第四十六話 団欒

 ―――コリ、コリ、コリ、コリ


 コーヒーミルのハンドルをゆっくりと回し、硬い豆を丹念に擦り砕く。快い音。手に伝わる感触もまた小気味良い。手間を惜しまず、一秒一秒を咀嚼そしゃくするようにして、心を込めて挽いていく。

 脇には白いコーヒーカップと、その上にセットされたドリッパーが待機している。更にその隣のコンロには、水の入ったケトルが置かれていた。

 コンロから吹き出すガスに点いた火が、銀色のケトルをあぶっている。湯が沸いていた。湾曲した口からは、白い蒸気が控えめに昇っている。

 十分に挽き終えた所で、バリスタ――アラン・ウィックは手を止めた。

 粉々になった黒い豆をドリッパーに移してから、コンロの火を消した。適温であると感覚的に理解する。アランはケトルを持ち上げ、ドリッパーの上で僅かに傾けた。

 少量の湯で粉全体を満遍なく濡らし、二十秒ほど蒸らす。それから本格的に湯を投入していく。

 ペーパーフィルターを通して濾し出された黒々とした液体が、少しずつ溜まっていく。たちまち立ち込める芳醇な匂い。だがまだ足りない。味も香りも全て引き出せるよう、中心から外側へ、ぐるりと円を描くよう意識して――努めて丁寧にコーヒーを淹れていく。

 十分な量を淹れ終えた所で、アランは手を止めた。

 カップを手に取り、持ち上げる。立ち昇る芳醇な香りが鼻孔を満たした。

 香りに不足はない。

 脳を刺激する好い匂いをたっぷりと楽しんでから、アランはカップに口を付けた。地獄のように黒く苦い液体が、舌と喉を焼く。


 ―――不味い。


「…………」

 カップを唇から放し、アランは渋面で溜息を吐いた。


(ブレンドに使われていた豆の種類は確認済みだ。これであってる。淹れ方も問題はない筈。使った道具は同じ、共用のもの。湯の温度も間違いなくこれが最適だ。配合も問題ない……となると、原因は分量か。道のりは遠そうだな)

 眉間に皺を寄せて黙考しつつ、ちびりちびり、と少しずつカップの中身を干していく。

 今朝飲んだ、エドガーが淹れたコーヒー。アランはその味を再現しようと試みていた。

 元々、アランは自分から積極的に嗜好品を摂ろうとする性質ではない。出されたものは毒であろうと平らげるが、それだけだ。ひたすらに受動的。そんな彼が、珍しく茶を嗜んでいる。

 それも意識的に人目を凌いで、だ。

 エドガーが淹れたコーヒーと同じ味のコーヒーを飲みたいのであれば、エドガーに直接頼むか、淹れ方を教わればいい。しかしアランはそうはせず、こっそりと手探りで味の再現に挑むことを選んだ。

 偏に性格の問題である。

 頭を下げること自体にはなんら抵抗はない。しかし人に頼りたくはないし、誰にも見られたくない――と、実に難儀な心理だった。

(次に試す豆の割合は……―――ん?)

 思考中、ふと視界の端に奇妙なものが入った気がして、アランは顔を上げる。

「…………」

「…………」

 扉の隙間から、ひょっこりと頭を突き出した姿勢で、エドガーが覗いていた。

 異常に目尻を下げて口角を釣り上げた、悍ましい笑顔をアランに向けている。

 コーヒーの苦味が増した気がした。

「……何か御用ですか?」

 露骨に顔をしかめてアランから水を向ける。

 エドガーはニヤニヤと厭らしい笑みを顔に張り付けたまま、おもむろにキッチンへと足を踏み入れた。

「おやおやアランちゃ~ん? 夜中に一人でこそこそと何やってんのかと思えば……結構、可愛いとこあるじゃない。俺が淹れたコーヒー、そんなに気に入っちゃったか? んん?」

「…………別に……」

「素直じゃないなぁ。ほれ、うりうり」

「寄らないで下さい。臭い」

 無遠慮に頭を撫で回してくるエドガーの腕を空いている右手で払い除け、更に掌で顎を押して力任せに遠ざけようと試みる。邪険な扱われようだが、当のエドガーに気分を害した様子はない。むしろより一層、微笑ましいものを見るような視線をアランに注いだ。

