私立 藍玉女学園

二木瀬瑠

第1話 『三者面談』

 四月、満開の桜が花びらを落とし始める頃、学校は新学期を迎えます。


 歴史ある講堂では、上級生が、真新しい制服に身を包んだ新入生を拍手で迎え、厳かに入学の式典が執り行われます。



「在校生、起立! 合唱!」



 ピアノの伴奏に合わせ、ベートーヴェン交響曲第9番『合唱』を、まずドイツ語で、続いて日本語で歌い、新入生を歓迎するのが、長年の入学式での慣わしになっているのです。





 私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。


 我が母校、私立藍玉女学園に、今年もご近所の女の子たち、何人かが入学されたとお聞きしました。


 そのうちの一人が、お向かいの萩澤家の長女の杏ちゃんです。今朝、中等科の入学式に向かう前に、わざわざうちへ寄って、晴れ姿を披露してくれました。


 ネイビーに白のラインが入ったセーラーの制服。デザインは当時とほぼ同じですが、今どきの子に合わせた裁断なのか、私が着ていた当時より格段に、シャープでスタイリッシュに見えます。


 何より、決定的に違うのが、スカート丈。女子なら、膝丈からプラスマイナス何㎝だったかで、おおよその年代が分かるというものです。





 藍玉女学園は、幼稚園から大学まで擁する女子校で、モットーは、『聡明・勇敢・沈着』。


 旧制の高等女学校から始まり、終戦後の学制改革で、新制高等学校の発足後も、女子校として存続し、創立から100年を超え、現在に至ります。


 歴史の長い女子大付属学園だけに、特に礼儀作法に関する教育にも力を入れており、また、特定の宗教は設けず、広く門戸を開いています。


 基本的にはエスカレート式ですが、幼稚園、初等科、中等科、高等科、大学、すべての段階から入学が可能で、他校への進学を希望する生徒に対しても、非常に協力的です。





 後々の受験の苦労を考えれば、まだそれほど倍率も高くなく、本人も受験を意識せずに済むような、出来るだけ早い時期に片付けたいのが親心。


 ですが、私立ゆえ、相応の入学金、寄付金、授業料が掛かりますから、どのタイミングで入学させるのかが、悩ましい部分でもあります。





 私は、中等科を受験し、入学しました。スポンサーでもある祖父母は、待望の孫娘に、幼稚園からの入学を強く希望していました。というのも、祖母が藍玉のOGなのです。


 ところが、スポンサーでもないのに、守銭奴な母から『幼稚園から私立なんて、授業料が勿体ない』と強く反対され、小学校に上がる際も同様、祖父母とも、泣く泣く入学を諦めた次第です。


 ところが、私が5年生になったとき、中学受験を反対するとばかり思っていた母から、絶対に藍玉に合格するように、との御達しが出されました。


 その時は、祖母と『どういう風の吹き回し?』と不思議に思っていたのですが、母には打算があったのです。その理由は私の妹、ゆりの存在でした。





 はっきり言って、このゆりというやつは、お勉強が大嫌い。正確に言うと、自分が嫌だと思ったことは、絶対にやらないタイプで、勉強もその一つ。成績表は、オリンピックならどんなに良かったか、という数字の羅列。


 すなわち、このまま行けば、ゆりが自力で合格出来る高校がない、という危惧が、徐々に現実味を帯び始めて来ました。


 本当は、やれば出来るのかも知れませんが、ゆりの性格から考えると、彼女のやる気スイッチをONに出来る確証は、無いに等しいのです。





 ところで、私立には『縁故入学枠』というものがあります。受験生の身内に、在校生や卒業生がいる場合、優先して入学出来るシステムです。


 藍玉女学園の場合は三親等以内。つまり、私が合格すれば、ゆりはほぼ無試験で入学出来るということになります。事実、そうしてゆりは中等科から在学しておりました。


 藍玉中等科の倍率は、概ね3~4倍。教育方針への共感もありますが、私立女子校はミッション系の学校も多く、そうなるとお家の宗教の関係上困る方もおられ、その点でも無宗教の藍玉には人気が集まるのです。





 ちなみに、私たち姉妹からみて、祖母は二親等ですが、旧制高等女学校の卒業生は、縁故枠には含まれず、母に至ってはまったく無関係。よって母は、不出来な妹のために、姉の私に白羽の矢を立てたのです。


 正直、ゆりにも母にも、言いたいことは山のようにありました。少なくとも、私自身、特に成績優秀でもなかったので、受験のために諦めたものもあり、必死で努力して勝ち得た合格でした。


 姉妹なのに、常に貧乏くじを引かされてばかりの私にしてみれば、何の努力も苦労もせず、当然のような顔で入学し、飄々と学生生活を送るゆりには、腹立たしささえ感じたものです。





 さて、藍玉中・高等科に入学すると、先ず初めに、教師と生徒と保護者での三者面談が行われます。面談は、新学期が始まってすぐと、二学期の後半、そして三学期の終わりの計三回。


 新学期始まってすぐの面談は、もっぱら顔合わせの意味合いが強く、主に保護者の教育方針や、自宅での生徒の様子などを伺う目的がありました。


 二学期後半と、三学期の終わりの面談は、成績や学校生活に関するもの。前後期制でしたから、期末試験が終わった後の実施です。





 杏ちゃんが中学に通い始めて間もなく、萩澤さんの奥さんから、ご相談を受けました。三者面談に関して、一体何を聞かれるのか、どうしたら良いのか、教えて欲しいとおっしゃるのです。


