重々しい扉がスライドするのを確認してから、ノクトはその扉を潜って室内に入った。

 技術局の最奥。本来ならば関係者以外の一切の出入りを禁じるはずの、第一級極秘機密区画。陰鬱にして暗澹たるこの部屋の中に入るなり、先ず目に飛び込んだのは紅。

 長く毛先に癖のある紅い髪を見るなり、ノクトは億劫そうに溜め息を漏らした。


「……現在時刻一四ヒトヨン五八ゴウハチ。第二航空艇団所属認可傭兵『黒騎士』ならび相棒バディ。只今到着しました」


 おざなりな敬礼をするノクトと、そんなノクトとは真逆にお手本のような敬礼をするフィーユ。そんな二人に向けて、エルは軽く振り返って言った。


「ご苦労。二分前に到着できるとは重畳。女を待たせないのは良いことだな」


「口説けない女を喜ばせても嬉しくはないがな」


 皮肉気に口の端を吊り上げるノクトに向けて、エルはくつくつと笑って見せた。


「フィーユも、元気そうでなによりだ。この莫迦に嫌気がさした時はいつでも言ってくれ。私のところで世話をしてやる」


「ありがとうございます」


「礼を言うところか?」


 言葉とは裏腹に、ノクトはどうでもよさそうに肩を竦めて見せる。


「それに、そんな世間話をするためにこんな場所に呼んだわけじゃないだろう?」


 何せ場所は王城内になる技術局の最奥たる第一級極秘機密区画。技術局の中でも特に秘匿しなければならないようなものを保管・研究されている場所だ。もしここで見聞きしたことを外部で漏らせば、ノクトの首の一つや二つ、それこそ物理的に飛んでしまうことだろう。


 ……はっきり言って、生きた心地がしない。


 当然、そのような場所に呼び出されて世間話ができるほどノクトの神経は図太くないのだが、目前の王女様はそんなノクトの心情など微塵も理解できないのか、まるで緊張感などない様子で言い放つ。


「女の世間話程度容認できないようでは、まだまだ狭量だな。ノクティス・リーデルシュタイン。どれほど身構えたところで、何も良いことは起きないぞ?」


「ああそうですか」にやりと笑うエルに、フルネームで呼ばれたノクトはうんざりしたように項垂れた。そして視線をエルからその後ろにある試験台に向ける。

 鈍重感と威圧感。

 その二つを合わせて生み出した、暴力の権化のような黒鉄の塊が、形容しがたい存在感を放って置かれていた。


「何だ、これは?」


「目敏いな」ノクトの問いに、少女は鼻を鳴らし「それが今回お前を呼んだ理由だ」と厭味ったらしく言う。


「判ったか?」


「判らねぇよ」


 当然ながら即応する。


「そもそもおれたちは最初、団長室に呼ばれたんだ。なのに、いざ行ってみるとそこにお前さんはいなくて、代わりに『急遽、場所を変えた。すまん』なんて書き置き一つ残されて側としては、説明の一つや二つ求めてもいいと思うが?」


 いきなりわけの判らない物を見せられて、それで「用件は終了」などと言われてすべてを理解できたら、それは最早人間業ではない。

 蒼い双眸を鋭くして、舌打ちをする少女を睨み据えた。すると、エルは仕方がないとでもいう風に肩を竦めると、それまで意地の悪かった表情を一変させる。

 此処からは冗談ではなく、本題に入る――そういう無言の意思表示。


「先日、ユグドの制空権内で空禍が現れたという通報があった。当然、連絡を受けた王都管制塔は即座に騎士を向かわせた。

 最も近くを哨戒飛行していたのは第二航空艇団ウチに所属していた騎士のカイン・ダランとヴィレット・ストレイム知っているな?」


「勿論。第二航空艇団おまえのところ一級〈竜騎士〉の二人組エース・コンビ


「そうだ。私の麾下にある騎士の中でも一流の騎竜艇乗りだ。その二人が目撃情報のあった現場に向かった。しかし、そこに空禍はいなかった……正確に言えば、すでに撃墜された後だった」


「……」


 ノクトはエルの話に耳を傾けながら黙考する。今の話だけを聞けば、すでに空禍が倒されていた、という一点に限っては不可解な出来事だろうが、別段可笑しなことではない。通りかかった自由傭兵の何者かが倒し、報告を入れていない――とも考えられる。

