第九話 再戦の夜


 炎の双翼を羽ばたかせ、宙を縫うように翔び抜ける。

 戦いは、熾烈しれつを極めた。いつしか雲をも遥かに超え、舞台は限りの無い天空へと移り変わっている。


 龍は、その力をもって暴風雨を呼び起こす。それはもう、激しいやつをだ。そしてこっちが風に翻弄されているところに、とんでもない速さの雷撃を叩きこんでくる。見てから動いてたんじゃよけることなんてできないし、そもそも見ることさえ難しい。


 この夜闇に、雨と風と雷光。おかげで視界はめちゃくちゃだ。水に浸したみたいに濡れた法被はっぴが――法被っていうのは僕が着てる赤い外套のことだけれど――肌に纏わりついて、気持ち悪いことこの上ない。その上、こっちは人一人を抱えたまま飛んでるんだ。


 余裕なんてどこにもなかった。目が頼りにならない分、耳と肌と炎の双翼と、それに勘だけを頼りに周囲の把握をするんだ。息も上がるし、汗も止めどなく噴き出してくる。一瞬でも気を抜いたらそれで終わりの極限状態。


 でも、絶対に負けるわけにはいかない。腕の中に抱えた少女との約束を、果たすまでは。


『ちょこまかと、鬱陶うっとうしいっ』


 雨風に紛れて、後ろから何かがくる。とっさに上空へ飛び上がると、さっきまで僕の体があった場所を龍の尾撃が貫いた。らしくもない、大ぶりの一撃。


――好機だ。


 その伸びきった尾へ向けて、落ちるよりも速く、び降りる。

 ただ速く、重く。


「はあぁぁっ!」


 そして、振り上げた右足を全力で振り下ろした。全身全霊の、かかと落としだ。


 衝撃。


 その瞬間、まるで隕石でも落ちたかのような、空間が震える重低音が辺りに響き渡る。周囲の雨粒さえも、すべて吹き飛ばしてしまうほどの轟音。

 僕の怪力に加えて、二人分の体重の全てを籠めた一撃。岩をも砕く強烈な打撃だ。


 何かを砕く感触が、あった。


 低く、重く、震えるような音が響き渡る。それが龍の咆哮だと気づくのに、少し時間がかかった。

 それまでの、頭の中に響く声じゃない。そのあぎとから音として発せられた、かの幻獣の悲鳴だ。


 効いてる。龍に初めて傷を負わせた。確かな手ごたえだ。

 でも、何か――何か、違和感があった。

 そう、あの龍を相手にして、この一撃はあまりにも綺麗に決まりすぎてたんだ。あたかも、そうなるよう仕組まれていたかのように。


 ぞわりと、身の毛もよだつ考えが頭の中で現実味を帯びていく。


 これは、まさか――


――罠、か。


 考えつくまでにかかったのは、一瞬。でもそれは、龍にとっては十分な隙だった。

 気付いたときには上下四方を雷雲に囲まれている。どの方向にも逃げ場が、ない。


 さっきの大ぶりな尾撃は誘いだったんだ。一撃もらうことも承知した上での、肉を切らせて骨を断つ戦法。

 まんまとはめられた。


「くそっ」


 もはや、避けきることは適わない。

 廻を抱くように体を丸めて、体を炎の双翼で覆う。これが、精一杯の防御姿勢。

 できたのは、そこまでだった。


 瞬間、体内で爆発でも起こったのかと思うほどの衝撃と共に、全身の感覚という感覚が麻痺して、目の前が真っ白になる。全身が、妙な浮遊感に包まれた。


 まずい。まずいまずいまずい。


 思考だけが空回りしながら、意識が少しずつ失われていく。こんなところで気絶するわけにはいかないのに。


――ぅか……うかっ……。


 誰かが何か言っているみたいだったけど、もう上手く認識することもできなかった。

 これ以上は、抗えない。


 思考が黒く塗り潰されていく。


 ここまでか。


 諦めかけたそのときだった。


「灯火っ!」


 声と共に、頬に鋭い痛みが走る。

 荒々しく引きずり出されるようにして、はっと意識が浮上した。


「起きて、落ちてるよっ!」


 廻だった。腕の中の彼女が、懸命に僕の意識を繋ぎ止めてくれたんだ。

 でも状況は、危機的だった。


 炎の双翼は消えて、僕ら二人は湖へと真っ逆さまに落ちて行っている。もう一秒とたたないうちに着水してしまうだろう。

 いくら水とはいえ、この速さでぶつかればただじゃ済まない。


ともれっ」


 即座に双翼を繰り出したけど、損傷が激しかったせいで炎の勢いが弱い。それでも、全力で羽ばたいて勢いを相殺する。


「ぐぅっ」

「きゃぁっ!」


 巨人に踏みつぶされでもしたかのような、ものすごい負荷が僕らの全身を襲った。歯を食いしばって耐えたけど、思わず声が漏れてしまう。


 そして、依然として高速のまま、僕らは水面へ激突した。


 壮絶な水しぶきとともに、四肢がばらばらになるほどの衝撃。上下の感覚がなくなって、前後不覚におちいる。


――どう、なった?


 盛大に水を吸い込んで、鼻の奥がつんとした痛みを上げる。痛みを感じるということは、まだ生きているってことだ。

 湖の水は、身を切るように冷たかった。大丈夫、感覚も生きてるし手足もついている。


 腕の中の少女に目を遣ると、大きな蒼い瞳と目が合った。苦し気な表情だったけど、その顔に笑顔を浮かべて彼女は何かを言う。

 水の中だから音は聞こえないけど、口の動きで何と言ったのかは分かった。


――あたしは、大丈夫。


 その言葉に僕はうなずきを返す。


 まだ、戦える。


 双翼を羽ばたかせ、勢いよく水上へと飛び上がった。水しぶきが辺りを包む。


 嵐の中、龍は依然としてそこにたたずんでいた。でも、その動きはどこかぎこちない。


『とんでもない馬鹿力。想定外だったわ』


 口調が、明らかに弱弱しかった。

 よく見れば、龍の口から赤い液体が垂れ落ちている。どうも、さっきの一撃がよほど効いたみたいだ。


「よくもめてくれたね」


 でも、対するこっちも満身創痍だった。血まみれで、全身が焼けるように痛い。どこにも欠損がないのが不思議なくらいだ。廻も、度重なる衝撃にかなり損耗している。

 勝負にでるなら、今しかない。


「ここらで勝負を決めようと思うんだけど、どうだろう?」

『いいわ、乗ってあげる』


 その提案に、龍は即諾そくだくした。

 お互い長くはもたない。この一合で、勝負をつける。


 龍の周囲を暴風が駆け抜け、かつてない大量の雷雲が渦巻き始めた。万全の僕でも、通り抜けようとすればとても無事では済まないだろう。


 こっちも、双翼を力の限り広げる。夜空を覆いつくさんばかりの炎で、雨をも吹き飛ばすくらいに。後先考えずに、残りの力を全部ふりしぼってやる。


「廻、これで決めるから」

「うん、任せた」


 耳元で、彼女の声が響く。廻は、僕が勝つことを微塵みじんも疑っていないように、そんな風に笑って言った。

 それがなによりも、僕の力になった。


「いくよ」


 そして、僕と龍の視線が交錯し――




 ――夜空の片隅で、人形と幻獣が、激突した。

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