第2話:殻付き黒スライムの真価?


 俺が「それ」を見つけたのは、一晩明けて太陽が真上に昇った頃のこと。


 とりあえず勝手に《オオヨク》と名付けた――今後も他の生物にあったら適当に命名しようと思う。ネーミングセンスはご覧の有様だから期待しないで欲しい。誰に向けて言ってるんだか俺は――巨大生物を前に、昨日の俺は思考放棄。

 近くにあった木の洞に潜り込んで不貞寝した。……食事は不要なのに睡眠は必要って、どうなってるんだろうか、この身体。


 なんにせよ状況把握が必要だろうと、森を散策することにした俺がほどなく見つけたそれは、トカゲっぽいなにかの死骸だった。なぜ「ぽい」が付くかというと、クソ東洋人が置いていった図鑑でも見たことがない姿をしていたからだ。


 まずサイズが大型犬ほどもある。これだけなら元の世界でも、外国にはいたかもしれない。

 しかしこいつは鱗の他に、鎧のような甲殻が体表を覆っていた。主に頭部や背面が甲殻、足や腹部が鱗で守られている。色は毒々しい赤と黄色の縞模様。

 加えて太い尻尾の先にハンマーのような、骨の塊がついている。図鑑の【きょうりゅう】にもアンキラだかアンキロとかいう、こんな尻尾の持ち主がいたような。それを支えるためか尻尾の付け根には、五本目六本目の足が生えている。

 極めつけは頭から後方に向けて伸びる、湾曲した二本角だ。なお、なぜか角の中心は空洞になっている。どう見ても攻撃には向いてなさそうだけど、意味あるんだろうかこれ?


 死因は明白で、背中から腹までが鱗や甲殻ごとザックリと切り裂かれていた。

 鋭利な切り口から血と内臓が零れ落ち、嗅覚が健在だったら顔を顰めたであろう腐臭を漂わせているのがわかる。


 ふむ。腐り具合からして死後二日といったところか。

 爆撃でもっとグチャグチャになった人間の死体を、飽きるほどに見ては“破片”を拾い集めて埋葬してたんだ。あの軟弱なクソ東洋人じゃあるまいし、動物の死骸くらいでいちいち動揺なんかしない。


 それより気になるんだけど……これ、食えるだろうか?

 食ったところで味わうこともできない身体なのを忘れたわけじゃない。森の散策中に思い出したんだけど、クソ東洋人が話してた【いせかいてんせい】の【ちーと】には、「他の生物を捕食することで、その特性・能力を獲得する」というものがあった。


 確かあれも今の俺と同じく、人間から人外の存在に転生する話だったような。……【にほんじん】の趣味嗜好というヤツは、ときに正気を疑うようなモノがある。ストッキングとかいう衣服を破く破かないでクソ東洋人が熱く語り出したときは、心の底からドン引きした。

 ともあれまだ果実しか食べていないし、試してみる価値はあるんじゃないだろうか。


 そう思って俺がトカゲもどきに触れた瞬間、予想外のことが起きた。

 触れた個所に強烈な引力が発生したかと思うと、抵抗する間もなく俺はトカゲもどきの身体に吸い込まれていたのだ。

 粘液のようなドロドロの体が、トカゲもどきの細胞一つ一つに浸透していく感覚。

 乾いた地面に水が染み込むかのごとく、俺という存在がトカゲもどきを余さず浸食する。

 気づくと俺は、トカゲもどきそのものと化していた。

 なにを言ってるのかわからないと思うが、自分でもなにがなんだか……。


 とりあえず骨ハンマー付きの尻尾をブンブン振り回したり、六本の足でその場をグルグル歩き回ったりして見る。うーむ、驚くほど違和感がない。鳥の雛が本能で生まれつき飛び方を知っているように、人間の赤ん坊が誰に教わらずともハイハイを覚えるように、自然にトカゲもどきの身体を操ることができた。どういうわけか、傷も綺麗に治っている。

 水場を探して川を発見し、自分の姿を確認すると、外見には多少の変化があった。


 まず、赤と黄色の縞模様だった体表が黒一色に。そして甲殻や鱗の一部が、さらに銀色の殻で覆われている。具体的には背中の中央と頭部、それに前足に銀色の追加装甲を施した感じだ。そして元々あったのと合わせ四本になった角の間、額の部分には俺の核と思しき深紅の眼が。


 ふむ…………どうやら、これが俺に備わった【ちーと】ということらしい。

 死骸に限るかどうかは不明だけど、生物に寄生して自在に操る能力。

 感想――これっっっっぽっちも主人公らしくない!