 一方で、アランは不貞腐れた風に唇を尖らせる。

 彼は残っていたコーヒーを一気に呷ってカップを空にすると、手早く後片付けを始める。

「……改めて訊きますけど。俺に何か用ですか? それとも、単に恨み節でも言いに来たとか?」

「ん? 恨み?」

「昼間の乱痴気騒ぎですよ。カルティエに賭けてたんでしょう? 朝のミーティングの後、隠れて彼女と話していたのは確認してますからね。どうせ、朝食の時のジャムの件を元に、妙な入れ知恵でもしたんじゃないですか? まあご存知の通り、俺の大勝で終わりましたがね。残念でしたね、勝ち馬に乗れなくて」

 どことなく煽る風にアランが言う。

 実の所、アランの指摘は当たっている。

 アランの魔術は強力だ。彼を捕まえるのは困難である。故に、エドガーは朝の時点でカルティエに朝食時の出来事を告げておいた。


 ただし―――


「いいや、しっかり勝たせて貰ったさ」

「は?」

 むっふっふ、と気味の悪い笑みを漏らすエドガーに対し、アランはいぶかし気に眉を潜めた。

 見せびらかすように手を広げて、エドガーが言う。

「カルティエに入れ知恵したのはその通りだ。だが、俺が賭けたのはお前の方なんだな。アランちゃんは負けん気が強い性格だって知ってたからな。ムキになって勝ちにくるだろう、ってヤマ張ってたんだわ。で、予想は的中! いやぁ、おかげで儲かった儲かった!」

 がはは、と大笑する。

 彼の言葉の意味する所を噛み砕き、飲み込んでから。アランは露骨に顔を歪めると、これ以上ないというくらいに力強くキレのある舌打ちを放った。その威風と呪詛といえば、人一人を容易く心不全に陥らせてしまいそうなほどだった。

 片付けを終えたアランは、如何にも不機嫌そうな面持ちのまま、乱暴に「おやすみなさい」とだけ告げてキッチンから出て行く。その背中をエドガーは見送った。

(ああやって普通にしてる分じゃあ、ただの子供にしか見えないな)

 へらへらとした態度を崩すことなく、エドガーは思考する。

 午後の祭りイベントの後、オブレイ等と行った密会での会話。その内容を思えば、否が応にもアラン・ウィックに注目せざるを得ない。

 懐から煙草とライターを取り出し、口に咥えて火を着けた。

 紫煙を深く吸い込んでからゆるく吐き出し、しみじみと、エドガーは呟く。

「はあ。今に始まった事じゃないが……やっぱり、子守りってのは大変だな」

 脳裏に浮かぶのは後輩であり、そしてカルティエの母親でもあるヴュアルネの姿。そして、最後に彼女と交わした言葉を思い出す。


 ―――まともに産まれた娘じゃないから、まともな環境で生かされるのは難しいと思ったのよ。だからまともな人に託したかった。私では支えられないから、代わりに支えてあげられる人が必要だったのよ。


 ―――今更親の真似事なんて出来っこないってことなんでしょうね。だから、後は任せたわ。


(俺にだって、そんな資格はねぇってのによ)

 苦笑する。タールとは違う、苦いものが舌の根に湧いた。

 彼が思い浮かべる人物の像が、別のものへと切り替わる。

 黒い髪。白い肌。そして、篝火かがりびを思わせる、鮮烈な赤色の瞳。

 虚空の中に思い描いた女へ向けて、エドガーは。まるで懺悔ざんげでもするように、呻くも同然にささやき掛ける。

「なあ、そうだろ―――」


 ―――エリザ


 決して二度と思い出すまいとしていた、女の名前とその姿。思い出の底に沈んでいた虚像。それは紫煙に乗って、ゆっくりとどこかへと消え去って行った。


 * * *


 雑貨屋兼探偵事務所――『ジグソウ』。


 その地下に構えられた秘密の工房『ギデオン』にて、カルティエは難しい顔をして佇んでいた。

 ぐるりと壁に沿って設えられたコの字型の作業台の一角にて、頬杖を突き、机上に散らばった資料の紙面をぼんやりと眺めている。今にも溜息を漏らしそうな、茫洋ぼうようとした表情だった。