 といいますのも、杏ちゃんが入学した今年度は、新入生に、病院や大手企業の創始者や経営者、名のある政治家、著名人、旧家・家元などの由緒正しいお家柄のご令嬢が多く含まれる、いわゆる『当たり年』といわれる年でした。


 そうしたお宅の場合、元より、お家同士のお付き合いがあることも多く、入学式や、式当日の教室内では、顔見知り同士で固まるため、彼女たちのセレブリティな出で立ちや会話は、どうしても目を引きます。


 勿論、全体から見れば少数派で、多くは一般のサラリーマン家庭のお嬢さんなのですが、そうした方々を間近で目にし、中には、分不相応な世界に引きずり込まれるのではないかと、不安を感じる方もいらっしゃるようで。



「大丈夫だよ。一学期は、顔合わせ程度のことで、訊かれるのも、ご両親の教育方針とか、自宅での様子とかだから」


「でもね、杏が言ってたの。将来、自分や周囲が恥をかかないように、上流階級のための授業があるんだって。それって、ホントなの?」


「ああ、あれね」


「やっぱり本当だったんだ! もしかして私、杏をとんでもない学校へ入れてしまった??」


「いやいや、そうじゃなくて。ね、ちょっと、落ち着こうか」



 萩澤さんがおっしゃっているのは『礼法』のカリキュラムのことです。


 藍玉女学園では、幼稚園から大学まで一貫し、週に一度、正課として、華・茶道からテーブルマナー、ドレスコード、社交ダンスや日舞に至るまで、衣食住すべてに渡り、あらゆる礼儀作法教育を取り入れておりました。


 ただ、このカリキュラムは、正課だけでなく、その他一般の授業の中にも組み込まれており、生徒からすると結構な曲者。


 重要なのは、上流階級向けのマナーだけにとどまらず、日常のお掃除やお洗濯のやり方から、お魚の下ろし方など、『ここはスーパー家政婦養成学校か?』と思いたくなるほど、徹底的に叩き込まれるのです。


 当然、反発する生徒も現れ、



「はたきのかけ方とか、お雑巾の絞り方とか、要りません! 私は、家事一切しなくていいお家に嫁ぎますから!」


「『しなくて良い』のと『出来ない』のとでは、まったく意味合いが違いますよ。そうしたことは知性や品格と共に、所作の節々に出るものですから、もし、あなたが世界的な上流階級のご家庭に嫁いだなら、尚更です。それに、そうした暮らしが永遠に続けばよろしいですが、万が一、すべてを失ったとき、何も出来ない、分からないのでは、悲劇の上塗りです」


「じゃあ、どこかの国のお妃さまにでもなればいいんでしょ!」


「外国の王妃なら、なおのこと。陰謀、転覆、失脚、暗殺、内乱、戦争、何が起こるか分かりませんし、余程のスキルを身に付けていなければ、国民の尊敬を得ることすら出来ませんよ」



 その逆もしかり。



「うちは一般家庭だし、テーブルマナーとか、ドレスコードとか、どーでもいいです! 一生、私には関係ないですから!」


「それはどうでしょう? 結披披露宴にご招待されれば、必ず必要になるでしょうし、結婚する男性のお立場によっては、必須事項になることもありますよ。あるいは、将来、あなた自身がお仕事で大成されて、そうした立場になることも、考えられますでしょう?」



 といった遣り取りが、先生と生徒の間で、年に何度となく繰り返されているのです。





 そう、セレブ家庭に生まれようと、一般家庭に生まれようと、それが未来永劫続くとは限らず、将来のことは分かりません。


 特に女子は、結婚する相手によって、ふり幅が大きいものですから、家事全般まったく出来ないお嬢様の転落人生、常識も作法も一切知らないシンデレラストーリー、現実はどちらも大変です。


 そう考えると、やっておいて損はないということですが、如何せん、先生の指導たるや、相当厳しいものがありますので、思春期・反抗期、真っ只中の女の子にとっては『何で私が!』という気持ちにもなるというもの。


 ただ、大人になって、いざ社会生活をして行く中で、藍玉で学んだことには、多かれ少なかれメリットを感じている今日この頃です。





 一応、萩澤さんにそのことを説明し、あまり心配する必要はないことを伝えました。


 もし、将来、杏ちゃんがどこかの国の王妃様にでもなる日が来たら、それはまた別の問題で、そうなったら、その時に考えるしかありませんし、その時に慌てないための、ちょっとした準備だと思えば良いのだ、と。



「あとね、もう一つ教えて欲しいのは、この『希望日時』の書き方? これは、希望日に『○』じゃなくて、駄目な日に『×』をするってこと?」



 そのプリントを見た瞬間、自分の中に蘇る、苦い想い出。



「うん、そう。どうしても駄目な日のところに」


「分かった。ありがとね!」



 そう言うと、萩澤さんは手を振りながら、自宅へ戻って行きました。


 彼女の後ろ姿を見送りながら、自分が学生だった頃の、あまり思い出したくもない記憶が、昨日のことのように蘇って来ました。





 それは、中等科に入学して間もなくのこと、最初の三者面談を行うにあたり、保護者とのスケジュールを調整するため、各家庭にプリントが配布されました。


 学校側としては、同一日時・時間帯への希望が集中するのを防ぐため、保護者側の『希望する日』に『○』ではなく、『どうしても都合の悪い日』に『×』を付けるように、とのお達しで、私も母にプリントを渡す際、その旨を間違えないよう伝えました。





