第三話 芽吹く冬


 頭が沸騰してしまうほど考えて、話し合って、思いついた方法を片っ端から試した。火が付かないなら、油を使って燃えやすくしてみるとか。湿気っているなら、暖炉で乾かしてみるとか。すぐに火が消えてしまうなら、周りを囲ってみたらいいんじゃないか、とか。


 失敗するたびに学んで、すこし良いものができて。そしてまた、失敗する。油を使った時なんて、一歩間違えば火事になるところだった。

 廻は身を削っていた。まる三日、一睡もせずに動き続けた。

 僕はただ、黙って見ているだけだ。止めさせることは、出来なかった。


 ◆


「ねえ、灯火」


 呼びかけに顔を上げると、廻は月を眺めていた。水壁の向こうに輝くそれは、ゆらゆらと揺れ動いて、形が定まらない。なんとなく、三日月のように見える気がした。


「さくら、咲きそうにないね」


 形の整った唇から、言葉が漏れる。


「うん、全然咲きそうにない」


 曖昧に頷いて、ぼんやりと桜を眺める。期限まで、あと六日しかなかった。蕾さえまだ形になっていない枯れ木を、眺める。


 どれくらい、そうしていただろうか。


「もう、咲かせられないのかな」


 手伝い始めてから、彼女が初めて漏らした弱音だった。


「エミリーとの約束、守れないかも」


 その声が、虫の音のようにか細い。


「じゃあ諦めるかい?」


 廻はピクリと身を震わせて、恐る恐る口を開いた。


「やっぱり灯火は、この街から離れたい?」

「言っただろう、危険だって」


 揺れる青光に包まれて、二人でたき火を囲む。そうしていると、時間の流れが遅く感じるから不思議だ。冬の外気は肌を突き刺したけど、そのぶん炎の暖かさが、骨身に染みた。


 ふと、舌が勝手に回った。


「たき火、あったかいだろ」


 初めは、つけることすら出来なかった炎だ。


「これがあるから、僕らはこうして、さくらのそばで夜を過ごすことが出来る」


 廻が目を丸くする。自分でもいまいち、何を言いたいのか分からなかった。


「だからまあ、その」


 少女から少し、目を逸らす。


「これまでのことは、無駄じゃない」


 しばしの沈黙があった。廻はぷっと、こらえ切れない笑みを漏らす。


「なにさ」


 それが何とも面白くなくて、半眼で廻を睨み付ける。


「ううん、ごめん。きみの励まし方がへんだったから、思わず」

「僕は事実を言っただけだ」

「だから、ごめんって」


 廻は薄く、息を吐く。


「そうだよね。たかが四日で諦めてちゃ、ダメだよね」


 ありがとう、灯火。にひひ、と恥ずかし気に笑う廻に、僕は一つ溜息をつく。


「それなら良かった。からかわれた甲斐もあるってもんさ」

「またそういうこと言って。きみって結構、根に持つよね」

「作り主に似たのさ」

「あっ。ちょっとそれ、どういう意味なのかなっ」


 そんな口論をするのも、久々に感じた。廻は勢いよく立ち上がる。


「よし、それじゃあさっそくひと頑張りし、よ、ぅ」


 威勢の良い啖呵は、途中で途切れた。糸が切れた人形のように、廻が崩れ落ちる。受け止めると、少女は腕の中で静かに寝息をたてていた。


「驚かせないでよ」


 腕の中の少女の感触を鍵に、思い浮かべるのは孤島の夜空。


「灯れ、双翼」


 炎の翼で、桜を覆う。火力は、たき火の比じゃあない。

 戦いに備えて、蓄えていた力だったけれど。少しくらいなら良いかなって、そう思えたんだ。でも、廻には気づかれないように、こっそりと。


  ▽


「どうにかして、気温を上げないと」


 雪が舞う中、三人で頭を突き合わせて考える。双翼をもってしても、足りないようだった。うんうんと唸るばかりで、名案は出ない。


「どうして、あたたまらないの? おへやなら、あったまるのに」


 廻は難しそうに、眉根にしわを寄せる。


「外は広いから、かなぁ」

「風が吹いて、暖かい空気が逃げるんだよ」


 街の空気を全て暖めれるほどの、火力があれば良いわけだけれど。


「おうちのなかに、もっていければいいのに」


 ぼそりと、エミリーが呟く。


「木をかい? それはちょっと、難しそうだけど」

「あっ」


 廻が声をあげた。彼女は驚いたように、目を大きく見開く。


「それだよ、エミリー」


 僕とエミリーは首をかしげた。


「木を家に持ってくのかい?」

「そんなこと、できるの?」

「ううん、持ってくのは難しい。でも、それなら」


 勢い良く立ち上がって、少女は言った。


「木の周りに、家を建てればいいんだよっ」


 それは確かに、出来ないことも無い案だった。とはいえ、木を覆う小屋なんて、どうやって建てればいいのか。少女たちはさっそく、拾ってきた石やら木やらを組み立てていたけれど、遅々として作業は進まず。どうにも見てられなくて、僕は廻の肩に手を置いた。

