第2話

「よくぞ魔王アデライードを封じてくれた、勇者ヘイル・ブレイブよ!」

 証拠として献上された、未だ生命を持っているかのように脈動する魔王の角と翼を、くれぐれも厳重に取り扱うよう従者へ命じながら――

 スィール国の王はかつてない驚喜を露にしながら、眼下で跪く青年、ヘイルを褒め称えた。

 歳は十七だと、従者から報告があった。上げさせた顔は好青年然としている。そして勇者らしく心労多きことを示す、力強い黒の双眸が王を見据えた。

 王の身辺を警護する兵たちと比べても遜色のない体躯も、勇者らしさの表れだろう。違うのは土色を基調とした、その辺りの旅人と大差ない衣服に剣帯という程度の軽装だということか。

 それについて尋ねると、勇者ヘイルはごく単純に「甲冑で旅をするのは困難です」とだけ答えた。

 王はその返答に納得し、満足すると、そうした簡単な問いを足がかりにして、別の――もっと繊細な疑問を口にした。

「時に勇者ヘイルよ。隣におるのは……もしや、お主の妻か?」

 青年の隣で跪く、黒いローブを頭まで被った人物がびくりと反応する。僅かに露出した手足から女であることは明白だったが、ヘイルからは付き人としてしか紹介されていない。

 望むのであれば婚礼の宴をと持ちかける王の言葉に、彼女はさらに喫驚して顔を上げそうになるが――ヘイルが横からそれを押さえ付けると、きっぱりと否定した。

「断じて違います。こいつはただの、弟子です」


---


 魔王アデライード――もとい、勇者の弟子アデル・スーサイド。

 王にも告げたその名前は、彼女が自ら考えた偽名のようなものだったが。ともかく彼女は勇者ヘイルと共に魔王討伐の功績者として歓迎された。

 しかし歓喜と興奮に包まれた町の中を歩く間も、勇者の弟子アデルは黒のローブで全身を包み、俯き加減で常に顔を隠していた。

 祝福の中に相応しくないその格好は、彼女の希望だった。自分の正体が気付かれないように、とのことだ。

 もっとも――魔王は人前に姿を現すことがなかったため、誰も顔を見たことがないのだが。

 ヘイルがそれを指摘しても、アデルは頑なに我が身を隠し続けていた。ひとまずヘイルも諦めて、さておき別のことが気にかかる。

「ところでお前、なんで家名があるんだ。そこまで付けなくてもいいだろうに」

「だって、勇者が付けていたし……他の人間もみんな付けてるみたいだから、その、羨ましくて」

 そこまで言ってから、アデルはいっそう肩を落とした。

「……死のう」

「なぜ死ぬ」

「申し訳なくなってきた……私なんかが真似しようなんて……」

「後悔が大きすぎるだろ、そんなことで」

 魔王城を出てから、彼女はずっとこんな調子だった。

 今も、勇者は道行く人々から感謝の言葉を投げかけられては、それに片手を上げて応じているが、アデルはそんな大量の人間を怖がり、ヘイルの背中に隠れている。

「そんなに怖がらなくても」

「うぅ、だって……うわっ、石! 石投げられた!」

「ただの花びらだって。祝福の意味で撒かれることがあるんだ」

 自前の短い金髪にも赤い花弁が張り付いているのを見つけ、摘み上げる。それをアデルの眼前に舞わせてやるが、彼女の気分は晴れなかったらしい。

「死にたい……」

「こりゃ重症だな。人間恐怖症というか、心が折れてるというか」

「だってぇ……」

 ――数百年に一度復活するという、魔王。

 今、ここで人間に対して極度の恐怖を感じているこの少女が当の魔王だと言って、誰が信じるだろうか。まして恐怖のあまり、自ら命を絶とうとして勇者に止められた、などと言ったところで。

 しかしそうまで怯えるのも無理からぬことかもしれないと――ヘイルは彼女が語った自傷の理由を思い出しながら、同情の念が湧き上がるのを感じていた。

「私は……目が覚めたら人間と戦って、勇者に追い詰められて、死ぬほどの痛みと恐怖の中で封印されて……また次の瞬間には目が覚めて、また戦って、また殺されて……」

 彼女が言うには、封印されている間は意識がないらしく、つまりは眠っているのと同じらしい。人間の世界では数百年単位の時間が経過しても、彼女にしてみればほんの一瞬前の出来事でしかない。

 そうして目覚めれば数年か、十数年の間に、再び死の恐怖を味わうことになる。

 それを何度も、何十度も、何百度も――つまりは何万年もの間、繰り返してきたのだ。

「そんな中でどうやって精神を保てと言うんだ! 封印されるっていうのは死ぬほど痛いし、死ぬほど怖いんだ! だったら本当に死んでしまうことを許されたっていいじゃないか!」