 だが、そうだとしたらエルがそんな話をすることはまずないだろう。つまり、


「問題はその後……か?」


「そうだ」


 エルが肯定した。

 無言で、ノクトはエルに続きを促す。少女もそれに応じ、苦い表情と共に口を開いた。


「空禍の撃墜状況を確認するために降下したカイン・ダランは、現場近くに隠れていた何者かによって殺害された」


「……!」


 流石に、その言葉には驚かされた。

 カイン・ダランとヴィレット・ストレイムと言えば、エル率いる第二航空艇団でも優れた技術を持つ騎竜艇乗り――〈竜騎士〉だ。何度か共に飛んだこともあるし、エルの命令で幾度となく試合をしている。そのうちカインは何処か楽観的なきらいはあったが、その実力は確かで間違いなく騎士として、そして〈竜騎士〉としても一流だったはず。


「カイン・ダランは殉職した。共に哨戒に向かったヴィレット・ストレイムは騎竜艇を撃墜されながらも、カイン・ダランを殺害した仇敵をその場で撃退している」


「そして……」そこでエルが言葉を区切る。その表情に何処か悲愴と焦燥に暮れているのは先の話でなんとなく理解する。本当に、なんとなく……という程度にだが。

 眉を顰めるノクトを余所に、エルは沈痛な面持ちのまま試験台の上に乗せられている銃器を見下す。


「そしてこれが、カインが殺された際に用いられた兵器――というやつだ」


「……こいつでか?」


「不思議か?」


「かなり」


 正直、今の話だけでは信じられなかった。一見してそこにあるのは不可解な形状こそしているが、言ってしまえば機械仕掛けが剝き出しなだけの大掛かりな銃である。正直な話、ノクトの記憶にあるカイン・ダランを撃ち落とすにはあまりに心もとない。


「だが、事実だ――これを見ろ」


 ノクトの心情を悟ったのか、あるいは予想がついたのかはさておき、エルはノクトたちを画面端末モニタへ促す。二人の視線が何も映っていない画面へ注がれる中、エルは手元の小さな端末を操作した。

 すると真っ暗な画面が一転して、画面上に映像が映し出される。おそらくは騎竜艇に搭載されている撮影機カメラの記録映像だろう。画面上に移っている騎竜艇と乗り手は、ノクトの記憶が正しければカイン・ダランだ。

 つまり、この映像はヴィレット・ストレイムの騎竜艇から撮影された物ということだろう。

 黙したまま、ノクトたちは映像を眺めていた。状況はおそらく、エルが言っていた空禍の撃墜状況確認のためにカインが孤島へ降下しようとしているところか……

 何気なく眺めるに留めていたノクトだったが、次の瞬間に起きた現象に言葉を失い、目を見開く。

 文字通り刹那の最中。瞬きの間にそれは飛来したのだ。

 一条の閃光。おそらくは攻撃力を持ったエネルギーの塊だろう。

 孤島から放たれたその光が、本当に気付いた瞬間ときにはカイン・ダランを呑み込んでいた。

 そして光が消えると、それと同様にそこにいたはずのカイン・ダランも、彼の騎乗していた騎竜艇も、その空間から跡形もなく消滅しているのである。


 破壊でも、大破でも、撃墜でもない――文字通りの消滅。


 跡形もなく。


 微塵すら残さず。


 まるでカイン・ダランと彼の乗る騎竜艇のなど最初から存在しなかったように、綺麗さっぱり消え去ったのだ。

 自ずと、ノクトの視線は試験台の上に置かれた銃器に注がれた。フィーユもそれに倣い、エルは首を縦に振った。


「襲撃者は同行していたヴィレット・ストレイムによって撃退。その場で死亡。正確にはその確認をする前に肉体が液状化し……これだけが残されていたそうだ」


「これ……ねぇ」


 一見したら鋼鉄で出来た機械仕掛けの銃を見て暫し黙考した後、隣で同じように銃を見ていた相棒に尋ねる。


「……どう見る?」


「見た目は不可解な形をしている銃ですが……あそらく、ある種のオーバーテクノロジーではないかと」


「その心は?」


「先の映像記録からそう判断しました」


「なるほどね」フィーユの淡々とした対応に納得の意を示しつつ、ノクトはエルに尋ねた。


「此処の技術者たちの見解は?」


「概ね、お前たちの予想している通りだ」


 エルは書類留めバインダーを手に取り、それを眺めながら答える。


「材質不明。製造工程も不明。動力機関においては我々の技術力を遥かに上回る高度なものが多数用いられている。簡単に調べただけで、数世代は先の物と思ってくれていい。フィーユの言う通り、オーバーテクノロジーと言って差し支えないだろう。ましてや、動力源が負素となればなおのことだ」