 少しだけ手を貸そう、と。それから、数刻後。


「できたの」

「すごいね、灯火」


 とても家とは呼べない、レンガやら木材やらを歪に積み上げた奇妙な小屋が、桜の木をすっぽりと覆っていた。


「ありがとなの、とーか」


 輝く瞳で、エミリーが地に倒れた僕を覗きこんでくる。


「どう、いたし、まして」


 僕はといえば、息も絶え絶えだった。双翼の力に任せるがままに、手頃な家を数軒破壊して、それを無理矢理組み直したんだ。


「これ、どうぞなの」


 首からかけた水筒を、エミリーが手渡してくる。人形は喉が渇かないけれど、僕は上体を起こし、それを受け取った。蓋を開け、中身を勢い良く煽る。瞬間、喉が焼けるような灼熱。思わず咳き込んで、水筒をエミリーに返す。


「エミリー、なんだいこれ」

「おさけなの。おいしいと、おもって」


 不安げに僕を見るエミリーに、悪気はなかったのだと悟る。けれど初めて飲んだそれは、ほとんど毒と変わらないように思えた。


「おいしい、のに」


 寂しそうに首を傾げて、同じ水筒をエミリーが煽る。かなりの勢いで飲み下すエミリーを、信じられない思いで僕は見つめた。


「それが、好きなのかい」


 こくりと、少女は頷く。


「わたし、ひえしょうだけど。おさけのんでると、ちょっとあたたかいから」


 それだけ言って建てた小屋へと歩いて行くエミリーを見送ると、再び身体を横たえた。


「灯火、ありがと」


 ふわりと、乾いたタオルが顔の上に降ってくる。濡れた顔を吹きながらタオルを取ると、今度は廻が僕を覗き込んでいた。


「でも、どうして」


 不思議そうに尋ねる少女から、僕は目を背ける。


「あんなペースじゃ、期限に間に合わないだろ」


 そういうことが聞きたい訳じゃなかったんだろう。廻は何か言おうとして、小さな笑みと共に、口をつぐむ。

 遠ざかっていく足音を聞きながら。心地良い疲労に身を委ねて、僕は少し、眠ることにした。本当は必要ないんだけれどね。ただ、なんとなく、そんな気分だったんだ。


 ◆


 六日目。外から箱の補強をしていると、月も昇らない時間にエミリーがやってきた。もこもことした上着に、銀のペンダントを首にかけた、いつもの恰好だ。


「とーか、おはようなの」

「おはよう、エミリー」


 僕は一晩、小屋の様子を見ていた。風は防がれて、焚き火をすればしばらくして、上着が要らないくらいに暖かくなる。廻の策は成功だ。


「めぐるは?」

「中で寝てるよ。遅くまで頑張ってたから」


 エミリーは無表情の中に、少し申し訳ないような色を浮かべる。


「さくら、みてくるの」


 金髪の少女はそう言うと、ぺたぺたと歩く。頭はほとんど上着に埋もれていて、雪の上を転がる玉みたいだ。

 そうしてエミリーが小屋の中に入り、いつまでたっても出てこない。気になって小屋に入ると、焚き火に映される幼い少女は、枝を見上げたまま石像のように固まっていた。


「どうしたんだい」


 少女は物言わず、一点を指さす。そこには、枯れた木の枝があるだけ。


「枝がどうかしたのかい」

「あれ、みるの」


 そう言われて目を凝らしても、やっぱりあるのは枯れ木の枝だけで。


 いや、違った。


 枝の先についている、小さな突起。枝だと思っていたうちの、ひとつ。暗い灰色に覆われていた先っぽが、ほんのりと緑に染まっていた。

 見間違いかと、目をこする。それは変わらず、そこにあった。


「あれは、もしかして」


 尋ねようとエミリーを見て、僕は言葉を呑み込んでしまう。


 小さな少女の大きな瞳に、深い、深い瑠璃のいろどりが宿っていた。それはまっすぐ、僅かに覗いた翠色を映している。焚火の照らす小さな世界に、二つの色彩だけが鮮やかに映えた。