 数日後、そろそろプリントの提出期限が迫っていましたので、母に先日のプリントのことを尋ねると、ハッと思い出したように、慌ててプチ山積みの紙類の中からプリントを探し出し、その場でささっと記入して、私に手渡しました。


 それを見て、唖然とした私。そのプリントには、一か所を除いたすべての欄に、びっしりと『×』が記入されていたのです。


 これは、私の説明の仕方が悪かったのかもしれない、と思い、今書いたばかりのプリントを、再び母に手渡して、言いました。



「えーっとね、記入の仕方なんだけど、先生がおっしゃっていたのは、希望する日ではなくて、どうしても都合の悪い日だけに、『×』を記入してください、っていうことだったんだけど」



 すると、母は怪訝な顔で答えました。



「だから、行けない日に『×』付けたでしょ」



 やはり、趣旨がちゃんと伝わっていなかったと思い、私は、教室で先生から説明された通りの言葉で、もう一度、母に伝えました。



「いや、だからね、先生がおっしゃっていたのは、希望する日に『○』を付けたり、希望する日以外を『×』で埋めたりしないで、どうしても都合の悪い日『だけ』に、『×』を付けてくださいって…」



 すると、母はあからさまに不機嫌な口調で言いました。



「だから、都合の悪い日に『×』付けたの! 私には、仕事があるんだから、忙しいことくらい、分かるでしょ!」


「でも、全部『×』って…」


「専業主婦でずっと家にいるお母さんたちと違って、この日の、この時間しか、あんたの学校になんか、行ってられないんだから!」


「じゃあ、先生には何て言えば…?」 


「先生が何て言ったか知らないけど、うち一件くらい無理言ったって、どうってことないんだし、それを何とかするのが、先生の仕事じゃないの!?」



 もうそれ以上、何も言うのをやめました。


 いえ、言いたいことは、山ほどありますし、常識的な感覚をお持ちの方なら、誰しもが率直に思うことでしょう。





 まず、記載の仕方に付いては、ルール自体を無視しているのですから、論外です。


 稀に、どんなに説明しても、趣旨自体が理解出来ない方もいらっしゃる(らしい)ので、そうした場合は別として、一応母自身、趣旨も、記載方法も理解しているわけですから、確信犯という意味でも、相当悪質です。


 また、仕事をしているとか、専業主婦だからというのは、それぞれの環境や事情で変わりますので、どちらが暇とか、忙しいとかは、一概に言えません。


 専業主婦でも、一日、自分の好きなように過ごせる方もいれば、手の掛るお子さんや、要介護者がいれば、自由になる時間は限られますし、お仕事も、経営者から、管理職、一般職、派遣社員、パート・アルバイトまで、様々あります。


 とりわけ、私の母の場合、仕事が忙しいといっても、自身が経営するお店で、何人も従業員がおり、立場上いくらでも都合は付きますし、急用があって連絡すると、私用含め、用事で出掛けていることも珍しくありません。





 ついでに申し上げれば、時間のある専業主婦より、ワーキング主婦のほうが、優先されるべき理由など、何もないということ。


 勿論、様々な事情で、生活のためにいくつも仕事を兼任して、寝る間もないほど働かざるを得ない状況の方に関しては、心情的に、自分に出来る部分はフォローさせて頂くことも、やぶさかではありません。


 ですが、そうではなく、自身の意思で働くことを選択している以上、時間の拘束は必然。


 そして、それ(労働)によって、報酬(お金)を頂戴しているのですから、何の利害関係もない他人に、専業主婦等で時間があるからと、負担を強いる理由にも、自身が優遇される理由にもなりません。


 それが成立するのは、お互いの合意がある場合だけです。





 そして、何より問題なのは、『私一人くらい』という考え方。


 集団の中で、多数の人が同様に考えて行動すれば、秩序が崩壊するということを、大人なら、まして経営者という立場であれば、尚更、わきまえていてよさそうなものですが。


 仮に、どうしてもそのピンポイントの日時でしか、都合が付かないのだとしたら、手渡された当日、すぐにでも記入して提出するのがマナーだと思います。


 同一日時に希望が集中する可能性や、その際の先生の調整の手間、何より、自分の都合を最優先させてもらうためにも、出来るだけ早めに、プリントを提出すると思うのです。


 その際、私なら、その超自己中な希望の記載に関しても、趣旨は理解したうえで、どうしてもその日時でないと都合が付かなかったという旨の内容を、プリントの目のつきやすい場所に、記載すると思います。



『記載方法に関して、娘から『都合の悪い日時』に『×』を記入する旨、聞いております。そのうえで、どうしても当該日時しか都合が付かず、私共の我儘と重々承知しておりますが、今回ばかりは、何卒宜しくお願い致します。お手数をおかけしまして、申し訳ござません。by 母』