 資料は、アラン・ウィックとシャーロット・ウィックに関して調べたものだ。

 カチナ・オルガンのデータベースをハッキングし、隅々まで探して得た極秘情報の写し。しかし、そこにカルティエが求める答えはなかった。

(見付かったのは、用意された偽物の経歴だけ。……過去は全て抹消済みということか。三つのトリスメギストスの何処にもないとなると、在り処はマニトゥの本体以外にないと考えるべきでしょうね)

 手詰まりだった。

 完璧なセキュリティなど存在しない。ネットワークに接続する以上、必ず不正なアクセスに晒される危険がある。それは喩え、国家機関の最重要システムであろうと例外ではない。

 現にカルティエは容易く防壁を突破しているし、先の青空教会のテロ事件でも、トリスメギストスはシステムを乗っ取られた。

 勿論、誰にでも出来ることではない。

 そして当然、違法行為である。だが昼間の祭りイベントに際し、マニトゥの名の下にあらゆる諜報活動が許容された。アランの位置情報を得る名目で、カルティエだけでなく、ジュニアもまたトリスメギストスに接続しており、またその行為をマニトゥに認可されている。

 得た情報は、その折りにとして入手したものだった。

(二人は何者なんでしょうか)

 先の青空教会のテロ事件の後、カルティエは改めてマニトゥへウィック兄妹に関する詳細な情報の開示を求めた。

 対するマニトゥの反応は、誠実とは言いかねるものだった。

 二人を預かるに当たって、家主のカルティエへ送信した情報が偽装されたものであったと認めはしたものの、それだけだ。二人の本当の過去について、カルティエには閲覧する権限がないとして黙殺されている。

 ならば誰が識っているのかと訊けば、その問いにも解答は得られなかった。

(恐らく、枢機卿の伯父様なら知っているのでしょうが……どちらにせよ、答えてはくれないでしょうし)

 魔術も、経歴も。

 全てが謎に包まれている。

 分からないことだらけだ。

(……アラン君、か)

 机上の資料を一枚一枚拾いながら、カルティエはアラン・ウィックについて考える。

 その最中に―――


 ―――コンコンコン


 不意に鳴り響いた三度のノック音によって、思考の海の底に沈んでいたカルティエの意識が急浮上した。

 弾かれた発条バネのような動きで、カルティエの背筋がピンと張り詰める。

 ギギギ、と関節の錆びた人形じみた挙動で肩越しに背後を見ると、入り口に佇むアランの姿が確認できた。

 部屋の出入り口はシャッター状の仕切りになっており、基本的に開け放されている。今も出入りは自由な状態だ。しかしアランは律儀にも許可なく足を踏み入れることはせず、カルティエの様子を窺っている。

 彼はもう一度、シャッター付近の壁をノックした。

「カルティエ、少し用があるんだが……取り込み中だったか?」

「いえ、なんでもないです! 何もないところですが、どうぞお寛ぎください!」

「ああ」と頷くと、アランは四角く区切られた出入りを潜った。そしてカルティエの許まで歩み寄る。

「それで、その、なんの御用でしょうか……?」

「ちょっと仕事を依頼したくてな。勿論、忙しいなら遠慮せずに断ってくれて構わない」

「仕事、ですか? それは別に良いのですが……依頼ってなんです?」

「武器を造って欲しくて」

「―――! 武器ですか!」

 キラキラと目を輝かせて、カルティエが身を乗り出す。実に生き生きとして見えた。そんな彼女の様子に若干気圧されながらも、アランは言葉を続ける。

「あ、ああ……前の事件の時くら考えていたんだが。魔術があるとはいえ。やはり徒手空拳だけで戦うのは限度があるからな。特に今日は痛感させられた。だがなんでもいい訳じゃない。なので色々考えた結果、君に制作を依頼したいと思ったのだが……いいだろうか?」

「そっ、それはもう……! この私にお任せ下さいっ!」

 胸を張り、堂々と宣言する。

「ああ、宜しく頼む。それで着手金についてだが―――」

「―――いえいえ! そんな! タダでいいですよ!」

 ぶんぶんと頭を両手を振って遠慮するカルティエ。

 友人であり、同居もしている深い関係――少なくともカルティエにとっては――なのだ。そんな相手からお金を取るなど滅相もないし水臭い、という嘘偽りのない本心だった。

 しかし、アランはかぶりを振る。

「そういう訳にはいかない。たとえ親しい間柄であっても、こういう所をなあなあで済ませるのはお互いにとってよくないからな。労働には必ず対価が支払われなければならない。この辺りのけじめは、しっかりとしておくべきだ」

