「あー……うん。助けてくれてありがとう、と言っておくぞ?」


 騎竜艇の操縦を変わりながら、ノクトは今し方〈ファーヴニル〉に乗って駆けつけてくれた相棒――フィーユに向けて、疑問符交じりの礼を言った。


「いえ、礼には及びません」


 対し、フィーユの反応は相変わらず淡々としたものだ。透明な暴風眼鏡フライトゴーグル越しに覗く双眸は半眼で、何を考えているかいまいち判らないがそれは今に始まったことではない。


 操縦桿を握り、速度を調整。機体を水平にし、安定させる。


 本来なら発進前に行う機体点検が出来ていないのが不安だが、軽く操縦桿を動かして主翼と補助翼エルロンを確認。更に正面計器盤センター・コンソールを操作。虚空画面ディスプレイに表示される機体状況を視認。同時に左右二つの補助推進器サポートエンジン第一推進器メインエンジンの状態も点検――すべて異常なしオール・グリーン


「発進前に状態は確認済みです。機体の状況はすべて問題ないかと」


「まあ、だろうな」


 発進前の機体状況確認は基本中の基本だ。それ自体は、フィーユと相棒バティを組むと決めた時に徹底して教えてある。


「お前を信用してるが……やっぱり細かい部分は自分の目で確かめたいっていう部分があるんだよ」


「そういうものですか」


「そういうものだ」


 いつも通りの会話。

 いつも通りの、無意味で無意義な言葉遊びだ。


「――ノクト」


「なんだ?」


 フィーユの呼びかけに振り返り、そして少女が何を言わんとしているのかを察する。背後の彼方。距離は目測で二〇〇メートルほど後方に見える幾つもの機影。

 かなり速度を出しているのか、その姿は着実に近づいてきているのが分かった。となれば、おそらくは先ほどノクトを襲った連中の仲間だろう。

そう判断すると、ノクトはうんざりした様子で溜め息一つ。


「あーくそ。しつこい男は嫌われるぞ?」


「どうしますか?」


「まあ、振り切るにしても撃ち落とすにしても、浮遊大陸の上でるのは遠慮したいな」


 眼下はまだ夜明けを迎えたばかりの浮遊大陸。日々の営みを迎えるよりも早い時間だ。もし安眠妨害で被害請求なんて来たらたまったものではない。


「では……」


「ユグド本土から高速離脱だ。捕まってろ」


「了解」


 フィーユの応答と同時に、ノクトは大きく機体を旋回させた。

更に操縦桿を押して加速。

 アクセルを入れると、推進器が大気から響素を吸収――さらに速度が上がる。

 急激な速度上昇で生じる加速圧は、機体に標準搭載されている力場障壁――《虹輝の障壁ビフレスト》が大幅に軽減するが……それでも全身にかかる僅かな圧力と、空を切り抜ける疾走感に思わず酔いしれる。


「さあ、ついて来い。鬼ごっこと洒落込もう!」


 背後から迫る機影に向けて叫びながら、ノクトは今まで上昇させていた機体を旋回させながら降下――上昇加速軌道ハイスピード・ヨーヨーにより得た速度に乗って追跡を突き放そうと試みる。

 徐々に日が昇り始めた空を、漆黒の竜とそれを追う無数の飛竜が交錯した。


      ◇◇◇


 眼下から迫る巨大空魚の体当たりを大きく旋回ロールして回避。

 三つの眼窩が正確に此方を捉えているのを確認しながら、ノクトは盛大に溜め息を吐いた。


「あーくそ。本当にツイてないな……おれら」


「今回で一番大きな鬼ですね」


「最高に皮肉が効いてるな。面白くて涙が出るよ。お前の冗句のセンスに乾杯」


 ユグド本土を離脱する際に余計なことを言わなければ良かったと、暫く前の自分を呪いながらノクトは大きく機体を右に傾ける。

〈ファーヴニル〉が右にゆっくりと降下。再び迫る空禍と距離を取ろうとする。が、空禍にしっかりと捕捉されているのか、まったく離れてくれる気配はない。


「完全に敵と認識されているようです」


「……みたいだな。なんて嬉しくないモテ期だ」


 フィーユの言に、ノクトは項垂れながら短く応じる。

 そして視線を鋭いものに変え、空禍を睥睨。そして――宣言。


「――仕方ない。墜とすか」


 まるで事務報告のような簡素な響きで、ノクトはそんなことを言った。

もしこの場に第三者がいたのなら、驚天動地の絵空事と思ったか、あるいは頭がイカレたかのどちらかと判断するだろう。

 大仰に空禍と一括りにされているとは言え、そう呼ばれる存在には個体差が無数にある。そして一般的に――いや、一流と呼ばれる騎竜艇乗りの間で倒せると言われている空禍は、十五メートルが最大というのが通説だ。

