第28話

 町に辿り着いたのは、翌日の夜のことだった。

 想定していたより一日遅れてしまったことについて、やはりヘイルは責めるどころか、なにひとつ口にしなかった。

 ただ、比較的深い時間であったためか、今夜は自分が行くということは言い出していた。アデルが未だ塞ぎ込む様子を見せていたためかもしれない。それを止めたのはアデル自身だった。

「しっかりしなくちゃいけない……今の私に出来ることは、これなんだから」

 それが全ての贖罪となるわけではない。けれどそれでも、昨夜の非を詫びる意味くらいは持てるかもしれない。

 これしか出来ないのなら、せめてそれを全うしなくてはいけない。

 言い聞かせるようにそう呟きながら、町の中へ入っていく。

 しかし時間のせいか、そこは灯りに乏しかった。町の奥には少しだけ灯りがついているようだったが、それ以外の民家や店は既に暗闇に包まれている。

 自分の陰鬱な心中を表すようで、その光景は少し苦痛だった。せめて人通りがあれば気も紛れたかもしれないというのに。そもそも周囲に人の姿がないのでは、なんらかの異変や事件が起きていないかと尋ねていくことも出来ない。

 仕方なく、アデルはひとり、町の中を歩いていった。

 足を引きずるようにしながら、それは自分の気持ちごと引きずっているようでもある。頭に浮かぶのは変わらず、ヘイルのことだった。

 自分が感情に任せて吐き出してしまった不満については、未だに解消されることなく抱え続けている。しかし今となっては、それ以上に自己嫌悪が勝っていた。

 どうしてあんなことを言ってしまったのか――

 彼の気持ちを少しでも理解しているつもりだった。それならなおのこと、言うべきではなかった。あれでは単に、自分の不満をぶつけただけにすぎない。

「私は、どうすればよかったんだろう……」

 このままでは、彼はきっと苦痛に押し潰されてしまう。守るべき人々と敵対する心労を抱え込んだままで、疲弊していく。

 そんな今、自分に出来ることはなんなのだろう……?

「……?」

 そうした落胆のままに歩く中で、しかしアデルはふと、妙なことに気が付いた。

 足を止める。暗闇の町。商店街らしき道で全ての店が閉め切られているのは、時間を考えれば仕方ないことだろう。深夜営業の酒場でも店じまいの時間はあるし、人目をはばかる怪しげな店も、年中無休というわけではない。民家に灯がないのは就寝時間だからだと言える。この町の住民が健康的な生活に努めているのなら、それも当然のことだ。

 しかし――そう考えるとなおさら奇妙な現象があった。

 無礼を承知でカーテンの閉じられていない民家の窓を覗き込むが、そこには誰もいなかった。しかし食堂らしいそこには、荒らされた形跡もないまま料理が並べられている。手を付けることも、片付けることも忘れて眠りについてしまったのか。

 さらには暗闇に包まれる中、住民は寝静まっているはずであるのに、そこかしこで物音が聞こえた。

 盗賊の類が忍び込み、非道な計画を打ち合わせているのかとも思うが、また違う。不気味にうごめくような音。人の足音とは思えなかった。人の声とも違うように感じる。

 強いて言うなら、魔物のうめき。魔物の這いずる音。それが町中から聞こえていた。

「まさか!」

 アデルは緩やかな夜風に乗って聞こえるそれらの発信源を探り、駆け出した。

 最も近いのは商店街の外れ。店の途切れ始める一角は、闇夜をさらに濃くした黒色に包まれている。そこに物音通りにうごめく影を見つけ出した。

 人の輪郭を持ち、二足でずるずると這い動くそれは――人間だった。

 暗闇の中で黒ずみ、アデル以上に落胆しているように顔を伏せたまま、ほとんど上がらぬ足で何処とも知れず動き回る男。目を凝らせば、奥にも同じような数人の影が見える。

 その光景は異常だったが、アデルはひとまず安堵した。少なくとも魔物に襲われていることはないらしい。だが、なにか異変が起きているのは確実だった。それを解き明かすために声をかける。