「は、はあ……」

 元来から金銭面に頓着しない性質であることもあって、カルティエの反応は微妙なものだった。

 兎にも角にも、気を取り直して。二人はアランが提示した予算を基に、着手金と報酬について詰めていった。

 無事に金銭の振り込みが完了した所で、話を切り替える。

「えぇっと、それでは改めまして。アラン君はどんな武器をお求めですか? 銃器なら幾らか在庫もありますが。それとも大きい剣とかですか? だったらドラゴンなんかでも殺せそうなほどに大きい、鉄塊みたいなのがありますよ!」

「いや、そういうのはいい。……そうだな。前に君が俺に投げて寄越した奴がいいな。ほら、あの、刀と銃を内蔵した鞘のセットで、居合いをする……」

「居合い――ああ、『オキナ』ですね!」

 ぽむ、と手を叩き、カルティエが立ち上がる。

「オキナ……? それがあの刀の銘か」

「はい! アレも私が造った武器なんですよ~。ただ何分、試作品でして。あのバイクに積んでいた一挺しか造ってなかったんですよね。だから一から造り直さなきゃですので……そうですね。完成まで、ひぃ、ふぅ……三日ほどお待ちして頂いてもよろしいですか?」

「ああ。頼む」

「承りました! では、ちょっとお待ちくださいね~! ちゃちゃっと試供品を組んじゃいますから!」

「うん?」

 アランが首を傾げている横で、カルティエはるんるんと軽い足取りで歩き出す。そして工房の出入り口横のボタン群を操作した。

 部屋の中央の床が開き、下から巨大な作業台が迫り上がってくる。

 作業台には、電動の鋸や溶接用品など、様々な工具が備え付けられていた。

 更にカルティエは部屋のあちこちから必要な素材を引っ張り出して、中央の作業台に並べていく。刀、自動小銃、大型の回転式拳銃、細長い四角形の鉄箱、それから三角に折れ曲がる合成樹脂製のアームなど、などと――何かの端材と思しきものまで、片っ端から総動員していた。

「よしっ! ―――あ、危ないですからちょっと離れていて下さいね!」

 告げて、カルティエはトレードマークでもあるゴーグルを装着する。そして小型の電動丸鋸を手に取って、スイッチを入れた。


 ―――ギュイィィイイイン


 鉄の削れる音が甲高く鳴り響き、幾つもの赤い火花が散華する。

 自動小銃と回転式拳銃の銃身バレル銃把グリップが斬り落とされた。続いて鉄の箱を半分にし、そこから一方を幾つかの欠片に切り分けていく。

 他の素材も分割、ないしは切れ込みを入れた。

 目印もつけず、尚且つフリーハンドでの作業だというのに。一寸の狂いもなく、乱れすらなく。彼女は武器を造り上げていく。

 切り分けが終わった所で、カルティエは部品を組み上げていった。

 鉄の箱を中心として、切り離した銃の機関部などを組み付けていく。あらゆる凹凸おうとつが噛み合う。まるでパズルのように、全てのパーツがぴったりと当て嵌まった。やがて銃砲火器を内蔵した刀の鞘――その輪郭が完成する。

 カルティエは組み上がった物を刀架のような形の台に固定すると、溶接の準備に取り掛かる。

「―――おっと、すみませんアラン君。これから溶接をするので、このゴーグルを着けていてください。裸眼で直視すると目が潰れちゃいますから」

 カルティエは予備のゴーグルをアランに渡した。

 アランがゴーグルを装着するのを確認してから、カルティエは作業を開始する。


 程なくして、出来上がった。


「―――よし、完成! サンプルモデル『オキナアラタメシキゼロゴウ』、です!」

「おー」

 パチパチパチ、と拍手するアラン。

 取り掛かりから完了まで十分と掛からなかった。その仕事振りは、素人であろうとも素直に感心する他ない。

 ゴーグルを外し、差し出された刀と銃火器内蔵型鞘を受け取る。

 刀は兎も角――アランは鞘を振った。

 手に持った機関部が鯉口から移動して、鞘の半ば辺りで停止する。それに連動して、鞘の底面に設えられていた棒状のパーツが折れ曲がり、三角形の簡素な銃床ストックになった。