 しかし、ノクトたちを追っている空禍の大きさは軽く見てもその倍以上の大きさがある巨大な空禍だ。当然、無謀と言わざるを得ない。

 しかし、


了解ですイエス・サー


 ノクトの無茶に対して、フィーユはなんの忠告も苦言をすることなく淡々とした応答した。

 同時に手にしている大型自動拳銃〈祈り子〉を操作。〈祈り子〉の銃身バレル下部――反動抑制器マズルブレーキを変形させて銃床と連結。更に銃身の遊底部分スライドを引き、其処に組み込まれた兵装で肩当てストックを組み立てる。

 形状を変形させた〈祈り子〉は大型自動拳銃から突撃小銃アサルトライフルとも長距離狙撃銃スナイパーライフルともつかない、しかし明らかに攻撃性を増した形状に変形した。


「いつでも行けます」


 フィーユが変形した〈祈り子〉を構えながら言う。

 そして、まるでこちらの準備が整うのを待っていたかのようなタイミングで空禍も動いた。並行していた体制を突如変えて、いきなり〈ファーヴニル〉目掛けて突進。迫りながらその巨大な口を開いた。

 魚類の姿をしているわりには不相応な剣山の如き歯が並ぶ顎が迫る。

 ノクトはアクセルを入れて加速。

 更に機首を下げて急降下して回避。

 寸前まで〈ファーヴニル〉のいた空間を空魚の牙が貪るのを見上げながら、ノクトは操縦桿にある幾つものボタンを操作。

 正面計測基盤部分に虚空画面が表示され、〈ファーヴニル〉に搭載されている兵装用響律式の一覧を一瞥し、再び操縦桿のスイッチを押した。

 術式選択。

 同時に〈ファーヴニル〉の機首先に描かれる大型の虚空楽譜。騎竜艇内部に搭載されている騎竜艇用の指揮甲が自動詠唱――大気中の響素が術式に充填されていく。

 最中、再び空禍が迫る。

 空でありながら、その動きは水中を動く魚そのもので、一瞬のうちにして身を翻して再び体当たりをしてくる。


「フィーユ!」


 相棒の名を呼ぶ。答えの代わりに銃声が響いた。

 一発、二発、三発……次々と叩き込まれる響素の弾丸が空魚の体皮を撃つが、硬い鱗に阻まれる。

 かろうじて体当たりを回避。空禍の巨体が目の前を通過し、空魚はその勢いのまま水面に飛び込むように暗雲の海へとその身をもぐりこませていくのが見えた。

そして空禍が高速で泳いだ衝撃で暴風が吹き荒れる中、ノクトは舌打ちをしながら叫ぶ。


「フィーユ。弾倉カートリッジを《弾丸バレット》から《徹甲弾アーマーピアシング》へ!」


そうすることにしますウィルコ


 言うや否や、フィーユは〈祈り子〉の銃床から弾倉を取り出す。

 自動拳銃型である〈祈り子〉は、弾倉にそれぞれ撃ち出す弾丸の術式を組み込み、それを入れ替えることで様々な銃弾を撃ち出すことができる。

 フィーユはコートに排出したばかりの弾倉をしまい、代わりに別の弾倉を取り出すと、殆んど拳で叩き込むように装填。遊底を引くことで《装填》の術式が起動。響素が充填され、新たな弾丸が〈祈り子〉に装弾される。