 それなのに、母は、提出期限ギリギリまで放置していたプリントを、私に催促されて、その場で、ちゃちゃっと記入したのです。


 逆に言えば、手渡された当日、すぐにその場で記入出来たということ。その上で、あの言い分なのですから、振り回される方は堪りません。


 しかも、それによって、母自身の評価が下がるだけなら、自業自得というものでしょうが、問題はその後。プリントを確認した先生からは、怪訝な顔で、私が尋ねられます。



「こうめさん、記載方法だけど、ちゃんとお母さんに説明されたの?」


「はい。一応、母には、都合の悪い日に『×』を付けるようにって言ったんですけど、どうしてもその日じゃないと、都合が悪いみたいで…」


「そう…まあ、そういうことなら、仕方ないわね」



 期限ギリギリになって、ピンポイントでの日時指定。しかも、人気が集中しそうなゴールデンタイムの希望に、明らかに面倒くさそうな先生の表情。


 母のそうした行動には慣れているとはいえ、やはり、子供としては、結構引け目を感じるものです。



 そして、面談日当日。いそいそとやってまいりました、母。


 対して、プリントの件で、多少根に持っていた感があります、先生。軽~くジャブ程度のパンチを繰り出すように、穏やかな微笑みを浮かべて、おっしゃいました。



「希望日のプリント、拝見しました。本当にお忙しそうですね。他の時間帯すべてに『×』というお母さま、わたくし、初めて拝見しました」



 すると母、にこやかに、いけしゃあしゃあと申しましたとも。



「あら、私、書き方を間違えてました? 希望しない日に『×』を付けるんだとばっかり思ってましたわ~」


「いえ、プリントにも書いてありました通り、『どうしても』駄目な日にですね…」


「もう、嫌だわぁ~! この子ったら、何も言わないもんだから、そんなこと、ちっとも知らないで~! あんた、そういうことは、お母さんにちゃんと伝えないと駄目でしょ~!」



 先生は、予想もしなかった母の言葉に、目が点になって、私と母を交互に見つめていらっしゃいました。





 状況にもよりますが、大人と子供で、言い分が真っ向から食い違ったとき、ほとんどの人は、大人の言い分のほうを信用すると思います。


 或いは、子供のほうがまるっきり嘘をついている訳ではないとしても、目的を達成するだけの能力がなかった(足りなかった)のかも、という風に受け取るでしょう。


 必然的に、私も先生からそうした『残念な子』という目で見られました。自分では、きちんとルールに従ってやっているものですから、本人的には結構傷つくものです。


 ただ、こうした状況は今回が初めてではなく、母との間では、何度も繰り返されており、以前にも、こんなことがありました。





 それは、私が小学3年生の一学期、中ごろのこと。


 夏休みのサマースクールで、工作教室の募集があり、仲の良いお友達数人で、一緒に参加しようという話になり、自宅に帰って、母にそのプリントを渡し、申し込み用紙に記入してくれるように頼みました。


 作成するのは夏休みの工作課題で、当日受付で、材料費の数百円を支払うこと。締め切りはまだ先でしたが、先着順で、定員になり次第締め切られるため、希望者は早めに申し込むように、ということでした。


 翌日、ほとんどのお友達が、先生に申込書を渡していて、私も早く出さなければと、帰宅してから、再度、母に書いてくれるように頼みましたが。



「そんなの、慌てて出さなくてもいいでしょ。今忙しいから、後でね」



 それから数日が経ち、もう一度催促しましたが、忙しいときに余計なことを言うな、と酷く叱られてしまいました。


 更に数日後、今度は、明らかに暇そうな時を見計らってお願いすると、ゆっくりしているんだから、今じゃなくても良いだろう、とスルー。


 そこで考えて、目につきやすいよう、電話の横のメモ帳の隣りに、ボールペンと一緒に置き、母が気が向いたとき、すぐに書いてくれるようにしてみましたが、やはりずっと放置されたまま、一向に書いてくれる気配すらありません。


 その後も、タイミングを計って、何度も請求してみるも、スルーされるか、逆切れされるかの繰り返しで、日にちだけが過ぎ、とうとう、提出期限が過ぎてしまいました。





 夜になり、用を成さなくなったプリントを片付けようとしていると、ようやくそれに目を留めた母が、明らかに狼狽した表情で言いました。



「あんたは、何でもっと早く言わないの!?」



 私からすれば、『何を言う?』です。



「もういいよ、期限過ぎちゃったから」


「いいから、かしな!!」



 そういってプリントを奪い取ると、母は電話をかけ始めました。電話の相手は、母の知り合いで、その催しの関係者らしいことが、断片的な会話から読み取れます。



「もしもし、奥さん? 夜分にごめんねぇ~。…(中略)…それで、工作教室なんだけど、もう間に合わないわよねぇ~? …うん、そうなのよ~、期限が今日っていうのに、子供が今頃になって、どうしてもそれに行きたいって、泣くのよ~。何とかならないかなぁ~? 定員が、いっぱい…あぁ、そう~、無理よねぇ~? 子供がねぇ~…もう本当に馬鹿な子で~…えぇ? 入れてもらえる? 悪いわぁ~、何か無理言ったみたいでぇ~。また今度、何か、御礼させてもらうわね~」



 みたいじゃなく、もの凄く無理なお願いを、ゴリ押しで押し通したのです。おまけに、自分が放置して忘れていたのを、私の我儘的な状況にすり替えて。


 電話を切った母は、まるで勝ち誇ったような顔で言いました。



「○○のおばさんに、行けるように頼んであげたから。本当にあんたって子は、色々煩わせてくれるわ。けどまぁ、行けるようにしてやったんだから、感謝しなさいよ。分かった?」