 というのが、彼女が自傷に走った際の主張だった。

 以前には――といっても何百年も過去だろうが――、勇者に向かって泣いて命乞いをしたこともあったらしい。罠だと勘違いされ、無視されたようだが。

 それらの話を思い出して、ヘイルは怖がるアデルの頭を軽く撫でてやった。

 ――最初に出会った時は単純に、自傷する者を止めようとする反射的な行動だった。そして彼女をが再び同じ行為を繰り返さないようにと強く思い、そのための手段として、弟子に取ることを閃いた。

 今にしてみれば、討ち果たすべき相手を前にして、なぜそうまでして止めようとしたのかは……ヘイル自身にもよくわからなかったが。

 しかしこうして冷静さを取り戻した今でも、その判断が間違っていたと思うことはない。だからこそ断言出来る。

「少なくとも俺は、お前を封印することも、殺すこともない」

 照れ臭そうに、あるいはどうしていいかわからずに肩を縮こまらせる少女。

 黒のフードのせいで表情は窺えないが、感激のような潤んだ瞳を湛えているようにも見えた。

 と――彼女がいつの間にか町を後にしていたと気付いたのは、丁度その時だった。

 周りにはすっかり人の姿がなくなり、固められた土の道と、左右に背の低い草原が広がっている。振り返れば、そびえる城も小さく見えた。

 それを遠くに眺めながら、アデルはふと思い出して首を傾げる。

「確か王は、祝宴を開くと言っていたような気がするんだが、いいのか?」

「出席したらお前の死にたい度数が限界を突破するだろ」

 ヘイルがそう言って肩をすくめると、彼女はまた感激したように、しかし今度は思いつめた色を湛えて目を潤ませた。

「私に気を遣って……すまない、勇者。お詫びとしてここで私が自らの喉を――」

「死ーぬーな」

 自分の喉下に当てる手を掴み上げ、止めさせる。

 それでも彼女は「だって申し訳なくて……」と、相変わらず自尊心を全て削ぎ落とされた様子で嘆いていたが。

 そんな弟子をなだめ、大丈夫だと励まし、彼女がようやくそれを受け入れた頃だろう。その間にも歩き続けていた街道に、やけに急いだ感のある蹄の音が連なって聞こえてきた。

 さほどもしないうちに、それはヘイルたちの横に並び、一瞬後には数頭の馬が競い合うように駆け抜けていく。その背に乗っているのは兵士の格好をした男。恐らくは城からの伝令だろうと、ヘイルは理解した。

 今歩いているこの国は、大陸中に存在する大小様々な国の中でも最も魔王との戦いの歴史が深く、最も魔王討伐に尽力していた――いわば魔王討伐における中心国だった。

 ここに魔王討伐の報が入れば当然、すぐさま大陸全土に知れ渡る。恐らくは別の街道にも、同じように伝令の馬が幾重も並んでいるはずだ。

 そしてそれに遅れて、馬車がやって来る。先ほどの伝令とは対照的に、やけにのんびりとした歩調で勇者たちの横を追い抜いていく。

 こちらは王の勅命ではなく、民営の仕事として働く乗り合い馬車だろう。

 丸刈りで眼帯をした御者がちらりとこちらを見やったのは、空っぽの馬車を少しでも潤わせてくれないか、という意味だったかもしれない。

 ヘイルがなにも言わなかったので、その願いは空しく通り過ぎたが。

「…………」

 アデルはただぽかんとしていた。半開きの口で馬車の背中を見送っている。

 そんな彼女が不意にこちらを振いたので、勇者は先んじて告げた。

「馬車は使わないぞ。あれは都市間の運行だろうが、二人分ならそれなりの値になるからな」

「そ、そんなこと思っていない!」

 反論しながら、しかしアデルはふと考える。

 私はそんなに物欲しげな顔をしていたんだろうか。だとしたら私は、どれほど卑しい性根を持っているんだ。まして無闇に路銀へ負担をかけるような願望を……

「……死にたい」

「この一瞬の間にお前の中でなにが起きたんだよ」

 闇雲に悲観する少女の心中を知る由もなく、しかし勇者はそれでも彼女の頭を優しく撫でてやった。

「まあ徒歩でも野宿になったりはしないから安心しろ」

「そういえば……どこへ向かっているんだ?」

 少しずれた慰めの言葉だが、アデルはそれで思い出したように問いかける。

 即座に返って来た答えは、迷いなく街道を進む勇者の歩調とは正反対のものだった。

「これといった行き先はない。なにしろ、もう魔王を探し回る必要はないからな」

「私が倒されたことで目的がなくなった……ということ、か?」

 しかしヘイルは首を横に振る。「目的ならあるさ」と言って。

「これからは、魔王のいない世界を平和にしていくんだ」

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