 何気ない――そう。本当に何気なくエルが言った一言に、ノクトだけではなくフィーユすら目を瞬かせて、信じられないといった表情でエルを見る。

「……今、なんて言った?」辛うじて、ノクトはそれだけ言葉を口にした。エルは肩を竦め、呆れた様子で言う。


「だから、フィーユの言う通り――」


「いや、その後だ、後! 動力源がなんだって?」


「だから、『負素だ』と言っただろう。耳が聞こえていないのか?」


 むしろ聞こえたから聞き直しているのだが、という突っ込み入れなかった。

 こうなるともう何と言っていいか判らず、ノクトは暫し逡巡してから大きく溜め息を吐き、


「……作った奴は、余程博打好きと見えるな」


「まったくだ」


 同調しながら、エルは書類留めで銃器を叩く。


「こんな解明もままならないような機構を大量に組み込んでいるだけではなく、負素を動力とするなど、正気の沙汰ではない」


「ましてや――」言いながらエルは部屋の奥に進む。そして囚人を収容するためにあるような強固且つ厳重そうな扉の前に立つと、扉の摑み手ノブ部分にある端末を操作した。小さな電子音が鳴り、端末の画面に『開錠Open』の文字が光る。

 エルはさっさと扉を開くと、その奥に進みながら視線をノクトたちに向けた。「ついてこい」という無言の最速に、ノクトたちは黙って従うことにし、隣の部屋へと足を向け――そして瞠目する。

 一つ、二つ、三つ……総勢、九つ。

 隣の部屋の試験台に置かれていた、あの武骨で鈍重な銃器によく似た武器が合わせて九つ、その部屋には保管されていた。


「隣にある物と合わせて、これで十……流石に、偶然と軽視するには多すぎる数だ」


 それが、先ほど言い掛けた言葉の続きなのだろう。確かに、負素という空界に住むあらゆる人間にとって害悪でしかない物質を動力としている武器が、これだけ出回っているという事実を騎士団が――いや、エルが看過するわけがない。


「それに、見つかったのはこれだけだが――」


「見つかっていない物はもっとあるはず……ってか?」


 言いながら、自分の頬が引き攣っているのをノクトは感じた。そんなノクトに向けて、エルはうんうんと満足げな笑みを浮かべる。


「お前は本当に察しが良いな。さて――最早言わなくても判っているだろうが、この銃器に関しての情報は第一級極秘事項だ。騎士団の中でも、知っているのは私を含めて極少数……まあ、負素を利用した兵器があるなど、知られていいことではない」


「……お前、確信犯だろ?」というノクトの科白に、少女は「なんのことだか」と空とぼけて見せた。

 まったくもって、事後報告もいいところだ。いや、元よりこんな極秘区画に呼び出された時点で予想はしていたが……


「私個人としては、この兵器の出所を知りたい。可能ならば、早々に潰したい。こんなものはあってはならないからな……しかし、だ」


「表立った行動も取れない……と?」


その通りイエスだ。物わかりが良い男は好きだぞ」


「できることなら、今すぐ物わかりの悪い女になりたいね……」


 おざなりな皮肉を返しながら、ノクトは目の前の少女が何を言いたいか得心が言った。嫌な予感に限って的中する自分の癇働きが嫌になる。媚びを売っておいたほうがいいなんて言うんじゃなかったと後悔するが、もう遅い。

 そしてそんなノクトの心境を悟ったのか、エルは意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「だから、お前に頼みたい。騎士にはできない汚い仕事も、お前なら難なくこなせるだろう?」


「そのための認可傭兵だしな」とエルは口の端を吊り上げた。

 対し、ノクトは盛大に溜め息を吐く。


「こっちが断らないの知ってて言ってんだろ?」


「いや。別に断ってくれてもいいぞ。相応の覚悟があるのなら」


「……この悪女」


「いいや」最後の抵抗と言わんばかりのノクトのぼやきに、エルは満面の笑みと共にこう返した。


「悪女じゃない。王女だよ」


「……」


 悪びれもしない第三王女の言葉に、ノクトは思わずうんざりした。無論、そんなものが何の抵抗にもならないことは理解しているのだが、それでもそう思わずにはいられなかった。

 無論、そんなことでエルが勘弁してくれるはずもない。

「さあ、どうする?」言葉ではなく、視線だけでそう問うてくるエル。

天井を仰ぎ見て大きく溜め息を漏らしたノクトが折れたのは――それから三〇秒ほど後だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る