 そんな言われ方される筋合いはない! と心の中で叫んだものの、私の気持ちなど、母が意に介するはずもなく。


 正直言って、申し込み期限が切れた段階で、すでに諦めがついていましたし、そんな不正行為をしてまで、参加したいと思わない、というのが、私の本音です。


 特に、これくらいの年齢の子供というのは、結構正義感が強いものですから、ものすごく後ろめたい気持ちになってしまうのです。


 こんなことをする労力があるのなら、最初にプリントを手渡したとき、さっさと記入してくれれば済んだこと。まして、決定的な母のミスなのに、何を恩着せがましいことを言う、です。


 期限切れの定員オーバーを、無理やり入れて貰っても、嬉しいとは思えず、むしろ、それが誰かに知れたらと考えると、憂鬱になるばかり。


 でも、そんなことを言うと、また母の機嫌を損ねるので黙っていましたが、後日、その不安は的中するのです。





 夏休みになり、工作教室の当日、お友達と一緒に会場に行くと、受付で、名前と番号が書かれたIDカードを渡され、自分の番号が記載されたテーブルの席に座るように指示されました。


 一つのテーブルには5人分の席が設けられ、大体同じ学校の子供同士、同じグループか、前後するように分けられていました。


 私の名前に記載された番号は『51番』。テーブルは全部で10個、50番までの記載はありますが、自分が座るテーブルが見当たりません。


 仕方なく、近くにいた係の方に、どこに座れば良いのか尋ねると、



「ああ…ちょっと待っていてね」



と言われ、明らかに一つだけ皆とは違う簡易のパイプ椅子を、45~50番のテーブルの脇に置かれ、そこに座るように言われました。


 勿論、教材を置くテーブルに、私の分のスペースはありませんから、渡された教材を膝の上に置きながらの、小学生にはあまりにもアクロバティックな作業です。


 周囲からは、『あの子は何?』的な視線を集め、ひそひそ話す係の人たちの、わずかに漏れ聞こえてくる会話からは、私が、『締め切りを過ぎて、定員オーバーにもかかわらず、どうしても行きたいと駄々をこね、親のコネで無理やり入り込んだ超我儘な生徒』というようなニュアンス。


 世間では、そういう我儘は通らないことを、やんわりと教えてあげないと、といった空気に包まれていたのです。





 テーブルは、会議などで使われる細長いもので、片側に3人、反対側に2人座り、ちょうど交差するような形で、向かい側と隣の子供のスペースが干渉しないように配置されていました。


 工作教室ですから、切ったり貼ったり、組み立てたりの作業がありますので、まだ身体能力が未熟な小学生が、テーブルも使わずでは、ちっとも能率が上がりません。


 もし、クラスメート達と同じテーブルだったら、私の分のスペースを空けてくれたかも知れませんが、そのテーブルの子たちからは、最後まで声を掛けてもらえることはなく、勿論、自分から言い出せる雰囲気でもなく…


 他の子たちがどんどん完成する中、私だけは、時間内に半分も進めることができませんでした。





 正直、ものすごく帰りたかったです。本当に、来なければ良かったと、心底思いました。


 係の人たちからは、あらぬ誤解と、濡れ衣の教育的指導を受け、お友達からは遠く離され、周囲からの好奇や偏見の目にさらされ、ただただ辛い時間を過ごすためだけに、来たようなものです。


 係の人たちも、まだ10歳そこそこの子供に対して、ちょっと大人げないのでは、と思うかも知れませんが、締め切り過ぎて、定員オーバーのところへ無理やりねじ込んでもらったのは事実。


 しかも、『私の我儘で』という部分は、母がそういう風に言ったのですから、彼女たちにすれば、それが真実です。


 予定外な一人を加えるためには、教材の数や、席の配置等、諸々面倒な手間や負担が増えますし、それだけの力がある人物の指示なら、直接本人には文句も言えないでしょうから、そのはけ口としての嫌がらせが子供に向けられるのは、残念ながら良くあること。


 微妙な線で何かされても、まだ幼い子供には反撃のしようもなく、克明な状況を、口頭で説明すること自体難しいので、誰にも何も言えなかったりするケースもままあるものです。


 もし、後になってその事を親が知り、文句を言われたとしても、



「子供の自主性に任せる形の教室だったから、口出し出来なかった」


「人数が多くて、目が届かず、そんな状況とは気付かなかった」


「自分は声を掛けてみたが、本人が溶け込もうとしなかった」



 等々、実際にその現場を見ていない以上、いくらでも適当な言い訳をこじつけることが可能です。





 ただ、我が家の場合、この事実を母が知れば、相手に文句を言うのではなく、私に対して激昂するケースのほうが多かったものですから、余計な波風を立てるより、あえて何も言わず、ひたすら自分の胸の中に封印しました。





 余談ですが…


 なぜ、このシチュエーションで、母が私に激昂するのか、不思議に思うかも知れません。


 普通、自分の子供が誰かに苛められたり、嫌がらせをされたり、恥をかかされたりすれば、相手に対して怒りを感じると思うのですが、母の場合、自身のプライドが激しく傷つけられるらしいのです。