 むしろ悪役ポジションというか、もうただのクリーチャーだよ。人間じゃない時点で今更な気もするけど、これじゃあ【にほん】のデジタルやポケットな話みたいに、人間と共闘するパートナーに収まる選択肢も絶望的だ。いや、そもそもこの世界に人間がいるのかどうか。


 ――尤も、このときの俺はそんな些事を気にするどころではなかった。


 トカゲもどきの肉体を得たためだろう。俺は今、五感全てを使って世界を知覚していた。

 さっきまでが曇ったガラス越しであったかのように、クリアになった視界。

 顔を撫でる風は身震いするくらいに心地良い。

 風に揺られた木々の葉の奏でる音が、優しく聴覚をくすぐる。

 そして……二又に分かれた舌を通して感じる、芳しい“獲物”の香り。


 骨が外れそうな勢いで首を巡らせば、いた。

 距離にしておよそ五メートル先の草むらに身を潜める、茶色い毛皮のウサギっぽなにか。やはりこちらもただのウサギではなく、サイズは普通だけど耳が四つもあった。

 でも、耳の数なんてどうでもいい。

 肉。肉。肉。

 ただその一文字が、俺の脳内を支配していた。


「トカゲに寄生している今なら、脳内という表現も間違ってないな」などという、どうでもいい思考が入り込む余地もないほどの激しい食欲。

 スライムになってちょっぴり忘れかけていたけど、この胃袋が締め上げられるような空腹感とは、人間だった頃からの長い付き合いだ。

 狩りをしたくたって村の周りには森どころか林もなく、せいぜい地面からムカデやミミズを掘り当てるのが精一杯。その虫さえ蹴って殴って奪い合い、胃袋に放り込めた回数は片手で数えられる程度しかない。


 しかし今、目の前にウサギがいる。肉がいる。真空パック詰めされていない、新鮮な肉が。

 …………ジュルリ。


「ピキュ!」


 俺の舌なめずりを、四つも生えているだけあって耳聡く察知したようだ。

 まさに脱兎の勢いで逃げ出すウサギ。

 当然、黙って見送るわけもない。

 つーか誰が逃がすかああああああああ!

 俺は全力疾走でウサギを追いかける。


 ――と、底無しの空腹をさらに一瞬忘れるほどの衝撃が俺を襲った。


 力強く大地を蹴る足。風を切って突き進む体。肺が酸素を、心臓が血を全身に巡らせ、細胞が弾けんばかりに脈動する感覚。未だかつて味わったことのない解放感に酔いしれる。


 身体が軽い! 手足が思い通りに動く! そしてこの、こんなにも全身に漲るパワー!

 人間だった頃の俺は、枯れ木同然の脆く弱々しく、それはみすぼらしい体をしていた。喧嘩をすれば年上の男たちにいいように殴られ、風邪を引けば三日三晩生死の境を彷徨った。工場の流れ作業で肉も骨も削られるばかりの日々。生きていることがただ苦痛でしかなかった。

 だけど今、トカゲもどきの身体を得た俺は、溢れんばかりのパワーに満ちている!


 食欲と歓喜に突き動かされるまま、ウサギを追ってひた走る。ウサギもなかなかの速さだけど、着実に距離は縮まっていた。

 ガチンガチンと打ち鳴らす牙が届きかけたそのとき、不意に森の木々が途絶える。開けた視界に飛び込んだのは、高さ十メートルはあろうかという崖。

 ウサギが見計らったとしか思えないタイミングで崖沿いに曲がり、逃げ去ろうとする。

 なるほど俺に勢い余らせて、崖に落とそうという魂胆か。ウサギといえども、生き残るために頭を使っているわけだ。


 しかし、甘いわ!

 左の前足だけでブレーキをかけることにより、後ろ半身を滑らせるようにして急ターン。

 そのまま遠心力を存分に乗せた、尻尾の一撃をウサギに叩き込む!


「ビギュッ」


 骨が砕ける音を鳴らして、宙を舞ったウサギは頭から地面に落下。

 転がして絶命を確認すると、頭がひしゃげて気の弱い人にはお見せできないような具合になっていた。いっそ砕け散ってた方がまだマシというレベルの酷さ。

 さて。無事に仕留めたところで、ついに満を持してのお食事タイムだ。

 俺はアーンと涎滴る顎を開き、一思いにウサギを頭から齧りつく。



 ――宇宙を創世したという大爆発、ビックバンが俺の脳内で巻き起こった。



 肉を食み、骨を噛み砕き、臓腑をすすり、血を嚥下する。

 牙に響く食感が、舌に染み渡る旨味が、脳髄を直撃して末端神経にまで稲光を走らせた。

 我を忘れてウサギの血肉を貪り、その命を余すことなく胃袋に納める。


 ああ。ああっ。ああ!


 これこそ真理。生の答え。原初にして終焉。起源にして頂点。

 クソ東洋人受け売りのなんかそれっぽい単語が浮かんでは消えた。

 転生前まで遡っても初めて味わう歓喜のまま、俺は叫ぶ。


「ギシャアアアアアアアア! (訳:肉ウマアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!)」


 森に轟く魂のシャウトこそ、この世界における俺の産声だった。

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