第37話
少女はそこに立っていた。
何人をも寄せ付けぬ恐怖を振り撒く『魔王』、ヘイルの前に。彼女だけがその結界に足を踏み入れることを許されているように、じっと彼と対峙する。
兵も、民衆も、その場にいる全ての人間が見つめ、見知らぬ謎の、それも神々しい勇者の剣を携えた少女の登場に驚きざわめく中――
彼女は剣を掲げると、あらん限りの力で高らかに名乗りを上げた。
「私は……『勇者』、アデル・スーサイド! 『魔王』を討ち果たし、世界に平和を取り戻す者!」
静寂は一瞬。
その直後に、民衆たちが大いに沸き立った。
邪悪の力による死の臭いを間近に嗅ぎ、身動きも取れぬほど竦み上がっていた彼らは、紛れもなく勇者の登場を待ち侘びていた。そんな奇跡が起きてくれることを祈っていた。
一方で、大臣と兵士たちはどうするべきかわからず立ち尽くす。いや――彼らも勇者の剣を携えた少女の登場には、少なからず希望を見出していたのだろう。
勇者と対峙する魔王は到底、自分たちが敵う相手ではない。小賢しい策略を全て打ち崩し、国そのものを破壊してしまう。それを証明する魔の根源たる力を眼前に見せ付けられたのだから。
歓声を上げ、希望を託し、すがる群集。
それらの声を――しかし少女は、どこか遠くに聞いていた。
掲げた剣を力強く振り下ろす。人々には、それは魔を断つ大いなる力を示す勇ましさに見えただろう。だが彼女にしてみれば、ただの八つ当たりに過ぎなかった。
こうでもしていなければ、とても耐えられるものではない。こんな理不尽な要求を叶えなければいけないのだから。
少女はそうしている時にも、なにか違う策はないのかと考えていた。こんな方法ではない、『勇者』も『魔王』も、全てが救われるべき道はないのか、と。
しかしその時、魔王が腕を振り上げる。
解き放たれた魔法。その恐るべき力により、破砕が巻き起こった。勇者の背後で――その退路を断つように。
「……!」
瞬間、少女は駆け出した。
吼える……吼え猛るほかにない。咆哮し、全ての人々が見守る中で、その刃を『魔王』に向ける。
なんらの策もなく、あるいは力すらなく、ただ激情の中で自暴自棄のように突き出しただけの剣。
それは少女の、せめてもの抵抗だったかもしれない。もしも避けられることがあれば、逸れることがあれば、なんらかの理由によって刃が届かないことがあれば。自分はこんなことをしなくて済むのではないか、と。
しかし彼は――それを抵抗なく受け入れた。
『魔王』を討つ。
その余りにも理不尽で、耐え難い、成功させたくない目的は……しかし余りにも呆気なく、達されてしまった。
白刃が皮を裂き、肉を貫く。不愉快な、余りにも不愉快な感触が、否応なく少女の手に伝えられた。思わず手放したくなるその剣を、しかしそれでも少女は握り続けるしかない。
誰も、なんの声も発さない。ただ鮮血が散り、地面を染める。それは『魔王』と『勇者』の足元に黒い染みを生み出し、次第にその数を増させていった。
――その中にふと、別の雫が落ちる。
『魔王』の懐に飛び込み、その胸に剣を突き立てた『勇者』。伏せたその顔を、『魔王』はそっと上げさせた。
そして人々から見えぬように、彼女の目元を指で拭う。血を失い、間もなく力も失おうとする指。
「泣くな、お前は堂々としていろ。勇者として、胸を張れ」
「ヘイル……私は、私は……!」
正確に言葉を発することは出なかった。なにを言おうとしても、どんな感情を伝えようとしても、ただ震える喉から息が漏れ出るだけになってしまう。
それでも彼は――ヘイルは全ての気持ちを察しているように頷き、死に瀕した蒼白の顔で、こんな結末しか用意出来なかったことを謝った。
そして、可能な限りの笑みを浮かべる。
「ありがとう、アデル。お前のおかげで、世界は少しだけ平和を取り戻す」
力なく倒れかかるように、そう見えるようにしながら、優しくアデルを抱き締める。
「世界を、頼んだぞ……勇者」
そう囁いて、『魔王』は赤い血を流しながら息絶えた。
『勇者』のあげた咆哮は、慟哭だったかもしれないが――
その声は、群衆の雄叫びによってかき消された。
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