 瞬間、彼女の瞳に、僕は目を奪われてしまったんだ。


 時が止まったかのように思えたのは、ほんの一瞬。我に返って、廻をたたき起こす。


「廻、起きるんだ。桜に、蕾が出来た」


 うとうとしていた彼女も、途端に目を覚ました。


「どこっ?」


 指させば、廻はすぐに気づく。


「つぼみ、だ」

「うん。紛れもなく、蕾だ」


 かすれた呟きが、あたりに響く。

 視線を向けると、エミリーと目が合う。唖然というか呆然というか、もはやそれらを通り越して、彼女の表情は真っ白だった。金色の髪に、ぽんと手を置く。


「やったね、エミリー。あと少しだ」


 雪にまみれてごわごわとした髪を、ゆっくりと、指の隙間へ流していった。


「あと、すこし」


 かみしめるように、口の中で反芻する幼い少女。ぎゅっと、小さな体を覆いつくすように、廻が少女を抱きしめる。


「やったよエミリー! あたしたち、さくらを咲かせられるんだよっ」


 呆然とするエミリーを、離さないように。笑わない少女の分まで、廻は笑った。暖かな笑い声に、解かされてしまったんだろうか。エミリーはへなへなと、雪の上にへたり込む。


「やった、の」


 うつむいた横顔に、僕は確かに見たんだ。小さな少女が、ほんの僅かに、頬を緩めたのを。

 それは、僕が初めて見る、彼女の笑顔だった。


 ◇◆◇


「何もかもが、上手く行っているようだった」


 灯火は胡坐を崩して、立ち上がる。


「でも、明けない夜の世界は、そう甘くはない」


 人形は扉に手をかけ、ゆっくりと開けた。


「降ってきたね」

「そのようだな」


 ほろほろと舞う、白い粒。冬を告げる初雪だ。肌を刺す冷気を我慢して、外に出る。夜空にランタンをかざせば、真っ暗闇の底から湧くように、雪粒が際限なく落ちてきた。

 手頃な切り株に、灯火は腰を下ろす。おれはランタンを置き、木の根に腰かけた。


「その夜、エミリーが帰ったあと、雪が降ったんだ。それは正に、冬の脅威だった」


 語る人形の頭上に、月は無い。


 ◇◆◇


 吹雪が、あまりにも唐突に、僕らを襲った。暗闇を、雪と風が踊り狂って、目を開けることもままならない。暴れまわる風が、足を大地からもぎ取ろうと、横殴りに吹き付ける。着込んだ分厚い上着が、ぺらぺらな布切れに思えた。