 もう一度鞘を振ると、機関部が鯉口まで移動し、銃床ストックも棒状の形態に戻る。

 一連の動作を何度か繰り返したが、故障する様子は全くない。

 次いで、アランは刀を鞘に納めた。その状態から、楽な姿勢のまま、緩めの動作で刀を鞘から抜き放つ。

 同じく何度か繰り返した後―――


「―――――」


 左足を半歩後退。身体の重心を落とし、左手に握った鞘を腰に据える。いわゆる居合い腰の姿勢。そして浮かせた右手を、刀の柄へ流す。

 そして目にも止まらぬ速さで抜刀。

 白刃が、凄まじい速度で空を斬り裂いた。

「……ふむ」

 納得したように頷いて、アランは刀を鞘に納める。

「どうですか? 前の『翁』は試作品で、色々とピーキーな設計でしたが、今回はアラン君の体格に合うよう調えて組んでみました。弾を装填すれば発砲もできますよ。……刀は有り合わせのものですけどね」

「いや、いいと思う。それにしても凄いな。設計図も無しに、こんな短時間で組み上げられるとは……流石は碩学」

「いやぁ、そんな~! 褒め過ぎですよアラン君~! えへへ~!」

 見たこともないほどふにゃふにゃした笑顔で、カルティエが照れた。

 承認欲求が満たされている顔だった。

 そんな有り様だが、職人としての気質は崩れない。カルティエは仕事の細部を詰めるべく、アランに尋ねる。

「特に問題がないようであれば、それを基に制作を始めますけど……デザインとか、何か注文はありますか? 形とか、柄とか……詩や名前を入れて欲しいとか!」

「いや、そういうのは特にない。……まあ。強いて言えば、シンプルな方が好みだが」

「なるほど、なるほど。承知しました。それでは早速、仕事に取り掛かりますね」

 試作品の刀を作業台に安置すると、カルティエは壁際にあるコンピューターの元へ移動した。

 スリープ状態だった端末が叩き起こされる。

 光が灯るディスプレイ。幾つかのアプリケーションを駆使し、カルティエは宣言通り、武器製造に関わる作業を開始した。

 アランは傍らに立ち、彼女の仕事振りをそっと観察している。

 今カルティエが行なっているのは、武器のより正確な設計図の作図、複雑な結晶構造に関する化学式の計算、外部業者へ送る発注書の作成など、などと。複雑なマルチタスクを平気な顔で実行していた。

 彼女一人で大抵のことは実現可能だが、特殊鋼材の精錬や鍛造など、『ギデオン』の設備では出来ないことも多い。無論、カルティエがその気にさえなれば、溶鉱炉であれ原子炉であれ、一から用意すること自体は可能ではある。だがそれが現実的な案でないことは考えるまでもなかった。

 新たな『翁』の部品のほとんどは、外部に製造を委託することを予め決めていた。最初に納品の期限を三日後に設けたのもそれが理由だった。

「…………」

「…………」

 黙々と作業を続けること、十数分。

 天啓の如き閃きで――カルティエは、唐突に気が付いた。

(あれ? もしかしてすごく見られてます?)

 ふと我に返り、隣に立つアランの存在に意識が向く。仕事に集中するあまり、完全に彼のことを忘れてしまっていた。

(ああああああッ! やらかした! 私としたことが、またこんなミスをッ! まずはお茶を――いやいや、それ以前に椅子を勧めるべきでしたでしょうに! もう遅いですか!? ダメですか!? なんだかさっきからすごい圧を感じるような気がします! 怒ってます? アラン君、もしかして怒ってます!? お客様も満足にもてなせないなんて、私のバカ! かたつむり! 覗き魔!)

 表面上は平素を装っているが、カルティエは頭を抱えたくて仕方がなかった。

 素人目にも分かるほどカルティエの作業速度が落ちたため、どうしたのだろう、とアランが小首を傾げる。そんな些細な仕草さえも、カルティエにとっては、海溝の底に叩き込まれたと錯覚するほどに絶大な圧力プレッシャーだった。

 空気が重い。

 心臓が痛い。

(なにか、今から挽回する手は……!)

