第16話

 ヘイルたちが町の北門近辺へ向かう中。アレストは一人、別の方角を目指していた。

 自分自身、目的地を明確に理解していたわけではない。しかし必死に駆け回る先に、探していた人物を見つけることは出来た。

「ブレンダ!」

 人々が既に逃げ回った形跡のある、町の大通り。その只中で、偽りの勇者は一人、哄笑を上げていた。

 アレストが名前を呼び、駆け寄ると、ようやくブレンダもゆっくりと振り返る。 

 彼は勝ち誇ったで、哄笑のままに叫んできた。

「遅かったじゃねえか、アレスト――見てみろよ、この力! これなら賊に金を払うこともない。真実をバラされたくなければと脅されることもない!」

 抜き身で下げていた剣を、自分の足元に突き立てる。そこには絶命した魔物の姿があった。

 さらにブレンダは周囲に魔物の姿がないことを見て取ると、おぞましい血が付着したままの剣を高く掲げた。なにかを唱えると剣が淡い白光を湛える。そしてもう一度刃を地面に突き刺すと、やがて……遠方から地鳴りのような雄叫びと、破壊音が響いた。

 それは紛れもなく、魔法具によって呼び出された魔物たちによるものだろう。アレストは悲痛に声を上げた。

「もうやめて、ブレンダ!」

 自らのおぞましい計画の成功を確信し、愉悦の哄笑を続ける男に駆け寄り、すがりつく。彼の暴走を止めるように。

「もういいでしょ! これ以上魔物が増えたら町が……それに、あなただって!」

「……俺が、なんだ? 俺は勇者だぞ? 魔物を狩る勇者だ!」

 自称する勇者は叫ぶ勢いで腕を振り払い、女の身体を弾き飛ばす。そして近付いてくる魔物たちの姿に、狂喜した。

 輪郭だけ見れば人間だが、近付くほどにそれがいかに人間を侮辱する形容であるかを思い知る。押し潰した豚の頭に、不恰好な二腕二足の胴体を無理矢理くっ付けたような魔物。足が短い分だけ腕が長く、おかげで魔物の持つ異常な筋力が強調されている。手にした棍棒らしき木片は、しかし人間の住む自然には到底存在していないもののように思えた。

 そんな忌まわしい魔物たちが、大挙して押し寄せてくる。

「これくらいどうとでもなる――いや、これくらい派手にやった方がいい。被害が大きい分だけ、俺の地位はさらに確かなものになるんだ!」

「でも……!」

「ぐだぐだ言ってねえで、てめえもさっさとやれ! 魔物どもをぶっ殺すんだ!」

「っ……」

 白銀の切っ先がアレストに向けられる。

 女は息を呑み、偽りの勇者を見上げた。しかし彼の目が既に自分ではなく、狩るべき獲物に向けられていることに気付き……静かに頷いて、立ち上がった。

 戦わなければいけない――もはや彼を守るには、彼が満足するまでの間、魔物を狩り続けなければならない。

 滲む涙を擦り取る。晴れた視界はそれでもどこか陰鬱に沈んでいたが、アレストは決意した。そうせざるを得なかった。

「おら、いくぞ! これだけいりゃあ、もう誰も俺に逆らえなくなるってもんだ! 間違いなく、俺が勇者だ!」

 狂い、魔物を討つ偽りの勇者。

 迷いなく邁進するその剣は、確かに魔物を圧倒する力を持っていたかもしれない。

 アレストはそんな彼の後ろに付き、懸命に襲い来る脅威を取り払おうと努めていた。

 魔物の数は少なくとも十を超えていただろう。その数的な不利を覆そうと、徹底して魔物を食い止めていく。風を使い押し戻し、氷を使い手足を封じ、火と雷で焼き尽くす。

 自分へ迫るもの、ブレンダへ迫るもの、そのどちらからも致命的な損傷を与えられぬよう、アレストは苦心した。

 ブレンダはひたすらに狂っている。魔物を切り刻む快感に酔い痴れているとも思えた。そうすることで、自らの語る肩書きを真実へと近付けることが出来る――そう確信しているかのように。

 そうした狂乱の戦いがどれほど続いたかわからない。魔物の屍は十を超え、二十にも到達していたかもしれない。

 それはアレストたちにとって、かつてない数だった。旅をしていた頃、両手で数え切れる程度の魔物と同時に戦い、全滅させることに成功した際、精も根も尽き果てて二日ほど寝込んだ記憶がある。

 だが今――未だ生存している魔物だけでも、そび時よりも遥かに多い。気力を振り絞りどれほど倒し続けても、魔物は一向に減る気配を見せていなかった。

 それどころか、数を増している気配すらある。ブレンダの手にする剣は、月明かり過剰に反射させて煌いている――

 彼はもう狂っていなかった。いや、ある意味では狂気を強めていたと言えるかもしれない。彼はずっと、終わりの見えなくなってしまった戦いを続けながら、繰り返し叫び続けていた。

「この程度……こんなもん、俺にかかれば!」

 しかし、その太刀筋が明らかに鈍っていることは、なによりも彼自身が最も理解していただろう。それはアレストにさえ見て取れた。彼の振るう刃は、いつの間にかどの魔物をも殺傷することが出来なくなっていた。

「もうダメよ! このままじゃ私たち……!」

 ついにアレストが悲鳴を上げる。ブレンダも、もはや狂った蛮勇を奮う力もなく、ただ切っ先で魔物たちの接近を牽制することしか出来ない。気付けば眼前は全て、おぞましい魔物に覆われていた。

「くそ、なんでだよ! 俺は勇者だ、勇者なんだぞ! 俺が本物だ!」

 叫び、ヤケクソに飛び出そうとしたところを、魔物の棍棒が一撃する。

 彼は辛うじてそれを受け止めたが、受け流す技術も堪える力も失って弾き飛ばされた。

「ブレンダ!」

 慌てて駆け寄るアレスト。しかし刃の牽制が失われたことで、魔物たちはもはや悠然と二人を追い詰め、取り囲もうとしていた。舌なめずりをするように、ゆっくりとにじり寄って来る。

「しっかりして! 私がついてるから、きっと守るから……!」

 頼もしく見せようとする言葉は、しかし空しく響くだけ。アレストの視界は既に死の恐怖を嗅いだ雫でぼやけ、魔物たちの姿すらまともに捉えていなかった。

「くそ、くそっ……なんでだよ!」

 それはブレンダの方も同じようなものだっただろう。

 彼は打ち震わせる歯の中で、やはり狂って――今はただ恐怖に狂って、絶叫を上げた。

「勇者は死なねえ……勇者は生きるべきなんだよッ!」

 その瞬間。

 彼は、自分を抱き起こそうとするアレストの身体を突き飛ばした。

 逃がすためではない――それとは正反対に。彼女の身体が、魔物の群れの中に飛び込んでいく……

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