「どうしたんだ、こんなところで? なにかあったのか?」

「…………」

 彼らはなにも答えなかった。しかし一斉にこちらを向いた。

 ゆらりと身体を起こすと――アデルは脅威を覚え、飛び退いた。

 直後、彼らも同じように跳躍する。人のものとは思えぬ牙を剥き出し、鋭く伸びた爪を月明かりに浮かび上がらせながら、襲い掛かってくる。

 一番先頭にいた男が、常人離れした脚力を露にしながら、両手両足で一瞬前までアデルのいた地面に着地した。体重よりも遥かに重々しいだろう着地の音が、その異様さをさらに増幅させる。

「なにをする! いったいどうしたと……!」

 呼びかけるが、彼らはそれを一切無視した。

 四足歩行になった男が異常な俊敏性で、先陣を切るように駆け出す。おぞましいほど赤く染まった目が、月明かりを浴びて尾を引いているようにすら錯覚してしまう。

 その姿は狼か、それに類する獣の類のように思えた。少なくとも通常の人間は、このような体勢でそれほど速くは走れない。

「なんだというんだ!」

 アデルは悲鳴を上げ、反転してその場から逃げ出した。

 背後からはわけのわからぬ怪物めいた人々が追ってくる。雄叫びのような呻き声を上げ、牙を剥き出しにした口から不気味に体液を滴らせながら。

 アデルは町の構造を正しく把握してはいなかったが、民家の隙間のような細い道は無数に存在することを知っていた。そしてそれが幸運だった。彼らの追跡をかわすために、入り組んだ細道を駆け抜けていく。

 やがて民家の陰に入り込んで足を止め、振り返ると……どうやら彼らは標的を見失ったらしい。こちらかも姿は見えないが、追いかけてくる足音は聞こえない。

「どうなっているんだ、この町は……」

 真っ先に浮かんだのは、人に擬態する魔物という考えだった。だが魔物が食事の準備をするはずもなく、商店街の一角に集うこともないだろう。

 しかし彼らが魔物でないとすれば、より恐ろしい考えしか浮かばない。つまりは彼らは一見した印象通り人間であり――なんらかの力によって魔物へと変貌させられている。

 ならばまず間違いなく、元凶もまた魔物だろう。

「私のせいで……」

 アデルは強く拳を握った。爪が皮膚に食い込むが、血は流れない。せめて血が滴れば、多少の贖罪として認められたかもしれないというのに。

 だが、悔やんでいる時間はなかった。

 ルォォオオオオ――!

 おぞましい雄叫びが頭上で響いた。直後に深い影が落ち、刃のような光が煌く。アデルは咄嗟に飛び退いたが……頭を守るためローブから露出させた腕には、深い裂傷が刻み込まれた。

 降り立ったのはやはり、魔物に変貌した人間。

「くそっ!」

 毒づき、再び逃げ出す。彼らが人間であるなら、やはり傷付けるわけにはいかなかった。そんなことをすれば、勇者の――ヘイルの信条に反する。彼の弟子である自分が、そんなことをするわけにはいかない。彼の気持ちを、これ以上踏みにじりたくない。

 物陰から飛び出したことで、多くの人間に発見されることになった。どうやら彼らは町のそこかしこを徘徊し、侵入者へ攻撃を行うという行動様式であるらしい。

 この異常事態に、一旦退いてヘイルに知らせるべきかとも思うが――

「……ダメだ。これを知れば、ヘイルはまた嘆き悲しむ。それを一人で抱え込んで、また疲弊していく」

 アデルはかぶりを振った。

「私がなんとかしなくちゃ……なんとかして、ヘイルにはなにもなかったと伝えるんだ!」

 町の出入り口が近付いたところで再び踵を返し、町の中を駆ける。

 アデルは懸命に打開策を探した。彼らを打ち倒していくことは出来ない。だとすれば、元凶を討つ必要がある。こんなことが自然発生するはずもなく、周囲に知れ渡っていないのなら、おぞましい力と知恵を得ている魔物がこの地で人間を操作しているに違いない。

 それがどこであるのか――アデルは考えを巡らせ、ふと思い出すものがあった。ヘイルから聞いた町の話。それはどうということもなく、ただ町の奥には大きな教会があるというだけのものだった。

 だが考えてみれば、それは町に入った時、唯一灯りのついていた場所でもある。

「だとすれば、そこに!」

 アデルは急ぎ、駆ける足をそちらへ向けた。

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