 必死に頭を巡らせる。

 その時、カルティエの脳裏に稲妻が閃いた。

(ハッ……! そういえば、この手の作業の様子を配信している技術者って結構いますよね。彼等は視聴者を退屈させないために小粋なトークを披露したり、今やっていることを分かり易く解説したり……私も同じことをすればいいのでは……!?)

 まさに天啓であった。

 善は急げとばかりに意を決し、カルティエは口を開く。

「あっ、ああっ、アラン君!」

「なんだ? どうしたんだ?」

「こんな話を知ってますか? 旧暦時代では電球の取り替えに何人の人手が必要だったか、という」

「電球を持つのが一人、家を回すのに九十九人」

「…………」

「…………」

「あっ、ヒュペルボレオスのランドマークでもある、天辺の巨大な鐘楼――通称『ドゥームズデイ・クロック・タワー』を建てたのがどなたなのかはご存知でしょうか……?」

「大工」

「…………」

「…………」

「えぇっとですね……あっ、今私がやっている作業は……ですね……」

「設計図の描画だろう。全体像だけでなく部品の一つ一つ、それに仕様まで事細かく書き込んでいることから察するに、外部の業者に発注する用途の書類だな」

「…………」

「…………」

 カルティエは頭を抱えて深く項垂れた。

「別に俺に気を使う必要はないよ。……邪魔だと言うなら退散するが」

「じゃ、邪魔だなんてそんな! 全然そんなことないですッ! でも、あの、そのぅ……退屈じゃないですか?」

 上目遣いに伺う。

 アランは頭を振って答えた。

「退屈だなんてことはないさ。見ていて楽しいよ」

「そう、ですか……?」

 アランの言葉は本心だったが、しかしカルティエには伝わらなかったようだ。彼女は如何にも居心地悪そうに首を竦め、あちこちに視線を彷徨わせている。

 仕方がない、と。

 アランは、今度は自分が水を向けることにした。

「……そういえば、随分と手慣れているようだが。普段も依頼を受けて武具の類を造ることがあるのか?」

「あっはい……えっと、そうですね。マニトゥを通してカチナ・オルガンからお仕事の依頼が来たりします。武具に限らず、ハードとかソフトとか、他にも色々造ったりしてるんですが……うーん、最近受けたお仕事の中でアラン君も知っているものといえば……―――」

 おとがいに指先を当て、記憶を漁る。

 出てきたのは従兄弟の顔だった。

「―――……ダーレスの『アレ』、ですね」

「アレ? ……ああ、『アレ』か」

 固有名詞を出さずとも通じ合ってしまう。それ程までに、『アレ』は強烈だった。


 正義装甲ナイト・オブ・グレートアビス機巧輝騎士二十世ノーデンス・デュ・ラック・ダブルクロス

 正式名称は『EXTTM-O-Mk.XX01「ベテルギウス」』。


 機械仕掛けの白い妖精騎士。その威容を思い出し、アランは深く溜息を吐いた。

「……『アレ』も君の仕業なのか? 昼間はそこそこ酷い目に遭わされたが」

「いやっ、その、あっ、あのですねっ!? 仕業というほど大層なことはしていませんよ!? 本当ですよ!?」

 アランの表情がにわかに険を帯びたのを敏感に察知して、カルティエはあわあわと慌ただしく頭と両手を振り、釈明を試みた。

「『アレ』は枢機卿である伯父様が主導で立ち上げたプロジェクトの産物です。いわゆる国家機密に該当するのであまり詳しくは言えないのですが……私は彼から依頼を受けて、機体本体とその武装類を用意しました」

「それはほぼ全てなのでは?」

 首を傾げるアランに、カルティエは「いいえ」と頭を振った。

「動力源である新型の永久蒸気機関クルーシュチャエンジンと機体の転送システム、そして肘部の特殊兵装は伯父様が。機体を制御するOSなどのセフトウェア関連は母様の作……と聞いています」

「ほう。転送、というのは?」

魔道書ライブラリの応用ですよ。―――ああ、そうだ。ちなみに、アラン君は魔道書ライブラリの仕組みについてご存じですか?」

「……一応、概要くらいは」

 頷いて、アランは自分の頭の片隅に追いやられていた知識を無理やりに引っ張り出して暗唱した。

「確か、装置内の物質を電子にまで分解するんだったか。それで質量や経年劣化を無視した保存が可能だし、電子だから別の魔道書ライブラリへの送受信もできる。それで分解された物質はいつでも元の状態に再構築することが可能で取り出し自由、と。こんな所だろうか?」

