第8話


 時間は、現在へと戻る。


 喧騒と、酒の匂いと、タバコの煙とが充満する中で、僕はすべてを話し終えた。


 丸い木製のテーブルを挟んで向かいに座る彼女は、何も喋ろうとはせずに、ただ、煙を吐いた。こぼれ落ちた灰が、テーブルの上に置かれた灰皿に到達する前に、音も無く虚空へとかき消える。こんなに些細なことにも、この魔女は『ちから』を使う。


「猫ってさァ」


 酒場に入って、何本目かのタバコを吸いながら、やがて彼女はぽつりと言った。


「死ぬ間際になると、いなくなっちゃうのよね。それでひとりで死ぬのよ。たったひとりで」


 僕が生まれたあの街から、どのくらいの距離があるだろうか。国を越え、遠く離れたこの地で、僕はようやく一人の魔女と話をすることに成功した。彼女を見つける、大きな手がかりだ。


 ケンオがいなくなってから、もうすぐ三年が過ぎる。


 水に流されるように、時に流されていく。


「でもアタシたちは人間だからさァ、ひとりで死ぬには寂しすぎるのよねぇ」


 古ぼけた、しかし活気のある酒場の隅に、タバコの魔女は一人で佇んでいた。その街に流れ着いたとき、僕は『ちから』で彼女の存在を感じたし、彼女もまた『ちから』で、『パシリ』がひとり訪れたことを悟った。ふたりはまるで、待ち合わせでもしたかのように、自然と、その酒場で出会ったのだった。


「だから、その子みたいに、最も大切な人の隣で死ぬのよ」


 そう言ってタバコの魔女は、にやりと笑った。口に空けたピアスがゆれる。


「僕は……」


 呟くように、言った。


「僕には、とても彼女に愛されてたという自覚がありません……」


「そりゃあ、アンタがガキだっただけでしょうが」


 魔女が、ふー、と煙を吐く。


「まぁ、いいわ。ついておいで」


 がたん、と席を立った。慌てて僕も荷物をまとめる。どこへ? という質問に、彼女はこう答えた。


「会わせてあげるって言っているのよ。彼女にね。ポゥ・ティアーノ・ロッシ」




 酒場を出た僕たちは、そのまま裏の路地へ入っていった。


 この街は、あまり治安が良くないだろうと、訪れたとき一目でわかった。


 大して整備もされていない大通りには、人通りも少なく、あちこちにある廃屋の壁に、浮浪者やら、ならず者やらが昼間から酒をあおっていた。それが夜の、しかも裏路地とくれば、その危険度は格段に増すだろう。


 しかし魔女は、まるで何十年も歩いてきた散歩道のように、ひるむことなく進んでいった。実際、彼女はこのゴミ溜めのような街に住んで長いという。


 少し後ろをついていった僕は、その背中を睨みつけるようにしながら、必死で『ちから』を使っていた。ケンオが以前言っていた、魔女の『ちから』の基本中の基本、名前当て、である。


 さきほど、タバコの魔女は酒場を出るときに、僕の名を当てた。僕だって、この街へたどり着くまでにいろいろ『ちから』を試したのだ。名前当ては難なく出来るし、それ以上のことも、多少はこなせる。


 しかし、それにも関わらず、僕にはタバコの魔女の名前がわからなかった。彼女が魔女であるということは、『ちから』で感じるし、さっきすれ違っただけの浮浪者の名前もわかった。上手く使いこなせていないことは確かだが、『ちから』が弱まっているとかそういうことではないらしい。


 何かに遮られているような――そんな感じがした。まるで彼女の周りだけ、『ちから』がまったく届かないような――。本家の魔女には、そういう『ちから』もあるのだろうか。

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