 そうされて、一番傷つくのは私でも、私の気持ちや痛みは二の次、私が恥をかかされた=私が母に恥をかかせたと変換されるようで、その怒りの捌け口は、私に向けられます。


 しかも、もっと強く、賢くなるように励ますとか、加害者に対しての怒りを、一緒に共有するとかではなく、私自身の感情も人格も、徹底的に叩きのめすという。それはもう、立ち直るのも大変なくらいに。


 ただ、こうしたことは私に限ってで、弟妹が同様の立場になった場合は、ごく普通に、加害者側に感情を向けるか、最悪の場合、私に対して、なぜ弟妹を守ってやれなかったのかと、八つ当たりとしか思えないような形で激怒されたことも、一度や二度ではありません。


 おそらく、母には人格的な問題があったのでしょうが、なぜ母がそうなのか、なぜ私ばかりなのか、まだ幼かった当時の私には理解出来ず、ただひたすら理不尽な状況に耐え、受け入れるだけで精一杯でした。





 未完成の工作は、それ自体、見るのも辛かったのですが、夏休みの宿題として提出するため、自宅で続きを作りながら、無性に涙が流れて止まりませんでした…。





 月日は流れ、中学一年生、二学期後半になり、二度目の三者面談の時期になりました。


 一学期同様、三者面談のスケジュールを決めるためのプリントが配布され、記載方法については、前回同様。


 母が記載したプリントには、一学期同様、一か所を除いて、すべて『×』で埋められ、面談日当日、先生は記載方法に関して、母に尋ねました。



「確か一学期の時にも申し上げたと思うのですが、どうしても駄目な日だけにですね…」


「ええ~? そうだったんですか~? 私、そんなふうだって知らなかったもので。もう、この子、ちゃんと私に言わないから~」



 中学一年生の三学期になり、三度目の三者面談のプリント配布。


 母が記載したプリントは、前回同様。


 面談日、先生は母におっしゃいました。



「これで、3度目になりますけれど、記載方法について、(以下略)」


「ええ~? (以下略)」



 四月になって、二年生に進級した私は、一年生の時と同じ先生に、繰上りで担任を受け持って頂くことになりました。


 更に、三年生も同じ先生が担任になり、都合中学の三年間、ずっと同じ担任が続きました。


 そして、二年生の一学期の三者面談以降、母のプリントの記載の仕方に関して、先生はもう二度と、そのことに触れることはありませんでした。





 一年生の最初のあの出来事があって、当初先生は、私のことを『いい加減な生徒』だと思っていらっしゃったようですが、私の平素の生活態度や、その後の母との一連のやり取りなどの中で、どうやらそうではないことに気付いてくださいました。


 人間、常に真面目に、正直にやっていれば、たまには良いこともあるということでしょう。ですが、そうした評価が、思わぬ方向に行くこともありまして。





 更に日々は流れ、私は高校生になりました。


 校舎は、中学のエリアから高校のエリアに移動し、高校入学組みで同級生が二倍に増え、先生の顔ぶれも変わり、新しい環境での新生活が始まっていました。





 そんな中、高校生になって最初の三者面談が行われることになり、恒例のプリントが配布されました。


 記載方式は、中学の時と全く同様。そして、必然的に、母は今までと同様の方法で、希望日を記載したのでした。


 私や以前の担任の先生にとっては、もう慣れた、もとい、諦めた上での暗黙の了解でしたが、新たな先生は違いました。当然、私は尋ねられ、今までと同様に、一応母には説明をした旨、答えたのですが、違ったのは、その先でした。


 間違ったことが嫌いな新担任は、すぐさま自宅に連絡をし、母に事の次第を話しました。でも、当然のように、母もこれまでと同様、私から説明を受けていないという対応を取ります。私は先生から呼び出されました。



「あなたは、ちゃんとお母さんに説明したと言ったよね?」


「はい、言いましたけど…」


「じゃあ、どうしてお母さんは聞いていないとおっしゃっているの?」


「あの、それはですね…」


「あなたがちゃんと説明しなかったから、そういうふうに書かれたと考えるのが普通だよね?」


「ええ、普通はそうなんですが、ただ…」


「どうして、あなたは嘘をついてまで、お母さんに責任を擦り付けようとするの? 高校生にもなって、恥ずかしくないんですか?」


「…すみません」



 ショックでした。いろんな意味で。





 こういうことがあるたびに、多分、相手から私自身が嘘つきだったり、いい加減な人間だと思われているだろうことは、自分でも分かっていましたし、覚悟もしていたつもりでした。


 ですが、正面切って、ここまではっきりと言われてしまうと、かなりきついのも事実です。


 嘘をついているのは私ではなく、実は母のほうであり、子供の立場としては、自分の母親が、人間性を否定されるような行為をしていることを、間接的にでも付きつけられるのは、辛い物があります。


