星術、天文学に基づいて……)自らの時空間座標を確認する。空には月だ。

……」

背景で柱時計グランドファーザークロックがチクタクと時を刻んでいる。

他怎么了Tā zěnme liǎo? おとこがどうしたって」

「あ……、他打了她Tā dǎle tāおとこおんな――アヤメを、打了ぶった是的うん、そうだった」

为什么なぜだ?」

「あ……、……ヤメがポン引きと寝るのを嫌がったから。だから、ぶった。――そう、そうなの、比平常いつもよりひどく、ぶった」

I did not hit her, it’s not true. It’s bullshit! I did not hit her. I did not.

「<furioso>いつものあいつか。そうなのか、帽子屋?」

「<comodo>詳しい事情は知らないけど。なんかキレてたよ」

「这是一个很好的理由。それで充分だ」

張り付いた顔の有栖がてきぱきと準備を進める。蝶のナイフ、狐のお面、棄てるための衣服、辿られない方法、殺人の動機、計画、カカシ、ブリキ、ライオン、魔法のロッドのレンコン銃…………。

「ちょっと、待ってよ。わたしのを勝手に連れてく気?」

「帽子屋とオニユリを此処に置いてく、それでいいだろ?」

「この二人の子守をしろって? 冗談」

「お前の餓鬼どもにってものを積ませてやる。殺人とセックスをするなら、早いほうが良い」

猿しか撃ち殺した事の無いオズは押し黙ってしまった。有栖は三人を連れて外に出た。帽子屋は「ごはん食べたアン・コム・チュア?」と訊ねたが、オズはぷいっと膨れ面で拗ねたままだった。オニユリは空虚を見ながら独り笑っていた。

「……はああは、はあ、ああは、はははあ、あははあ、あは、ああはあ、あはは、あははあ、はあ……」

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