第7話 桜の日の決意


音もなくひらひらと落ちる花びらを見上げながら、俺はそのせわしなさを自分に重ね合わせていた。

そういえば、桜の落ちる速さは秒速何センチメートルだったろうか。


―光陰、矢の如し。今ここにある俺の若さを証明してくれる何かが必要だと考えていた。放っておくと、この桜のように散り、いつの間にかつまらない大人になってしまいそうでこわかった。

焦燥感と切なさ。

アンニュイな春の日の昼下がり。その光の中で、俺は少し泣いていたのだろうか?


落ちた花びらはなぜいつの間にか消えているのだろう。

誰かが箒ではいて捨ててしまうのだろうか。それとも雨風に打たれて溶けてなくなるのだろうか。

結局、見えないものはいつしか、人の意識にのぼることなく忘れ去られていく。

いまここにある何か。それをみつけなければならない。


兄貴が言っていた。

夢はどこからでもみられるんだ、って。

だけど逆に言えばどこに行っても夢を持てるかは自分次第だ。

何者かに試されているようで、自信を無くしていく自分がいた。


「武史」

独り考え事をしているところを不意に背後から呼び止められ、俺は恥ずかしさを隠そうとして失敗する。

「何をたそがれてるんだよ。」

そういう兄貴の手に収まっているのはプラスチックのケース。そうか、CDだ。

「今から俺の家に来ないか?ちょっと見せたい―いや聴いてほしいものがあるんだ。」

「聴いてほしいもの?兄貴の秘密か何かか?」

「まあ、そんなところかもしれない」

「そのCD」

「ああ。小遣いで買った」

「いくら?」

「3000円」

中学生にしては大きな買い物だ。よく見ると洋楽みたいだ。きっと兄貴はこれを聴かせたいというのだろう。

"Hell Freezes Over"

見えたのはそう印字された灰色のジャケットだった。



いつものように兄貴の家には誰もいなかった。

若い頃、不良を気取っていたという父親と、どちらかというと控えめな主婦の鏡のような母親。そんな兄貴の両親の顔が一瞬、脳裏に浮かぶ。


玄関で靴を脱いだ兄貴は、はやる気持ちを抑えつつという様子で、速足で北向きの部屋のドアまで行く。

おいおい、と思った時には、兄貴はすでに部屋に入っており、やがて後ろ手にドアを閉め、見えなくなった。

しばらくしてちょろちょろとアップテンポの曲が聴こえてくる。

「入れよ」

「あ、うん」

兄貴に促されるまま、俺はそっとドアを開けた。

その刹那、滴る水滴のような旋律が大音量になる。

これをどう解釈していいのか、最初は分からなかった。

身を委ねてしまえば、自分を見失いそうだ。


綺麗に整頓された、清潔感のある本棚の並ぶ部屋。

窓からは白い空が覗いている。大音量の音楽とのミスマッチがどこか新鮮に感じられた。

兄貴は何も言わず、曲に耳を傾けている。

"Take it easy~"

改めて耳を澄まして聴いてみると、なんだろう、この高揚感は。


「いいだろ」

「うん。すごく。」

「イーグルスっていうんだ。1970年代に活躍したアメリカのバンド。今でも活動しているんじゃないかな。」

「へえ。俺、ビートルズしか知らなかったよ。というかビートルズのほかにこんなバンドがあったんだね。」

「でも、これだけじゃないぞ」

ちょうど曲が終わったところで、兄貴はボタンを操作した。


どこか哀し気なギターソロ。やがて長いイントロの後にボーカルが入る。

たたみかけるような旋律と英語詞の語感が俺の胸を掴んで離さない。

歌詞の内容を知りたいと思った。

"Hotel California"

サビのフレーズが、曲が終わっても余韻となって耳に張り付いている。


「兄貴ー」

「うん。」

「これ、やらないか?」


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