 そして、いつもいつも、理不尽な立場に立たされる羽目になり、それを上手く回避出来ない自分が、いたたまれなくなるのです。



「嘘をついた罰です。ちゃんとお母さんに、あなたの口から説明して、ルールに沿った記載方法で書き直してもらってください。分かりましたね?」



 先生にそう言われ、新しいプリントを手渡されました。


 が、無理です。絶対に不可能です。やれるだけのことはやってみますけれど、無理なほうに、100万ドル掛けても良い。


 案の定、母は取りあおうともせず、むしろ今まで問題なく(いえ、正確には問題ありだったのですが)受領されていたものですから、尚更という感じの態度でした。





 何日経過しても、一向に再提出されないプリントに、ついに先生のほうがキレた御様子で、私は職員室に呼び出されました。


 先生からは、なぜ母に早く書いてもらうように言わないのか、どうしてあなたはそんなにいい加減なのかと、一方的に責められる始末。先生の声は、廊下にまで響き渡るほどでした。


 職員室は、中学・高校と同じでしたので、その様子を聞きつけた中学時代の担任の先生が事態を察し、大体の事情を、高校の担任の先生に説明してくださったのです。




 ようやく事情を理解した先生、先ずは、誤解して酷いことを言ってしまったことを、私に謝罪してくださいました。


 と同時に、娘なら、なぜ自分の母親に、もっとはっきり言わないのか尋ねられましたが、そこはすぐさま、まだ傍で様子を見守っていた中学の担任の先生が、助け舟を出してくださいました。


 人それぞれ、性格や考え方の違いがあるので、どうしても他と同じにはならないケースもあるのだ、と。





 これで、ひとまず落着かと思いきや、事態は最悪の方向へ。先生のそのまっすぐな性格が、確信犯である母への怒りになり、私が職員室を出た後、直接電話で母にお話をされたらしいのです。


 そんなことは何も知らない私は、その日帰宅した直後に、烈火のごとく怒り狂った母から、手は出る、足は出る、物は飛んでくるの砲撃を浴びせられました。



「あんた、先生に何を言ったの!!? 何で私があんな言われ方されるのよ!!!」



 実際に先生が何とおっしゃったのかは分かりませんが、普通に考えれば、先生のほうが正しいのは、言うまでもないでしょう。


 ですが、母にとっては善悪に関係なく、自分が悪者になったり、他者から責められることが、どうしても許せないのです。誰かのせいにして、自分の中では丸く収まっているというのがベストらしく、専ら、その誰か=『スケープ・ゴート』が、私の役目。


 他人と絡んでトラブルになるより、自分の子供なら、当たり障りが少ない上に、私自身、あまり反抗したり、告げ口をしない子供だったので、自分に都合良くコントロールしやすい点でも、適役だったのでしょう。





 その後、母は、学校に影響力を持つ知り合いの方に、母の都合のよいように湾曲したストーリーを話し、私の担任の先生に圧力を掛けていたようです。


 三者面談は、当初希望していた日時をゲットしました。中等科に入学した妹、ゆりの面談時間は、私の面談時間のすぐ後に持ってくるという合理性。


 当日は先生も母も、まるで何もなかったかのように、淡々と話がなされたことだけは、覚えています。私にとっては、永遠に続く地獄のような時間に感じられました。





 それから半年くらいの間、私は母と口をきくのが怖くなり、必要事項を話そうとしても、上手く言葉にならない状態が続きました。


 多分、精神的な何らかの症状だったと思うのですが、母は私が反抗的な態度で口を利かないと決めつけ、さんざん嫌味を言われ続けました。


 たまたまその日は、母の虫の居所が悪かったのでしょう。自分が話しかけたのに答えない私の頬を、いきなり平手で打ち付けたのです。



「あんた、何その態度は!! 人を馬鹿にして!! だいたい、普通、娘なら『お母さん、お母さん』って甘えてきて、いつでもお母さんの味方になって、お母さんが大好きなもんじゃないの!? それをあんたは、ふてぶてしい顔で反抗的で、あんたみたいな娘、産んで損したわ!!」



 叫ぶように罵るうちに、感情が高ぶって、手で打つは、物で叩くわ、堪らず床に倒れ込んだ私に、何度も足で踏みつける母。


 これも、激昂するとよくあることでしたから、慣れた動作で母の足蹴りから身をかわし、すっくと立ち上がったときでした。


 それまで散々暴力を振るっていた母の動きが止まり、目が合った瞬間、わずかに母のほうが、私の目線より低いことに気が付きました。


 まるで、大きな獣を前に、怯んだような母の表情。そして、私が側に倒れた椅子を起こそうと持ち上げたとき、咄嗟に防御の姿勢を取ったのです。


 私が椅子を元に戻しただけだと分かった母は、バツが悪そうに、それでもまだぶつぶつと私を悪く言っていましたが、私とは目を合わせようとせず、そのまま室内から出て行きました。





 それ以降、母から暴言を吐かれることはあっても、手が出ることはなくなりました。


 まだ小さな子供なら、反撃されても、力で捻じ伏せられますが、15歳、高校一年生にもなれば、腕力や体力では敵わなくなります。娘が自分の身長を超えたことに気づき、そうした恐怖を感じたのだと思います。


 娘ならだれでも、無条件で母親を好きなのではなく、可愛がってくれるから甘えるし、守ってもらえるから味方になるし、何より自分を愛してくれている実感があるから、大好きになるのです。