「パーフェクト! ではもう少し、突っ込んだ内容について講義をしましょうか。工学科でもいずれ学ぶことですし、良い機会ですので、ついでに予習をしちゃいましょう!」

 机から眼鏡を引っ張り出し、装着するカルティエ。

 理知的な佇まいの少女碩学が、口を開く。無論、仕事を進める手の動きが滞ることはない。平然とマルチタスクをこなしている。

魔道書ライブラリが電子に分解・変換できるのは、原則として密閉された装置内の物質のみです。これは単純に構造的な問題で、物質を分解・再構築する際に異物が入り込んでしまうのを防ぐためです」

「……ふむ。もしも同じ装置に人間と蠅が入っていて、同時に分解されると再構築した時に蠅人間になってしまう……のか?」

「『ザ・フライ』ですね。残念ながら……というべきか悩ましいですが、そうはなりません。魔道書ライブラリには元の物質の情報がしっかりと記録されていますから。映画とは違って、人間と蠅はちゃんと別々に再構築されます。混ざったりはしませんよ。

 ―――ですが、問題はあります。

 原則として、魔道書ライブラリで有機物を電子分解することはできません。正確にはその実行を認められていないのです」

「それは、どうして? 無機物と有機物ではなにか勝手が違うのか?」

「いいえ、理論上は可能なんです。魔道書ライブラリなら、この世のあらゆる物質――菌類や動植物も全て、電子に分解・変換して、その後元通りに再物質化マテリアライズできます。そしてそれ自体は悪いことではない。

 ―――生物学における死とは、生物が生命を不可逆的に失った状態をいいます。

 当然、魔道書ライブラリに分解された物質はこの定義に当て嵌まりません。電子情報になった状態で生命活動を行うのは不可能ですが、元通りに再構築できる訳ですから。そういう意味において、分解された有機物は死んではいない。つまり殺人や器物損壊の罪に問われることはないのです」

「じゃあ、何が問題なんだ?」

 眉間に皺を寄せ、難しい顔でアランが問い質した。

「スワンプマン、という思考実験を知っていますか?」

「一応、知っているが……」

 急に話が変わったことに戸惑いこそしたものの、怒りはせず、アランは自分が知っている範囲でカルティエが口にした事柄について述べた。



 ある男がハイキングに出かけた。

 その男は、不幸にも雷に撃たれて死んでしまう。

 だがその時、不思議なことが起こった。

 雷は死んだ男のすぐ傍にあった沼の泥に――なにか――とんでもなく――すごい――化学的な変化をもたらし、その結果、沼の泥から男が生まれた。

 沼から生まれたその男は、死んだ男と分子レベルで全く同一だった。

 無論、人格や記憶も寸分違わない。

 死んだ男の死体は沼に沈んだ。一方で、沼から生まれた男は、そのまま何事もなかったかのように普通に生きていく。


 果たして――復活した男は、雷に撃たれる前の男と本当に同一の存在なのか?



「―――みたいな話だったか」

「これまた完璧ですね。私から訂正すべき点も、付け加えることもありません」

 我がことのようににっこりと得意気に笑って、カルティエは花丸を贈った。

「ではここで魔道書ライブラリに話を戻しましょう。

 魔道書ライブラリによって分解された物質は元通りに再構築されます。ですが、それが?」

「……なるほど。問題というのは、そういうことか」

「はい。概念としてはテセウスの船のパラドックスに近いですね。現代科学ではこれを『スワンプマン問題』といいます。

 ですが勘違いなさらないで下さいね。『分解された物質は、元通りに再構築される』――魔道書ライブラリのこの機能に欠陥はありません。対象となる物質が不可逆的に劣化したり破損したりすることはないんです。これはどちらかというと、分解される側の心の問題ですね」

 ここでいう『分解される側』とは、人間を指している。

 人間の記憶や認識というものは曖昧なものだ。その全てを正確に思い出し、理解することはできない。それが他人のものともなれば猶更だ。知覚することさえ不可能である。

 一度電子にまで分解され、その後再び元通りになったとして。その者の記憶や人格は、本当に元に戻っているのか―――

 たとえ機械によって保障されていようとも、そんなもので人の心は納得しない。したくとも出来ない。誰であろうと必ず疑心は湧く。己であれ他者であれ、ソレが本物か確信することが決してできない。そうして生じた疑いは、生きている限り増大と増殖を続けていくのだ。

