第6話

「うわあああああ! や、山が、山が動いた! 山がこっち来るー!」

「落ち着け!」

 もはや完全に取り乱して闇雲に駆け回り始める少女の襟首を掴み取り、ヘイルは急ぎ退路を探した。

 迫り来る岩は、それこそ山自体を思わせるほど巨大だった。凄まじい速度で落下し、すぐに逃げ出したとしても巻き込まれずに済むかわからない。

 まして――

 ヘイルは背後の崖と、さらにその先にある麓の町の景観とを見渡した。

 直後、アデルの身体を思い切り抱き寄せる。

「へぅ!? な、なんだ、こんな時に!? なにを――」

「お前の魔法で、可能な限りあの岩を粉砕するんだ!」

 そう言うと同時に、ヘイルは崖へ向かって跳躍した。

 抱き合ったまま、二人で崖下めがけて落下していく。アデルは背後に向かって落ちていく格好になり、さらには迫り来る岩山が視界を覆い、なおのこと恐怖が増したようだった。岩山に向かって凄絶な悲鳴をぶつけている。

 しかしヘイルは、涙すら流している様子の少女の身体をしっかりと抱き締め、彼女を安心させるように有らん限りの頼もしさをもって呼びかけた。

「俺を信じろ、アデル! 岩さえ壊せば、あとは俺がなんとかする!」

「ヘイル……わ、わかった!」

 耳元で力強く投げかけられる言葉に、アデルはようやく――それでも混乱は続いていたが――頷いた。

 山のような巨石へ向かって腕を突き出し、落下の恐怖の中で意識を集中させる。

 感じるのは風だった。落下によるものではない。明らかに異質な、自然界とは異なる動きを見せる突風。逆巻く大気の流れ。それがアデルを、二人を包み込んだ。錯覚かもしれないが、ヘイルも、アデルも、確かにそれを感じ取る。

 そして次の瞬間に、暴虐的な風は二人を押し潰さんとするように集結した。一点――突き出したアデルの腕に、おぞましいほどの『魔法』として凝縮される。

 それは戦いに身を置かぬ人々にも知られる、破壊的な力。人間が用いるのですら、大きく戦況を変革させかねないほどの暴力。

 しかし今ここで解き放たれようとしているのは、それよりも遥かに次元が違う、世界の支配すら間近に見ることが出来るほどの、膨大な力の奔流だった。

「砕け散れーっ!」

 ヤケクソのように、絶叫が放たれる。

 そして今度は錯覚ではない、明確に大気を渦巻かせる轟音が響いた――見えざる力が、可視の白光となって巨石へと突き刺さる。

 その瞬間に光は膨張し、爆発のように岩を包み込んだ。

 実際の爆音が轟いたのは、一瞬後。そして同時に光が弾け、飛び散る……

 爆音の余韻が木霊する中。山のようだった岩は、術者アデルの望み通り粉砕された。もはや砂利となって落ちることすらないほどに、消し飛ばされている。

 残ったのは、僅かな砂煙だけ。

「よし、よくやってくれた! 流石は弟子だ」

 勇者は背後を見もしないままだったが、鳴動の消失を感じ取り、その成果に満足して頷いた。褒めるように頭を撫でると、少女は恥じらいに身をよじらせた。

「って、それよりこれからどうするんだ! 落ちてる! 死ぬっ、死んじゃうー!」

「大丈夫だ、お前はしっかりしがみついて、口を閉じてろ!」

 頼もしく言って。アデルがその指示に従い口と、ついでに目も閉じ身を縮こまらせるのと同時に、ヘイルは眼前に迫っていた太い木の枝に手を伸ばした。

 無論、とてもではないが、それにしがみついて止まることなど出来はしない――それはヘイルもわかっている。しかし、身体の向きを変えることには成功した。

 崖下を向いて落ちる格好から、崖に背中を向ける形へと変わる。勇者はその出来栄えにも満足すると、そのまま垂直に近い急斜面へ背中をこすりつけた。

 弾力性とは無縁の岩肌が容赦なく身体を引き裂いてくる。しかし山はそれでも勇者の身体を弾き返すことなく、触れることを許してくれた。

 その寛大さに感謝しながら、ヘイルは激痛で遠退きそうになる意識を懸命に繋ぎ止め――少女の身体を抱きしめたまま崖を滑り落ちていった。

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