準備完了クリア


「構えとけ!」


 叫びながら、ノクトは背筋を走る悪寒に歯を剥いて笑った。

 正面の眼下に広がる暗雲が爆発する。暗雲の海から飛び出してきた空魚。


「こなくそ!」


 叫びながら左に旋回。目前まで迫った空禍の歯牙を辛うじて躱し、その体表ぎりぎりを疾駆する。

 銃声が響く。

 強烈なマズルフラッシュを引き連れ《徹甲弾》が発射。硬い装甲を打ち抜くことを目的とした弾丸が、空魚を守る強固な鱗を破壊し肉体を貫いた。

 肉片が飛び散り、血飛沫が舞う。

 同時に空魚が絶叫を上げた。

 真っ直ぐに飛びながら後ろを振り向けば、其処には身体から血を流す空魚の姿。

 思わずほくそ笑んでしまうが、それも一瞬のこと。次の瞬間、空魚の体表が明滅しているのを見て、ノクトは驚愕に表情を染め、慌てて機体を急旋回させながら降下。


 ――螺旋下降スパイラルダイブ


 半瞬遅れて、〈ファーヴニル〉のいた空間を無数の稲妻が走った。

空魚が放った攻撃。


 おそらく牽制用の威嚇攻撃だろうが、人間にとってそれは一撃で致死に至るに十分たる雷撃だ。


 この雷撃は〈虹輝の障壁〉では防げない。〈虹輝の障壁〉は航空補助のために搭載されている機関に過ぎず、加速による圧力や空気抵抗を軽減化ゼロにし、暗雲内に生じている響素のプラズマを堰き止めるための――それだけの障壁に過ぎず、戦闘時における防御力はゼロに等しいのだ。


 螺旋下降しながらノクトは左の操縦桿から手を放し出力調整器スロットルへ。〈虹輝の障壁〉の出力を最大に引き上げ、暗雲へと飛び込む。

 視界を覆うのは暗闇と、明滅する高熱プラズマの嵐。

〈虹輝の障壁〉がなければ人間など一瞬で消し炭となる暗雲の中を〈ファーヴニル〉が疾る。

そしてそれを追うようにして現れた空魚が、咆哮を上げて〈ファーヴニル〉へ迫ってくるのを背後に感じつつ、ノクトは大声で言った。


「三つ数えると同時に雲上うえに出る! その瞬間を狙え! 弾倉は《照明弾イルミナティング》!」


了解ヤー


 簡潔な回答。

 しかし充分過ぎる回答に笑みを浮かべ、ノクトは更に声を張り上げた。


「行くぞ! ――……一!」


 叫びながら、ノクトは機首の先に展開している虚空楽譜を見やる。白銀の明滅が激しくなっている。充填はほぼ完了し、待機状態に移っていた。


(これなら……いける!)


 再び空魚が吼える。

 同時に無数の雷撃が周囲を疾った。

 直撃はおろか、掠り当たりするだけで機体損傷は免れない威力を孕んだ雷撃だ。大樹の枝葉の如く千々と分かたれ、無数の大蛇の如くうねる雷光の中で〈ファーヴニル〉を操り、回避しながらタイミングを計る。


「――二!」


 叫ぶ。

 背後でかすかに息を呑む音が聞こえた。

 それは緊張によるものなのか、それとも別な何かによるものなのか、ノクトには判らない。気に掛けるべきは後方の異形。その動きに全神経を集中する。

 再三の咆哮が響いた。空禍の尾鰭が強く空を叩く気配。

 瞬間、ノクトは機体を持ち上げ、〈ファーヴニル〉が急上昇する。

 空禍が追い迫る。

 同時に眼前の暗雲を突き破り――蒼穹へと躍り出る。


「――三!」


 叫ぶと同時に、背後から微かに引金を引く音が聞こえ――転瞬、閃光が背後で弾け飛ぶ。

 極大の閃光が追随してきた空禍の眼前で炸裂。突然の目も眩む光にさらされて空魚が悲鳴にも似た唸り声を上げるのを聞き、ノクトは機首を大きく持ち上げる。


 縦回転の宙返りロール


 閃光で目が眩み、もだえ苦しむ空禍の頭上を取る。


「頭の上が隙だらけだぜ?」


 同時に、右操縦桿に備わっている起動引金トリガーを押した。

 響素の充填された虚空楽譜スコアが一際強く発光。白銀の光が虚空楽譜から膨れ上がるようにし、充填された響素が術式を形作る。


 力場干渉響律式スカラー・コード白銀波動聖剣フォール・シオス発動コール


 高密度に圧縮された切断力場が形成する、白銀の大剣が機首先に顕現。

同時にノクトはアクセルを噴かせ加速。超音速の域へと駆け上がる。

 巨大な剣を携えた漆黒の竜が、眼下の異形へと襲い掛かった。

 剣の形を成した白銀の光が空魚の体躯に食い込み、まるで侵食するかのように切り裂いていく。超音速の騎竜艇の推進力に後押しされ――そして瞬く間にその身体を一刀の下に両断した。


