第6話自衛官の涙

3月12日。震災が起こった次の日僕達自衛隊員は、全国から、東北の被災地に何万という隊員が、派遣された。僕は当時20歳になったばっかりでした。先輩と一緒に宮城県気仙沼市の海岸周辺の被災者の救助にあたりました。


浜辺には散乱したゴミや瓦礫。そこは夏になると大勢の海水浴客で賑わうそうですが、あたり一面は残酷な景色でした。瓦礫を片付けてる最中に瓦礫の中に8組の若いカップルの遺体がありました。ほとんどは、制服を着た高校生です。

先輩と、その遺体を瓦礫から、救いだそうとしました。

「しかし、ひでーな。予想以上だな。」そう言って遺体を二人で持ち上げようとした時、あれ?

変な違和感を感じました。死体の悪臭は、言うまでもなく鼻を刺すとてつもない匂いがあり、水を含んでパンパンに膨れ上がり最初は、持ち上がらない程重たかったんです。

「あれ、妙に軽くないですか?さっきまで、重たかったのに。」

「おい。。。これ。。。」

それは、僕が持っていた上半身と、先輩が、持っていた、下半身が崩れ落ちた瞬間でした。中から内蔵や、骨が飛び出し、ベロベロになった皮膚は、剥がれ、血はでなくとも、人間の体がグチャグチャになったものでした。

「うわっ。。ごめんなさい。ごめんなさい。」

僕はただただ、謝るしかできませんでした。なんとか、その遺体を処理し、遺体安置所に運びました。まだ、16,17の高校生です。僕と数個しか違わないのに。。。彼ら、彼女達はあの津波が来ていたのに、何故こんなところにいたのだろうか?逃げ遅れたのか?この子たちにも家族がいただろうし、これから先の未来だって。。。そう思うと涙がこぼれ落ちました。


どちらにしても、あの光景は今でも忘れられません。そう語る福田自衛官。

そして、僕らは、水や食べ物を配り、お風呂の施設を作ったり、被災者の保護や、手当て、救助活動で、半年元の場所には帰れませんでした。

助けられたはずの命を助けられなかったこともありました。あと、もう少し早く来ていれば。

家族が、バラバラになり、ようやく再開できた人や、大切な人を失い、ただただ、泣く人。その悲惨さは計り知れず、僕がいたあの場所には、多くの悲しみだけが、あった気がします。


やれることは全てやりましたが、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思いで、いっぱいになりました。僕はあの経験で、自衛官を辞めることを決意し、今は家族と、ボランティアで、気仙沼の商店街の復興で、お店を手伝っています。


家族に万が一何かあった時、バラバラになるのは、嫌だからと思ったからでした。あの震災で、家族を失う痛みがどれほどまで、哀しく辛いかを物あたりにしたからです。


そう言って考え方、人生の生き方までを変えてしまう程の悲惨な現実。想像したら、ほんとに怖くなりました。だけど。。。皆さん。これが現実なんです。当たり前のようにある幸せ。それが、目の前から、突然消えてしまう辛さ。目を背けないで下さい。どうか、今ある当たり前のことに、感謝できる人で居てください。私は、その話を聞いて、それからは、生きている。それだけでも有難いことなんだと実感しました。


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