 音を立てて、必死に建てた小屋が崩れていく。冷たさのなかで、右手に握る温もりだけは、決して離さないように。その先にいる少女が、ぎゅっと、握り返してくる。


「灯火、おねがいっ」


 ごうごうと鳴り響く吹雪の向こうから、声が聞こえた。

 繋いだ手の平を鍵にして、思い浮かべるのは、孤島の星空。


「灯れっ、双翼」


 炎の翼を噴出する。桜を守るように、広く、強く。けれど激しい雪のせいで、思うように出力が上がらなかった。木一本を守りきるには、足りない。

 翼を小さく、炎の密度を上げて、吹雪に抗う。せめて、蕾のある枝だけでも。


「このまま、押しきるっ」


 僅かな余裕が生まれた、その時だった。

 ざくり。厚い吹雪の壁の向こうから、雪原を踏みしめる音が、聞こえる。

 ざくり、ざくり。だんだんと、音は大きくなる。エミリーの足音にしては、重すぎた。年老いたトムが、吹雪の中を歩いてこれるとは思えない。


「ま、さか」


 雪の合間を縫うように、ゆるりと。そいつは目の前に現れた。

 真っ白なロングコートを羽織り、目深に被ったフードのせいで顔は見えない。僕よりも頭ふたつ背が高くて、男か女か分からない。けれどその威圧感を、間違えようは無かった。


 冬の番人だ。


 するりと、不気味に長い腕が伸びる。その先にいるのは、廻。突然のことに、彼女は動けない。考えるより先に、間に割り込もうとして。

 そして、ほんの一瞬だけ、迷ってしまった。動けば、桜を守れなくなってしまう。

 その一瞬が、冬の番人に付け入る隙を与えた。伸ばされた手が、廻の胸ぐらを掴む。そして廻の耳元に、顔を寄せて。


 何かが、ずれた。何が変わったわけでもないのに、番人と廻だけが、ずれた。


「くそっ」


 しゃがみこんで、番人に足払いを掛ける。衝撃、雪煙が舞い散る。

 敵を捉えた脚に感じる、氷の感触。かまわず振り抜いて、力ずくで体勢を崩させた。廻を奪い返して、抱きとめる。

 翼を広げて飛びずさった。冬の番人は立ち上がる。雪と風が、僕らの間を吹き抜けた。


『ソれデモ、終ワらセる覚ごハ、アるカ』

「なんの話だ!」


 つぎはぎだらけの、しゃがれた声音。番人は廻を見つめているようだった。

 おもむろに、幻想は背を向ける。ひときわ強く風が吹いて、吹雪に姿が紛れてしまい。


 雪が晴れたとき。そこに残ったのは、無残な姿に成り果てた、桜の木だけだった。


 細い枝は根こそぎ折れ曲がり、大地に散らばる残骸は半ば、雪に埋もれている。吹雪がやんですぐに、息を切らしてやってきたエミリーが見たのは、そんな光景だった。

 少女は、足元に埋もれた一本の枝を拾い上げる。手の中で、膨らんだ蕾が零れ落ちた。


 小さな背中に、何度か口を開けかけて。


「ごめん、エミリー」


 けっきょく漏れてきたのは、そんな陳腐な言葉だった。

 少女はこちらに背を向けたまま、首を横に振る。


「とーかのせいじゃ、ないの」


 自分に言い聞かせるように、エミリーは呟く。


「また、やればいいの」


 淡々と紡がれるその言葉は、普段と変わらないように聞こえて。僕は少し、安心した。エミリーはまだ、折れてない。


「じゃあ、ゆきかきするの」


 一から始めようとしたエミリーの肩に、力なく、褐色の手が置かれる。


「どうしたのさ、廻」


 心なし、顔色が悪いように見えた。置かれたその手が、小刻みに震えている。


「エミリー、待って」


 かすれた、絞り出すような声。不思議そうに首を傾げるエミリーに、廻は唇をかみしめた。今にも、泣きだしそうな表情。彼女は固く、瞼を閉じて。


「ごめんね」


 暗い夜空に、消え入ってしまいそうな声音で、言った。


「あたしはもう、きみを手伝えない」


 ◇◆◇


「まったく、何がなんだか分からなかったよ」


 ただ、可能性があるとすれば、それは。


「冬の番人との邂逅が、彼女の何かを変えたのか」

「そう思って、廻を問い詰めたけれど。彼女はただ、謝るだけで」


 灯火は、深いため息をこぼす。


「エミリーは、しょうがないって言って。廻を止めはしなかった」

「きみは、どうしたんだ」

「僕かい?」


 灯火はふっと笑みを零した。


「廻が手伝わないって言うなら、エミリーを手伝う理由もない。さっさと街を出ていこうって思ったよ」


 人形は、鼻先に舞い落ちた雪を軽く払うと、昏い空を見上げて、呟く。


「そう思う、はずだった」


 ◆◇◆


「灯火、街を出よう」


 二人で歩いていた時のこと。鎮座する白い宮殿の前で、廻は立ち止まる。


「ねえ。きみだって、そうしようって言ってたでしょ」

「本気かい?」


 僕は振り向いて、彼女の目を見た。少女は、口を噤む。どんな葛藤を抱いているのか、僕には分からない。分かる必要も、ない。


「分かった。じゃあ、この街を」


 出ていこう。ただ一言発するだけで、僕らは外の世界へ出て、旅を始めることが出来る。

 だというのに、僕の口は凍り付いた。手の中に、さらさらと流れる金髪の感触が蘇る。幼い少女の見せた、ほんの僅かな微笑みが、脳裏に浮かぶ。


「ちょっと、待ってくれないか」


 廻は驚いて、はっと顔を上げた。


「どうして」

「いや、まあ、その」


 思わずして漏れた言葉の、理由を探りだす。


「どうせあと三日。さくらが咲けば、儲けものだろう」


 とってつけた理由だ。僕には自分の心すら、分からなかった。


「だいぶん体も回復してきた。僕がエミリーを手伝うよ」


 廻は口を固く結ぶ。水の壁に遮られた月明かりが、真っ白に染まった大地を照らしていた。ゆらゆらと儚く、不安定に。余りにも小さな声で呟かれた、彼女の答えは。


「ごめん。もう少し考えるね」


 廻らしくもない、迷いを含んだ、そんな言葉だった。


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