誘拐犯物語

不二式

食卓

「お前の子は預かった!返して欲しければ3億円用意しろ!」

 誘拐犯は電話越しに言った。

「あんなのいらないからあんたにやるよ!」

 しかし誘拐した子供の親はそう激しい口調で告げると、電話を切った。

 誘拐犯がよくよく子供を見ると服で隠れた部分には青いアザが無数にあり、とても痩せた腕をしており何より誘拐されたというのに子供は無表情だった。誘拐犯は子供に言った。

「なんか…食うか?」


 誘拐犯は子供の育て方なんて知らなかった。子供が何を食べると喜ぶかなんて知らなかった。仕方がないので自分でよく作っていたハンバーグを作った。子供はそれをじっと不思議そうに見ていたが、焼く段になるとよだれをだらだらと垂らした。誘拐犯はタオルでそれを綺麗に拭ってやった。子供は無表情だった。

 誘拐犯はハンバーグとレタスとミニトマトを皿に盛りつけ、ごはんをよそい子供に出した。子供はそれを見てよだれを垂らすが、けして食べようとはしなかった。誘拐犯は静かに言った。

「…食べていいぞ。」

 子供はそれを聞き、しばらくは誘拐犯を見ていたが、すぐにハンバーグを食べ始めた。子供は夢中で食べていた。子供はごはんとハンバーグをがぶがぶと飲むように食べた。そしてむせて吐いてしまった。すると子供は誘拐犯を見て恐怖の表情を浮かべ、部屋の隅へと逃げ、頭を抱えて座り込みガタガタ震えた。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

 子供は壊れたオルゴールのように謝罪の言葉を繰り返す。誘拐犯はゆっくりとした足取りで子供の所へ行くと頭を撫でた。


 誘拐犯はわかった。この子供は数日間何も食べていなかったんだと。だからあんなに夢中で食べて、しかし胃の中がずっと空だったので吐いてしまったのだ。そして、吐くといつも怒られていたのだろう。誘拐犯にはどうすればいいかわからなかった。だが子供を撫でてとりあえず落ち着かせることにしたのだ。誘拐犯は子供を撫でつつ言った。

「怒らないから。とりあえず落ち着けよ」

 子供は震えながら振り向き、えぐえぐと泣いていた。誘拐犯は吐瀉物で汚れた子供の口をタオルで拭ってやった。そして子供の手を握り、椅子に座らせた。まだ子供は泣き止まない。落ち着かせるにはどうするべきか必死に考えた。


 吐瀉物を片付けないといけないし、落ち着かせることも必要だ。誘拐犯はとりあえずCDをかけることにした。子供の好きそうな音楽なんてわからない。とりあえずいつも聞いている、今はメンバーの変わってしまった音楽グループの、メンバーが揃っていた頃のアルバムをかけた。突如鳴り響くギターの音にびくっとして子供は泣き止み、聞き耳を立て始めた。

 子供はじっとCDプレーヤーの方を見て歌を聞いていた。誘拐犯はその間にタオルで吐瀉物を拭いた。全部は吸収しなかったので残ったものはトイレットペーパーでつまみ、トイレに流した。


 女性ボーカルの独特の歌声が部屋に響く。子供はじっとして体を揺らしながら歌を聞き始めていた。気に入ったらしい。男は微笑み、子供の前に新しいハンバーグとレタスとミニトマトとごはんを出して言った。

「食べていいぞ。今度はゆっくり食べろよ」

 こくりと頷き、子供は食べ始めた。だがやはり飲むように食べてしまう。男はまだ口いっぱいにごはんが入っているのにごはんをスプーンで口に運ぼうとする子供を制して言った。

「待て待て、よく噛むんだ」

 子供はむっとした顔をしながら噛んだ。

「30回噛んだらごっくんしなさい」

 子供はこくりと頷き、ちょうど30回目に飲み込んだ。男は内心ほっとしていた。子供がむっとした顔をしたことに安堵していた。

(感情を表せないわけじゃないんだ。きっといつかは笑うことだってできるだろう。)

 男は笑んで言った。

「口の中を見せてみろ」

 子供は唇を尖らせて恥ずかしがって体をもじもじさせた。

「あーんしなさい、あーん」

 男はとてもかっこいいとはいえない見た目の自分があーんなどと言っていることに内心苦笑した。子供は渋々口を開けた。綺麗な歯並びの歯とピンク色の口内。赤い舌。口の中に食べ物はない。男は頷き子供を撫でて言った。

「よし。よくできたな。偉いぞ」


 子供は恥ずかしそうに上目遣いで男を見つめた。そんなやり取りを続ける内子供はちゃんと噛んでから飲み込むようになった。男は飲み物を忘れていたと思い、冷蔵庫の中を見た。中にある飲み物は発泡酒とカクテルであるカシスオレンジのためのクレーム・ド・カシスとオレンジジュースと麦茶くらいだ。食事の時だしなと思い、男は麦茶をコップに注いだ。

 子供は両手でコップをつかむとこくこくと飲んだ。喉が乾いていたのか全部一息に飲んでしまった。ふぅと息をつき、子供はまたハンバーグとごはんとを交互に食べ始めた。男は気付いた。子供はちっとも野菜を食べていなかった。

「レタスとトマトも食べなさい」

 子供は口内に物を入れたまま首を左右に振った。男はフォークでミニトマトを刺すと、子供の口の前に持ってきた。子供はむっとした顔でむぐむぐとごはんを咀嚼し飲み込むと、ミニトマトを怖々と口の中に入れて咀嚼した。だが子供は噛んでいると嫌そうな顔が少し驚いたような顔に変わっていった。甘酸っぱいトマトの味はそれほど嫌いでもないらしい。男は微笑んで子供を撫でて言った

「よく食べられたな。偉い偉い。」

 子供はまた恥ずかしそうに上目遣いで男を見つめた。レタスにはマヨネーズをかけると子供はすんなり食べられた。ハンバーグはいつも作っているサイズで作ったので子供には大きかったが、子供は全部食べてしまった。子供は食べ終わると、

「ごちそうさまでした」

と高い声で言った。男はまた子供を撫でて言った。

「お粗末さまでした。よく出来たな。偉いぞ」


 子供はむーと唇を尖らせて上目遣いで恥ずかしそうにしていた。CDはもう何週もしていた。男は同じ音楽グループの別のアルバムをかけた。ギターの優しいメロディが流れ、歌声が部屋に響いた。子供は目を瞑り、リズムに合わせて体を前後させた。男はそれを見て微笑み、自分の分のハンバーグとごはんを食べた。男は皿と茶碗とフライパンとまな板、包丁、ボール、バットなどをスポンジと食器用洗剤で洗っていた。子供はずっと音楽を聞いていたが、手持ち無沙汰だったのか部屋の中を物色し始めた。


 部屋の中にはテレビと木の机に載ったデスクトップパソコンのセットと、座椅子とマンガなどの詰まった本棚とキッチン、冷蔵庫、小さな食卓、レトルト食品などの入った棚に載った電子レンジ、オーブントースターなどがあった。子供には用途も名前もわからなかった。子供はその中でも何が入っているか良くわからない、木製チェストの上にある写真立てが気になり、手に取った。そこにはビリビリに破られ、セロテープで補修された家族写真が飾られていた。父親と母親、兄と妹らしき影が映ってはいたがよくわからなかった。男は子供から写真立てを勢い良くふんだくって言った。

「これは見るな」

 子供はあ…あ…と言いながらみるみる顔を恐怖に歪め、部屋の隅に行き、ガタガタ震えながら頭を抱えて座り込み、

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

と言い続けた。

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