第24話

 ぼくが生まれたレスト村から、少しはなれた大きな町。そこには一度だけ来たことがあった。

 町の名前はおぼえていない。でも、大きな教会があったことはおぼえている。

 中に入るのは、そのときが初めてだった。

 とても大きな教会で、知らない人たちもたくさん集まっていた。集まって、こわがって、ふるえていた。お母さんもそうだった。ぼくを抱きしめて、なぐさめるように「大丈夫だから」と言いながら。

 耳をすませば、教会の外からとてもこわい音が聞こえてくる。家や建物が燃やされて、こわされていく音。

 一年前、お父さんがぼくたちを逃がすために戦ってくれていたときよりも、大きくて派手な音。

「大丈夫……きっと、すぐに魔物なんていなくなるから。そうしたら、またお父さんと暮らそうね」

「……うん」

 本当にそうなると思って言ったのかは、わからない。そのときのお母さんは、つらそうだった。すごくつかれているように見えた。

 ぼくはなにも言えなくて、ただお母さんの言葉を信じてうなずくだけ。

 だけど何日かして……もう一度マモノがやってきたせいで、ぼくたちはまた町をはなれて、逃げることになった。


---


 白光の刃が闇夜に弧を描き、夜と同じ青黒さを持つ獣めいた魔物が、断末魔の叫びを上げて崩れ落ちた。ぎらついた赤い瞳が色を失い、同時に青白い炎に包まれ身体ごと焼失する。

 それを見届けてから。十数体の屍骸が全て焼失した夜の森で、ヘイルは苦悩に息を荒げて座り込んだ。

 剣を振るい、魔物を討っても、頭から記憶が消滅することはない――過去は変わらず、未来を変えるしかない。そのために戦ってきた。

「誰も怯えることのない世界……」

 呟いて、空を見上げる。木々に阻まれ、月は見えない。ごく僅かな光だけが、薄い木漏れ日ように森の中に注がれている。

 しかし金色の髪はその光を受け入れることもなく、黒い瞳は暗闇のように沈んでいた。本来ならば好青年然とした顔も、今は思い詰めた疲労が滲んでいる。

 ……魔王と呼ばれるようになってから、どれほどが経っただろう。ヘイルはイントリーグの城から逃げ出した後、闇雲に北を目指しながら、この国から離れようと歩き続けていた。

 とても長い時間のように思うが、実際にはそれほどでもないのか。しかしどうあれ、自分が魔王として知られるようになる速度は、自分が歩く足よりも速いらしい。行く先々、どんな小さな町、村であろうと、自分の話は知れ渡っていた

 それを思うと、酷い心苦しさが生まれる。

 今、人々は怯えている。魔王の存在――自分の存在に。

「…………」

 吐き出す息が夜に溶ける。もはや魔物のおぞましい咆哮など聞こえず、穏やかさを取り戻した森。その静寂を意識すると、同時に酷く孤独を覚えた。

 周囲には誰もいない。魔物の一匹でも残っていた方が気楽だったかもしれない――そんな馬鹿げたことさえ考えてしまう。

 しかしそれを打ち消すように、やがて足音が聞こえた。隠れることもなく、むしろ自分の存在を精一杯に主張するような駆ける音。それが真っ直ぐにヘイルのもとへ近寄り、姿を見せる。闇夜の中では保護色同然である黒いローブ姿の弟子、アデル。

「すまない、遅れてしまった。今戻ったぞ、ヘイル」

「ああ」

 短くだけ答えて、息を喘がせている彼女を見上げる。そうまで急がずともよかったのだが、それを指摘すると彼女は「ヘイルが寂しがるといけないと思って」と答えてきた。

 それは冗談のつもりだったかもしれないが、ヘイルは無言で、隣に腰を下ろす彼女の額を小突いた。

 実際、本音は「一人で人前に出てすごく怖かったから」というところだろう――ヘイルの頼みで、彼女は一人で町や村に出向き、そこでなにか不穏な事件が起きていないかを調査していた。