 断末魔が大空へと響き渡る中、ノクトは機首を持ち上げて機体を水平に。


 同時に左操縦桿レフトハンドル速度抑制器ブレーキを操作。〈ファーヴニル〉が減速し、ノクトはようやく一息ついて振り返る。

 視線の先では、丁度絶命した空禍が体組織を高速崩壊させながら暗雲の海へと落ちていくのが見えた。


「標的の沈黙を確認しました」


「みたい、だな……あー疲れた」


「お疲れ様です。ノクト」


 ぼやくノクトにフィーユは淡々と告げる。何の感慨もない声音は、誰が聞いても社交辞令程度の意味合い以外の何もなさそうに聞こえるが、それでもノクトは微苦笑を浮かべた。


「……まあ、実際問題まだ始まってすらいないんだがな」


 どちらかといえば、出だしから躓いたようなものだ。


「空禍が現れると同時に追手がいなくなりましたから、それでプラスマイナスはゼロではないかと」


「そう……だな。いや、うん。そう思おう」


 フィーユの言葉に頷きながら、ノクトは自分を納得させた。そうしなければ自分の心の安定が保てないような、そんな気がしたからかもしれない。

 そう自分に言い聞かせながら、ノクトはコートのポケットから端末を取り出し、〈ファーヴニル〉と接続。アルゴから貰った情報を転送させると基盤の虚空画面を操作。航空図にアルゴから貰った『ブロード』の所在地を座標登録した。


「随分と遠いな……日が暮れるまでにつけるか?」


 表示された航空図の座標を見て、ノクトはガシガシと黒髪を掻き上げる。すると背後のフィーユが何でのない風に言った。


「〈ファーヴニル〉の最大速度はマッハ三・三だと記憶していますが?」


「ンな速度で飛ばしたら、音速衝撃現象ソニックブーム撒き散らすことになって非難轟々だろ」


 多くの騎竜艇は音速の壁を突破して飛ぶことができる。

 だがそれは、大型の空禍と遭遇した際の戦闘や離脱の際にのみ出すことの許されている速度であり、日常的に繰り出す速度ではない。また、音速の壁を突破する際に生じるソニックブームの衝撃で近くの建物の窓が割れたり、他の航空艇の飛行に影響を及ぼすだけではなく、最悪雲海を漂う空禍を刺激しかねない。


 常識的に考えて、音速飛行は危機的状況化でない限りするものではないのだ――好奇心は別として。


 また余談だが、公的に確認されている騎竜艇の最高飛行速度は、競技用騎竜艇〈アルスヴァス〉によるマッハ二・六とされている。


 当然ながら、〈アルスヴァス〉を優に上回る〈ファーヴニル〉のそれは違法であり、バレると〈ファーヴニル〉の製作者共々罰せられるような代物である。

 雇い主であるエルの庇護があるからこそ、当たり前のように扱えているに過ぎず、それはノクトが王女エルに頭が上がらない理由の一つである。


「では、どうするのですか?」


 きょとん、とした様子でフィーユが問う。


「……亜音速くらいで行くさ」


「そうですか」


 溜め息交じりに言ったノクトの声に返ってきたのは、相も変わらず無機質で無感動な、事務的な声だけ。

 これ以上問答しても何も変わらないだろう。そう判断したノクトは、僅かにずれた飛行眼鏡をかけ直して蒼穹を見据える。

 右も左も前も後ろも蒼に彩られた世界を睥睨しながら、ノクトは目指すべき場所に向けて機首を動かしアクセルを入れる。

 三つの響素動力推進器が再び火を噴き、加速音が耳朶を叩く。空を切り裂く感覚が全身を抜けていくのを感じながら、ノクトは表示される地図を見た。


 目指すはここから西に七〇〇キロの彼方に浮かぶ浮遊大陸。

 そこにある街――ルインヘイムへ。




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