第26話

 村を離れ、丘に辿り着くと歩を緩める。しかし止まりはしなかった。

 森の中にある自分たちの荷物を手にするまでは歩き続け、それらをまとめ、出発の準備を終えると、ヘイルはすぐにその場を離れた。

 既に手を引いてはいなかったが、アデルも後に続く。その直前に振り返ると、村からはまだ煙が上がっていた。

 だが魔王は退けられたのだ。

 闇夜を照らす炎も、まもなく消し止められるだろう。

「…………」

 ヘイルはなにも言わなかった。言わないまま、森の中を進んでいく。定められた道や順路などはないが、進むべき方角だけはあらかじめ取り決めていた。それに従って歩く――つまりヘイルは、また次の町を目指そうとしていた。次の町で、また同じように人々を助けようと。

 アデルは村で得た居た堪れない気持ちを抱え、ヘイルも無言だったため、道中は終始静かなまま進んでいった。

 過去の旅路とは正反対に、昼間は休み、夜になればまた出発する。そうして、もうすぐ町も見えてこようかという頃になって……

 それでも未だヘイルが黙したままであるため、耐え切れずアデルは口を開いた。

「ヘイル。その、あの村でのことは……」

「……あそこにいた兵士たちは、工作員のようなものだろう」

 しばらくぶりに聞くヘイルの声は、明確な疲労が滲んでいた。肉体的なものではなく、精神の疲弊。彼はそれでも表面上は普段通りにしながら続ける。

「恐らく、ああやって魔物せいにしながら村や町に被害を出すことで、事業の需要を上げているんだ。武具の販売はもちろん、資材や技術もな」

「しかし自分の国でそんなことをしても、意味がないんじゃないか?」

「本命は別の国だ。イントリーグ国内だけ被害が出ないんじゃ、怪しまれるからな」

 ヘイルは後ろを歩くアデルに振り向かないまま、淡々とそう語る。最後には、「あくまでも推察でしかないが」と付け加えながらも、彼自身がその言葉を信じているようには見えなかった。

 事実、彼はぽつりと、独りごちるように呟いていた。

「恐らく十数年に渡り、そうやって『魔王』を使った商売をしてきたんだろう」

「…………」

 アデルはなんの言葉を返すことも出来なかった。無言のまま、悲嘆と悔恨に俯く。彼女の中には、ヘイルとは違った苦悶が生まれていた。

 つまりは――そうした破壊工作や、非道を極める国の策略も、そしてなによりヘイルが追い詰められ、苦悩する現状も。全ては『魔王』たる自分の存在が生み出してしまったことに他ならない、と。

 前を歩く『勇者』。彼はなにも言わなかったし、責める様子すら見せていない。だが、彼も気付いていないはずがないだろう。

 根源は全て魔王にある。そもそも彼が理想として常々語っていた、人の怯えることのない世界――それを妨げていた最たるものが、魔王だったのだから。

 根源は全て、自分にある……

「あ、あの、ヘイル……その」

 自らの命を投げ出したい気持ちを今だけは抑え、声をかける。しかし、彼は応えなかった。話は終えたのだからと言わんばかりに、またひたすらに黙して進み行く。

 あるいは、アデルがなにを言おうとしているのかを察知し、あえて対応を避けたのか。

「…………」

 わからないが、その態度にアデルはなにも言えなくなり、目を伏せた。

 街道を外れた道なき道。闇夜の中で、そこをただ歩き続けるしかなかった。


---


 故郷――レスト村を離れてから、何度目の移住だろう。

 町にある共同住宅の一室で、僕はいつもそんなことばかり考えていた気がする。

 ひとつ前に移り住んだ村は、二十日ほどで住むことが出来なくなった。その前にいた町は、二年半ほどか。それが一番長い。

 この町にはどれくらい住み続けられるのか。母さんは、もう室内の環境を整えようとはしなかった。

 必要最低限のものすらほとんど並べず、仕事以外の家にいる間はずっと、眠っているか、お酒を飲んでいるか、お酒を飲んで眠っているかだった――今と同じように。

 お酒を飲むようになったのは、二年半住んだ町を追われてからだと思う。いつも記憶がなくなるまで、そうなるように願いながら飲み続けて……だけどそれが叶ったことはなく、目覚めた時はいつも不機嫌になっていた。

「なんで、こんなことになったのよ……」

 テーブルに突っ伏す母さんに布をかけてあげた時、そんなうめき声が聞こえた。寝言なのかはわからない。ただ、手にした空っぽのグラスを強く握っている。

「わたしが、なにしたっていうのよォ……七年も、こんなせいかつ……七年前はァ……なにも、なかったじゃないのよ」

 何度も聞いたことのある、母さんの言葉。

 僕はそれに応えることが出来ず、ただその身体に真新しい毛布をかけてあげた。

 母さんが目を開けたのはその時だった。近くに立っている僕を一度見つめてから、布に気付いてそれを掴む。訝るように言ってくる母さんの声は、お酒のせいで聞き取りにくかった。

「これは、なに? こんなの、見た覚えなんかないわよ……」

「今までのが、ぼろぼろになってて……新しいのを買ってきたんだ。母さん、いつもここで寝てるから――」

 僕が喋ることを許されたのはそこまでだった。母さんはグラスごと、僕に向かって腕を振るった。

「あんた、なにしてんのよ……勝手にこんなもの! お金は全部、私によこせって言ってあったでしょ! 子供のあんたが、勝手なことするんじゃないわよ!」

 母さんが髪を掴んでくる。僕は抵抗しないまま、引きずり倒されるに任せた。

 抵抗はしなかった。こうやって母さんが怒るのに慣れることはなかったけど……どうしているべきなのかは学んだ。目を覚ました母さんが怒ること自体は、いつものことだった。横に立っているだけでも、僕は叱られた。

「あんたが生まれてから……あんたが生まれるまでは、なにもなかったのに!」

 母さんは、もう父さんの話をすることはなくなっていた。故郷に戻るという話もしない。ただこうして、時折僕にその感情をぶつけてくる。僕はなにも言わないまま、せめて母さんの気持ちが少しでも晴れるまで殴られた。

 そうして……そのうちに疲れると、またお酒を飲み始める。

 僕はどこにもいかず、母さんの側に居続けた。僕が離れれば、母さんは余計に荒れてしまう。だけどなにを口にしても、母さんを余計に怒らせることになってしまう。

 だからなにも言わず、ここにいた。せめてそうすることだけが僕の役目だった。

 ――母さんが死んでしまったのは、それから一年後のことだった。最後に頭を撫でてもらったのは、何年前だっただろう。

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