 そして、人の心は壊れる。

 ―――……

「……魔道書ライブラリの開発時に、具体的な実験が行われた訳ではありませんでした。ただ、どちらにせよ人体実験になりますし、その他にも――拉致や密輸などの犯罪行為に利用されてしまう可能性が高かった。勿論、『スタートレック』のように移動手段として使えれば便利なのは違いありません。ですが犯罪を未然に防ぐことが出来るならと、事前に規制が施されました。

 全ての魔道書ライブラリは、内部に有機物が存在する場合、機能を強制的に停止します。全体の規格として、そういうルールが設けられているんです―――です、がッ!!」

 突然アランに向き直って身を乗り出し、カルティエが叫んだ。

 びっくりしたアランは硬直して動けない。

「何事にも例外はあります。その一つは魔道書ライブラリの原型になったという『死霊秘法ネクロノミコン』。門外不出の品と技術ですので詳しいことは不明なのですが、死霊秘法ネクロノミコンは無機有機を問わず、万物を電子に分解・変換して記録・保存することが可能だったといわれています。

 そしてもう一つの例外――それがダーレスの『アレ』。

 ダーレスは自らの肉体を電子に分解し、入れ替わりに機械の肉体を再構築しているんです」

「…………な、なるほど……。ここで話が戻る訳か……」

 神妙な顔をして頷く。

 カルティエが言っていることをきちんと理解できているか怪しい――というのが、彼自身の嘘偽りのない自己評価だった。

「だが、それは大丈夫なのか? さっき君は人体実験と言っていたが、アレはそれそのものになるのでは?」

「はい。なので他言無用でお願いします。私も『コレちょっと話し過ぎちゃってヤバイな~』と思っている真っ最中なので!

 ―――あっ、でも誤解しないで下さいね? 本人とマニトゥと、その他色んな偉い人の許可と承認は得ていますから。ダーレスが被験者となったのも、本人が志願したからですし。それに造ったのも、彼の実父で且つこの国で一番偉い枢機卿の伯父様です。あくまでただの国家機密レベルの極秘プロジェクトですので! 合法ではないですけど、違法性はないです!」

「お、おう……」

 全て聞かなかったことにしたかったアランだった。

 そんな彼の気持ちとは裏腹に、カルティエはいつになく饒舌じょうぜつに話し続ける。

「機体の召喚ダウンロード時に発生させているバリアは、魔道書ライブラリ内部の物理的に密閉された環境を再現する為のものですね。伯父様の発明が優れているのはまさにこの機能です。先程も説明した通り、通常の魔道書ライブラリでも有機物の分解と変換は可能な訳ですから。しかしダーレスの『アレ』は解放された空間での物質の分解と再構築を可能としています。直接的接触が可能な量子隔壁を用いずに物質の電送を可能とする技術――これこそは紛れもなく、人類史に残る大発明だと言えるでしょう。その詳しい仕組みについては、私でも分かりかねる部分が多いのですが……恐らく肘のビームと同様、外宇宙線COOSを用いた代物なのではないかと思います。私やアラン君、それからエレナ・S・アルジェントが持つ生体機能である魔術。それに類似する現象を科学的に発生させたものなのでしょう。『十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない』とは、よく言ったものです。……―――アラン君? 大丈夫ですか、アラン君?」

 気が付けばアランの頭から湯気が立ち昇っていた。頭蓋の中からは、ぐつぐつとシチューが煮え滾っているかのような音がしている。今にも吹きこぼれそうだ。

「大丈夫だ、問題ない」

 果たして、アランは真顔でうそぶいた。

「問題しかなさそうですが……? やっぱり、その……退屈でしたか?」

 恐る恐る尋ねる。

 アランは毅然とした様子で頭を振る。

「難解だが、退屈ではないよ。こういう話は嫌いじゃない」

「本当ですか……?」

「本当だよ」

「そうですか? よかった……じゃあ、もうちょっと続けますね!」

「…………」

 結局――それから、カルティエの講義は夜明け近くまで続いた。

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