 日頃から顔を隠していたのが功を奏したのか、彼女はさほど警戒されていないらしい。勇者が二人連れで旅をしているという噂はとうに広まっていたし、イントリーグの大臣もアデルの姿が見えなかったわけではないだろうが。

 それでもヘイルばかりに目がいくのは、仕方のないことだろう。そして今はそれが、数少ない救いだった。

 ヘイルは出来ることならこのまま、彼女のことだけは忘れられてほしいと願っていた……。

「村の様子はどうだ?」

 そうした思いを抱えながら、しかしそれは表に出さず、本題を尋ねる。

「森の中から魔物のような恐ろしい鳴き声が聞こえる、ということ以外はなにもなかった。それも、もう終わったみたいだな」

 周囲を見回して言ってくる。魔物の痕跡は残されていないが、そこで戦いがあったことは察知したのだろう。

 どうあれ。現在ヘイルたちがいる森から最も近い村――アデルが今日の間、調査をしていた村は、なんら脅威に犯されていないらしい。ヘイルはその報告に安堵した。

「それなら、俺が出て行くことはなさそうだな」

 調べた結果、もしもなんらかの危険に曝されているようであれば、ヘイルがその解決に向かう手筈だった。

 つまりは、今までの旅とさほど変わっていない。人々に可能な限り恐怖を与えぬようにと、なにもなければ自身が顔を出すことはなく、そのまま次の町や村へ向かう。そうしたことを繰り返していた。

 アデルも今までそれに従ってきたが――しかし彼女はずっと、不可解な思いを募らせ続けていたのかもしれない。

 それを、この時になってとうとうヘイルに問いかける。

「なあ、ヘイル……どうしてこんなことをしているんだ?」

「どうして?」

「だって、みんながお前に酷い仕打ちをした。あんな男の言葉を簡単に信じて、ヘイルを捕まえて、殺そうとして……」

 彼女は喉を震わせ、まるで我が身のように涙声を詰まらせながら目を伏せた。そして少し気を落ち着けるような間を置いてから、潤んだ瞳を上げる。

「それなのに、どうしてまだ人を助けようとするんだ?」

 ヘイルは彼女の視線から少しだけ目を逸らした。

 揺らいでなどいない。揺らぐことはない。けれど、以前のように強く語ることは出来なくなっていた。

 自分が今、それを語る資格があるのか――迷いながら、それでも口に出す。

「……誰も怯えて、逃げ回ることのない世界をつくりたい。俺はそれを望んで、実現させたい。その気持ちは変わらないし、変えちゃいけない」

 それを忘れた時、自分は本当に魔王と変わらない存在になる――ヘイルはそう言ってから立ち上がると、何事もなかったように次の町へ行くための準備を始めた。

 アデルはそれでもまだどこか不服というか、ヘイル自身に不満を覚えるような表情を浮かべていたが、すぐにかぶりを振ってそれを消すと、彼のもとへ歩み寄った。そして彼を振り向かせると、自分を覆い隠すローブの裾を差し出すようにしながら言う。

「これを着れば、少しは気が楽になるかもしれない。今までずっと助けてもらったから、交代だ」

 ヘイルは少し驚きながら、しかし首を横に振った。彼女に、しっかりとローブを着せ直してやりながら。

「それがないとお前が辛いだろう。今は特に、俺が盾になってやれないからな」

「でも……」

 反駁しかけた、その刹那。

 突如として、静かな夜に大きな爆発音が響き渡った。

 それが聞こえたのは、アデルが調査へ行っていた村の方角。今いるのは小高い丘にある森の中だが、そこから村を見下ろすと、暗闇の中で炎を煌かせ、煙を上げる民家が確認出来た。

「様子を見てくる、アデルはここにいろ!」

「あっ、ヘイル!」

 急ぎ丘を駆け下り、村へ向かうヘイル。しかしアデルも当然、それに続いた。

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