 犬や猫でも、可愛がってくれる人には懐きますし、嫌なこと、酷いことをしていれば、嫌われて当然です。それが人間なら、尚のこと。


 にも拘らず、自分が娘から慕われない理由を、自分ではなく、娘に問題があると考える時点で、すでに破綻していることに気が付かない母。


 決定的だったのは、立ち上がった私が、椅子を手にしたときに、母が取った行動です。防御の体勢を取ったのは、それが凶器として自分に向けられると思ったから。


 そしてそれは、母自身が私に対して、繰り返ししてきた行動そのものであり、同時に、私のことを信用していなかった証です。





 この出来事で、気付いたことが二つ。一つは、どんなに自分が努力したり、我慢したところで、理不尽な目に遭うかどうかは、その時の母の気分しだいということ。


 そしてもう一つは、そんな母に抗っても従っても、結果は同じということ。





 母の言うことは絶対で、母から嫌われるのは、私が駄目な子だから。母に嫌われてはいけないと思っていましたので、どんなに理不尽でも我慢しました。


 ですが、母の理不尽な行動に対して、私が母から何を貰ったのか。少なくとも、感謝や愛情などではなかったのは確かです。


 反抗しないからストレスの捌け口にされ、反抗すれば制裁を加えられるのだとすれば、どっちに転んでも同じです。まして、それが母を増長させていただけなら、私が我慢する意味などありません。





 子供にとって、母親は絶対的な存在です。でも、完璧ではありません。


 そのことに気づいたとき、自分の中の何かが吹っ切れたようで、ずっとずっと自分を支配し、押さえ付けていたものから、少しだけ解放された気がしました。


 そして、それまで母に対して、ずっと自分の中で押し殺していた気持ちを、少しずつ出すようになりました。嫌なことは嫌、違うことは違う、悪いことは悪い、と。


 母のように、暴言を吐いたり、暴力を振るおうとは思いません。そうされることが、どれほど辛いかは、私自身よく知っていましたから。





 ただ、長年の習慣というものは、簡単に変えられるものではなく、その後も、度々母には振り回されるのですが、それでも、あの出来事が私に変化をもたらしてくれたのは事実でした。





 お庭の掃き掃除をしていると、萩澤さんの車が戻ってきました。



「お帰り~。三者面談、どうだった?」


「ただいま~。無事、終了しました~」



 あれほど不安がっていた萩澤さんでしたが、特にどうということもなく、最初の三者面談を終えることが出来たようです。



「ところでね、今、杏が一番仲良くしているお友達が、国枝志桜里ちゃんっていう子なんだけど、それが、あの国枝商事の社長のお嬢さんだっていうのよ」


「ああ、そうなんだ」


「面談が終わって、教室から出たら、丁度次が国枝さんの番で、志桜里ちゃんママから『いつも娘がお世話になって。今度、是非ご家族で、うちに遊びにいらしてくださいね。いつ頃ならお時間あります?』って、すごい前向きに言われちゃって。どうしよう?」


「遊びに行けば良いじゃない? ご家族みなさん、とっても良い人たちよ」


「えっ!? 松武さん、お知り合いなの!?」


「うん、奥さんは一つ上の先輩で、ご主人の妹さんも、幼なじみで同級生だから」


「松武さん! 一生のお願い! 我が家を助けて!」



 あまりの萩澤さんの迫力に、思わず身構えてしまいました。


 というのも、お誘いを受けたお相手は、大手総合商社、国枝商事の社長ファミリー、何より、国枝商事は萩澤さんのご主人の会社の上得意先で、万が一粗相でもあったら、取り返しがつかないとおっしゃるのです。


 そこで、出来れば私にも、一緒に来てほしいというのですが。



「それは構わないけど」


「ありがとう、助かる~!! 出来れば、ご主人にもお願い出来ないかな? うちの主人、もの凄いあがり症で、社長さんと一対一になったら、口も利けない、なんてことにならないか心配だし」


「是非、ご一緒させて頂くわ。うちの主人も、ずいぶん御無沙汰しているから」


「良かった~! じゃあ、あちらへの連絡は…」


「よかったら、私から先輩に連絡しようか? お話を聞いて、うちが便乗したっていう設定なら、説得力があるし、そのほうが萩澤さんも良いでしょ?」


「何から何まで、ホント、ありがとう~! 今度、何か御礼させてね!」



 私の実家と国枝家とは、お互いの祖父母の代からのお付き合いで、国枝会長はかつて私の祖父に、そして私の夫は国枝会長(当時社長)に、助けたり助けられたり、深いご縁で繋がっておりました。


 志桜里ちゃんのパパの会社が、杏ちゃんのパパの会社の得意先だったことも、偶然ではなく、何かのご縁だったのかもしれません。


 何しろ、運命の神様は、とてもいたずら好きだったりしますので。





 『当たり年』といわれた杏ちゃんの学年には、同じく『当たり年』といわれた私の学年から、不思議な運命で結ばれた家族がいて、今後、杏ちゃんが歩む人生に、藍玉女学園で知り合う人々との繋がりが大きく影響することになるのですが、それはまた、別のお話。





 緑深い広大な校庭のあちこちから、今日も女の子たちの声が響きます。


 落城跡に建てられたこの学校にも、多聞に漏れず多くの怪談が、生徒たちの間でまことしやかに語り継がれ、いつの時代も、少女たちの織りなす艶やかな世界は、風景に彩を添えるもの。


 校庭の片隅にそびえる巨木にも、一粒の種から芽吹いたときがあったように、まだあどけない生徒たちの命の輝きを見守りながら、静かに時は流れます。





 これまでも、これからも…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る